« 牧野伊三夫個展と武藤良子個展の案内。 | トップページ | 愛想と愛嬌。 »

2010/06/27

自己愛はほどほどに、冷や汁をくらおう。

いろいろなことがあって、とても書ききれない。面倒ばかり多くて、さっぱり進展なし。そんなこともある、というより、そういうことのほうが多いか。

「幼稚化」とか「幼児化」という言葉を聞く。たいがい、例の、「いまの若いものは」含みであることが多いようだが、どうやら男が「幼稚化」し日本が「幼稚化」していることを憂いているみなさんがいるようだ。むかし、1990年ごろか?「ピーターパンシンドローム」という言葉が流行ったことがあった。それと似たようでもあり、チトちがうようでもある。

こういう言葉は、たいがい批評やら評論やらの「言論業界」において多く使われ、たいがい論者の都合のよいように、なんにでもあてはめられ、いったい何を指しているかはっきりしないことが多い。そもそも「男が幼稚化」しているとか「日本が幼稚化」しているなんて、そういう言い方こそ、きわめて幼稚なものではないか。そんなふうに思えて、ま、現状把握や政策立案遂行能力のない、幼稚な言論界の先生方が稼ぐためのネタ、と思っていた。少なくとも、おれの、まわりには、そんな男はいないよと思っていた。

しかし、今回、うーん、これはチョイと30歳代の男が、幼稚すぎるんじゃねえのと思ってしまったことがあった。高学歴である、2つ並んでいわれるトップクラスの私大の片方を出ている。英語、ペラペラ。えーと、あと、なんだ、とにかく「高」ずくめ。だけど、なんていうのでしょうか、あまり詳しく書けないが、って、ここまで書けば当人は、もうこれでわかっちゃうし、さんざん話したあとだからよいのだが、基本的に、親のスネをかじっている小役人がクルマでドライブスルーで買い物するようなことしかできない。って、これも、もう当人に言ったことだからよいと思って書くのだが、「親のスネをかじっている小役人……」ってのは、親元で暮らして親離れせず、かつ組織の庇護下にあって、舗装された道路でクルマから降りずに買い物をするように、ビジネスをやろうとする。って、これは、うまい例えだと思ったが、おれが考えたことでなく、尊敬する某コンサルタントが言ったことなのだ。

たしかに、自分の好きなことについては、すごく夢中になり詳しい。たとえば、音楽やサッカーとなると、そりゃもう、すごいものである。だけど、たとえば、植木には、水をやらなければいけないという原理については知らない。こういう男に、プロジェクトをまかせると、植木を枯らすように、ダメにしてしまう。

ま、たぶん、こういう現象を、「男の幼稚化」というのかも知れないと思ったが、そういうふうに「整理」してしまうのは、大いに問題があるようだ。なにせ、そういう男を飼っている、家庭があり、大組織があるのだ。恐ろしい話だが、これは「幼稚化」なのか。

「幼稚化」というかぎり、かつては「大人」だった「男」がいて「日本」があった、ということだろう。どうやら、「幼稚化」を問題にする論者は、そういうことで、例によって自分は幼稚ではない大人であることを前提か、強調したいようだ。そこんとこが、「幼稚化」より、はるかにアヤシイしアブナイ話ではないか。

「幼稚化」といったレッテル貼りより、さまざまなイキチガイやトラブルがあっても、一ずつしっかり解決していく関係をつくることが大事だろう。お互いに、そういう力をつけなくてはならないのだ。「幼稚化」を問題にして、自分だけは大人のような顔をしている、幼稚な家庭や大組織こそ問題だろう。

ともあれ参院選下、日本は、中央マスコミをもって、サッカーと相撲業界の野球賭博に熱中しているあいだに、財政再建のためには消費税10%やむなしが「世論」になっていくらしい。サッカーと野球賭博問題に情熱を傾けると同じように、「財政再建」問題に情熱を傾けられない、これも「日本の幼稚化」として片付けられるのだろうか。

まちで入る食堂や酒場ですら、選びマチガイがないように、ネットやガイドブックで情報収集し、自分の好みにあった「安心」を選ぶ。これも、「幼稚化」と言えないことはない。店に入ると、すぐ「オススメ」を気にする。これも、「幼稚化」と言えないことはない。

レッテルの貼り合いなんて、つまらない幼稚なことだ。

大人になるためには、『みんなの大衆めし』片手に自分でめしを作ってみるという手があるかな。と、ここで無理矢理、『みんなの大衆めし』に話しをつなげよう。

いま、明日午前中にサンデー毎日にもどす、岡崎武志さんの著者インタビューのゲラが手元にある。『みんなの大衆めし』を特徴ずけるように、「スパゲティ・ナポリタン」が話題になっている。「今だけはアルデンテを忘れよう」と、ゆでたてスパゲテイを1時間置く作り方だ。これが日本料理である、大衆めしである、「スパゲティ・ナポリタン」なのだ。

毎日のようにブログで『みんなの大衆めし』の宣伝をしてくださっている、「よってってちゃぶだい」さん。きのうの26日は、「阪神ネタからスパゲッティナポリタンへ…徒然に。」と、やはり、このスパゲティナポリタンを話題にしている。
http://chabudai2009.jugem.jp/?day=20100626

少し前になるが、逗子の中原さん宅で飲んだとき、中原さんは、この本にある「青梗菜(チンゲンサイ)と油揚げの煮びたし」を作ってくれた。そして、6月20日に、こう書いている。
http://ho-bo.jugem.jp/

『みんなの大衆めし』(瀬尾幸子・料理/遠藤哲夫・文/小学
 館)に、エンテツさんのサインをしていただく。今度、瀬尾さん
 にあったら瀬尾さんにもお願いせねば。
 『みんなの大衆めし』の、なにが素晴らしいかというと、例え
 ば「スパゲティ・ナポリタン」。
   スパゲティをゆでる。表示の時間より2分ほど長くゆでて
   ざるに上げ、サラダ油少々をからめて1時間以上おく。

 「スパゲティ・ナポリタン」はアルデンテなんて関係ないのだ。
 銀座の「ジャポネ」をみればわかる。ゆでて時間のたったス
 パゲティを使っている。
 それにスパゲティの量も、瀬尾さんは150gである。ジャポネ
 の場合小盛りで180gですよ。
 気取ったイタリアンの一人前70gなんて、片腹痛し。


……引用おわり。
この本は、料理本なので、このようにレシピが話題になるのは、うれしい。
また話題にできる「大人」がいるのであるから、「幼稚化」なんぞは、クソクラエだ。

読み返している坂口安吾『堕落論』角川文庫版には、「青春論」が収録されていて、その最後は、こういうふうに終わっている。
「要するに、生きることが全部だというよりほかに仕方がない。」
大衆めしは、働き生きるためのめしだ。

「宮崎牛問題」についても書こうと思っていたが、めんどうになったので、またこんど。
かわりに、ヨウツベから、「柴草玲 あんたの冷や汁」。柴草玲さんは宮崎出身なのか。
冷や汁もカレーライスも、同じ日本の汁かけめしとして、もっと食べられるといい。
http://www.youtube.com/watch?v=Ih7ueM8tPrY

「ザ大衆食」のサイト「ガツンの冷や汁」に、宮崎出身の鈴木さんが作る冷や汁が載っている。…クリック地獄
世界中とびはねて歩いている鈴木さん、いまごろどこにいるのやら。たまには、連絡くれ~。あっこさんもな。

| |

« 牧野伊三夫個展と武藤良子個展の案内。 | トップページ | 愛想と愛嬌。 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 自己愛はほどほどに、冷や汁をくらおう。:

« 牧野伊三夫個展と武藤良子個展の案内。 | トップページ | 愛想と愛嬌。 »