梅棹忠夫『文明の生態史観』と『汁かけめし快食學』。
去る7月6日に梅棹忠夫さんが亡くなった。梅棹さんといえば『文明の生態史観』であり、この本からおれは、料理や食文化の歴史を考える、すごく重要なヒントを得た。この本がなかったら、『ぶっかけめしの悦楽』や『汁かけめし快食學』で主張した、カレーライスは日本の汁かけめしであるとする考えは、難渋したにちがいない。
おれは、大学を出た人のような勉強もしてないし、あまり本も読むたちじゃないので、よく本を読むひとから見れば、なーんだそんなことも知らなかったのかといわれるかも知れないことを、この本で初めて知ったのだった。
画像は、いまおれの手元にある中公文庫版で1974年初版発行の改訂版だが、おれが初めて本書を読んだのは単行本で、江原恵さんと出会ったあとだったから、1975年か76年ごろだろう。その本は、おれが勤めていた企画会社の書棚にあって、なんとなく手にとったものだった。
おれは、この本で文化や歴史の見かたとして、系譜論と機能論があることを知ったのが、大きなかなり決定的な収穫だった。それで、系譜論と機能論を調べていくうちに、発生論にもぶつかった。
日本の料理や食文化の歴史の著述などは、たいがい道楽や趣味のものが多く、無責任な放言にちかい。それが、正当と正統であるかのように信じられてきた。いまでも、大勢は、そうなのだ。
そして、そのほとんどは、系譜論と発生論によるもので、機能論による検討はない。
おれは、まだ不十分にはちがいないが、汁かけめしとカレーライスについて、系譜論からも発生論からも検討を加え、機能論による展開を試みた。
悦楽でも快食學でも、「ようするに「丼物」とはなんだ」といいながら、「丼物とは」を考え「料理とは」「汁かけめしとは」にふれたのは、機能論を展開するためにほかならない。
もともと汁かけめしの歴史については、無視されてきたのだけど、そもそも「料理とは」についての機能的な説明は、これまでほとんどといってよいほど無かった。機能論的にまとめたのは、調べつくしてはないが、悦楽と快食學が初めてといってもよいぐらいだろう。
たいがいは、系譜論と発生論でヨシとしてきたのだ。
『文明の生態史観』の「系譜論と機能論」は、こう述べている。
「いままでのかんがえかたは、みんな文化の由来をもって日本の位置表示をおこなおうとしていた。あるいは、文化を形づくるそれぞれの要素の系図をしめすことによって、現在の状況をしめそうとしていた」
まさに、「カレーライス伝来説」がそうだった。
で、梅棹さんは、述べている。「文化の機能的な見かたをみちびきいれたほうが、話が、いっそうはっきりするとおもう。それぞれの文化要素が、どのようにくみあわさり、どのようにはたらいているか、ということである」「それは素材の由来の問題とは全然関係ない」
つまり、肉を使っているから西洋料理、材料が渡来だから伝来料理ということは全然関係ないのだ。
そして、このようにたとえて説明する。「共同体のもつ文化を、つみ木にたとえよう。ひとつひとつのつみ木の色は、いろいろあるかもしれない。しかし、個々の木片の色は、つみあげた構築物の形とおおきさには関係ない」
こういう考えを、生活や料理や汁かけめしやカレーライスにあてはめてみればよい。
おなじ名前だけど、ちがう料理、おなじ料理だけど、ちがう名前の料理は、そのようにして説明がつく。
すでにお知らせしたように、サンデー毎日の著者インタビューで、『みんなの大衆めし』の著者である瀬尾幸子さんとおれが、岡崎武志さんインタビューされた。瀬尾さんは、スパゲティナポリタンの話しで、こう述べているのが、活字になっている。
「結局、大衆めしってみんな和食なのね。スパゲティナポリタンだって」
瀬尾さん、おそらく、機能論的な考えがあってのことではなくて、料理研究家として、料理に自ら機能している体験から得た考えがあって、そう述べたのだろう。かつて、1980年ごろ、江原恵さんが、ハンバーグについて、「つまりは洋風つくね」と言ったのとおなじとおもわれる。その「考え」は、レシピと料理に反映される。
料理における自分の手わざの機能を素直に受けとめれば、無理のないアタリマエのことだ。
それならば、料理もしないで能書きたれているくい道楽者とちがい、手を動かして料理に機能している人たちは、ほんらいなら共通の体験と認識を持つはずではないか。しかし、ちがっている。
そこに、系譜論と発生論の、じつに深い痕跡をみることができる。その痕跡を深くしたのは、誰だろうか。
日本の料理について、あふれている情報や知識の9割ぐらいは、その実態と歴史を正確にとらえていない。そんなものを根拠に味覚が形成され、「うまければよい」という惰性を続けている。
せんずりを覚えて、せんずりを続けるサルみたいなものだ。
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