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2010/09/30

制度化された思考や嗜好や表現や味覚のなかで。喝采!MOKU MOKU night@路地と人。

「グルメ視点スペック論法では語れない居酒屋メニューのすばらしさ」を書いて欲しい、という依頼があった。いまどき、こういう依頼をする編集者は、めずらしい。珍しく、すばらしいことだと思う。

たいがいは、「グルメ視点スペック論法」でナケレバナラナイのが、こんにちの編集の「制度」なのであり、そういう制度のなかでは、おれのように「グルメ視点スペック論法では語れない」ことばかり書いているライターには、仕事の場があまりないのが実態だ。

「グルメ視点スペック論法」にかなった飲食店や料理などに、人びとが集中する背景には、そのセンで制度化された思考や嗜好や表現や味覚がある。それは、いまさら指摘するまでもなく、味覚に関しては、1980年代後半からの「グルメ・ブーム」から始まり、90年代以後のB級グルメ・ブームを経て、広く強固に定着した、かのように見える。

最近、マスコミが騒いでいる「地検改ざん疑惑」なるものがある。その報道を読むと、味覚が制度化された背景と同じものが存在していることがわかる。

ヨミウリに比べ、この報道では一歩先んじていたアサヒが「特集」まで組んで熱心のようだが、その最近の報道に、「「見立てに合わぬ供述 通じない」 特捜捜査、経験者語る」という記事や、「最高検の調べなどに前田検事は、「このFDの最終更新日時の件を上司に報告したら、村木氏を逮捕するために必要な決裁が通らないと思った。特に、捜査現場にまで直接問い合わせてくる大阪高検の幹部が怖かった」という趣旨の供述をしているという」という記事がある。
http://www.asahi.com/special/kaizangiwaku/

いずれの記事も、もともと検事が「リーク」する情報に飛びついて、大げさに騒ぎたて一緒になって「有罪」をつくりあげてきた新聞社のことだから、すぐには信用ならないのだが、現在の官僚組織との付き合いや、その末端である役所の役人の言動などから、想像のつくことではある。

「見立てに合わぬ供述 通じない」状況は、グルメな世間には大いにある。そもそも、「自分の見立てに合わぬ」味覚は、たいがい切り捨てである。バツ印であり、ダメであり、ともすると下品だのと、それが、なぜ、そこに、そのように存在するかすら考えない。

そして、グルメな編集者の「見立てに合わぬ」記述をするライターは採用されることはないし、飲食店や料理にしても、そうである。

なぜ、そのようなことが存在するかというと、根本的に他者を把握し理解することにヨワイうえに、「怖い」制度があるからだろう。味覚における、こうした制度は、官僚組織の怖さより、非物質的であり、精神的であり、文化的であり、無自覚的であり、ゆえにかなり深刻だと思う。

編集者やライターが、この制度を無視することは、つくった本や雑誌が売れない可能性を意味し、自分の地位の不安定化を意味する。読者にとっては、もっと深刻である。というのも、グルメな世間から仲間はずれになる可能性があるからだ。一緒に楽しむ仲間を失う怖さを、ふつうは耐えられない。おなじ花を見て美しいといった、こころとこころが通わない怖さにおびえる。

このグルメな制度には、長年にわたる活字文化と文芸の権威の支配が関係するのだが、いまは、そのことはおいておこう。

「見立て」というのは、何にたいしてもあることだが、しょせん「仮説」にすぎない。それが「怖さ」をともなって、制度のなかで「絶対化」する。思考や嗜好や表現や味覚といった、ほんらい最も自由であるべきことも、誰かさんの「見立て」が絶対的な制度になるのである。制度化の究極の結果は、誰かさんの情報がなければ、よいかどうかの判断に自信を持てない、「感じられない」状態だろう。

先日、電車のなかで、いまどきハヤリの一眼デジカメをぶらさげた、20歳代中頃と思われる女子2人が話し合っていた。一人が写真の本を広げて、もう一人に言ったことは、こうだ。「この写真、ゼッタイ間違っている。こんな撮り方しちゃ、いけないんだよ、おかしいよ」…だってね、○○さんは…、と、彼女はおれの知らないガイコクジンの、おそらく写真家かアーチストのたぐいらしい名前をあげ、とうとうとシャベルのだった。間違っている写真の存在を信じる彼女は、味覚についても同様の思考をするにちがいない。

ちかごろは、あちらこちらでアートやアートがらみのイベントが盛んである。しかし、数の割には、退屈が多いように思う。もう、見るまえ、読むまえから想像できちゃうことが少なくない。なんてのかな、その告知を見ただけで、その精神が制度によって形骸化しているのを感じるのだ。それも、しょせん自分たち内輪の仲間の制度のなかの満足で、異質の人たちや外へ向かっての視線も感じられない。

そのように退屈し切っているところに、退屈な眠りをぶっとばすような案内があった。

刺激的な活動を展開する「路地と人」がやってくれる。
当のブログから引用する。
http://rojitohito.exblog.jp/11329923/

MOKU MOKU night★は 煙草を愛するひとのための夜です。
路地での喫煙がきびしく取り締まられ、煙草が値上がりする2010年10月1日。

それでも煙草がすきなあなたに。
もくもくとのぼる煙とおしゃべりのすきなあなたに。
わたし吸わないけど、煙草を吸う仕草ってすきよ、のあなたに。

ヘビースモーカーも、チェーンスモーカーも、そうでないひとも
お好きな煙草を持ってお立ち寄りください。
特製ライターもあります。
煙草の似合う音楽もあります。
スモーク料理もあります。

煙草のある風景、路地と人。

MOKU MOKU night★


ところでおれは、「グルメ視点スペック論法では語れない居酒屋メニューのすばらしさ」をうまく書けるだろうか。
ともあれ、長く続いている閉塞は、ある種の制度の疲弊であり、その泥沼から脱するには、もっと大胆に既存の制度の外側に見落としていたことに目を向ける必要がありそうだし、そうする人たちも増えてきているように感じる。

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2010/09/29

さあ、ポン酒を飲もう!埼玉の酒を飲もう! 埼玉35酒蔵 大試飲会。

Saitama_sake

一般は、16時から19時まで(入場18時半まで)。参加費500円。
もちろん、ワレワレ飲み人の会=野暮連も、大参加し大試飲する。
関東モン、東京モン、埼玉の酒を、大いに飲もう。

詳しくは、埼玉県酒造組合。
http://www1.ocn.ne.jp/~saisake/

よくそんなに飲むねえ、そんなに飲みたいのか、とあきれられているが、飲みたいのだ! 
もちろん、めしも、タップリくっている。酒だけでもいけない、めしだけでもいけない。
両方、たっぷり。ガツン、ガツン。

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2010/09/28

4分の3、残り4分の1。

9月も終わる。これで1年の4分の3、イコール75%が終わるのだ。あとの4分の1、イコール25%なんか、アッというまに過ぎるだろう。ようするに、今年は、もう終わりに向かって突っ走るだけ。今年も、そのように、終わるのだ。

おれは今月で満67歳だが、これでおれの人生の何パーセントを消化したのかは、いつ死ぬかということがわかっていないので、わからない。ただ、これで4分の3を消化したのだとしたら、何歳で死ぬかの計算は簡単だ。約89歳。

しかし、おれは、とても89歳までは生きられそうにない。かりに89歳まで生きたとしても、あとは今年の残り3か月を消化するように、アッという間に終わるのだ。ましてや89歳まで生きないなら、残りは1か月分か2か月分か、てなものが素早く過ぎていく。1か月に相当するのは、7歳数か月。どのみち、アッという間に終わる。

という計算はできても、なんにもならない。

もっと、おれのことを大事にしろよとか、もっとおれの本を買えよとか、もっとおれに書かせて、もっとおれに酒を飲ませて、悔いのないようにしろよとか、もっとおれとデートしないと一生後悔するぞとか、言ってみたところで、なんにもならない。

そんな、67歳なのですね。

ところで。シャープの「ガラパゴス」のネーミングが話題になっているようだが、「同社 オンリーワン商品・デザイン本部長 岡田圭子氏は説明する。「そもそも、一般のみなさんはガラパゴスがどうかとかは考えていなし、ネーミングの考え方として、スマートさやセンスのよさよりも骨太のネーミングがそろそろ必要な時期に来ているのではないかと感じていました。そこで、ガツンとしたインパクトのあるネーミングであるGALAPAGOSを採用したのです」と述べた」という記事があった。
http://plusd.itmedia.co.jp/mobile/articles/1009/27/news097.html

大勢かどうかは判断が難しいところだが、そういう傾向は、おれも感じている。ま、おれは、大勢に関係なく、もともと「力強くめしをくえ!」なのだが。

先夜のさばのゆにおける、玉川奈々福さんの浪曲は、小規模だったが好評につき、10月18日(月)の開催が決まったようだ。
http://tamamiho55.seesaa.net/

奈々福さんも言っていたし、当ブログにも以前書いたことがあると思うが、浪曲は、東京東北地域のお客さんが多く、世田谷だの西南地域は少ないも何も、浪曲にふれたことがない人が多いようだ。

さらに現代の偏向を象徴しているのが、おなじ日本の大衆芸能に見られる落語と浪曲の人気のアンバランスだろう。なにごとも流行り廃りはあるものだが、その基準がモンダイのような気がする。なにやら、偏見の蔓延を感じるのだ。そういう偏見な感覚は、食の分野も大いに影響を受けていると思う。つまりは、上っ面の「スマートさやセンスのよさ」に流れやすい傾向。落語について能書きをたれても、日本の大衆芸能については、こころもとない。それが、どんなにオカシイことかも、気がつかない。人間も世間も「スマートさやセンスのよさ」で片づかないことが、たくさんあるはずだが。

ともあれ、浪曲といえば、まさに「ガラパゴス文化」であり、しかも、奈々福さんの浪曲などは「ガラパゴス・パンク」ともいえるパンクな存在だろう。大いに、都の西南、さばのゆで気を吐いて欲しい。

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2010/09/27

太田尻家作のスプーン。

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きのう担いでいたバッグをあけたら、中から、スープ・スプーンが出てきた。

思い出した、太田尻家で、誕生祝いに、ちょうだいしたのだ。ものづくり、造形が得意で好きで、店舗の内装から、食器にいたるまで、たいがいのものをつくってしまう太田尻家では、このスプーンを売っているのだ。家長が手ずから打ち出してつくったスプーン、いいねえ。欲しかったのだ。ありがとう。

ちかごろは、おれもそうだが、ひとのつくったものに絡んで宣伝広告したりモノ書きしたりといったメディア作りの人種が多くモノヅクリの人は少なくなった。モノヅクリは、大事だよね、いいよね。

しかし、考えたら、きのうは、14時半ごろからさばの湯で飲み始めて、下北沢のスロコメへ行ってトークをやりながら飲み、また経堂にもどって太田尻家で飲み、25時までの長丁場のすえにクタクタ、野宿となったのだった。

まだ、これからでも、ホームレスをやれる。

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経堂・さばの湯→下北沢・スロコメ→経堂・太田尻家→泥酔野宿。

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きのう。15時から、経堂のさばの湯で、玉川奈々福さんの浪曲。曲師(三味線)、沢村豊子さん。古典「掛川宿」と新作「金魚」を堪能。奈々福さん声がよく出ていたし、細かい芸も快調だった。豊子師匠は、三味線がひきにくそうに見えたが、あいかわらず見事なものでした。やはり、マイクなしでやれる広さぐらいのほうがよい。おれは、生ビール、ホッピー、梅の宿おかわりで、もう酔っ払い。

奈々福さん、瀬尾さん、シノさんたちと下北沢のスロコメへ移動。

何時ごろスタートしたのかな?19時半ごろだったらしい。初対面Black&Blueのmariさんと、古墳トーク。飲みながらなので、酔いも深まる。もう時間の感覚もなかったから、1時間半もしゃべったらしい。みなさん、辛抱して聞いてくれてありがとう。mariさんの古墳ブルースが始る前、電気が消えて、mariさんがキーボードでハッピバスデーを弾きだした。ナンダ、と思ったら、おれの67歳誕生祝いってことだった。バースデーケーキまで用意されて、野暮連一同に富山のかまぼこをプレゼントされた。野暮が、気を利かせることもあるのだな。どうも、ありがとう。

mariさんの古墳ブルースが、よかった。終わりよければ、すべてよし。mariさん、ありがとう。で、無事に終了したのは、21時半ごろか?古墳は、楽しい、おもしろい。画像は、3分の1ぐらいしか使ってないし、また古墳ナイトをやりたい。

さらに引き続いて飲む。経堂の太田尻家へ行こうということになり、タノさんとO嬢と、経堂へ。太田尻家で、ますます泥酔。ほとんど覚えていないが、東広島の酒を一杯いただいて飲んだのは覚えている。この酒、名前忘れたが、どっしりして、うまかった。それに、東広島は、駅周辺の街なかに7つだったかな?の酒蔵があるという印刷物を見て、7軒もあるのか、いいなあ、行ってみたいなあ、と思ったことも覚えている。O嬢が、野暮連に入りたいと言ったような気がする。メーリングリストに登録するメールアドレス教えてちょうだい。

25時ごろ、太田尻家は閉店なので、タノさんと下北沢のサウナへ向かうべく、タクシーをつかまえようと経堂駅前広場へ出た。どうしたことか、めんどうですぐにも寝たかったような気がする。そこで野宿になった。おれは空いていた一個のベンチで寝て、タノさんは経堂駅のシャッターのそばで、寝た。すぐ寝入ったようだが、寒くてションベンがしたくなり目が覚めたのは4時近かった。コンビニへ行ったが、トイレは貸してもらえず、頭に来たので、近くで立ちションしてやった。駅にもどろうとすると、富士そばが開いていた。タノさんを起こし、一緒にあったかいそばとビール。始発電車で帰宅。

野宿は、むかしから好きで、よくやっていたが、ひさしぶりだった。雨が降っていて、身体が濡れたし、寒かった、風邪を引きそう。あとで、書き足す。かも知れない。

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2010/09/26

きょうは、スロコメ@下北沢で古墳ナイト。

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Black&Blueとエンテツでトーク、そしてmariさんの古墳ブルース。
19時から、古墳に発情、土器に燃える。
土器の歴史は、食の歴史。

15時からは、さばの湯@経堂で、玉川奈々福さんの浪曲があります。こちらも、楽しみ。

会場でお会いしましょう。

煮炊きが始った縄文時代、まだ茶碗などなかった時代、みんなで煮炊きの土器から直接すくって食べた。こんにちの鍋料理ごった煮。その鍋には、いろいろな飾りや文様がほどこされていた。そこには、よく女性器と男性器が象徴的に描かれている。こんなん見ながら、食べていたのだ。下の画像。食や性を規制するのは、生きる力の衰退、文化の退廃。力強くめしをくい、力強く生きるのだ。

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2010/09/24

スロコメ@下北沢での古墳ナイトは、明後26日ってことで。

スライドを作っている。
Black&Blueのまりさん、さきたま古墳へ行ってきた。
http://music.ap.teacup.com/blackandblue/
「古墳ブルース」、楽しみ。

縄文から古墳を縦横無尽に語りたい。ゼッタイ、おもしろい。
と、目下、でれでれとスライドを作っている。
日曜日なので19時すぎ、早めにスタートするでしょう。
21時ぐらいからは、いつもの楽しい懇親飲み会になるでしょう。
大いに楽しみましょうぞ。

スライドのスタート画面は、こんな感じ。

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2010/09/23

日本と東京の深いところ。

きょうは午後1時すぎから、五十嵐さんと学生さん2人で、都内の某大衆飲食店で店長の話しを聞いた。とても、いい話、おもしろい話、そして心配な話が、たくさんあった。飲んだけど、飲みすぎないで、明るいうちに帰った。

いちばん印象に残った話。以前から毎日、にぎりめし一個とみそ汁で計160円を食べに来る、近所のお年寄りがいるという。そのお客さんは、にぎりめし一個が、だんだん食べられなくなって、いまでは普通の半分の大きさであるという。そのために、そのお客さんは、毎日来るのだ、と。そのお客さんを店は受け入れ続けている。その現場を支える従業員の9割以上は、外国人。いま「下町の伝統」のような「人情」を支えているのは、日本人ではなく、多くの外国人労働者という、事実。

しかし、もともと、下町は、故郷を他郷にもつ人たちの「多文化社会」だった。のだから、「人情」というものは、下町の日本人独特というより、多文化混交社会がもたらしたものなのかも知れない。

それにしても、飲食店は、たいへんな状況にありますな。日本も、たいへんな状況にあるけど。さて、これから、どうなるのだろうか。

画像は、それとは関係ない。きのうの岡本太郎記念館にあるカフェ「ア・ピース・オブ・ケイク a Piece of Cake」。大川雅子さんのカフェですね。数か月前になるのかな?10人ばかりの飲み会で、おれはもう酩酊が始ったころ、遅れてあらわれた大川さんが前の席にすわった。初対面で、こちらはもう酔っていたのだが、いまどきの「スィーツブーム」なんぞについてアレコレ言葉をかわした。そのときの話が気になっていたので、この店に行ってみたかった。入ったのだが、なにしろきのうは暑くて、とにかくビールが飲みたく、有機ビールを頼んでしまった。ま、でも、話を聞いた感じでイメージしていた、流行に左右されない店であるとの印象は、確かめられた。シンプルで質実。

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非文字文化のビジュアルと文字文化のビジュアルそして汁かけめし。

016きのうは、表参道にある、岡本太郎記念館と根津美術館へ行ったのだった。この2つは、どちらも地下鉄表参道駅から近いところにあって、まったく異質な文化や思想を抱いているし、また客層も見るからに異質だった。

つまりは、すぐ近くにある、別世界を短時間のあいだにまわった。こんなことができるのは、東京ならではだろうが、両方を一度に見てまわるひとは、いないのではないかと思われるほど、ギャップの激しい「芸術」なるものに一度にふれると、大いに刺激的で、想いは「汁かけめし」にまでおよんだのだった。

汁かけめしの根っこは、非文字文化の時代、つまりは古墳時代以前にある。「縄文」あるいは「原始」をモチーフにした岡本太郎さんの作品は、まさに非文字文化の汁かけめしと同質なのだ。とか、大いに妄想を膨らませた。

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「金持ちに買ってもらうために描かれる絵、銀行預金のようにしまっておくための芸術なんて、なんの意味があるのか!/芸術は大衆のもの。/岡本芸術の根幹にあるのはこの思想です。」と、館長の平野暁臣さんは、印刷物に書いている。入館料は600円とるが、写真撮影は自由というのも、その思想の継承か。

いっぽう、下の画像。駐車場に高級外車がズラリ並ぶ根津美術館は、「銀行預金のように」しまっておいた秘蔵私蔵の骨董を、もったいぶって公開した風であり、1200円の入館料で、展示室は撮影禁止だった。ここは、もともと古美術の展示であるから、岡本前衛芸術とは相容れないというか、対照的であるにしても、権威主義的芸術の展示場らしい造りである。いやあそんなに角ばらなくても、もっとお気楽にしたらどうですかといいたくなるほど角角重厚、鉄と竹をふんだんに使用して出来ている。それはそれで、「金持ち」たちの芸術観を継承するものであろうし、なかなか見ごたえがあった。

展示品のなかに、殷の時代からの、つまり広く活躍する漢字が成立する時代の青銅器が、たくさんあって、興味深かった。とくに、後世に残すことに執着するがゆえに、木や紙より青銅に刻む漢字の様式が確立したらしいことに、文字や文章に執着するものたちのプライドというより、異常ともおもえる欲望や権威主義を感じた。そういう精神は、漢字と一緒に、朝鮮半島、日本列島にも伝わり、朝鮮半島ではハングル文字によって漢字支配から脱却したが、日本人が、最も引きずっているのではないかと思った。

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2010/09/22

山形県大蔵村の大蔵食堂。

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ザ大衆食のサイトに、以前に掲載し、「あとで書き足す」としておいた、山形県大蔵村の大蔵食堂のページを、ようやっと完成させた。…クリック地獄

この秋、都合のつくかたは、大蔵村の、湯治場の雰囲気が残る肘折温泉と大蔵食堂へ、どうぞ。きれいな棚田も見られるでしょう。いずれも、大らかな空間に大様な時間が、ゆったり流れるところ。この、せこくチマチマしていく世間にあって、「日本で最も美しい村」連合の大蔵村の「美しさ」の一つは、「大らかさ」にあるのではないかと、あらためて思った。ああ、また行きたいねえ。

大蔵食堂の並びには、「東北最古の酒蔵」といわれる小屋酒造がある。小粒の酒蔵だけど、いい味の建物、酒もまた、いい味を出している。
http://www1.bbweb-arena.com/ryu1/myweb14_003.htm

しかし、きょねんの夏に行って、いまごろやっと掲載が完了するなんて、おれも、かなりゆったりしているもんだ。これじゃ『酒とつまみ』の「年刊」を笑えない。

『酒とつまみ』といえば、ちゃぶだいのタイショーに、ブログで紹介いただいています。どうもありがとう。
http://chabudai2009.jugem.jp/?eid=773

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2010/09/20

貧しい日本の敬老の日。

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きょねんの敬老の日は、こんなことを書いたのだが。

2009/09/21
「敬老の日」はいらない。

気が向いたら、あとで、何か書こう。気が向いたら…。

2010/05/25「酒代のため、どう・いっと・ゆあ・せるふ。」に掲載した写真(下の画像)の猫だが、ことしの夏の暑い日には、たいがいここで昼寝をしていた。きょうまた、無防備の格好そのもので。

どこの猫なのか。水をかけてやろうと思ったが、よその安逸を奪うことはない。
やめて、「ああ、猫になりたい」と思ったのだった。

老人は、敬老の日に、猫になりたいと。

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2010/09/19

検索ワードのウフフフ。

何度か書いているが、ここ東大宮は「1970年代的郊外」の雰囲気が漂っているところだ。そもそも東大宮駅が、60年代後半の開業なのだが、「1970年代的郊外」というのは、日本全国平均的に見て、アメリカの1950年代的郊外に対するコンプレックスな憧れをモデルしているところがある。その感じを引きずっているように思うのだ。もちろん、それは、かなり日本的ビンボーな姿ではあるが。

東大宮のひとつ大宮寄り、つまり東京寄りの「土呂(とろ)駅」は、たしか80年代の開業であり、逆にひとつ青森寄りの蓮田駅は明治の開業で、それぞれの特徴は、駅前広場にもハッキリ出ている。

そのへんは、かなり興味があって、ときたま興味のままにウロウロする。きょうも、夕飯の買い物ついでに、チョイと早めに出て、こちらの西口と反対の東口の、東大宮地区でも「高級」といわれるあたりを、プラプラした。もはや、アメリカの1950年代的郊外の住宅の象徴ともいうべき、芝生の庭を有する家は、さすがに少ない。あっても、アチラとは比べものにならない面積だ。

ま、そういうことは、いずれ書くとして、けっこう歩いたので、駅にもどり東口に出て、いつも買い物するスーパーへ行こうとすると、「ちゃぶだい」の前を通るのである。いや、正確に言えば、いくつかコースはあるから、ちゃぶだいの前を通らずに駅へ行けるのだが、けっこう歩いてのどが渇いた、ここで生ビールを飲んだらウメエだろうなと足が勝手にそっちへ向かった。

ちゃぶだいでは、思わぬ展開となった。『みんなの大衆めし』の販売でお世話になっている、うじちゃんが、タイショーが注文した『酒とつまみ』13号を持って来るというのだ。なんというグウゼン、わたしら赤い糸でつながっているのかと思ったとしても無理ないでしょう。そしてまあ、うじちゃんと楽しく飲んだのでした。うじちゃん、ありがとう。

ということを、今夜は書こうと思ったわけではない。タイトルを見ればわかるだろう。アクセス解析なるものがあって、よく解析の仕方はわからないのだが、そのなかでいちばんおもしろいのが、「検索ワード」なのだ。つまり、グーグルとかで検索して当ブログに着くと、その「検索ワード」がアクセス解析に残るのですね。でも、誰が検索しているのかは、わからない。

おもしろいのが、人名だけではなく、そのあとに、何かしらワードがつくばあいだ。たとえば、きょう見て笑ったのは「○○○さんはゲイですか」ってのがあった。いやあははははは、もしかすると、そうかも知れんぞ、だとしてもいいじゃないか、いまは札幌で、そういうことは一律にはいかない、それぞれを尊重し気にしないで楽しく生きよう的なイベントの最中でもあるし、とか思いながら、それにしても、そのように見られるのかこの人は、とナットクしたり。あと「○○○○さんはどうしたのだろう」ってのがあった。そんな語列で、何が知りたいのだろう。

もちろん、「○○○さん」も「○○○○さん」も知っている人であり、たいがい知っているひとだ。で、おれの想像力をかきたてるのは、名前のあとに、「彼氏」「彼女」「愛人」「浮気」「不倫」「離婚」「結婚」「再婚」「バカ」「嫌い」…といった単語があるばあいだ。いやあ、はああああ、けっこうなことです、みなさんご活躍で。その名前と単語を組み合わせて、イメージしてみたり、ふーんそうなんだと思ってみたり、けっこう楽しめます。ま、どうでもよいことなんだが、検索するひとは、何を考えているのだろうと思っちゃいますね。疑惑だの、嫉妬だの、恋心だの、情念ってやつが渦巻いているのだろうか。

しかし、おれの名前、「遠藤哲夫」「エンテツ」での検索では、いつも単に名前だけなのだ。でも、それは、とうぜんか。さみしいなあ。

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2010/09/18

経堂、太田尻家のち、さばの湯ギョニソ・シンポ、泥酔帰宅。

きのうは、さばの湯の開場が19時だから、その時間に着くよう出かけたのだが、15分も早く着いてしまった。ちょうど経堂駅で、野暮連のタノさんと会った。一緒にすずらん通りを歩き、前から気になっていた「ハルカゼ舎」に入ってみた。

ハルカゼ舎は、野暮連には似合わない、文化系女子、乙女系女子、木村衣有子さんなどがお似合いの風に見える文具雑貨の店だ。だけど、ここに、文化系女子、乙女系女子とはチト毛色のちがう、近くのバー太田尻家の智子さんが入りびたっているらしい。そして、きのうも、店内に入ると、彼女がいたのだ。なにやら、豆電灯のつくキーホルダーをいじって楽しんでいた。

太田尻家は金曜日で休みだが、楽しげな打ち合わせで、家長ほかがいるというので、それならと、コンビニで差し入れの缶ビールを買って向かう。店内には、家長のほかに、イマムラさんとイノウエさん。前から話は聞いていたが、家長のレシピに、イマムラさんが文章をつけた、リトルブックの素材が揃って、レイアウトに入る段階での、あれこれの相談が楽しそう。生ビールに、家長がチャチャと作ってくれた刺身がうまい。

100914_205802智子さんが作るTシャツは、おれのお気に入りで、ここのところ当ブログに登場している、おれの酔態写真でも着ているが、その新バージョンが出来るというのでタノさんと一緒に注文した。2種の柄と、生地の色がたくさん用意されていて、それとサイズを自分で組み合わせて選ぶのだ。注文手づくり生産なので、できあがるまで少々時間がかかるが、楽しみ。

ギョニソ・シンポは20時スタートの予定、太田尻家を20分前に出て、さばの湯へ。着いたら、須田さんは、パソコンに向かって、なにかオシゴトしている、まだ始る雰囲気じゃない。とりあえず、今夜の相方の鵜久森徹さんと初対面の挨拶。

客席には、タノさんのほかに、野暮連のシノさん、愛人8号、コンさん、まいど同じ顔ぶれで、たまには誰かを誘ってこれないのかと思うのだが、そこが野暮だからできないのだなあ。ま、いいさ、シノさんと愛人8号は、大阪へ行ってきたとか、コンさんはおれの故郷六日町へ行って坂戸山にまで登ってきたとか。コンさんに、鶴齢のカップをもらう。

須田さんの司会で、スタートのころには、太田尻家で飲んだ生ビール2杯と、さばの湯で飲み始めたホッピーで、よい気分。テーマの仔細など、どうでもよく、とにかく魚肉ソーセージの話しで快調。会場のみなさんも、楽しげで、ときどき声も飛び、いい雰囲気。

で、ま、テキトウに終わって、あとは例のごとく、泥酔コースまっしぐら。今回は、野暮連の連中と話していることが多く、まったく無駄なこと、あまりほかのかたと話さないでいるうちに、残念、おれは早くも終電の時間で、急いで出る。新宿湘南ライナーの終電は、間に合わず、赤羽で宇都宮線終電にセーフ。

ハルカゼ舎
http://harukazesha.hp.infoseek.co.jp/

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2010/09/17

きょうは、ギョニソ・シンポ。

Gyonikusoseiji経堂のさばの湯で、19時開場、トークは20時ごろのスタートかな。須田さんの司会で、PYLONパイロンの鵜久森さんとおれが出演します。「日本経済を復興するなら車を売るよりギョニソ売れ!」だと。いつものことだけど、トークは1時間ぐらいで終わって、あとの懇親飲み会が楽しみですね。はて、きょうは、どんな人たちに会えるか。いまからでも、遅くはない、フラッとお出かけください。

ギョニソ、つまり魚肉ソーセージは日本独特のもので、魚のすり身を原料に成形加工した、カマボコの仲間。この、材料をすって成形加工する方法は、紀元前の縄文期からあるのですなあ。魚をすっていたかどうかはわからないが、木の実などはすって成形していた。古墳は、3世紀ごろに姿をあらわすのだから、それよりはるか以前のこと。

だけど、古墳の、あの墳丘を築く技術のもとをたどれば、縄文土器になるかも知れない。どちらも、大小はあっても、土を成形したものだからねえ。縄文土器は、土をこねて成形するし、古墳の墳丘は粘土と普通の土を叩くように固めて成形するところが違うが、土と加工に関する知識は必要なわけだ。と、つなげて考えてみるとおもしろい。それに陶磁器などは、ちょっと違うだろうが、いまの素焼きの土鍋などは、縄文土器の進化したもの、といえるわけだ。

ま、大昔から、いろいろなものを成形加工してきたのですね。魚肉ソーセージのばあいは、その古いすり身加工の技術と、ケーシングという薄いプラスチックのフィルムに入れて成形するといった、宇宙開発技術によって格段に進歩した技術との出合いで成功した。

表面的には、新しいものが古いものにとって変っているようだけど、技術や知識のレベルで見れば、ずーっと、いろいろなことがつながっているのさ。それは、つまり、むかしの人といまの人とのつながりでもあるのだな。

魚肉ソーゼージと古墳は、決して無縁ではない。

ってことで、きょうは、ギョニソのトーク、26日の日曜日は、スロコメ@下北沢で古墳ナイト、よろしく~。

下の画像は、きのう掲載したさきたま古墳の稲荷山古墳、前方部の登り口。この階段を登ると、その先に後円部が見える。

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2010/09/16

明日はギョニソ・シンポ、古墳ナイトの準備も着々。

泥酔の日々を送っていたら、明日は、さばの湯@経堂でギョニソ・シンポではないか。みなさん、大いに、ご参集ください。
2010/09/01
さばの湯@経堂、9月17日(金)ギョニソ・シンポジウムに出演。

2010/08/29
9月26日(日)スロコメ@下北沢、古墳ナイトに出演
の準備も着々すすんでいる。在庫の画像には、近場が少ないので、おととい鶯谷の信濃路へ行く前に、上野公園のすり鉢山古墳を撮影したり、きのうは二日酔いが残っていたけど、行田市のさきたま古墳群へ行ってきた。さきたま古墳群は、以前に近くを通ったとき、チョロっと見ただけだったが、今回は、時間をかけ、古墳にも登り、博物館も見た。

ちょうど周囲の田んぼの稲も実っているころで、景色もよかった。なんですねえ、古墳を見ると、想像力が鍛えられますね。泥酔で腐っていた脳みそも、大いに活発になり、さらにまた呑めそう。

写真もバッチリ撮れたし、26日のスロコメには、古墳を語るなら、この人、というすばらしい方も来る予定なので、ぜひお集まりください。そういえば、この日は、おれの67歳誕生日直前でありますね。

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上野公園のなかにあるのに、あまり知られてなく、いつもひっそりしているすり鉢山古墳。約70メートルぐらいの前方後円墳。写真、手前の階段がある墳丘が、後円部。

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さきたま古墳群の稲荷山古墳は、全長約120メートルの大規模な前方後円墳。古事記より古い471年7月の記録と判断される銘文のある鉄剣が発掘され、教科書に載るほど有名になった。形も、なかなか風格がある。この形を崩れないように造る工法が、すでにあったのだ。

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二子山古墳は、138メートルの関東屈指の大規模前方後円墳。丸墓山古墳は、直径105メートルで日本最大の円墳。さきたま古墳群には、100メートルをこえる大きな古墳3基を含め、比較的大きな古墳が9基に、小さな古墳群跡がたくさんある。ここに、なぜこのような古墳群ができたのか、謎だらけ。その謎を、想像力を駆使して、推理するのも、古墳の楽しみ。(上の画像は、稲荷山古墳の上から見た、将軍山古墳)。

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将軍山古墳は、約90メートルの前方後円墳。その円墳部分の中には、「玄室」とよばれる、床だけは当時のまま、遺体を納めた棺や埋葬品のレプリカが、発掘時の状態で復元されている。立派な兜や鎧などがあり、あきらかに、有力な「武人」のもの。博物館で現物もみられるのだが、いずれも手のこんだ工芸品。朝鮮半島でつくられたと判断されるものが、いくつもある。はたして、この人物は?

埴輪などから、当時の生活も偲ばれる。見ていると、当時の人間も、いまの人間も考えることは、たいした違わないように思えてくる。

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古墳群公園の入口にある、食堂兼土産屋。B級グルメで名物になっている、フライの旗などが立っていた。この建物の裏側は、すぐというかふっつくように前方後円墳の愛宕山古墳がある。

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2010/09/15

めったにない顔ぶれで呑む。

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100914_205801_2玉川奈々福さん、木村衣有子さん、五十嵐泰正さん、という顔ぶれがそろって飲むなんて、めったにあることではない。だけど、昨夜は、うまいことに、ちょうどそれぞれ都合よく集まったのだ。いやあ、楽しかった。

チョイとおれの都合があって鶯谷の信濃路に18時集合。五十嵐さんは、遅れて参加。生ビールのち、ホッピーぐびぐび。話しあれこれ、とっちらかり。それぞれ、おれをのぞいては初対面、「専門」はまったく別、とはいえ微妙に接点があって、ま、とにかく話はあっちこっち。

2軒目、木村さん脱落で、王子はさくら新道のリーベへ。えーと、1年ぶりぐらいかな。ママが元気でよかった。2010/09/11「中野でペンキ塗り、のち、新宿で4軒はしご酒。泥酔。」の写真、ゴールデン街の美沙のママは、大正5年生まれ94歳だが、こちらは大正14年か15年の生まれだから、何歳だ?85歳くらいか。元気だねえ。きょねんの6月、おれとおなじ齢ぐらいのマスターが急逝したのは残念だが、それだけに、さらに元気でいてほしい。

すごく楽しかった。例によって、後半途中から記憶なし。

奈々福さんに、おれのインポが治る本をもらった。治してがんばります。誰とでもやりまくります。相手してください。

9月26日の日曜日、奈々福さんは、経堂のさばの湯で、浪曲をやります。15時から。東京の「西」では、めったにあることじゃありません。世田谷では、おそらく初めてでしょう。落語は知っていても、おなじ日本の大衆芸能である浪曲を知らないひとが増えた、とくに東京の「西」では、そうであろう。落語も浪曲も講談も、おなじように楽しんでこそ、そのよさがわかる。かつては、そうだったのだ。ぜひ、浪曲にふれてほしい。奈々福さんの浪曲は、すごく楽しい。それに、この日、曲師という三味線をひくのは、大御所の沢村豊子さんだ。豊子さん、三味線は、もう国宝級のうまさ、そのうえすごいおもしろいばあさんだから、一見の価値あり。

この日は、下北沢のスロコメで(19時開場、20時スタートかな?)BLACK&BLUEの歌手まりさんとおれの古墳ナイトがある。だから、さばの湯で浪曲を楽しんで、夜はスロコメで古墳トークとまりさんの古墳ブルースを楽しむのがよい。一日で、近いところで、こんなことができるなんて、めったにないよ。

画像、上は、おれのデジカメで、奈々福さんが撮ってくれた。下は、奈々福さんが携帯で撮って送ってくれた。ありがとう。最後の画像は、きのうの東大宮の空。

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2010/09/13

「かわいい」仕事のしかた。

明日が締め切りの『四月と十月』10月号の原稿を、ほぼ書き終えた。連載「理解フノー」の5回目だが、今回は「かわいい」がらみのテーマにした。

「かわいい」については、2009/07/02「『city&life』最新号「かわいいまちづくり」は、大いに、おもしろい。」から、アレコレ気になることがあった。

『ミーツ・リージョナル』では、永江朗さんによる「本のむこう側」という連載があるのだが、最新の10月号は、「「かわいい」より「かっこいい」でいこう!」というタイトルで書いている。

「気がついたら、最近、「かっこいい」という言葉を聞いていない。たぶん新世紀に入ったあたりから聞かれなくなったんじゃないだろうか。かわって耳にするのは「かわいい」である。……でも「かわいい」は「かっこいい」のかわりにならない。」と書き出し、「「かっこいい」から「かわいい」になったというのは、心のベクトルが内側に向かったということじゃないか? こんな時代は退屈だ。アナクロといわれようと、私は、「かっこいい」ものだけを見ていたい。」で終わる。

たしかに、永江さんは、「かっこいい」と対比させることでだが、「心のベクトルが内側に向かったということじゃないか?」と、鋭いところを突いているように思う。

「心のベクトルが内側に向かった」ということを、「日本独特の価値観」に向かったという風に解釈すれば、『city&life』の「かわいいまちづくり」特集、巻末インタビューの「「カワイイ」という感覚が、建築を、都市を元気にする」で真壁智治さんが述べていることは、その肯定ともいえる。だけど、真壁さんは、「かっこいい」と対比させているわけではない。

別の言い方をすれば、「心のベクトルが内側に向かった」ということを「日本独特の価値観に向かった」という風に解釈すれば、「かっこいい」欧米流とりわけアメリカ的なことを追いかけるのが疲れた、そういう「無理」がイヤになった、あるいはコンプレックスがなくなった、へんな自信を持った、気があう仲間以外の「外」と関係を持ちたくない、ということかも知れない。

そして、アイマイな「かわいい」価値観のなかで、アイマイであるがゆえに、たえずお互いに「共感」の確認が必要な「かわいい」を確認するために、「かわいい」という言葉を絶えず発することになった。と見ることも可能ではないか。「ゆるキャラ」をめぐる動きや言葉のつかいかたなどに、とりわけそれを感じる。

だとしても、どうもそれだけではない。という感じがして、おれはかねて「かわいい」を不気味に思っていたので、「かわいいコワイ」のタイトルで書いた。

書きながら思ったのだが、前のエントリー「契約書」だが、契約書で仕事するって、かつては「かっこいい」クレバーな仕事のしかたと見られ、いわゆる日本的なアイマイな仕事のしかたはダサイとみられる傾向もあったと思う。となれば、契約書など関係ない、「かわいい」仕事のしかたについて、探究なり追求なりがあってもよいではないかと思ったのだった。どういう流儀にせよ、洗練は必要なのだろうな。と、忘れないうちに書いておく。

ところで、「かわいい味覚」ってあるのかな? スイーツ?

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契約書。

ちかごろおれの周辺で「契約書」が話題になる。なんだかんだと「クリエイティブ」の仕事の関係でも、契約書をかわすことが増えているようだ。コネとナアナアの積み重ねの出版業界のような古い体質のところが、契約書をかわすのは前進のようであるけれど、必ずしもそうとはいえない感じがしている。

そもそも算定基準や評価法がアイマイな点が多く、契約の基準がないまま契約に至ることが多い。おれも、このあいだ、そういう契約書をかわしたが、ようするに契約書をかわすというのは、契約以前の、外部委託者の版元に対する隷属関係を固定化するだけの「効果」しかない。相互に、どういうよい仕事の環境と条件をつくり、どう協働の目標をクリアするか、なんていう協議はないのだ。ことによると、以前に「クリエイティヴ」関係の仕事で実際にあったが、仕事が終わるころになって、契約書が届き、それを提出しないとカネがもらえない、なんていう「騙まし討ち」のようなこともあった。

ようするに、すべての業界ではないが、契約書がなじまない仕事のスタイルのところがある。

それはそれとして「契約書がなじまない仕事のスタイル」ってのも、問題であるにはちがいないが、もしかすると、もっとも望ましいのは、契約書がなじむ仕事のスタイルでありながら、契約書はかわさずに仕事を遂行できる関係かも知れない。

やはり難しいのは、単位労働時間内での仕事の能力と標準化と評価法だろう。だいぶ以前、クリエイティブ関係のスタッフの、それらについて、アメリカの資料を取り寄せて調べる仕事をしたことがある。契約大好きなアメリカだって、試行錯誤の産物らしく、内容にかなりばらつきがあった。飲食業のスタッフのばあいは、マネジメントクラスの業務にいたるまで、割と安定していたように思う。それは、教育訓練(研修)の方法ともリンクしていた。マーケティングやIT関係は、早くから「国際化」していることもあって、それなりの基準があるようだ。どのみち、「下層」にあっては、「奴隷労働」だが。

飲食業がよい例だが、ある人がA地点で開業して成功したとしても、B地点で成功するとはかぎらない。それは、飲食業は「立地産業」といわれるぐらい「立地」に左右されるからだ。地代や家賃の微妙な高低も影響する。生活密着型の飲食業では、さらにそうだろう。

よく、プランナーといった人たちのあいだでは、「PDCA」なる言葉がつかわれ、日本はCとAが甘すぎるといわれる。腐るほど使われている言葉だが、「PDCA」とは、Plan計画→ Do実行→ Check評価→ Action改善、ってことで、細かく言えば、この「 Check評価」が甘すぎるということが、よく話題になる。

それは、まあ、当のプランナーの責任でもある。本来、プランの段階で評価基準を定めなくてはならないのに、決めてないことが多いのだ。

結果が出てからの評価では、どうしても、いろいろな思惑がからんで、評価は「甘く」ならざるを得ない。チョイと成功して話題になったぐらいで、すぐどこにでも通用するノウハウを持っているとカンチガイする経営者も少なくない。どうしても自己に有利に考えたいのも人情。さらに、どうも困ったことに、簡単に浮かれてしまう。それでダメになった会社や社長が、少なからずいますね。

ま、とにかく、自分は、この場所で、この条件なら、1時間でこれぐらいの質量の仕事ができるという目安ぐらいは持つことを、お互いに積み重ねる「風土」ができないと、契約書がうまく機能するのは難しいように思うのだった。

それにしても、この経済情勢で、飲食業の競争はドロ沼のように激化しそうだな。さらに財布はシビアになる。

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2010/09/11

中野でペンキ塗り、のち、新宿で4軒はしご酒。泥酔。

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おれたち3人が初めて会合したのはいつかと、当ブログで調べてみたら、いちばん古い記録が、03年にあった。その記録が最初ではないと思われるが、どのみち02年か03年のことだろう。それから「やどやゲストハウス」は、半休眠会社を起こして活動させ、本格的な展開が始った。受入れ定員は、着実に増え、収支も順調に推移した。

新しい展望を持って、まだ十分な活動をしてないが「旅人文化振興会」を立ち上げ、やどやゲストハウスの拠点である中野に、念願だった、旅人たちの交流の場所となる「やどカフェ」をつくった。そこで、今年、ひとのつながりから始めたフランスパンサンドイッチが好評で、発売後たちまち軌道にのった。地域との交流も広がった。

その間に、やどやゲストハウスの次の大きなステップになる準備が動いていた。ビルを一個丸ごと借りて、拡充するのである。そのことで、最初はまりりんのマンションの自室から始ったゲストハウスが抱えていた難問を解決するのだ。これが、クリアできれば、「やどやゲストハウス」も「旅人文化振興会」も、さらにすごいことをやれるようになる。2、3年前から探していたが、なかなかよい物件がなかった。それが見つかった。

この夏は、とりわけ暑かった。その間、当プロジェクトの一貫して牽引役である女将のまりりんは、借り上げたビルのなかを、ゲストハウス仕様に変える工事を続けていた。もちろん、まだエアコンは付いてない。これまでも、たびたび大工仕事をしていたまりりんだが、今回は、いくつかクリアしなくてはならないことがあり、建築家に設計をやってもらい職人さんも入った。だけど、予算の関係もあり、なるべく安くあげたい、自分たちで出来ることは、自分たちでやる。そもそも、得がたい大きな楽しみと満足のための安上がりは、やどやゲストハウスの理念のようなものでもある。以前の建具や壁を取り壊し、造りなおし、いよいよ最後の仕上げ、ペンキ塗りで先が見えてきた。

日本人外国人、たくさんの人たちにボランティアで作業を手伝っていただいた。若いのに、まったく頼りになりそうにない野暮連の男たちにも、手伝っていただいた。一日で懲りたらしく、あとは参加ナシだったようだが、ありがとう。そして、おれは暑いのでサボっていたのだが、いよいよ完成間近、最後のペンキ塗りぐらいはやらないと、せっかくの記念すべき事業の仲間からはずれてしまうと、きのう出かけていった。

まりりんも、ボスも、トシさんも、それからボランティアのイマイさんが、暑い中で、黙々とペンキ塗りをしていた。おれも1時間ちょっと手伝った。しかし、この今年の夏の暑さ、まりりんは通常業務をこなしながら、よく続いたものだ。

屋上で、ボスとまりりんと立ち話した。駅も銭湯も近いし、前にコンビニはあるし、場所も申し分ない。ビルも三階建てで管理しやすい。よくここまで来たなあと、おれたちは感慨ひとしおだった。

よく、ここまでやれた。おもえば、まりりんと初めて会ったとき、彼女は20歳代だった。この間に、まりりんはやどやの女将をやりながら、経営計画やら事業計画の立案に習熟し、決算もこなし、海千山千の不動産屋や地上げ屋との接触、今回は法律から設計、工事まで、いろいろなことをクリアしながら大活躍するなかで、いろいろなことを覚えて、そこらのチョイと仕事のできる大の男だってかなわないぐらい成長した。なにより難しいのは、ビジネスに付きものである、たくさんの交渉ごとのはずだろうが、よくやった。

←左サイドバーにリンクがあるが、彼女は、「旅人文化ブログなんでも版」に、「現場は日々勉強です。」と書いているが、まさに、その通りだな。

あと、少し、今月中には完成するようだ。楽しみだ。小さく初めて、少しずつ育て、つくりあげる。おれは、もっぱら酒飲んで能書きたれぞうにすぎなかったが、こんなに楽しみのことはない。

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きのうは、ペンキ塗りのあと、18時に、新宿ベルク前で、佐々木さん、瀬尾さんと待ち合わせだった。佐々木さんの相談事を聞きながら一杯やるのだ。15分ほど早く着くと、ベルクの前にO嬢がいるではないか。え、なんで、あんたとは待ち合わせしてないはずだが。失業していた彼女は、ベルクに採用が決まり、いま研修中の勤めをしているのだそうで、それが終わって誰かと待ち合わせ。

瀬尾さんも着いていたので、とにかく、ペンキ塗りのあとの生ビールを呑みたい、3人でベルクに入って呑む。佐々木さんから電話があって、遅れるということなので、O嬢とわかれ、瀬尾さんと鳥園へ。

佐々木さんが着いたあとは、もちろん相談もしたけど、とにかく呑みました。瀬尾さんが風邪をひいて調子が悪いから燗酒がよいと最初から燗。おれも生ビール一杯のあと燗をグイグイ。まわりが早い。21時近くだったのではないか、話しは終わったし、瀬尾さんは具合が悪いから帰るというので、鳥園を出る。もう、そのあたりから、記憶がはっきりしない。

佐々木さんとおれは、ゴールデン街。マチュカバーに行くが、まだ開いてない。ほかの目当ての店もまだ。そのあたりでウロウロしていると、キャッチおばさんにつかまる。プロのキャッチとは様子がちがうので、ま、いいかと思い、言われるままに着いて行ったところが、三番街の「美紗」。なのだが、ほとんど覚えていない。とにかく、ママばあさんは、94歳という記憶だけは残っていた。ママばあさんとキャッチおばさんと瓶ビールを飲み交わす。

デジカメの画像をみると、ママばあさんがカラオケうたっている。記憶にない。佐々木さんからメールがあって、おれと佐々木さんも一緒に一曲うたったのだとか、記憶にない。キャッチおばさんは、やはりプロのキャッチおばさんではなく、親切だった。マチュカバーが開いているかどうか見に行って来てくれた。で、開いていたので移動。女王マチコさんの出勤日だったので、ひさしぶりに会う。だが、もう眼の焦点が定まる状態ではなかった。

宇都宮線の終電はすぎ、なんとか京浜東北線で大宮にたどり着き、0時45分発の深夜バスに乗るあたりから記憶がもどった。もうヨレヨレヨタヨタで、やっと帰り着いた。

バッグのなかに美紗の名刺があって、「創業50年」とある。ゴールデン街の老舗だが、知らなかった。「大正5年生まれ、94歳」と、佐々木さんの文字でメモがある。94歳のママばあさんの元気には参りました。マチコさんも、まだ先が長い。

夕方になっても、まだ身体に力がはいらない。やっと、これだけ書いた。

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2010/09/10

谷中。大正期の一膳飯屋「へちま」のあと、「やぶさいそうすけ」の前の「石井商店」。

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05年3月、ザ大衆食のサイトに、「台東区谷中 望月桂の一膳飯屋「へちま」のあと」を掲載している。…クリック地獄

そこに使用している写真は、フィルムカメラの紙焼をスキャンした、上の画像。撮影したのは、1997年ごろのこと。「クスリ松田」が、間口も敷地の大きさも大正期の一膳飯屋「へちま」そのままであると知って、イチオウ見てみようと思って行ったのだった。

詳しくは、上のクリック地獄でリンクをたどってほしいが、へちまの存在を知ったのは、『大正自由人物語 望月桂とその周辺 』 (小松隆二著、岩波書店)でだった。つまり、望月桂さんがやっていた一膳飯屋だったから、へちまは歴史に残った。当時アナーキストだった望月さんは、ここで生業を営みながら、民衆美術運動を始めた。そして、大杉栄や辻潤といった若きアナーキストたちが、腹を空かしてここにたむろしていたのだ。それゆえ、この一膳飯屋は、あまり長続きしなかったといえるが、歴史に残った。

ことしになって、ギャラリー「やぶさいそうすけ」の吉川さんと知り合って、牧野伊三夫さんの個展や、先日は西川郷子さんのライブに、足を運んだ。

行ってみたら、やぶさいそうすけは、クスリ松田の棟としては隣、店としては一軒おいて隣だった。そして、クスリ松田は、そのままのハコで、ビストロに変っていた。クスリ松田とやぶさいそうすけのあいだの下駄履物屋は、そのままだった。

やぶさいそうすけは、燃料や氷の店だったときいていたが、なんと偶然にも、その姿が、この写真にあった。「石井商店」である。もとの紙焼で見ると、看板には「各種燃料 器具 氷」とある。

場所の記憶。

へちまは、歴史に残ったが、こういう小さな一膳飯屋が、たくさんあったはずだし、それが無名の庶民文化としての大衆食堂の骨格や筋肉をなしてきたのだと思う。

とにかく、革命だって、何をやるにしても、めしをくわなきゃやってられない。ってこと。

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クスリ松田は、ビストロになっていた。
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変らない姿の「石井はきもの店」は、やぶさいそうすけになった「石井商店」とは同じ棟。
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石井商店は、ギャラリーやぶさいそうすけになったが、建物や雰囲気はそのまま。

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2010/09/09

蓮田で泥酔。泥酔でコメント。

前から、ちゃぶだいのタイショーと、タイショーの地元で飲もうということになっていたが、きのう実現した。東大宮から一駅、蓮田で18時半待ち合わせ。タイショーの案内で、駅東口近くの「やきとり駅前」という、そのものなテキトウ店名のところ。細い路地に、数軒ばかりつらなった、昔なら「バラック」と言いたい、簡単な造りで、路地とはいえ前が空き地で自転車置き場になっているので、路地の雰囲気はないが、共同便所があって、かつての「闇市跡」によく見られたような風情。そこで、やきとり駅前の看板は、ひときわ目立つ。その大きさも大きく、店名が踊るようなザックリ太い文字。

ドアをあけるとカウンターが横に長くあって、正面にキチンと着物を着た50がらみのママさんだったのには、おどろいた。

とにかく、まずは生ビールで乾杯。タイショーは生ビールを一杯飲んだあと、すぐ燗酒を注文。「ピー」とかなんとか、なにかの符丁を言うと、ママは箱酒をトックリに入れ燗をつける。いかにも安酒の風情で、いいねえ。カウンターのなかのゴチャゴチャ何か置いてある上には、ダイアル式の黒い電話機だ。ま、そういうわけで、おれも燗酒に切り替え、あとは気楽に酔うだけ。ママと3人で、話がはずむ。

ぼちぼち客が入ってくる。2合トックリを3、4本あけたあたりで、次に行きましょう。タイショーが案内してくれた、その焼鳥屋が休み。と、その向かい側に中華の店。かなり派手な看板で、ラーメン屋とは違う、いわゆる中国料理の店の佇まい。タイショーも知らない店、入ってみると、ここが、アタリだった。さきほどネットで調べたら、「燕煕楼 北京料理」である。中国人のみでやっているようだ。

それで、だんだん記憶があやしくなるのだが、生ビールを飲んでいたのではないかなと思う。いい気持で酔って、蓮田の駅でタイショーと別れ、帰宅。

深まる泥酔状態のなかで、自分のブログを見ると、また2010/08/24「「不採算」を理由にする「企業の論理」は公共を救うか。」に無理爺さんのコメントがあった。前回も、おれは泥酔状態で見て返信を書いてしまい、朝起きてから少し訂正するということがあった。泥酔状態で返信を書くのは、あまりよくないのだが、泥酔だから、書いてしまうのである。

朝起きて読んでみると、そもそも、無理爺さんは、わざとかどうか、この話しのテーマとズレたことを書いているので、まったく噛み合ってない。おれも、チョイと無駄に見当はずれのことも書いている。ま、でも、こういう議論というのは、不毛のようでも、けっこう楽しい。この世は、不毛のことのほうが多いのだから、それをテキトウに楽しむことも必要なわけだ。

ついでに書いておくが、役場の名前で貼り出した、この貼り紙の「ここに設置されていた公衆電話は不採算のため撤去されました。」については、「NTTが不採算を理由に撤去しました」とでも書いておけば、おれは、こんなふうに問題視することはなかった。なぜ、そうは書かずに、こうなってしまったのか、ってことなんだな、問題は。

ま、どうでもよいことだが、こういうことを書いて楽しむのも、ブログの楽しみ方である。それに、無理爺さんのような、テーマも論拠も関係なくからんでくることは、ネット上では、とくに匿名であるがゆえか、よくあることのようだ。そういう相手をするアソビも人生のタイクツをまぎらわせるにはよい。酒場で酔って議論するようなものですな。

しかし、近頃は、批判をすると、非は批判者にあって、すぐ対案を出せといった甘えが横行し、批判の対象になるような行為や発言などは不問にされることが少なくない。おかしなことだ。根拠のない批判がいけないのであって、欠陥だらけの人間で成り立っている社会ゆえ、大いに批判しあわなくては、成長がない。知識だけ肥大化した、まともな批判もやりあえない、幼稚な大人がはびこることになる。気にくわないと、すぐ暴力や極端な行為に走る。

批判もちろん、トラブルやもめごとに強くなろう。

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2010/09/08

日光は、けっこうなところ。

きのうのこと。いつも成りゆきまかせだが、今回も、そうだった。とにかく、暑いときは、日光の、それも世界遺産ギラギラのあたりじゃなく、中禅寺湖から奥の戦場ヶ原から湯の湖のあたりで過ごすにかぎる。標高1500メートル弱で、身体の芯から涼しくなる。ってことで、ゆっくりテキトウ出かけ、東大宮駅で最初に来た下り各駅停車に乗った。小金井行きだったから、日光線に乗り換える宇都宮まで行かないのはわかっていたが、知っている駅で次の電車を待つより、知らない駅まで行って待ったほうがよい。小金井のひとつ手前、小山で降りて、次の宇都宮行きを待った。宇都宮に着いたら、日光行きまで1時間近い待ち合わせ。それもよいかな、ブラブラお土産売場や餃子の店などを見て、立ち食いそば。そのようにして、日光駅に着いたのは、13時20分ごろだった。これぐらいの時間からバスに乗って戦場ヶ原から奥へ行く人は、少ない。新緑の季節から紅葉の時期まで、平日でもいつも込み合うバスは、この時間になれば空いている。バスだけでなく、たいがいは帰るか宿に向かう時間なので、どこへ行っても人影が少なくなり静かでよい。1時間半ほどバスに乗って、終点の日光湯元に着いたのは、15時10分ごろ。きのうのエントリーに書いたように「はるにれの湯」はなくなっていたので、テキトウに選んだ宿の温泉につかり、まいど立ち寄る湖畔の食堂で、ボンヤリ日が沈みゆく湯の湖をながめながら、生ビールを呑む。たまらん、うまさ。最終バスは、19時ごろまであるが、フリーパスのバス券を買っているので、早めのバスに乗り途中下車。日が沈む中禅寺湖畔は、もったいない、夕飯の時間帯だから観光客は宿でめしを食べるか温泉に入っているのだろう、眺める人はまばら、静かに暮れる。足こぎボートのアヒルか白鳥も、岡に上がっておやすみ体制。すっかり日が落ちた中禅寺湖から、終バス1本前に乗り、日光駅へ下る。途中から雨になる。日光駅に着いたら土砂降り。帰りの電車も、やはり各駅停車。宇都宮で餃子を食べビールを呑み、東大宮。着いたら、雨はなく、やはり暑かったが、身体はリフレッショされ元気だった。いつもは戦場ヶ原を歩くのだが、怠け心が勝ち、ほとんど歩かなかった。それも、けっこう。

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2010/09/07

日光湯元「はるにれの湯」は、更地になっていた。

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この「はるにれの湯」に初めて入ったのは、たしか、1968年から69年のスキーシーズンだった。正確に書けば、初めてのときは、温泉には入っていない。スキーの休憩所としての利用であり、名前も、しばらくのあいだ「湯元観光センター」と覚えていた。

初めて温泉に入り、ここが「はるにれの湯」と、あらためて知ったのは、いつのことだったか。とにかく、それから、何度も、この温泉につかった。いつ行っても、かわらず、そして、少しずつ老いが深まり、冬の厳しさもあって、建物はくたびれてきたが、いい湯は変らず、そこにあった。

05年7月に行ったときも、同じように、営業していた。

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毎年、それも年に2、3回行くこともあったが、そのあと、しばらく行ってなかった。けっきょく、いまになれば、ここの建物のように老いが深まるご主人と初めて、そして最後になってしまったが、あれこれおしゃべりをしたとき、その話からも、気になることがあって、存続は難しいかも知れないなという感じはあった。

だが、まさか、更地になっているとは思わなかった。きょう、あるかな、あるように、と願いながら行ったのだが、あとかたもなく、消えていた。

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更地には、老いた建物の前にあった、大きなはるにれの木だけが残って、たくましく成長していた。

013「はるにれの木は残った」なんて、シャレにもならない光景だった。

この「はるにれの湯」がある日光湯元スキー場へ初めて行ったときのことは、比較的よく覚えている。というのも、かなり厳しい一週間のスキー合宿で、おれは両足のスネの皮をむき血をにじませながら、飛躍的に上達したからであり、さらに激しい衝突でメガネがこわれ眉間を切ったし、夜の宴会で当時ヒットしていたピンキーとキラーズの「恋の季節」を歌ったからだ。それで、68年から69年のスキーシーズンと覚えていたのだが。そのころ、湯元スキー場は、できたてか、できて数年もたっていなかった。

05年か、その前の年に、「はるにれの湯」へ行ったとき、ご主人にその話しをすると、彼は、眉間を開いてうれしそうな顔をし、話がはずんだ。それは、まだ若かった彼が、たぶん、もっとも「野心」といってよいものに燃え、張り切っていたころだったようだ。さびれるままの「日光湯元観光センター」という看板は、その名残りといえた。

初めて見る、まった屈託のない笑顔だった。そして、彼は、ときたまはたから見るだけでも大変だなあと思う、老いるほど深まりそうな大きな心痛を抱え、生きていた。短い時間の話しだったが、日光の最奥部で、温泉はあっても生きにくい環境と重い心痛から逃れずに、可能性を求めて生きてきた「男の一生」だった。

とりあえず、そういうこと。「はるにれの湯」、さらば。

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2010/09/06

年刊誌『酒とつまみ』13号、発行だよ~。

007炎天下、出かけていたら、頭クラクラ。もどったら、ちゃんと1年に1回の定期刊行物となった、『酒とつまみ』13号が届いていた。とりあえず、写真だけ掲載。

巻頭特集は、いま人気上昇中らしいハイボール、「そーだハイボールで、行こう」だ。ま、どうせ、マットウなハイボールじゃないだろうが。これは、すごいぞ、「酔客万来」のゲストは、高野秀行さんだ。それに、「瀬尾幸子のつまみ塾」だが、瀬尾さんは、この気候この時期の発行を察知していたかのような、「胃と肝臓を労わる養生つまみ」だって。表2には、『みんなの大衆めし』の広告も載っているよ~。

まだ読んでないから、あとで書き足す。かも知れない。1年後になるかも知れない。

酒とつまみのサイト
http://www.saketsuma.com/

008

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報道の質、仕事の質、新聞の質。

一つのことに関して、新聞各社の報道がちがう例は、よくあることだ。それ自体は、悪いことではないだろう。だけど、それなりに、根拠や論拠の質が問われる。

それに、これだけ、真っ向反対に書かれてしまうと、いやがうえでも、比較をしたくなる。一方は、これを「小規模」とし、一方は「大規模」とする。

ヨミウリは、お得意の「?」つきの見出し。「参加者は警察発表で7万7300人、主催者側推計でも約10万人にとどまり、昨年1月に雇用拡大を求めて100万人以上が街頭に繰り出した時などに比べ、はるかに小規模だった。」と、切り捨てている。

しかし、これ、もともとちがう性質のデモであり、デモのテーマもちがう、いってみれば分母がちがうものを比較して、大小を論じている。それなら、少数民族問題にしては、デモ参加者が多かったという見方も成り立つはずだ。そこを比較の対象にならない数字を持ち出して、「小規模」だったからと切り捨てている。日本国内なら、警察発表の7万7300人でも、たいした数字ではないのかな。

「政権は自信を深めている」については、誰が、そう言ったのかすらもわからない。おそらく、取材もしてないのだろう。だって、「小規模」だったのだから。マイニチ会社の記事と比べたら、ヨミウリ会社の記者は、デモの現場に行っているかどうかすら、あやしいぞ。

こんな記事が、社内のチェック体制を経過して堂々と載るのだ。「?」付きで。食べられるかどうかわからない粗悪品だけど、イチオウ「?」付けて、あらかじめ自社を免罪し、読者の責任にしてしまいましょう、ということなのだろう。

いや、ヨミウリが何を報道したいかは、とてもよくわかる。つまり、ともあれ、「小」は、とるに足らないというヨミウリ会社の「姿勢」「価値観」を、報道している。それから、もしかすると「?」付きだけど、サルコジ政権に擦り寄りたい事情があるか、サルコジ的なことを積極的に支持したい。とにかく、「社会党など左派政党や労組、人権団体」などは大嫌いであるとか? そうした自社の報道機関としての質が問われる恣意的内容については、「?」付きで、当事者責任を回避する。

そう考えればよいのだ。それは、それで、アリ、なのだろう。それにしても、これは報道内容が正しいか、正しくないか以前の問題だ。よく調べ、よく吟味し、よく作る、どんな仕事でも基本だと思うが、その質に関わることではないか。ものづくりのメーカーなどではありえない粗悪が、新聞では、まかり通る。きっと、読者がバカなのである。そして、読者はバカだから、このていどでよいのだとヨミウリ会社は思っているように見える。

マイニチ会社だって新聞各社、おなじようなことをやるけど、とても、よい勉強になる、両者の報道だった。

いつも人様の傷をみつけては、傷口に塩をすりこむように騒ぎ立て、自分のことは「?」を付けて当事者責任能力のなさを露呈し逃げる、いやはや、こんなものが800万部だか1000万部だとか。活字文化の頂点に立つ新聞がこれなら、その衰退も、悲しいことだが、やむを得ないか。どう見ても粗悪品じゃ、支持しようがないもの。


◆ヨミウリ会社

(2010年9月5日21時55分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100905-OYT1T00532.htm

(見出し)
「ロマ人追放」仏世論は容認?抗議デモ小規模

(記事本文)
 【パリ=林路郎】フランス各地で4日、サルコジ政権が犯罪対策として進めるロマ人不法滞在者の送還に抗議するデモが行われた。

 だが、参加者数は比較的小規模で、世論の大勢が送還を是認する実態を反映する形となり、政権は自信を深めている。

 デモは最大野党・社会党など左派政党や労組、人権団体など約60の組織が呼びかけ、参加者は、「国による人種差別をやめよ」などと書かれた横断幕を掲げてロマ人追放への反対を訴えた。しかし、参加者は警察発表で7万7300人、主催者側推計でも約10万人にとどまり、昨年1月に雇用拡大を求めて100万人以上が街頭に繰り出した時などに比べ、はるかに小規模だった。

 仏政府のロマ人追放に抗議するデモは4日、ベルギー・ブリュッセルやポルトガル・リスボンなど欧州各都市でも行われたが、やはり規模は限定的だった。


◆マイニチ会社

毎日新聞 2010年9月5日 20時33分(最終更新 9月5日 21時04分)
http://mainichi.jp/select/world/news/20100906k0000m030042000c.html

(見出し)
.フランス:ロマ追放で大規模デモ 移民排斥政策に批判

(写真キャプション)
サルコジ政権のロマ追放に抗議し、デモを行うロマの人々や支援団体=パリで2010年9月4日、福原直樹撮影 
(記事本文)
【パリ福原直樹】フランス全土で4日、国内を放浪するロマ族の国外追放や、移民出身の犯罪者の「国籍はく奪」などを打ち出したサルコジ政権に対する大規模な抗議デモが行われた。欧州各地の仏大使館前でも同日、同様の抗議行動があり、「移民・外国人排斥」施策への国内外の批判の高まりを改めて示した形となった。

 抗議デモはロマを支援する人権団体や労組が組織し、フランスでは、内務省によると7万7300人(主催者発表10万人)が参加した。うち5万人に上ったパリでは、サルコジ政権による不法キャンプ撤去で行き場を失ったロマも参加。「ロマ追放反対」「フランスは非人道的な政策を続けている」などの横断幕を掲げた。

 また、ロンドン、マドリード、ブリュッセル、ベオグラード、ローマなどの仏大使館前でも仏政府に「人権擁護」を訴えた。

 パリのデモに参加したロマの男性(21)=ルーマニア出身=は「サルコジ政権の政策は人種差別であり、このままだと暴動が起きる」と発言。支援団体「市民権と援助・団結」の幹部、シャバン氏(55)は「政府はロマを拒絶するだけで、受け入れ策を見いだそうとしない。(異民族排斥を訴え)ナチスが台頭した時代と似ているのでは」と話していた。

 フランスでは7月、アラブ系の移民や国内を放浪する「非定住者」による暴動が発生。政府は(1)ロマなどの違法キャンプ撤去(2)移民出身者が警官を殺害した場合の国籍はく奪--などの方針を示し、イスラム教に基づく「一夫多妻主義」を実践する移民の国籍はく奪も示唆していた。

【関連記事】
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イラン紙:仏の大統領夫人を「売春婦」 石打ち刑非難で
フランス:ロマ国外送還に内外から批判強まる 右派も反発
フランス:大統領 G20は外為市場改革に力点と表明
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2010/09/04

東大宮、黄色いラーメン戦争?

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ウチから東大宮駅へ行く途中にあるラーメン屋「ヒバゴン」は、過激に黄色くなる一方である。ウチは来月で、ここに越して2年になろうとしているが、最初のころは、こうまで激しくはなかった。なので、もしかすると、これは、この並びに、やはり黄色い派手なラーメン屋「ジャンクガレッジ」があることに関係するのだろうかと考えたくなる。

090228_2ジャンクガレッジは、以前に当ブログに掲載したが、このヒバゴンの前の第二産業道路を100メートルほど北(画像の左方向)へ行ったところにある。ここは、ウチが越してきてからまもなくして出来たのではなかったかと思う。そして、ジャングガレッジに行列を見たことがあるが、ヒバゴンではない。

081114_4ところが、ところで、このヒバゴンとジャンクガレッジのあいだに、これも当ブログに掲載済みの「モツ焼きセンター」がある。ここも、目立つ黄色を使っている。

さらに、ヒバゴンから第二産業道路を南へ200メートルほどのところに「でんきち」なる大型家電販売店がある。チューン店なのかどうかは知らないが、「ヤマダさんコジマさん価格より徹底値引」と挑戦的な看板を掲げる、この建物の外壁は黄色なのだ。

このあたり、1970年代的郊外型幹線道路の雰囲気が色濃く残っていて、ロードサイド型の店舗が立ち並ぶ。黄色に燃える目立つ商魂が「景観」になっていると、見ることもできる。

でも、「ヒバゴン」の、この有様は、ジャンクガレッジを意識してのことにちがいない。入口の黄色い暖簾の「闘魂」は、そのように読める。

しかし、まだ黄色い謎は、残る。というのも、ウチの近所の小学校、そして、やはり駅へ行く途中にある区役所の支所、その先の農協の建物が、そろって、打ち抜きのコンクリートの外壁に黄色をデザイン的に使用しているのだ。こちらは、商魂とは違うが、これだけ、同一地域に黄色が使用されているのは何かあるのか、と考えたくなるのだが……。頭の中が黄色くなりそう。もしかして、「攻撃型風土」?

こういう景色を見て、「おお元気があってええなあ、イケイケ、おれも元気が出るぜ」なんてひとは、コンニチ的ナチュラルカラーの時代には嫌われますね。でも、黄色だって、基本の太陽のナチュラルカラーのはずなんだけど。コンニチ的ナチュラルカラーは、ウッディーなどに偏向しているわけです。それゆえ、「コンニチ的」といえるわけですね。優しく、保守的で、攻撃型であってはいけないわけです。そして、おれは、ヒバゴンを見るたびに、「おう、ファイト、がんばれよ」と、燃える男なのである。ここでは、一回しか食べたことがないけど。

赤は「愛」に通じるが、黄は「狂」に通じることがあるから、ほどほどがよいかもな。プロ野球チームで、黄色といえば、まずは、阪神の印象だろう。だから? そのう、東大宮東口の居酒屋「ちゃぶだい」には、阪神のユニーホームがさがっているのですよ。やっぱり。

でんきち、コジマやヤマダを蹴散らせ!

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2010/09/03

いい加減にしてほしい。コレステロールだの栄養学だの…。

そもそも、コレステロール値の問題については、ああでもないこうでもないが続いているわけだが、まただよ。これまでと、真っ向正反対の「指針」。けっきょく、どっちにせよ根拠が明確ではないから、こういうことになる。そもそも、個体の問題を一般論や一つの基準で統率してしまおうという「野望」を問題にしなくてはならない。

「食育」などは、こういう、いい加減な栄養学が根拠になっている。これ、以前に何度も書いているが、利権をめぐる争いがからんでいるにちがいない。ある種の「覇権主義」の結果ですな。大衆の身体と食事をネタに覇権を争っている連中がいる。それは、誰もが必要で大事にしたい、生命と食事だもの、大変なカネが動く。この記事を読むと、利権争いの役人や、それと似たような学者たちの顔がチラチラする。そんなふうに、想像しちゃうね。

ま、こと、栄養においても、このように根拠薄弱なものが、まかり通っている。味覚や味覚のうまいマズイなどは、もっと根拠がない。であるから、「料理の科学的根拠」として、栄養学がでしゃばってくる。そして、一方では、ラーメンやモツに行列をつくる。いつまで続くのか、味覚と栄養の騒動。根っこは、おなじ。

いったい、大衆は、どうしたらいいのか。『みんなの大衆めし』にかえることである。流行や権威や情報にふりまわされず、「「体にいいから」食べるんじゃなくて、「食べたいから」食べるごはん。これを食べると、なぜかほっとする、また頑張れそうな気持ちになるごはん。あったかくてくつろげるごはん。」の日常を確立することだろう。それぞれの味、それぞれの味覚、それぞれの身体。ほんとうに自ら欲する必要なものを判断する個の力にかえるしかない。と、なるわけだ。


(見出し)
高コレステロール=長寿、脂質栄養学会が指針
 コレステロール値は高い方が長生きで良いとする指針を、医師や栄養学者らで作る日本脂質栄養学会がまとめた。

(記事本文)
 3日から愛知県で開かれる同学会で発表する。高コレステロールは心臓病や脳卒中の危険要因であり下げるべきだとする現在の医療は「不適切」としており、論議を呼びそうだ。

 現在の基準は、LDL(悪玉コレステロール)が140(ミリ・グラム/デシ・リットル)以上かHDL(善玉コレステロール)が40(同)未満、もしくは中性脂肪が150(同)以上だと高脂血症と診断される。

 日本動脈硬化学会が作成した。メタボ健診の基準もこれを基にしている。

 日本脂質栄養学会が今回まとめた「長寿のためのコレステロールガイドライン」は、「現在の基準値は基になる具体的なデータが示されていない」と主張。

 コレステロールが高いほど死亡率が低かったとの大規模研究や、コレステロールを下げる薬を服用しても心臓病の予防効果は見られないとする海外の近年の研究から、指針をまとめた。

(2010年9月3日05時04分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20100903-OYT1T00010.htm

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2010/09/02

なんか、つぶやきたくなる夜。

つぶやくのは、ツイッターでなくてもできる。
たとえば。

なんか、暑くて、イマイチ調子があがらないんだよなあ。
もっと、早く片付けたいことが、ノロノロとしかすすまない。

なんか、みんな、小さくまとまりすぎじゃないの。
というか、小さくまとまろうとしすぎじゃないの。
大きいこと云うわりに、小さくて狭いんだよなあ。
大きい小さいでなく、広くいこう。小さくても、無限大。

とか、夜のしじまに、つぶやく。
男が夜酒呑むのには、ワケがあるだんぜ。
女はどうかな。

おかあさーん。

とかね。

この家に引っ越して2回目の夏。
前は冷蔵庫が100リットル以下だったからできなかったが、
こんどは、その倍以上あるから、
夕飯の残ったみそ汁を鍋ごと冷蔵庫に入れておくと、
よく朝、うめえみそ汁ぶっかけめしが食べられる。ことを発見。やっている。
朝から上出来の冷汁で、大満足。
朝めしくって、夜は、遅くまで酒を呑んだとしても、
おれはどこでもいつでも寝つきがよいから、すぐ眠れる。
朝めしを食べ、夜はよく寝る。
これが夏バテをふせぐにはよいと思うのだが。
ことしの暑さは、それぐらいじゃ追いつかない。
くそったれ。

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2010/09/01

さばの湯@経堂、9月17日(金)ギョニソ・シンポジウムに出演。

あ~、おととい須田さんと酒呑んでオシャベリした結果、こういうことになりました。
なんと、こんどは、鵜久森徹さんとです。はて、どういうことになるか、おれは、まいどのごとく泥酔しながらになるでしょう。でもね、このあいだも須田さんと話したのだけど、ギョニソは、ほんと、想像以上におもしろいのですよ。
集れ!

さばの湯
http://sabanoyu.oyucafe.net/

9月17日(金) 20時〜(19時〜)
          魚肉ソーセージ・シンポジウム

          「ギョニソ・イズ・メイド・イン・ジャパン♪」
          「日本経済を復興するなら車を売るよりギョニソ売れ!」
          ヘルシーで美味しい日本の加工食品ギョニソを
          世界に売るにはどうすればいいかのシンポジウム。

          出演:エンテツこと遠藤哲夫さん。
          カンヌ広告祭でも評価されたパイロン代表の鵜久森さん。
          21時頃以降は、交流&打ち上げです。

          PYLONパイロン
          http://www.pylon.co.jp/

しかし、さばの湯の落語は、ビールケースを積んでベニア板をのっけた高座なのに、しだいに出演者も増え、一之輔の一人会やら、談四楼の独演会をやるようになったのだから、スゴイというかフシギというか。でも元来「芸能」というのは、街角的なものなのだから、これが本来の姿でいいのかも知れない。

26日(日)の、スロコメ@下北沢、古墳トークと昭和ブルース・ナイトも、よろしくね。…クリック地獄

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8月は去り、ミーツ10月号は「木屋町先斗町だけどす」。

8月は去り9月になってしまった。8月にできなかったことは9月にやればいいさ。9月にやるつもりでやれなかったら10月がある。10月もだめだったら11月。11月も、12月もだめだったら、来年があるさ。来年が……と年月は過ぎ、やがて息絶える。

「お座敷小唄」なる、タイトルからは中身が想像しにくい歌がヒットしたのは、昭和39年、1964年だそうだ。そのころ、ちょうど20歳ぐらい、たしかお盆の休みだったはずだ、帰省しているとき高校の同期会があって、その会場でみんなで「合唱」したのが、この歌だった。当時の20歳の男や女は、集まると、この歌をうたっていた。ということになるか。これは「飲み屋の女のうた」ではないのかな。

とにかく、それで、「きょうとぽんとちょう(京都先斗町)」が記憶に残った。

(1番) 富士の高嶺に 降る雪も 京都先斗町に 降る雪も 雪に変わりは ないじゃなし とけて流れりゃ 皆同じ
(2番) 好きで好きで 大好きで 死ぬ程好きな お方でも 妻と言う字にゃ 勝てやせぬ 泣いて別れた 河原町

006きょう9月1日発売の『Meets Regional』ミーツ・リージョナル10月号の特集は、「木屋町先斗町だけどす」だ。鴨川と河原町通のあいだの、細長いまち。編集前記によると、京都在住者のあいだには、「学生と観光客ばっか」というイメージがあるらしい。

おれには、まったく、そういうイメージはなかった。「学生と観光客ばっか」といえば、新京極のほうばかりと思っていたが。しかし、たしかに、おれのような京都おのぼりさんが、うーむ、やっぱり、京都に来たら木屋町先斗町のあたりをフラフラせねばと行くところではある。そして、このあたりをフラフラしながら、このあたりの店にフラッと入れるようになったら「大人」というもんだろうなと思ったりした。なかなか、「高そう」だったり、「あやしさ」が漂い、入りにくい。なんとなく、「旦那衆」と「ヤクザ」のまちという感じがしてしまい、おれのようなビンボー労働者風情は、二の足をふむのだ。けっきょく、新京極のスタンドあたりで一杯となってしまう。

この号の肩書にあるように京都の「最深部」であるにはちがいない。こういう雑誌を手にしても、これを持って行ってみようと思いたくなることは、あまりないのだが、今回は、ヨシッこんど京都へ行くときは、これを持って、こことここへ行ってやろうと思った。その一つが、「たかせ会館」という雑居ビル。ま、雑居ビルというのは、ある種の「横丁」みたいな側面があって、そそるものがある。

一店だけ、入ったことのある店が掲載されていた。ラム料理専門店で、ここに書いてあるとおりの店だった。「カオロウ館」という。いつのことだったかと、ザ大衆食のサイトに掲載してあるので調べたら、02年の年末のことだった。…クリック地獄

そのときは、京都の西のはずれの赤提灯で出あった、もちろん初対面の男が、案内してやると言って、翌日連れまわしてくれた。京都のニンゲンというのは、おれの知っているかぎりは、だいたい難しいのだが、このひとはチョイとちがった。ま、酒場では、おもしろい出合いがあるというのは、京都のばあいでも、あるのだな。そういうことでもなければ、カオロウ館も黒川も入る機会がなかったにちがいない。

そのあとも、何度か京都へ行って、おのぼりさんらしく、木屋町先斗町あたりをフラフラしているが、カオロウ館がある木屋町通の四条から三条にかけては、路面店は「明るい店」が増えたような気がする。場所によっては、新宿歌舞伎町のフーゾク街をおもわせるところも…。もちろん、この特集に登場するのは、そうした路面店より、その裏、路地、の「最深部」なのだ。

カオロウ館へも行ってみたくなった。東京広しといえども、このようなラム料理を食べさせる店はないと思う。

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