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2010/12/01

「ごはんよ~」の夕食の景色。

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最初の画像は、何度か登場しているが、ウチから東大宮駅へ行く途中にある公園。28日の日曜日、15時過ぎの撮影だ。10人ちょっとの子どもたちが遊んでいた。平日の夕方には、小学校のすぐ近くということもあってか、いつも、もっと多い人数がいる。

ちかごろは、16時をすぎると暗くなりはじめ、17時には、すっかり暗くなっているが、そのなかでも必ず、数人の子どもたちが遊んでいる。

このあいだ、その暗がりの向こうから、おかあさんが子どもを呼ぶ声がして、ナントカ~と子どもの名前を呼び、「急いで買い物に行ってきて~」といった。

夏には、もっと遅い時間の、夕闇という感じのときに、やはり、ナントカ~と子どもを呼び、「ごはんだから帰っておいで~」という声がしたこともある。

ここに引っ越してくるまで、長いあいだ、そういう景色とは縁遠かったから、最初はチョット胸きゅんのセンチメンタルじゃぁねえかだった。かつて自分にもあって、いったん消えて「異文化」のような感じになっていた景色が、またもどってきたような、とでもいうか。

この落ち葉だらけの公園の掃除が、近々ある。今年は、3回あったうちの2回は参加して、これがことし最後の掃除だから、イチオウ参加のつもりなのだが。朝だから寒いだろうなあ。夏場なら、もう9時すぎになると、暑くて、しゃがんで草むしりして立つと、クラッとすることもあるが、冬だからねえ、もっと昼近くのほうが、参加者が多いような気もするが、掃除というと朝なのだ。ま、朝のうちに公共の掃除は片付けて、あとは家族で、という過ごし方があるのかもしれない。

017_2もう一つの画像は、8月に撮影したものだが、こちらはウチから駅へ向かうのとは反対側、1分かからないところにある公園だ。

ナントカ用水を暗渠にして公園にしたところで、夏は水が流れるようになっている。ここで、夕方になると、子どもたちは水につかって、暗くなるまで遊んでいる。

とにかく、このあたりは子育て家族が、けっこういるようだ。

ウチの自治会の班は、こちらの公園のほうが、ずっと近いし身近であるが、管轄がちがうらしく、掃除の当番はない。ところが、上の画像の公園からは、自治会のなかでもイチバン遠い位置になるので、どうも気合が入りにくいのだろう、いつも清掃の参加者は少なくて、責任者は困っている。

話はちがうが、資料を探していたら、きのうのエントリーに書いた原口剛さんが、06年7月2日のカルチュラル・タイフーン@下北沢のシンポのときに用意したレジュメがあった。

「労働の記憶を語り継ぐ 大阪「築港」の社会史」のタイトル。その最初のほうに、こう書いてある。

…………

◆消費空間は、どのような意味で「代償的」なのだろうか?
 1)コミュニティあるいは集団性からの孤立に対する「代償」
 2)ますます不安定に、過重になりつつある労働に対する「代償」
 ……しかし、「代償の空間」が提供するのはこれらの問題に対する「気晴らし」のみ→そこが問題!

◇では、「自律的な空間」とは、たとえばどのようなものだろうか?
 1)社会的結合の創出:世代、階層、文化的背景の異なる人々が語り合い、知り合うことができる空間=それによって思いもよらぬ集団性やコミュニティが生み出される空間
 2)生の全体性の回復:消費することをつうじて労働することを捉え返すことができるような空間=それによって人びとに力が与えられる空間

…………

そうそう、この上の画像の公園では、ときどき、黒人のような(つまりブラウンより濃い色の肌の)子どもたちを見かける。ほかの子どもたちとフツウに遊んでいるのだが、つまりフツウに日本語をシャベリ遊んでいる。その様子が、どうもまだシックリこない。初めて、その肌の色がちがう子どもたちどうしが、日本語で話し合っているのを見たときは、ビックリして、よく状況が解せなかった。どうもその、「黄色い肌」でない子どもたちが、日本語で話し合っていることに、不自然を感じてしまった。えっ、ここ、日本だよなあ、えっ、でも、どうして日本語しゃべるの、せめて英語じゃないの?なーんて思ってしまう違和感があったのだ。

子どもたちは、まったくへっちゃらなのに。「多文化共生」とかいわれて、市や区の広報誌も数ヶ国語で印刷されたページもあるし、おれはどちらかという偏見はないほうだとおもうが、感覚やカラダが、まだついていけてないのだろう。

子どもたちは「自律的な空間」を創出しているようにみえる。もっとも逆もあって、あの群馬の自殺児童の件は、その後どうなったのだろうか。

「自律的な空間」というのは、ただその場所に一緒にいて、一緒に飲食したり、一緒に笑ったり、一緒に泣いたり、ということではない。そこがまあ、難しいところでもある。できたら、一緒に飲食したり、一緒に笑ったり、一緒に泣いたり、ていどのお付き合いですませたいもの、ということもあるだろう。でも、それでは、「自律的な空間」の創出にはならない。

ともあれ、食事の空間というのは、ここに原口さんがまとめる、「消費空間」にも「自律的な空間」にもなりうる、最も大切なことだとおもう。選択は、食べるひとにあるのだろう。

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