おもしろい、東大宮と蓮田と土呂の関係。
長いことマーケティング屋をやっていた関係だろう、「まち」の観察が、けっこう好きだ。駅を出た瞬間、この「まち」は、どんな歴史や文化を抱えた空間なのか、「いくら」の稼ぎになるか、ま、つまりは「空間の経済力」とでもいうか、そういうのを想像するのが楽しい。以前にも書いたが、初めて東大宮に家を建てる土地を見に来て、駅の階段を下りたとき、そこに漂う70年代的空気をホオに感じた。
なーんて書くと、おれは勘が鋭いんだぜ、という感じになるが、なんのことはない、駅前のロータリーと、そこから正面にのびる道路などの物理的構造が、いかにも70年代的で、その知識さえあれば、誰でもわかることなのだ。
宇都宮線で大宮から東大宮まで来るあいだに、土呂駅がある。この駅は降りたことがないから写真もないが、電車に乗っていても見える駅前の構造は、典型的な80年代だ。そして、一つ先の蓮田駅は以前に降りたことがあるし、東大宮に越してきてからも散歩に行ったりしているが、相当古いのだとは知っていた。
いま、あまりあてにならないウィキペディアで、それぞれの開業年月日を調べると、こんなぐあいだ。
東大宮駅 1964年(昭和39年)3月20日
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AE%AE%E9%A7%85
蓮田駅 1885年(明治18年)7月16日
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%93%AE%E7%94%B0%E9%A7%85
土呂駅 1983年(昭和58年)10月1日
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%91%82%E9%A7%85
蓮田駅と土呂駅のあいだには、1世紀の歴史が!
この3者を「モータリゼーション」と「郊外文化」というキーワードで見てみよう。すると東大宮の1964年は、その先端、始まりのころになる。
70年代的駅前というのは、ロータリーのある駅前広場があって、そこから広い道路が真っ直ぐのびているところに特徴がある。これは、駅から少し離れた、つまり土地が安いところに戸建てや集合住宅の団地を造り、そこと駅をバスやクルマで結ぶという考えの計画のあらわれだ。東大宮のばあい、以前に書いたが、尾山台団地という当時の大規模な団地があり、循環バスが運行している。
蓮田駅は、もちろん「モータリゼーション」も「郊外文化」もへったくれもない時代。明治から大正のころの駅は、たいがい、それまでの「まち」の中心だった街道筋の街から少し離れている。生活は、その街を中心にする範囲で成り立っていて、鉄道を利用して移動するような「生活圏」は、できていなかった。駅と人びとを結ぶのは、主に徒歩である。
土呂駅の80年代は、「モータリゼーション」や「郊外文化」が、ある意味、成熟をみせたころになる。駅前は、階段を下りたところのテラス部分が広がり、そこに大きな木が何本も植えられ、ミニ公園といったアンバイである。70年代型駅前がクルマ優先の機能的なロータリーが中心だとしたら、80年代型駅前は「人間優先」の「ゆとり」ともいえるか? この樹木の管理も含め、チト管理費がかかりそうな印象で、バブルな時代がしのばれる。
マイカー通勤が主流になった時代であり、バスやクルマは駅と人びとを結ぶ主要な交通手段ではなくなり、クルマ利用客を集める大規模な駐車場を装備したショッピングセンターが成長する。駅前は「郊外文化」から捨てられた、というか、その中心ではなくなる。
東大宮のような70年代的駅前には、古い昭和な商店街といえるほどのものはないが、広場に面した建物は(当時の建築法などの関係もあって)5階建てぐらいが限界であり、小規模の区画に小規模の商用事務所用ビルが建ち、駅周辺は商店街が成立する構造にはなっている。
ところが、80年代的駅前は、大中規模の区画に10階建てまでぐらいは可能であり、すぐ駅前から中高層マンションが建ち、買い物は、基本的に近隣のショッピングセンターという構造だから、駅前マンションの1階あたりに、いくらか日常用のストアが入るという感じで、商店街の形成などは考えられていない。駅そば立地の高額マンションでも売れる、資産価値として有用である、ガソリンはふんだんに使ってクルマで移動、といったバブリーな経済や考えが反映しているといえる。
つぎの画像は、東大宮駅東口。駅舎の2階から撮影した。広場の向かって右端に、細い路地がある。ときどき当ブログに登場する居酒屋、ちゃぶだいは、この通りにある。同じように、細い通りが、広場の左端にもある。駅前広場につながる、この2つの路地は、どのていど意図的に計画されたものかは知らないが、いまでは、こういう路地や横丁がある商店街が、「にぎわい」の条件と考えられるようになった。つまり、傘を差して歩くと、すれちがうときに傘がふれあうぐらいの幅の路地が、なにやらひとの心をくすぐるらしい。でも、東大宮の、この2つの路地の両側にある建物は、その特徴を生かした構造になっていない。
つぎの画像も、東口の階段の下から見た、ロータリー。真正面に広い直線道路。
つぎは、おれのウチがある側、西口である。構造的には、東口と同じ。
最後は、蓮田駅西口。駅の階段下りたところは狭い、駐車スペースがやっと確保されている状態。なので、いま再開発の真っ最中、右端の建物はすでに退去して壊すばかりになっているし、背後はすでに整地がすすんでいる。駅舎も工事中で、反対側の東口も再開発の最初の段階は終わって、ロータリーができている。
ここに出現する駅前は、2000年不況型になるのだろうか? ナニワトモアレ、「モータリゼーション」と「郊外文化」の以前と以後にはさまれた、「モータリゼーション」と「郊外文化」のまち東大宮は、なかなか観察のしがいがあって、おもしろい。
関連
2009/01/09
東大宮-蓮田、東北本線「都鄙臨界地帯」と麦味噌。
| 固定リンク | 0
この記事へのコメントは終了しました。
コメント