大阪・天満でゴムヒモパンツの時代の昭和と出あった。
今回のミーツの取材は、天満でも、南側の天満宮方面ではなく、北側の闇市跡から続く天満市場の界隈だった。ここは、いってみれば卸し問屋街で、生鮮食料品を中心に、たいがいの食品と、日用雑貨などの非食品系を扱う店も多い。もちろん、どの店も小売をしている。
再開発による「ぷらら」という、マンションと複合の市場ビルを真ん中に、そのまわりに、むかしのままの建物で営業している店というぐあいだが、そのむかしのままの建物も、本建築もあればバラックもあるという、じつに新旧混在ぶりが高度な状態なのだ。
そこで、おれが最も感動した発見は、「ボタン・糸」を扱う店の店頭に、ゴムヒモがあったことだ。それも、10数種類が、ほこりもかぶらず、最も目立つ場所、道路にはみだした陳列の先端に置かれている。
おれは、昭和20年代30年代の、ゴムヒモパンツの時代を思い出した。ブリーフの前、男は、フンドシでなければ、いまのトランクス型になるが腰まわりにゴムヒモが入ったパンツをはいているのがフツウだった。
女については、詳しくしらないが、おれが小学生のころは、ブルマー型のパンツで、それは腰まわりと両腿のはしにゴムヒモが入っているのがフツウだったと目撃している。
このゴムヒモは、洗ったりしているうちに、弱くなってきかなくなる。すると、ゴムヒモを買って来て、家庭でとりかえるのがフツウだった。漫画サザエさんの初期のころには、ゴムヒモの押し売りが時々登場していた記憶があるが、とにかく家庭の必需品であり常備品だった。
ってわけで、そこに、昭和20年代の生風景を見たおれは、大いに感動したのである。いまどき、いったいこれは、どういうひとが買い、どう使われるのか。そりゃまあ裁縫をやるひともいるし、ここは業務用の販売もあるだろうから、いろいろあることはあるのだろうが、それにしても、こうして陳列するほどなのか。あれこれ気になったのだが、取材の対象からはずれるし、時間もないし、写真を撮っておくだけにした。とにかく、この街は、えらく深い街だとおもったのだ。
このゴムヒモのことは、原稿でもチョイとふれた。
その原稿は、きのう仕上げて送ったあと、編集さんから少し注文がついて、ただちに書き直して送りOKとなった。最初の原稿より、かなりよくなったので、出来上がりが楽しみだ。
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コメント
パンツのゴム子さま
「中学生でしたが…。」というのは、お年がわからないと、何年前のことか、ビミョーですね。1980年代ぐらいまでは、たいがいの商店街に、ゴムヒモを売る店はあったと思います。
うちの近所の公園では、ゴムとびをしている子供たちを見かけます。ゴムはどこで手に入れるか知りませんし、近隣には売っていそうな店はないですが。コンビニとかにあるのでしょうかね。
私が子供のころのゴムとびは、生ゴムのアメ色したものを使っていたと思います。まんなかへんに、小さい白いひもを結んで目印にして。私の目に焼きついて残っているのは、それをとぶときの女の子の、白いゴムヒモパンツです。
投稿: エンテツ | 2011/01/13 09:47
pfaelzerweinさま
ごぶさたしています。
パジャマ、それからユニクロで買った私の部屋着などは、替えができるゴムヒモだし、通す穴もあるのですが、ゴムを替えるほど使ったことがないのですよ。
ゴムが丈夫になったのでしょうか。あるいは洗濯が足りないのか。たいがいゴムより先に本体のほうがくたばってしまいます。
むかしのゴムヒモパンツのゴムヒモ消費量とは、かなり違うような。
だいぶ以前に買ったゴムヒモも、いつのまにか紛失する有様であります。
投稿: エンテツ | 2011/01/13 09:34
ゴムとびという遊びにパンツのゴムは必需品でした。
パンツのゴム以外のゴムではできない遊びです。
白くて見えやすいのでとびやすく、生足にピシッと当たっても痛くないスグレもの。
アメリカにホームステイに行った時も、ステイ先の子とゴムとびがしたくて、パンツのゴム持参で海を渡りました。
中学生でしたが…。
今のお子さんはゴムとびをするのでしょうか。
ゴムとび業界にとって、パンツのゴムがなくなると非常に困るのです。
投稿: パンツのゴム子 | 2011/01/12 21:58
私はパジャマを購入するときに、必ず縫い付け型でないゴムひもが入る袋型になっているものを選択します。洗濯しているとゴムが伸びてしまうので入れ替える必要があるからです。
「陳列するほどなのか」かは別としても私としては必需品であり、手許に無いとなんとも頼りないふらふらとした気持ちになるものなのです。
投稿: pfaelzerwein | 2011/01/12 17:38