「大阪は橋下のまち」その2。
まだまだ大阪ネタはつきない。2月1日の『ミーツ・リージョナル』3月号天満特集の発売まで、大阪ネタで引っ張ってみようかと思ってみたり。
じつは、「エンテツ・衣有子の天満のぞき」は、木村衣有子さんの写真が、すごくよい。木村さんの写真といっても、木村さんが撮っているのではなく、写っている写真のことだ。これが、よい。ちょうど髪を短くしていたこともあり、その笑顔が無邪気な少女のように見える。天満の微笑みですよ。おれと一緒の取材だと、こんなにうれしいのかと思ったのは、もちろん大マチガイで、コテでお好み焼を切るのが楽しいのである。やはり、天満の微笑みなのだ。みなさん、是非ご覧になってください。もちろん木村さんの文章も、よいですよ。おれのようにガサツでなく、若い男とおれを登場させながら、シットリ天満に寄り添っています。
さてそれで、きょうの写真は、大阪の高架下のまちだ。2009/05/18「大阪は橋下のまち。」に書いたように、大阪の鉄道は、地下鉄も含め高架である場所が多い。そして、その下は、とてもよい飲みや街が多いようだ。
今回は、夜遅くまで泥酔取材のあと、大阪駅近くのホテルに泊まった。翌日、二日酔いの木村さんを置いて11時ごろチェックアウトした。もう一度天満の地理関係を確認しておこうと、JR環状線で大阪から一駅の天満へ、歩いて向かった。ところが、まちがえて、環状線の北側にある京都線(東海道本線)の北側の道を歩いてしまった。すぐ気がついたのだけど、初めてだし、あまり来る機会がないだろうから、少し行ってみようと歩をすすめた。
このあたりの高架下は、住所は中崎だけどイチオウ「梅田」と呼ばれる地域であるらしいのだが、環状線の北の外側であり、シャッターが降りているところもあって、少しさみしい。
でも、ありました、最初の画像。これはなんだ!という派手な前面。近づいて見たら、「お座敷居酒屋 ぽんと」。いやあ、どういう傾向の居酒屋?と考えてもムダ。この風体で、ようするに、ただの居酒屋なのだ。
その先には、「土手鍋」文字があるチョウチンがぶらさがる、これはよくあるわかりやすい、ようするに、ただの居酒屋である。
で、その先には、ちょいとヨーロピアンクラシックとでもいえそうな落ち着いたデザインの入口の「バルバラマーケットプレイス」という店。これが、また一目ではよくわからないのだが、よーするに中に入ると、いろいろな西欧風飲食店のコーナーがあるらしい。古くは闇市マーケットのようなものか。以前に少し流行った、広い空間に、いろいろな屋台コーナーを置く店舗があったけど、あれの欧風版らしい。ようするに居酒屋なのだ。
その前あたりでふりかえってみれば、あれに見えるは、阪急デパートそばのHEPファイブの観覧車。ま、東京でいえば、大手町・神田あるいは東京・有楽町あたりに観覧車があるようなもの。
しかし、神田・東京・有楽町あたりも高架だけど、こういうビジュアルなおもしろさはないね。なんだろうね、この景色。これもまた都会ならではのアナーキーでファンキーな景色とでもいうか。いまやゾーニング統制が強くなっている東京ではありえない。
おなじ環状線の高架下でも、前に行った福島や西九条あたりともちがうようだ。がぜん、高架下のまちに興味がわくのだった。
東京なんぞは、2010/05/22「竹屋食堂、空虚な跡地を撮影。」にあるように、これは私鉄の高架下だが、そこに戦後からあったまちは、まったくあとを残さず消されてしまった。
JRの高架下にしても、かつての猥雑さは次第になくなりつつある。アメ横あたりの高架下なんぞは、いまや新宿駅ビルの人気店ベルクを追い出そうとしているJR傘下の悪徳ビル貸不動産屋が展開する駅ビルとおなじような有様になりつつある。
ようするに、高架下は何か独特の文化を生むところから、単なる消費空間か空き地に制度化されようとしている。
ま、とにかく、こんど大阪へ行ったときは、環状線の高架下を歩いてやろう。
私鉄の高架下では、難波から南へ向かう南海線沿いを、むかし大阪にいたころよく歩いた。新今宮に近づくほど、ホームレスが増え、ゴミとホコリと独特のニオイが混じった風が、びょうびょうとした景色を生んでいた。これはこれで、好きだった。
きょねん、おととしあたりも、行くたびにここを歩いたが、ホームレスは減り、風が運ぶニオイもフツウになったが、難波から新今宮に近づくほど、たいした距離ではないのに、確実に「下層」に向かって歩いている感じがして、たまらなく現実的なのだ。東京の都心には、このようにミもフタもないほど現実的になれるコースはない。
おれは、キレイゴトより、ミもフタもない現実が好きなのだな。
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