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2011/01/25

大阪・天神橋筋の「赤ちゃん」と「いづみや」に、小倉と大宮を思い出す。

062各地に似た名前の店がある。名前は似ていても、まるで違う感じの場合は、あまり気にならない。ところが、なんとなく、どこといえないけれど、もしかしたら何か関係があるのではないかと思うことがある。まるで違うのだけど、何か、どこか深いところで、何か、共通性がありそうである、という感じで気になるのだ。

ってことで、またもや、2月1日発売『ミーツ・リージョナル』3月号「天満特集」の取材からのネタ。大阪ネタで引っ張ります。おれもしつこいねえ。しつこいけど、ストーカーにはならないよ。相手がふりむいてくれなければ、さっさとあきらめる。相手にされないものを相手にしていても、一人相撲ってやつだ。しかし、今回の、この2店は、なぜか気になった。なんか、おれに話しかけている感じだった。

最初の写真は、天神橋筋商店街の4番街。天神橋筋商店街は、北の6丁目から南に下るにしたがい、番号が小さくなっていく。この写真の左角には、2011/01/21「大阪で増殖中という「キャベツ焼」の店。」に載せた「キャベツ焼」の店がある。その「キャベツ焼」の店を掲載したときは、この写真があるのに気がつかなかった。

こんなぐあいに、客席を道路にはみ出してビニールで覆ってしまうなんて、大阪じゃ珍しくないが、そう多いわけじゃないが、大阪らしいと思う。東京は、もっと、こんなぐあいにガンバッテよいと思う。

140で、この通りに、4番街か3番街か記憶が定かではないが、洋食の「赤ちゃん」と「いづみや」があった。

おれは、「赤ちゃん」の店頭で、北九州は小倉の鳥町飲食街の「赤ちゃん」を思い出した。ただ洋食つながりというだけだったが、洋食と「赤ちゃん」、なにか関係があるのかと気になった。「赤ちゃん」という店名は、洋食だからこそ似合うのではないかと思った。洋食店が「赤ちゃん」という名前を選ぶには、何か共通の精神性があるのではないかと気になった。そこで、写真を撮っておいた。

122「いづみや」のほうは、なんだか、暖簾の文字から大宮の「いづみや」を思い出してしまった。チョイと気どった店構えだが、サンプルショーケースを見ると、焼肉定食やら、うどんや丼物もちろん、ざるそばもあるのだ。値段からしても、どう見ても、「日本料理店」系ではなく、大衆食堂の流れにちがいない。値段も、そうである。まったく根拠はないのだが、大宮の「いづみや」と何か関係があるかも知れんなあと思った。大宮のいづみやが建て替えると、こうはなってほしくないが、こんな感じになるのかも知れないなあと想像した。

そんなことが、あるものだ。

北九州は小倉の鳥町飲食街と「赤ちゃん」の写真も掲載する。

大宮のいづみやは、こちらザ大衆食のページをご覧あそべ。やはり、ロゴの雰囲気が似ている。…クリック地獄

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コメント

おけいさん、年末はすみませんでした。ことしもよろしく。

鳥町飲食街、行きたいですねえ。貴重ですよね。ああいうところをうまく残せないかと思います。

あったかくなるころには、一杯やりましょう。

投稿: エンテツ | 2011/01/28 00:07

遅くなりましたが、新年おめでとうございます。

鳥町飲食街。どうしてもここの写真を見つけると反応せずにはおれません。初めて父に連れて行ってもらってからもう二十年以上経過しましたが、変わらないですよね。秘密の路地、みたいで。今年は久しぶりに祖父母に会いがてら訪れてみようと思っております。

年末年始とばたばたしていて連絡が出来ませんでしたが是非春頃には池袋あたりで一杯!よろしくお願いします。

投稿: おけい | 2011/01/27 17:22

洋食と赤ちゃん、おもしろいですねえ。
「赤ちゃん」を店名にするなんて、あまりないと思うんだけど。

東京の地方由来は、かなりアイマイになってきているけど、県人会事務所があるところは、その周辺には、その県出身者がいくらか多くいるという傾向はあるようですね。

新潟県人は上野周辺に多く、県人会事務所も、たしか御徒町にあるといったぐあい。

投稿: エンテツ | 2011/01/27 08:25

神戸にも有名な洋食・赤ちゃんがありますよ。
http://kobeblog.net/u/50589a/caoRuvL3MF9TKdHJ8zwP

松尾貴史さんも幼少時から親しんだ味。

大阪周辺の都市部の
戦後の地方からの人口流入でできた新しい下町は、
福岡出身者が多い地域、高知県出身者が多い地域、
など、いろいろあって、
スナック、小料理屋の名前で
地方由来のコミュニティがわかる
というのが、いまもギリギリ残っていると思います。

「小料理・玄海」「スナック四万十」とか。

ぼくの父親が昭和30年代の半ばに福岡の筑豊から
大阪に出て来た時に最初に住んだのは、大阪駅から一駅のJR塚本。
筑豊出身者が知り合いや遠縁の親戚を頼ってやって来るケースが
多かったようです。

投稿: 須田泰成 | 2011/01/26 12:06

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