日本の近未来? 立派な道路と新しい墓が残る。
過疎と少子高齢化と人口減は、全日本的大問題のように思うが、いつも話題になる割には、そんなに真剣に取り組まれてこなかった。たぶん、それは、人口が集中する都会地、とりわけ日本の中心、東京あたりでは、過疎と少子高齢化と人口減に関係なく楽しく過ごせる日々があることに関係するのかも知れない。
そんな東京の「気分」にひきずられるなかで、この大問題は、それほど大問題になることはなく、他人事のようにデータをながめて過ごし、いまでは、どう諸外国から「優秀な人材」や「労働力」を獲得するかといったことに、すりかえられるようになった。どのみち、長いあいだ、これらのことは、「田舎の問題」という感覚が、都会地を中心に広くあったといえるだろう。
このブログでは、なんどか「地方の疲弊」について、ふれているが、今回は、もはや「疲弊」を通り越して、座して「消滅」を待つ以外にない運命を背負った地域を感じた。
荒川上流の藤倉川に沿って集落が続く地域は、95年には937人271世帯が住んでいた。それだって、かなりの減少だったが、それが05年には663人244世帯になった。最新のデータはないが、見た目は、最近の5年間の衰退のほうが激しい。空き家が目立つようになり、まがりなりにも存続していた、小学校と中学校もなくなった。
学校がなくなるというのは、決定的なことだ。つまり、学校のない地域に引っ越して来る若い家族など、いっこないからだ。
一方、この地域で新しく立派になって目立つのが、道路と墓……。
道路の工事は、おれが行くようになった10数年間、途絶えることなく続いていた。いまでも1車線を2車線にする工事が続いている。その前から何十年間も、そうであったらしい。つまり、これは、タテマエはいろいろあっても、「過疎対策」事業として続き、地域にあるていどの金銭をもたらしていた。それは、根本的な対策がたたないまま、「切り捨てる」という言い方が悪ければ「自然死」を待つための、「捨て金」だったといえるだろう。
このあたりの墓所は、ほとんどが自分たちの地所にある。空き家になって家も取り壊された敷地に、新しい墓標が建っている。
「あと10年もすれば、たいがいの家はなくなるのに、道だけよくなって…」という年寄りの声もある。
だが、よくなった道を通って、新しい墓標の墓に納まった人たちをお参りする子孫が、少しは続くだろう。その前に、消滅する集落とイノチを共にする年寄りたちを、見守り送るためにも、この道路は使われるにちがいない。
こうして、こういう地域とつながりがあるのは「関係者」だけで、都会の生活にとって田舎は関係ない構造が、ほぼできあがった。
日本の田舎のかわりに、諸外国に代替を求める考えがある。「こんな田舎なんか、ひとが住むところでじゃないから、なくなっていいのだ」という考えの背後には、それがある。それは、かつて、農業を捨て工業に力を入れ、工業で得たカネで食糧を買えばよいという考えとおなじである。
その考えに、一理も一利もあるとしよう。ただ、日本の田舎のかわりに、諸外国に代替を求める考えは、かならずしも日本人の都合ばかりではいかないということだ。逆の関係にも、なりうる。すでに、そういう「出稼ぎ者」は、日本の都会にも田舎にもいる。外国からみれば、都会者であるか田舎者であるかなんか、関係ない。日本の田舎にしても、いつまでも日本の都会にすがっていられない。
というわけで、山奥には不釣合いの道路ができた結果、そのオイシイところは、外国人がいただく可能性もないわけじゃない。とりあえず、日本人は、「捨て金」を注ぐ「対策」だけで、あまり真剣に考えていない。そして、田舎は滅んでも、都会に住んでいれば、楽しくうまくやれるというあたりで、思考は停止しているようだ。「つながり」だ「ネットワーク」だのといっても、こういう過疎地とは無関係なのだ。
そんなことを考えた景色。
| 固定リンク | 0
この記事へのコメントは終了しました。
コメント