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2011/03/31

地震で印刷が危なかった、『四月と十月』4月号Vol.24発行。

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今回の号は、あいおい古本まつりに間に合わせるため、早めに進行した。で、まさに印刷にかかろうかというときに、11日の地震だった。

あいおい古本まつりに、印刷を担当している大洋印刷の営業の方が来ていて、話を聞いたのだが、とにかく紙が入らなくなったので、あるだけの紙で刷ったのだそうで、いつもより刷部数が少なくなったとか。だから、ちかごろ人気上昇中のこともあって、前号も残りわずかになっているのだけど、この号は、たちまち入手困難になることも考えられる。

とにかく、この表紙だけでも、500円出したくなるでしょう。久家靖秀さんの写真。「帽子というか彫刻?」と久家さんも書いている。スソアキコさん制作の帽子を、モデルごと、大胆なシルエットで撮影。

なかを見ると、なーんと、同人の方が、それも若い女子が増えている。初登場の面々をあげると。イソノヨウコさん、イラストレーター・音曲家は、柳家小春さんでもありますね。加藤休ミさん、クレヨン作家。白石ちえこさん、写真家。早川朋子さん、セラミックアーティスト。福田紀子さん、画家。

そして、これまでのメンバーは。石田千さん、エッセイスト・小説家。稲村さおりさん、画家。川原真由美さん、グラフィックデザイナー・イタストレーター。久家靖秀さん、写真家。鈴木安一郎さん、アーティスト。瀬沼俊隆さん、美術家。田口順二さん、画家。立花文穂さん、アーティスト。牧野伊三夫さん、画家。松本将次さん、会社役員。ミロコマチコさん、イラストレーター・絵本作家。

以上のみなさんは、「アトリエから」に美術作品と文章を載せている同人のみなさんです。たぶん、初めて、女子の方が多くなったのではないのかな。なので、なんとなく、とくに文章の感じがちがうもので、雰囲気が変わった感じがした。加藤休ミさん、ミロコマチコさん、名前も楽しい方も。

とにかく、久家さんの文章が、スッゴク、かっこいいのだ。もう表紙と、この文章で、500円は安い!という感じ。「今日のつまみ」のタイトルで、「鶏の骨付きもも肉が目に入ると、どうしても買ってしまう。」と書き出し、それを料理する。その料理も、レシピにもなる文章も、かっこいい。クーッ、にくたらしいほど、かっこいい。かっこよすぎるぞ~、久家さん。

ま、買ってみてください。

牧野さんが訪ねて書く、「仕事場訪問」17回目は、「湯町窯の画家 福間貴士」。

特別読物?のようなものがあって、「きのこ対談」。『四月と十月』の2、3号前の表紙を飾ったきのこの写真は、鈴木安一郎さんの作品だが、鈴木さんは大のきのこマニアというか、きのこ採集家というか、なんというのか、そうなのだ。そして、いまをときめく、写真家評論家でありながらきのこ文学研究家として聞こえる、飯沢耕太郎さんの対談。これを、南陀楼綾繁さんが構成している。おもしろまじめあそびな楽しさ。

連載、有山達也さんの「装幀のなかの絵」は、「入院はヒマ?」のタイトルで、有山さん、スキーで、かなりヒドイ骨折をして、手術入院したのです。

連載、言水ヘリオさんは、仙台にいて、地震でどうなったかと思ったけど、大変な中で無事に過ごしているようだ。この原稿は、とうぜん地震前のことで、仙台の文化横丁のバー「smoke」が登場する「タバコに火をつけるとき」。

みなさんかっこよくやっているなかで、おれの泥臭い野暮な連載「理解フノー」の6回目は、「あとをひく[つるかめ]の感傷」。建て替えで消えた新宿ション横のつるかめにあわせ、当ブログに以前書いたものをアレンジした。

まいどのことながら、充実の見応え読み応え。

四月と十月オフィシャルサイト(まだ、この最新号は掲載されてないようだけど)
http://4-10.sub.jp/

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2011/03/29

あいおい古本まつり@相生の里へ行ったの記。

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去る26日、あいおい古本まつりに行った。13時から牧野伊三夫さんら「四月と十月」関係者のライブペイント、続いて牧野さんが登場の「画家が出版を行なう理由」のワークショップがあるので、その前に古本市も見ようと、朝からアレコレ片付け11時ごろウチを出た。

宇都宮線で上野、山の手で有楽町、東京メトロで月島というコース。このあたりに行くのは、独身だったA女子たちともんじゃ焼を食べに行って以来だから、10年ぶりぐらいか。古本まつりの会場は、相生橋のたもとにある、中央区佃高齢者介護福祉サービス施設の「相生の里」だ。

佃と月島は、70年代に、よく行ったところだ。担当していた食品メーカーの冷凍冷蔵倉庫や冷凍工場が、月島の隅田川沿いにあって、冷凍食品の商品開発で、よく通った。あのころは、まだ地下鉄もなく、たいがい行きは有楽町からタクシーで佃大橋を渡り、帰りも飲んでタクシーと、経済活動の円滑化による金銭の公平な分配のために、大会社であるクライアントに請求する会社のカネを大いにつかった。

バブル期からのちの湾岸再開発で、月島の倉庫街は、リバーサイドなんちゃらな高層マンション街に変わり、佃も変わった。しかし、月島駅から会場に向かう途中の路地を覗くと、あのころのままの風情が見られた。地震と津波のあとだけに、その風景を見ると、このへんは隅田川の土手の下だから、岩手宮城を襲った津波がきたら、ひとたまりもなく同じような景色になるのだろうと思ったりした。

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相生の里は、相生橋のたもとにあった。一階は土手下であり、外階段をあがって入ったホール、隣接する地域にも開放されている図書室、ホールを抜けた奥にある隅田川に面した外テラスが会場になっていた。

ホールに牧野さんたちがいた。牧野さんと何十年ぶりかで会ったかのような挨拶をかわす。さっそく、出来上がったばかりの『四月と十月』4月号を牧野さんが取り出す。手にした瞬間、その表紙から電流が走ったような感覚に打たれた。久家靖秀さんの写真。ことし年頭から東京ミッドタウンのインテリアショップで開催の、スソアキコさんの帽子展と、その帽子を撮影した久家さんの写真展があったが、その写真のモノクロ版なのだ。ほんと、ゾクッとするほどよいのだな。

Aioi_01_3古本市を見ちゃうと、どうしても買いたくなってしまうのだが、やはり見たいから見る。つかうカネの上限を決めておけばよいのだ。たちまち上限。

テラスにも出てみる。お~、なるほど、よい景色だ、ここでビールを飲んだらうまそう。外の古本棚を見ているうちに、やはり買っておきたい本があって、ついに上限オーバーで買ってしまう。

パンの売店もあって、腹も空いていたし、甘食を買う。なんだか懐かしい。隅田川を眺めながら甘食を食べていると、ビールが飲みてえなあの気分。それがわかったかのように、武藤良子さんがあらわれ、「ビール買ってきてやろか」もちろん。

Aioi_makinoま、そんなこんなしているうちに、ライブペイントが始まった。今回は、描くのも2人音楽演奏も2人というコラボだ。つまり、描くのは、牧野伊三夫さんとミロコマチコさん、いずれも「四月と十月」の同人、演奏は、よく牧野さんのライブペイントで一緒のギター、「四月と十月」本文デザインの青木隼人さん、そして柳家小春さんの三味線と唄。小春さんは、イソノヨウコの名でイラストを描く「四月と十月」の同人でもあるのだ。このライブペンイトについては、別にエントリーを新たにしたい。

Aioi_makino2約30分のライブペイントのあと、しばらく休憩があって、「画家が出版を行なう理由」のワークショップ。これは、南陀楼綾繁さんが、個人的にやっている「出版者ワークショップ」というものを、ここで公開するもので、聴き手が南陀楼さんなのだ。牧野さんが、手がけた若い頃からの出版物の実物を手にしながら話す。牧野さんの、「画家」あるいは「画家」という職業へのこだわりと、その個人史的話が、おもしろかった。17時まで。

このあとは、野暮連のシノさんと、変わらぬ佃の裏通りの食堂でビールを飲み、よい気分でふらふら歩き、すっかり観光地化され客引きも熱心なもんじゃ通りをゆき、岸田屋の若い人たちの行列にびっくりし、その横の路地から対照的に人の姿の見えない裏通りで、もんじゃ焼屋でもなく、客が一人もいない居酒屋に入り、ここがなかなかよかったので落ち着き、燗酒をバンバンあけ、ようするに泥酔帰宅となったのだった。

なかなかギャップの激しい景色のなかにいた日だった。

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2011/03/27

平常の景色の大衆酒場は「復旧」の原点だね。大宮いづみやで泥酔。

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更新が滞っているが、おとといきのう酒浸りの飲み疲れ。なんとなく疲れがたまっている感じのうえ、きのうは「あいおい古本まつり」で、ひさしぶりに東京さ行って飲んだりしたせいもあるのか。

おとといは、急遽、大宮いづみやで野暮連のタノさんシノさんと飲むことになり、前のエントリーを書きかけたまま中断、出かけた。

午後3時半、大宮いづみや本店で待ち合わせたのだが、行ってみると、なんと大賑わい。平日だというのに。ネクタイ姿のリーマンおやじが、数人でにぎやかに、あるいは1人で黙々と、飲んでいる。みな、草臥れた様子はなく、顔はテカテカ元気がよい。テレビでは、甲子園。

うん、これだよね、と思った。災害のニュースばかり見ていても、これからの回答は、出てこない。なぜか、やはり、こういうところで、どっかり腰を落ち着けているおやじたちは、なかなか頼りになりそうなのであった。

シノさんが、女と、なにかの展覧会を見にいくとかで、去ったあと、タノさんとおれは、ネオンまたたく大宮歓楽街をふらついて、またもや、いづみやの第二支店にもどり、もうとにかく飲んだのでした。

帰り、東大宮に着いて、スーパーに寄って買い物をしたらしい。まったく覚えがなく、翌日冷蔵庫を開けたら、そのような泥酔の中でも、食料をシッカリ買っていて、しかも野菜不足を補うつもりか冷凍インゲンを買いながら、冷凍庫に入れず冷蔵だったので、すっかり解凍されていた。が、また冷凍庫に入れてやった。

復興は、この灯りから。この灯りにもどればよい。

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2011/03/25

即物的空間の魅力。

依頼があって、「おれとビッグ・エー」のタイトルで原稿を書いた。ビッグ・エーの出店地域については詳しく知らないが、以前に住んでいた北浦和にもあったし、ここ東大宮にもある、ボックスストアーだ。変わっていなければ、ダイエー系なのだが。

北浦和のころは、5分ぐらいのところにあって、なにしろ酒が安いこともあり、おれはヘビーユーザーだった。そのころブログかなにかに、そのことを書いたのを、とある編集者が記憶していて、原稿の依頼があった。

流通業界では、ボックスストアのことを「ハードディスカント」と呼ぶ。とにかく、徹底的の安さを追求した、マネジメントとオペレーションなのだ。簡単に言ってしまえば「即物主義」である。

と、ここまで書いたのだが、チョイと中座。続きはあとで。

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2011/03/23

「あいおい古本まつり」の開催時間が変更になっています。

2011/02/05「「あいおい古本まつり」と牧野伊三夫さん。」に告知した、牧野さんの出番、時間が変更になっています。そこにリンクがある主催者ブログで確認してください。まだ予約も可。

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ひとりめし強者とお客様アンケート。

またまた「ひとりめし強者」のことである。

東大宮の西口で、平日の午後、チョイと小腹が空いたしチョイとビールでも呑みたいなあと思ったとき寄るのが、「ぎょうざの満州」だ。ま、日中の2時ごろというと、ここぐらいしかないのだけど。じつは、きのうも2時すぎに入って、ハーフ味噌ラーメンとぎょうざと瓶ビールは中を、やった。この組み合わせはよくやるのだが、これで1030円なのだ。

話は、きのうのことでなく、少し前のことだ。おれはいつも1人だからカウンターに座る。その日は、ひとつおいた隣に、なぜか一目見て「オタクな予備校生」と思えた学生が座っていた。丸顔、こざっぱりとした頭髪と顔と服装、体格大きく小太り気味。

彼のところには、おれが座ると、すぐに味噌ラーメンが運ばれた。ハーフではなく普通の盛りで、ここの普通の盛りは大盛分ぐらいある。

彼は、器の真ん中の真上に顔を持っていき、真下を向いて食べ始めた。横から見ると、器の上のふちと見下ろす彼の顔は、ほとんど平行である。ふーん、そういう食べ方があるのか。

味噌ラーメンの中央には、野菜が盛り上がっている。彼は、その姿勢で、箸で野菜のテッペンからつまみ、口に運び出した。おれの場合、野菜は崩して麺と混ぜながら食べるのだが、彼は、そうではない。そのまんま、上から食べていく。それも、じつに、ゆっくり、ゆっくり、少しずつ箸でつまんで口に運び、吟味し、楽しんでいるようだった。

彼は、そうして、麺のところに到達した。れんげがついているけど、彼は使わない。あくまでもおなじ姿勢で、麺を口に運ぶのである。麺は口に対して直角に下がっている。それをすすりあげつつ、箸で運ぶ。どう見ても食べにくいように思うのだが、彼は、ゆっくりゆくっり一口ずつ吟味するように食べるのである。

そうして、おれがハーフ味噌ラーメンとぎょうざと瓶ビールは中をやりおえたころ、彼は食べ終わり。お客様アンケートに書き込みをしていた。

お客様アンケートは、注文伝票の裏になっている。注文すると、お店のひとは、伝票に書いて厨房のカウンターに置き、注文の品と一緒に客の手元に置く。鉛筆は、カウンターの上の、小さな宣伝物を入れる箱に入っている。全身芯で出来た使い捨ての小さな鉛筆は、彼の手のなかにスッポリ隠れていた。

その用紙は縦長で、上に10項目ほど、3択のアンケートがある。よい、ふつう、わるい、だった思う。その下に、自由に書き込める欄があって、その下に、住所や氏名が書き込めて、応募すると、なにか景品が送られる。といった仕組みである。

彼は、上から順番に書いていき、それもゆっくりで、ときどき小首を傾げている。そして、彼は、自由回答欄の記入にかかった。小さい字で、ゆっくりゆっくり、やはり、ときどき小首を傾げながら書いていくのである。何をそんなに書くことがあるのだろうか、かなり吟味しながら食べていたのだから、それなりに気づくことがあるのだろうか。おれには、その内容の、ちょっとした想像すらつかない。

おれは、もう食べ終わりやることもないのに、彼の様子を最後まで見届ける興味も根気もなく、席を立った。レジで勘定して、カウンターの方を見ると、彼は、その作業を続けていた。

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2011/03/21

ツイッター、やっています。

チョイとこの春からスタートする予定だったプロジェクトで、ツイッターを使うことになるというので、馴らし運転を始めてみたのだが、地震と原発災害で、プロジェクトの行方があやしくなって、いまのところ動く気配がない。困るんだなあ、困るんだけど、仕方ないんだなあ。これまで「不透明」ということが何度もあったけど、これほど不透明なことはなかったね。

始めたツイッターは、どうしようかなあと思っていたのだが、とりあえず続けることにカクゴを決めたので、ここにお知らせします。テキトウによろしく。これからは、なんでも、カクゴだよ。

http://twitter.com/entetsu_yabo


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ひとりめし強者。

Tokiwa01『大衆食堂の研究』は、最初の普通なら「はじめに」にあたる文章を、「ジャンクな大衆食堂に、ひとりで入れるかい?」で始めている。大衆食堂でひとりでめしをうまく食べることを、自立の最後のハードルとして、強調している。そして、「自立編*食堂利用心得の条 オトナの道」の「奥が深い食堂ここがちがう」で、こう述べる。・・・・・・

 食堂はフツーの飲食店とはちがう。
 あかの他人同士が、あかの他人とは思い過ごせないような密な空間で、日常の最大にして最高のイベントであるめしをくうことをする。
  「私的な距離」などない空間で、私的にめしをくう。ここがカンジンなところだ。
  そして密な空間であるがゆえに、お互いのめしの成功のため、お互いが道義的責任を負わざるをえない。そこでは店側と客側という立場をこえた関係も生じる。
  こういう状況をひとはよく「家庭的」だという。しかし食堂の客には家庭的な感じが好きな人もいれば、ヘン、家庭なんてくそくらえっていうやつもいる。家庭的にやりたいやつはやればいいし、そうでないやつは、それぞれの意思にしたがう。したがって「私的な距離」がないことを理由に「家庭的」だなんていえない。
  ようするに、とても自立性やモラルやマナーのレベルの高い空間なのである。
(略)
 食堂は相部屋雑魚寝システムである。ひともよし自分もよしとする関係をつくらなくてはならない。ここに自他の緊張関係が発生する。基本は個人プレーだが、「あうん」の呼吸のチームワークのようなところがあって、客がひとり出入りするたびに、食堂内の局面は、どんどん変化する。入るほうにすれば、そこにスッと入っていって進行中のチームプレーに何くわぬ顔で参加し、局面を判断し、会話をしたきゃするし、口をききたくなければ黙ったまま、めしくって、スッとひきあげるのだ。その間に、他人のめしをおかさず、かつ自分の最大の満足を追求するのである。

・・・・・・さらに、「食堂のめしをうまくくえるか」で、こう述べている。

 ひとりでくう食堂のめしはうまいか?わびしくないか、さびしくないか。ということを聞かれることがある。おれは、こう返すのだ。
 それでは、ひとりでも、めしを楽しくうまくくう方法を知っているか?
(略)
 めしを一緒にくっているから家族の絆が深まった、二人の愛は深まった、なんて思い込んでしまうオトナ。不幸だ。 自分でうまくくう方法について考えたことがない。生活最大の誤りである。
 ひとりでもうまくめしをくえる、そういう自立を先に極めなくてはならない。

・・・・・・と、こんなぐあいだ。

先日、山手線鶯谷駅で辺境詩人と正午に待ち合わせた。信濃路で昼酒と思ったのだが、あいにく原発災害のあおりをくらって休み。10分チョイ歩いたところの、建物は改築したが昔からある大衆食堂へ行った。そこで、脱帽最敬礼をしたくなった、「ひとりめし強者」に出会った。

着いたのが、12時20分ごろだから、混雑の最中だった。その食堂は、奥に長く、ドアを開けると、まっすぐ奥の厨房につながる通路になっていて、両側に4人がけのテーブルが4台ずつ計8台。

Tsuge_2その中の1台だけが、座っているのは1人だった。とうぜん、そこで相席である。彼は、入り口のほうを背にしていたのだが、その背が、あやしいオーラを放っていた。それは、つげ義春の漫画の主人公が放つ、なんていうのかなあ、アレなんである。薄い生地のジャンパ姿の、弱々しそうな精彩のない、少しやせ気味の背格好、ややうつむき加減の姿勢からして、そうなのである。(ここに、ピッタリな感じの、その一コマの部分を載せる。「義男の青春」から)

テーブルの横に立って、相席の挨拶をしようと、その表情を見た瞬間、ああ、これは無言のほうがよいと判断、手と身体で会釈し、詩人を奥側の椅子に座らせる。手前側に座っていた彼とおれは、向かい合わせになった。

20代後半か30になったぐらいか。彼は、うつむき加減のまま、だから、やや目線は下方になるわけで、おれとはまったく目を合わせない。両手は太股のへんに置いたまま、表情も変えず、微動だにしない。目の光は、格別強いわけではないが、弱いわけでもない。ただ、一点を見ている。って、その先には、テーブルの天板しかないと思うのだが。色白で、ジャンパーを着ているが、室内の仕事なのだろう。

彼が注文したものは、ほかの人に比べ少し遅れ気味であったらしい、食堂のおばさんが、ほかの人のめしを運びながら、「ごめんね、すぐだから」というようなことを言った。そのとき、軽くうなずいたが、目線をおばさんにふるわけでもなく、まっすぐうつむいたままである。

この食堂の常連であるのは間違いない。めしが出てくる前にお茶を飲み干した彼は、茶碗を持って立ち上がると、お茶を汲みにいった。そのとき、なんと、彼は、小さんな手提げ袋、トートの小さいやつというか、口が20数センチぐらい木綿製を持っていたのだ。その中には財布などが入っているのだろう、男子の場合、財布のほかに何が入っているものか想像できなかったが、それをぶらさげて、お茶を汲みに立った。

彼が頼んだのは、500円か600円の定食で、コロッケとアジフライがメインである。それは刻んだキャベツに、少し重なった状態で皿に盛られていた。彼は、コロッケとアジフライを皿の上に平らに広げ、ソースを手にすると、それぞれに、ゆっくりまんべんなく、ソースをかけた。フライのころもが見えなくなるぐらいかけた。でも、ドボドボかけるのではなく、あくまでも、ゆっくりである。

その目は、皿の上を見つめ、顔は神妙であるが、いくぶん輝いていた、つまり控えめながら興奮が見られた。かけおわった彼は、ヒジョーにゆっくり、大事そうに、箸の先でコロッケやアジフライをちぎって口に運ぶ。かぶりつかない。

あまりにゆっくり食べるものだから、おれたちが座った後ろの席が空いたぐらいで、おれたちはそちらに移った。おれは、また彼が見える位置に座った。彼は、ゆっくり食べ、ゆっくりお茶を飲み、食べ終わると、例の手提げ袋を持って、厨房そばにいるおばさんに勘定を払い、出て行った。その足取りは、軽かった。12時50分ごろだった。

いやあ、あまりジロジロ見てはいけないから、相方の詩人とビールを飲み談笑しながらだったが、まさに、1人でも悠々泰然自若とめしを食べて帰る姿に、「ひとりめし強者」という言葉が浮かんだのだった。彼は、この昼食を楽しみにし、じゅうぶん楽しんで帰ったようだった。最初は、一見弱々しく見えた姿が、頼もしく思えた。

Tokiwa02おれたちは、850円のミックスフライ定食と、550円の大瓶ビール2本を空け、あれこれおしゃべりをし、1時半ごろまでいた。めしはうまいうえ、混雑していても、せかされる雰囲気はなく、マイペースで、ゆっくりできる。あの青年にとっては、昼のオアシスなのかもしれない。

1時前後、客はほとんどいなくなり。おばさんが、おれたちの顔を見て、「1時過ぎるとガラガラ」と自嘲気味に笑った。でも、ボツボツは、入っていた。

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2011/03/20

興奮や同情でなく、もっと東北を理解することが、支援の第一歩だと思う。

2007年の7月、美術系同人誌『四月と十月』の古墳部活動で、東北を訪ねた。1日目は、新幹線新花巻駅から釜石。釜石に泊まり、青森県八戸まで各駅停車の旅。今回の地震で被害の激しかったところだ。八戸のあとは、青森県と秋田県境あたりの温泉に一泊、青森県の日本海側鯵ヶ沢で一泊、そして帰りにおれは一人で盛岡で下車し一泊した。

2008年の4月は取材で、岩手県一関と青森県八戸をまわり、帰りに盛岡に寄った。今回の地震の報道は、岩手県の海岸のほうに偏っていて内陸部については、情報が少ないが、被害が出ている。そもそも一関は、気仙沼の奥位置にあたり近い。その取材から帰ったあと、6月14日に、岩手・宮城内陸地震が発生し一関は、大きな被害を受けている。

東北を旅して思ったことは、東北のことは、ほとんど知らないで過ごしてきたということだ。「東北差別」ということも、確かにあると思った。東北というと温泉それも混浴のイメージ。あるいは、リアス式海岸? あるいは松尾芭蕉やつげ義春や菅江真澄など枯れた文芸的な感傷的なフィルターを通しての知識・・・。

ま、ようするに、東北を理解してないのだ。そして、にもかかわらず、東北(北海道も含めてだが)は、東京の手足どころか胴体を成している。この地域は、安価な労働力のあるところ、直接的に東京の胃袋を満たすために必要な存在として、つくられてきた。そして、今回の福島原発災害でもわかるように、東京は東北地域の東北電力管内にまで原発をつくり、危険を押し付け、いわばライフラインの源を「寄生」している。しかし、東京には、「寄生」の意識すらない。

なにはともあれ、この際、「東北のために」もよいが、支援する「東北」とは、そもそもどういうところなのか、東京とどういう関係にあるのかぐらいは、おれも含めてだが、もっと知るべきだし、知るによい機会だと思う。すでに「東北地方」という言葉にある、見方によっては「差別」といわれるものを、敏感に感じとる東北のひともいるわけだし。

東北を知ることは、東京の生活を知ることでもある。東京都とは、東北と北海道も含めてのことだ。
そう思う。

ということには、あまり役に立たないが、当ブログの、東北がらみの主なエントリーをピックアップしてみた。

※何度も地震災害に見まわれている盛岡、「わんこそば」だけじゃない、いい庶民文化が根付いている、素晴らしい雑誌がある。
2010/11/24
「ふだん」を上手に語る『てくり』の魅力。

※おれは『四月と十月』に「理解フノー」という連載を書いているが、このタイトルのキッカケは、釜石の呑べえ横丁で出会った若者たちだ。彼らは、無事なのだろうか。
2008/07/26
「理解フノー」のはじまり。

※一関の世嬉の一酒造さん、一関のまちづくりのシンボル的存在でもある。取材のあとの岩手・宮城内陸地震では大丈夫だったが、今回は休んでいるようだし、ブログの更新もストップしている。津波の被害があった八戸漁港の朝市は、規模といい内容といい、感嘆した。復活し続いて欲しい。
2008/04/14
一ノ関、八戸、盛岡、朝市から夜中泥酔まで。
2008/04/15
そこに、なにが、どのようにあるか。なぜ、それが、そこにそのようにあるのか。
2008/04/17
あれこれ、また岩手県一ノ関。

※小さな飲み屋がズラリ並んだ、呑べえ横丁。海にも近いし、そもそも海につながる用水の上に建っていた。どうなったのだろう。鬼灯の女将は、無事だろうか。
2007/09/06
岩手県釜石 呑べえ横丁

※釜石から宮古へ向かう電車で出会った彼女たち、津波被害の大きかった所だから、とても心配だ。高校卒業して、この地を離れている可能性もあるが、彼女たちは、この地が好きで、東京へ出る気はなく、出ても盛岡や仙台までと言っていた。
2007/08/09
風邪回復へ。高校総体柔道 岩手代表アベちゃん応援。

※縄文時代から、東北には、発達した文明があった。八戸の博物館で見た室町期からの南部氏の文化も、いわゆる「遅れた東北」のイメージからは、ほど遠い。
2007/08/01
縄文のコメは何を語るのだろうか

※この時の旅は、釜石から八戸まで、今回被害甚大だった鉄道沿線を北上した。約8時間の各駅停車の旅が退屈しないほど、美しい景色が続いていたのだが。
2007/07/31
四月と十月古墳部東北縄文の旅。帰ってきた。

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2011/03/19

なんとなく、気仙沼・八葉水産のしめさば。

あたたかい、いい陽気。買い物に出た。公園では、花見にはかなり早すぎるが、おかあさんたちがシートを広げ、なにやら食べながら。子供たちが駆け回っている。地震や原発災害がウソのようだ。

首都圏から親子で、あるいは子供だけでも脱出という人たちもいるが、そういう人たちは恵まれている、条件がよいほうだろう。放射能汚染の不安もあるが、もの不足や停電など、大人たちは疲労を深める一方だし、子供にとっては、あまりよい条件ではない。と、わかっていても、行き先がなかったり、いろいろな事情で動きのとれない人たちもいる。ただでさえ、不況なのだ、そういう人たちの方が多いにちがいない。それぞれの事情、それぞれの判断、それぞれの行動。

のどかな景色のなかで、地震後の、いろいろな暮らしが動いている。

Simesaba

スーパーの売り場は、いくらかものが増えているようだが、時間帯によってちがうだろうから、正確にはわからない。とにかく、水産物売り場は、棚やケース一杯にものがあった。なんとなく、ふらふら眺めながら移動していると、「気仙沼」の文字が目に飛び込んだ。おっ、気仙沼か、あの何度も繰り返し放送された映像、ustで見ただけだが、気仙沼の湾から川を、まさに怒涛の勢いでさかのぼる津波の映像が思い浮かび、なんとなく手に取った。手に取ったとき、すでに買うことに決めていた。別に、これも支援とリクツをつける必要はないと思うが、やはり、買う。それに、しめさばは、好物だ。

これは、たぶん、地震前に造り冷凍したものだろう。帰って、包装をよく見たら、表示に、
八葉水産
宮城県気仙沼市赤岩港14-1
とある。

ネットの地図で場所を検索すると、あの川沿いの、河口そばではないか。これはヤバイぞ、無事だとよいのだが思いながら、別の検索をすると、あった。

サイトは、こちら。
http://www.hachisui.jp/

そして、こちらのtwitterに、消息が。
http://twitter.com/ayumu_plus

# fwhs3215 震災から6日目。昨日の気仙沼 八葉本社からの連絡では、今後 3~6ヶ月以内での復活を社長が明言!!。気仙沼塩辛は永遠なり!!復活したらみんな食べて下さい。 12:51 PM Mar 17th webから ayumu_plusと1人がリツイート

# たった今気仙沼から情報が入りました。仕事仲間が逃げている途中で津波に飲み込まれたそうです。皆無事だと思っていたのでショックが大きい…大きすぎます。何も出来ない事に苛立ちも覚えますが兎に角ご冥福をお祈りします 12:57 PM Mar 17th webから

# 気仙沼赤岩港の仕事仲間は皆無事との事。会社名は八葉水産です。地震直後に津波を予見してすぐに逃げたそうなので従業員やパートの方々、中国からの研修生の方たちも無事の様子。全国の営業所に連絡が入りましたが、通話に難があり詳細は不明ですがご家族の無事も祈っています 12:43 PM Mar 17th webから

逃げる途中で、どなたか津波に飲み込まれた。あの映像の津波のなかにいたのだ。見知らぬ人だが、胸が疼く。無事を祈ろう。

社長さんは、「3~6ヶ月以内での復活を」名言しているようだ。そうあってほしい。

今夜は、このしめざばで、一杯やります。明日、スーパーに行って、まだあったら、また買いましょう。

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2011/03/17

夜の停電タイムの過ごし方。

Teiden
テキストは、いま18日の朝に書く。

泥縄停電、16日は夜の18時20分からだったから、その前に酒をたらふく飲んでベッドに横になり、眠ってしまった。17日は、15時20分から19時までなので、明るいうちは、ベッドに転がって『フーコーの振り子』を読んでいた。この本は、こういうどうにも手持ちぶさたというか、でれでれ時を過ごさなくてはならないときに、でれでれ読むによい。

本も読めないぐらい暗くなったあとは、テーブルでキャンドルドリンクと洒落た。ろうそくは、どこも売り切れで手に入らなかったから、もらいものがあったはずだと探したら、たぶん20年前ぐらいにもらったものが見つかった。小さな四角い、クリスマスの柄の包装。もてるおれが、クリスマスのときにでも女からもらったものか。もてるしては、質素な贈り物だが。中は、直径3センチ弱ぐらいの器に、ろうを溶かしこんであった。

それを、香をたく容器に置き、そばに懐中電灯も置いた。もちろん懐中電灯のスイッチは切ってある。

マッチは、むかし、喫茶店や飲み屋などでもらったものをとってあった。西日暮里にあった竹屋食堂のマッチもある。これは使わないでおこう。適当なマッチ箱から軸を出してすった。少ししけっていたのか、ヨロヨロという感じでついた。

毎朝、ゆでたまごをつくっている。それが残っていた。ほかに、ひじきと大豆の煮物など。酒は、関東か東北のものと思っていたが、いつも買う安売りドラックストアにあるはずの、栃木の安酒がなかったので、西の箱酒を買ってあった。

キャンドルドリンク、なかなかよい。これなら、普段もっとやるか。

ろうそくの火を見ていて、20年ほど前のことを思い出した。

九州の奥地、標高600メートルぐらいのところで暮らす林業家の男子が、東京に来るというので、都内のホテルで待ち合わせた。彼は、始めての東京である。暗くなって羽田に到着し、バスでホテルについた。彼は、バスを降りるなり、まずいったことは、「よくこんなところに住んでいるな」だった。飛行機から見る東京は、煌々と電気がつき、バカみたい。俺を見る彼の目は、マジに解せない、軽蔑、という感じだった。

おれも、彼の地に長く滞在したことがある。夕方になると、風呂に入り、楽しいおしゃべりをしながら晩酌をやり、めしを食べる。そのころには、あたりは真っ暗になっている。9時ごろ遅くても10時ぐらいにはふとんに入る。

東京の夜景は世界一美しいという人もいる。それとは、美しさの感覚が、正反対の生活もある。東京の夜景は世界一美しいという人は、ただそれが美しく思う生活を送っているにすぎない。

そういうことなのだ。
今回の原発騒動で、その生活は、どんなものであるかは、少しはわかったのではないだろうか。

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2011/03/16

大本営ニュースと震災報道競争一色のなかで。

こんな中でも、やらなくてはならないことがあり、請求書を出すのはうれしく、急いで出したり、校正も、これがあがれば振込があるからと、イソイソやったり。

しかし、ウチはテレビがないから、ときどきustのNHKを見るだけだが、いつのぞいても、おなじような画像とおなじレベルの内容の大本営発表と、そのセンのNHK報道の繰り返し。こんなん見つづけていたら、ほんと、おかしなぐあいに洗脳されちゃうよ。もうたいがい洗脳されているというか、自分自身の発する情報を根拠にしながら自分自身が実態から離れおかしくなっていく、あの構造。映像があると、とくに陥りやすい。

テレビのそばから離れ、ご近所の地元の人たちとあえる酒場にでも行って、一杯やることをオススメします。もちろん、テレビのない酒場へ。

そんなとき、きょうは、いくつか、いいメールをいただいた。

最初のこれは、きのうのエントリーをご覧になってのことだね。某紙の現場の記者の方です(このメールにある日経ではありません)。現場の記者も疑問に思う、いまの報道。こういう感覚が普通だと思うけど、なかなか思ったことを口に出せなくなるコワサのなかに、もうおれたちはいる。もっと、ご近所の地元の人たちとあえる酒場にでも行って、一杯やりながら、大いに笑おう。昨夜は、ちゃぶだいへ行って、うまい酒を飲んで笑った。

> 震災報道をみなが競うことがどれほどの意味があるのか。
> 昨夜、神保町で飲んだのですが、どこも早々と店じまい。電車も閑散。
> 目の前に座った人が、日経朝刊を読んでいました。日経は看板の文化面を死守
> していました。
> 震災報道一色に塗りつぶされた中で、日経文化面は輝いていました。
>
> なにごとも、より悪い方を基準に考えているようでは、事態は改善されない、
> と小生も思います。
> 自粛ムードが広がるのか、果たしてどうなるのかは分かりませんが、どんな極
> 限にあっても、人は笑うことを忘れないと思っています。

日経が文化面を死守しているって、ちょいと皮肉な現象に思え、笑えた。

もう一つのこのメールは、さあだから、生きる態度が問われているのだ、「気取るな、力強くめしを食え!」だという。これは地震があろうが放射能が降ろうが、本を書けという「激」ですね。はいはい、やりますとも。

>こんなときです。力強く生きて行く本がほしいのです。これから東北近県、復興までの長い道のりに加え、生産物につ
>いての風評被害も広がるでしょう。
> 原発の状況も、先が見えない。
> どうしていいかわかんないですよね。
> 時々刻々情報は変わるし、右往左往するばかりですから、こっちができることは、生きる態度として、まさに「気取るな、力強く飯を食え!」しかないと思うのですよ。
> ベストの環境で生きて行くことなんざ、できない。これからはよけいに、できない。
> だから、あとは、生きる態度の問題が問われて来るんだろうと思います。

雑誌によっては、いまのこのご時世に合わないと、グルメ記事を差し替えたり、発行を停止したりのドタバタをやっているようだ。おれのように「正しい」ライターを締め出していると、そういうことになる。おれがきょう校正を終えた雑誌なんぞは、そんなドタバタは不要。おれは「「グルメ」の憂鬱」というタイトルで、金があるからやれる程度のバカバカしいグルメとくに男のグルメなオシャベリを笑っているのだから。

「気取るな、力強くめしを食え!」は、どんな時代、どんなときでも、庶民の生きて食べる態度の基本なのだ。

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2011/03/15

みちくさ市と木村衣有子さんとのトークは中止です。

告知していた、20日にちようび、わめぞの雑司が谷「鬼子母神通りみちくさ市」関連イベント、『あのとき食べた、海老の尻尾』刊行記念 ワメトーク vol.8 木村衣有子×遠藤哲夫トークショーは、中止となりました。

みちくさ市が公道を利用する市であり、トークの会場となる廃校の小学校舎も被災者や帰宅困難者の避難場所になっている関係で、いまのように余震が続く状況では、中止やむをえないとの判断です。

おれも、「ムード自粛」は賛成しかねるけど、これはやむをえない理由と思います。

楽しみにしていたかた、木村さんもおれも楽しみにしていたのだけど、残念です。またの機会に。

こんなときだから、木村さんの新刊『あのとき食べた、海老の尻尾』を読もう。なにやら、おれらしい男も登場する。今日から2、3日中に書店に並ぶようです。

当地は泥縄停電の第3グループということがわかり、今朝6時20分~9時45分ごろまで停電した。明日は、18時20分から22時、つまり夜ですね。こうして、しだいに、傲慢な都心を代表する東電に従順な民として、計画的に飼い馴らされていくのだろうか。

3時間の停電など、被災地のみなさんと比べたら、たいしたことではないという人がいるけど、それとこれはちがうのですよ。そういうことをいう人は、全国みんなが被災したほうがよいと思っているのだろうか。なにごとも、より悪い方を基準に考えているようでは、事態は改善されない。

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2011/03/13

都区内優遇の泥縄式東京電力の無責任さに、怒。

前のエントリーに書いたばかりの、モンダイだ。「輪番停電」でも「計画停電」でも、呼び方なんかどうでもよいが、いまごろになって、停電が通告される。こういうのは、「泥縄停電」というのだよ。

さいたま市は、第1グループと第2グループと第3グループに名前があって、おれのところは、どこに属しているかわからない。早ければ、明朝6時20分からの停電だというのに。(24時すぎ追記、さいたま市は、第4グループにも名前があった。しかも、おれが住んでる見沼区東大宮内でもグループは分かれるらしいのだが、おれの所はどのグループかわからない有様、どこに正確の情報があるかもわからない)

1日に2回停電があるグループがあって、5グループのうち2グループの第1グループと第2グループ。そのどちらにも、さいたま市の名前がある。そして、東京都区内は、荒川区だけが対象で、ほかの区は、ナシ。

これについて、説明がないって、どういうこと。ずいぶん露骨じゃないか。ちゃんと、説明責任をはたしてほしい。

それにしても、すべてを地震のせいにしているが、東電自身にも責任がある。そのことについて、明快に謝罪したうえで、こういう措置をとるべきじゃないのか。

つまり読売新聞でも、「相次ぐ原発緊急事態、想定外と見通しの甘さ」と指摘している、「非常用ディーゼル発電機計13機がすべて、地震約1時間後に故障停止したことだった。想定では、地震が起きても各基が非常用発電機を融通しあって復旧するとしていたが、全滅した」(2011年3月12日10時37分 読売新聞)
http://app.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post?blog_id=29624

これは地震のせいにはできないだろう。日頃の管理のズサンさが露呈したといわれても仕方ない状態、それは今回のこの「計画停電」のズサンな泥縄対応についても露呈しているわけだが、何か一言があるのが当然だ。

しかし、都区内の停電を巧みに避けておけば、責任は問われることはないだろうという計算だろうか。ほかの地域は、なめられたものだが、これまでのたいがいの政策決定は、このように東京一極集中優遇だった。それにしても、泥縄式で、その本音が、みごとに露出したといえるか。東電の体質の甘さは、それを支える都区内の甘さでもあるのではないのか。みんなで甘い汁すって、甘いぞ、甘いぞ。

この停電でこうむる損失や精神的負担などは、東電に請求できる権利を留保しておきたい。原発事故の責任についても、同じ。東電は、一貫して、政府を前面にたて、責任を回避してきたが、そうはさせてはならない。

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ロクデナシの唄。

おれは単純な原発反対論じゃではない。そもそも「危険だから」「安全だから」という議論もクダラナイと思っている。今回の原発事故で、思い出したのだが、おれは『大衆食堂の研究』で、こんなことを書いていた。これが、大衆食堂と関係あるかといえば、あるのだが、いま、実際にこのことを考えてみるに、よい時期であるかもしれない。ぐふふふ、『大衆食堂の研究』は、じつに有意義な内容に富んでいるのだなあと、あらためて思うのだ。

これは、「煽動編*空前絶後、深い正しい東京暮らし」の「*二、深い正しい東京暮らし*」の「ロクデナシの唄」に一部で、全文は、こちらでご覧いただける。
http://entetsutana.gozaru.jp/kenkyu/kekyu_02.htm

 おれたち東京の電力のために、新潟の海岸に原子力発電所をつくるのはやめよう。
 やっぱり東京の世田谷あたりにつくろう。駒沢公園をつぶしてもいい。あちらでは、賛成だろうと反対だろうと、建設となれば、原発と暮らす覚悟がいるのである。その覚悟を、東京の人間だけができないというわけはない。
  東京あたりで偉そうにキレイゴトするのはいかがなもんでしょうか。

都心は、地震から「正常化」に向かいつつあるようだが、その向かうところは、いまのところ、たぶん惰性的に、地震以前の日常にもどるのが「正常化」であるような動きである。だとしたら、原発の「正常化」も避けて通れない。原発を元通りにするのである。

極端な一極集中化で、いまや、小さな店小さなイベントですら、巨大な電力頼りの交通網がなくては成り立たないほど、東京は広域システムにのっている。それはもう、「芸術的」といってよいほどの交通網であり、そこを走る電車やクルマも、「芸術的」といってよい緻密さで管理されている。そして、遠くから人を集めて、たくさん集まったと、よろこんでいる。ディズニーはディズニーなりの広域から、小さな店やイベントは小さな店やイベントなりの広域から。

歩ける範囲の地域の経済や文化というと、いまやコンビニが、まさに「芸術的」なシステムで成り立っているわけだが、そのニギリメシ一個を運ぶのにも、やはり広域システムを必要とし、とんでもない距離を運ばなくてはならない。それらが、アタリマエな感覚で、これからの原発の「正常化」や東京の日常の「正常化」は、地震前の状態をめざして、すすむのだろうか。

「節電」「節電」といわれ、おれもそれなりに節電しているが、電気製品だけじゃなく、水道もガスも下水道も電気がなくては正常に動かない。自動車交通網だって、信号がダウンしたら、これまでのようにはいかない。

ま、まだ原発事故のことが、これからどうなるかの状態であるが、一方では、普段にもどりつつあるわけで、またそうしなくてはならないわけで、しかし単純に地震前を基準にすることは、はたして、どうなのかな現実的に、そうはいかないんじゃないの、無理があるんじゃないのと、思うわけだ。

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地震、『死が二人を別つまで』を読んだ。

0311jishin_01a_2地震の発生は、この前のエントリー、2011/03/11「これが木村衣有子『あのとき食べた、海老の尻尾』だ。と、発刊記念トーク×エンテツ。」をアップして、まもなくだったと思う。あとで時刻を調べたら午後 2 時 46 分ごろだったらしい。

パソコンに向かって、原稿を書いていた。ユサユサゆれだしたときは、ちょっと大きそうだけど、震源は遠そうだなという感じがした。すぐユサユサもおさまるだろうと思っていたら、おさまらず、激しくなった。いろいろな音が激しくなり、とつぜん、右側の棚の上のプリンターなどが、ガーンと落ちた。そのとき、おれは「ワッ」と声を出した。左側の足元には、棚から落ちたものが散乱。写真でも、棚板が前方にずれているのが、わかる。落ちたのは、棚の手前側にあったものがほとんど。

0311jishin_02a_2でも、まあ、動かないのが一番安全と思って、ウチはテレビがないのである、そのまま座って、ネットで地震速報を見た。まだ揺れていて、棚からは、引き続き、ぱらぱら何かが落ちていた。

えーと、第1報は、なんと出ていたか忘れた。とにかく、仙台あたりで、震度7の、かなり大きな地震が発生したことは、わかった。

ウチは、地盤の弱いところに建っているから、おれのいる2階は、けっこうゆれる。だけど、地盤が弱いことはわかっていたので、地震対策はシッカリやって建てたのであり、とくに不安はなく、余裕だった。少しおさまったところで、立ち上がり、「被害状況」を写真に撮った。最初の写真に写っている時計は、地震発生後10分弱ぐらいの2時54分ごろだった。

おれのまわりだけが、こんなにとっちらかっただけだった。プリンターがのっていた棚は、ほぼ東南向きの壁にある棚で、ほぼ東西の横位置にある。プリンターは、横前方向、ほぼ西方向に落ちている。東西方向のゆれが、激しかったようだ。あとで1階を見たときも、テーブルの上に注いだまま飲んでなかったカップのお茶が、ほぼ東西方向に飛び出してこぼれていた。

家具は、すべて造り付けだから、倒れることはない。部屋を出たところの収納の上に置いてあった、秋田の縄文遺跡で作った土器が落ちて割れていた。4月のトークライブは「古墳めぐりの旅 〜はにわの魅力をたっぷり味わおう!〜」なので、この土器を持っていこうと思っていたのに、壊れてしまった。チェッ。

0311jishin_03_31階は、あまり変化はなかった。やはり造り付けの食器棚を見たら、これも地震対策をしてあったから扉は開いていなかったが、なかで器が倒れて手前に転がっているのが見えた。食器棚は西側を背にしているのだから、やはり東西方向に転がったのだ。扉の片側からそっと開ける。棚の一番上の左奥側には、丈のあるグラスを伏せて置いてあった。つまり重い足の台が上になっていた。それが頭の重みで転がり、手前のグラスを倒したものらしい。一個が破損していた。

0311jishin_04_2そこそこ大きなゆれは続いていた。とりあえず、水道も電気も通じているから、めしを炊いておこうと思い、米を電気釜にセットした。2階にもどり、まだ余震の大きなものがくるかもしれないから、片付けるのは早いなと思い、ベッドに横なろうと、ベッドの横の棚から床に落ちていた文庫本を見た。すると、創元推理文庫のルース・レンデル『死が二人を別つまで』が見えた。うーむ、こんなとき、ピッタリのタイトルのような気がして、それを持ってベッドで横になり、読み出した。

と、書いていると長くなるな。とにかく、こういうときは、あまり急がずに、なんでも一呼吸おくのがよい。ってわけで、あとは、ゆるゆる片付けをして、ゆるゆる酒を飲みながら、全体の被害状況をつかむ。ま、はたから見ると呑気なようなんだが、それなりに自分なりの対策を考えていたのだ、たぶん。

どうも原発というのは、これまでの実績からしても、原発関係者の言うことはあてにならないし、ましてや政府や役所は当事者の東京電力の「報告」にもとづいて発表しているだけだし、その「報告」たるや、かつては嘘だらけというのがあったわけで、ようするに電力会社は信用ならない。地震の大きさからすれば、念のため対策にこしたことはない、といっても自分でやれるのは、ヨウ素を摂取しておくぐらいと考え、ワカメをみそ汁にタップリ入れて食べる、気休め。

さっちゃんは、高崎線も宇都宮線も動いていないから、蓮田のひとにクルマで送ってもらい帰ってきた。途中かなりの広い範囲で停電だったとか。

被害の小さい地域のものが、不安や気休めや正義感や感傷や興奮から騒いでも、情報を混乱させたり、方向性を間違えさせたり、必要なプロの活動の邪魔になるだけだし、何もしないのがよい。自分で出来る対策だけはシッカリやって、きのうは一日、ときたまネットで様子を見て、ベッドで『死が二人を別つまで』を読み、節電を心がけ、酒を飲んでいた。もちろんワカメも食べた。案の定、原発の状況は、ひどくなる一方だった。

『死が二人を別つまで』を読むのは、2.5回目だと思うが、きのうの夜中に読み終えた。前は気がつかなかったが、そこそこ料理がのっている。この本の内容ではないが。いつかは死ぬわけで、死が二人を別つまで愛し合えたら、よいですね。こんな地震のときは、とくにそう思うものではないだろうか。しかし、パニックだから感じる「絆」や「愛」なんて、あんまりあてにならないことも少なくない。

とりあえず、そういうことで、また書き足すかもしれない。

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2011/03/11

これが木村衣有子『あのとき食べた、海老の尻尾』だ。と、発刊記念トーク×エンテツ。

Kimura_gohan_cov

さきほど、木村さんの新刊『あのとき食べた、海老の尻尾』(大和出版、1300円+税)が届いた。先日、告知したように、3月20日にちようび、この発刊を祝して、不肖にして不詳のエンテツが木村さんのトークライブの相手をつとめさせていただく。書店に並ぶのは、もう少し先だけど、送っていただいた。これから読むのだから、とりあえず画像のみ掲載。

Kimura_gohan_pho

写真も木村さん。サブタイトルに「ごはんがおいしくなる話」。腰巻に、「あの人が好きだったもの、私が好きだったもの。」とある。むむむ、木村さんの文章には、男がからんでいることが多い。もしかすると、これで木村さんの男遍歴もわかるかもしれないぞ・・・。冗談は、さておき、そのトークライブは、もはや有名なイベントになった、わめぞの雑司が谷「鬼子母神通りみちくさ市」関連イベントとして開催される。

『あのとき食べた、海老の尻尾』刊行記念
ワメトーク vol.8 木村衣有子×遠藤哲夫トークショー
「衣有子とエンテツ 愛しのごはん」
参加費1000円。申し込みは、こちらです。よろしく~。
http://kmstreet.exblog.jp/15626839/

ああ、5月締切りの本の原稿は無事に仕上がるのか。エンテツは来月もトークライブがあります。4月24日にちようび。東京カルチャカルチャー@お台場で、古墳トークの2回目、「古墳めぐりの旅 〜はにわの魅力をたっぷり味わおう!〜」。前回同様、テリー植田さんの司会で、スソアキコさん、まりこふんさん、おれという顔ぶれ。先日の読売新聞の紙面を飾った古墳熱、はて、どうなりますか。こちらも受付が始まっています。こちら・・・クリック地獄

大いに春春がんばろばろ。

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2011/03/09

素晴らしい料理の世界。太田尻出版、『レシピとそのレシピ』。

Otajirike_recipe1経堂の太田尻家が、店で出す料理から、いくつかピックアップしてまとめた料理本を、自らの手でつくり、出版した。

このあいだも、おれと太田尻家の家長は兄弟かと聞かれたが、ちがいますよ。なんだか雰囲気が似ているらしい。ボーとした感じが?

おれはボーとしていて、その顔のままズボラで大雑把でモノグサだけど、家長は繊細で器用でマメで、なんでも上手にこなしてしまう。結婚ン回も、おれより若くして達成。そして、04年、経堂に「太田尻家」という一膳飯屋のようなバーを始めた。太田尻家のヨメは、智子さんで、おれの初めての本『大衆食堂の研究』の表紙・本文のイラストと装丁をやっていただいた(当時は、太田智子さん)。

という話は、ザ大衆食「太田尻家」を見てもらったほうがよい。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sin/ootajirike.htm

とにかく、夫婦揃って、物づくりが好きで得意である。家長の料理は、店を始める前からうまかった。というわけで、そのまわりには、家長もこの本の「ごあいさつ」でいうように、「類は友を呼ぶ」で、好きなひとたちが集まり、この本に至った。

Otajirike_recipe2いまはやりのように見えるアートフルな手製本は、本の「物」としてのアートに凝ってはいても、内容とのバランスにチグハグを感じることが少なくない。だけど、この本は、ちがいます。

イラストは、もちろん太田尻家のヨメ、智子さん。デザイン、三浦樹人さん。製本に井上容子さん。が、名を連ね、印刷は株式会社JAMと奥付にある。それぞれ、モチ屋はモチに力を発揮している。

おれとしては、やはり文章に注目したい。よこ組のよこ書きは、家長によるもので、レシピと解説を主に書いている。たて書きは、今村亮太さんによるもので、そのレシピとなった料理に、寄せた、あるいは料理から発した、文章である。

レシピと、その料理に寄せた文あるいは料理から発した文という構成は、おれは前からやってみたくて、きょねん、小学館のWEBサイト「わははめし」の連載で、料理研究家の瀬尾幸子さんの料理に文章を添えるカタチで、あるていど試みることができた。『みんなの大衆めし』では、あまりにも短いコラムに変更になって、うまくやれたとはいえないが、「わははめし」では、それなりの感触がつかめた。

Otajirike_recipe6_2料理本がレシピだけで終わるのでなく、レシピから料理の世界、料理の世界から生きている世界にイメージが広がり、ようするに生きている世界に料理はあって、その世界にレシピはあるのであるという、「つながり」が、いわゆる料理本としてあってもよいのではないかという考えは変わらない。料理の楽しさは、生きる楽しさの大きな部分を占めるはずだ。働くのも「食べる」ためとあらば、なおのこと。

その一つの、よいカタチが、ここにあると思う。ただ、おれが考えていたものより、かなり「詩的」ではある。それは、2人の書き手の詩心が、強いからだろう。これは、これで、一つのよいカタチだと思う。

それに、とかく「料理研究家」などから「エッセイスト」になった著者の料理本にあるレシピとエッセイというのは、アアあこがれの中流生活、なんと素敵な知的生活、といったニオイが、料理という生活からかけはなれているのだが、この2人の書き手の「詩心」は、そういうものではない。ときにはポテトサラダと回文で遊び、ときには、ラーメンとシメサバの相場を思う。

Otajirike_recipe5家長のレシピと解説は、簡潔かつリズミカルで、文章の調子に、料理をするときの身体の動きと、味付けをするような心配りを感じる。これが、ま、さすがだね、と思ったほど、素晴らしい。なにしろ、かつて彼の自作の詩と曲と演奏を何度か聴いて、いいねえと思った、あの感じである。

こういう文章は、いわゆる料理本では実現できない残念がある。料理本のレシピというのは、こうでなくてはならないという、おれからみると、あまり根拠のない確固たる業界的思い込みが編集の中心にあって、なかなか難しい。

料理は、エスプリとインスピレーションとイマジネーションが大事だと、かねてから思っている。たいがいの料理本のレシピは、そこをむしろ封じ込めるように、マニュアル化する。まるで寸分の狂いがあってはいけない「指示書」か「仕様書」のように。そうなったには、読者側の料理に対する認識の問題もあるのはもちろんだ。それらには、いくつか根深い問題が含まれているのだが、そのことは置いておこう。

とにかく、家長のレシピと解説は、料理に必要なエスプリやインスピレーションやイマジネーションを、無限大に向かって開放する。そして、今村さんの文章は、さらにそれを膨らませるように、料理の世界から生きる世界へ向かって料理を開放する。そして、料理とレシピに、もどる。

Otajirike_recipe3きょうは、これぐらいにしておこう。表紙を開くと、うすい紙にローレルが一葉、香りを漂わせる。最後のレシピは、「トマトチーズ焼き」で、「恋のレシピ」という歌までついている。

2人の文章は、リズムがとてもよい。1ページだけ、「柴犬のシバ」というタイトルのよこ書き家長の文章の組版レイアウトが、文章のリズムとチグハグな感じがした。とくに韻のある日本文のよこ組は、むずかしい。

収録レシピ、14点。1500円。一緒に入っていた「請求書」?まで楽しめる。
そういえば、きょねん、酔っ払って、Tシャツを注文したはずだが、あれは、どうなったのだろう。ま、暑くなってからでよいのだが。

Otajirike_recipe7

当方のモニターがやや不正常の発色をしているようなので、掲載の画像の色は、本物と少し違っているかもしれません。

Otajirike_recipe8

関連
2010/09/18
経堂、太田尻家のち、さばの湯ギョニソ・シンポ、泥酔帰宅。

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2011/03/08

3月20日、木村衣有子×遠藤哲夫トークショー。

前のエントリーの続きはあとまわしで、急ぎのお知らせ。

2011/02/18「「食べ物」と「食べる」のあいだ。」に、「3月20日の日曜日、木村さんのトークライブがある。後日くわしい告知をするから、3月20日、予定しておいてちょーだい。」と書いたままだったが、主催者側から発表があった。

なんと、わめぞ主催の「鬼子母神通りみちくさ市」関連イベントの、ワメートクではないですか。これはまたひときわ楽しみでありますね。

ワメトーク vol.8 『あのとき食べた、海老の尻尾』刊行記念
木村衣有子×遠藤哲夫トークショー
「衣有子とエンテツ 愛しのごはん」

こちらで募集しています。
募集人員30名だから、お急ぎ申し込みください。
そして、どんどん宣伝、よろしくお願い申す。
http://kmstreet.exblog.jp/15626839/

みちくさ市も、きょねんは2回行ったと思うが、とても楽しい。

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「テレビサイズ」のグルメあるいは食べ歩き評論の行方。

前にも書いたが、ときどきテレビ局の番組制作の方から、制作の協力依頼がある。出演ではなくて、アドバイスや情報が欲しいということだ。おれは、大衆食に関わることなら、すすんで協力する姿勢である。

だけど、いわゆるグルメ番組の制作協力というのは、基本的なところで、こちらのアドバイスは通らないのは経験的にわかっている。アチラには、ある種の(たぶん視聴率を稼ぐためだろう)クライマックスの型とドラマのシナリオの基本線があって、そこからはずれることは、どんなに実態に即して正確なアドバイスでも、受け入れられることはない。

だから、エンディングに名前が出るような制作協力は断るけど、情報提供なら時間の許す限り、いくらでもやるというのが、おれのスタンスなのだ。じつに親切であり、一銭もカネにならなくても、アイツらタダで情報だけ取っていった、なんて、たしかこのブログにも書いたことはないはずだ。そういうセコイことは言わない。情報は共有されるほど、公正に近づくし、公正は、情報の私有や独占より大切だ。

有名人はもちろん、少しばかり専門的な分野で名が知られるようになれば、その名を利用したいひとや、なにかしら分け前にあずかりたいひとや、ま、いろいろうまいことをやりたい人が近づいてくるのは、当然なのだ。そして、誰でもが、腹黒いやつでも、悪質な犯罪行為でないかぎり、利用できる状態にあるのが、望ましい。「有名」というのは、公共つまりパブリックな存在に近いということだから、できるだけオープンにするのが、望ましい。つまり、有名ではなくても、ワタシというのは、いつも誰かに利用される存在であることが、望ましい。

ちょっと、用ができたから、続きは、あとで。

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2011/03/07

皿を割る。

きょうは、気に入っていた皿を、落として割ってしまった。

自分がどんな人間か、あまり考えたことはないのだが、そそっかしいのとは違うが、荒っぽい、雑である、慎重丁寧に欠ける、思い切りがよいとか決断が早いとか大胆とかと違うが、おっちょこちょいであるのか、石橋を叩いて渡るようなことをしない、すぐに瞬間的に決めたり行動する、挑戦的とか反逆的とは違うが、あるいは天邪鬼?選択が必要なとき、たいがいは選ばないなと思うことを選んでしまう、そうして、いろいろなものを壊してきて、家庭も壊したことがあるし、商売も壊したことがある。先日、少々酒が入ってはいたが、パソコンを壊したのも、こういうことが関係しているようだ。

皿を割ったのは、ひさしぶりだ。たいがい、欠かすていどで、そのかわり欠けている器が、けっこうある。これが、なかなか、欠け具合がよくて、風情が向上するから、欠けたからといって捨てられない。落としても割れない皿も、けっこうあって、これはよく落としている。ということは、割れる皿については、少しは慎重になっているのだろうか。

シンクのところで洗った皿を、水切りに移すとき、キチンとのらないうちに手を離す。皿は、宙で支えを失い、勝手に転がる。

皿を割ったあと、風呂に入って、なんとなく膝頭を見た。左の膝頭には、古傷が2つある。これだけは、消えない。スネなどに、もっとあったのだが、浅かったのか、探してやっと見つかるていど。膝頭の傷を含め、いくつかは、岩登りでの落下で、できた。あとから考えれば「紙一重」ということが何度かあったが、それはまあフツウだろうと思い、気にしたことはなかった。

額の真ん中、生え際に縦に凹んだ傷がある。これは小さいとき階段から落ちて転がり、下にあった机の脚の角にぶつけて、額が割れたあとだ。これで旗本退屈男の真似をした。小さいときは、ブランコや鉄棒から落ちたり、生傷が絶えなかったが、それはまあフツウだったと思っていた。

したがって、ようするに「反省」がない。そして、繰り返す。いまさら直らない。

腕、右か左かに、大きな火傷の跡があった。どうして、こんなところを火傷をしたのか思い出せないのだが、中学生の時、アイロンで火傷したのだ。そこが大きく、皮膚の色が飴色状に変色していたのだが、キレイになっていて、跡形もないのに気づいた。

それが右だったか左だったかもわからないし、思い出せない。しかし、そのように、火傷のあとが消えるとは、もしかして、皮膚の細胞が若いということ?そうか、おれの身体はまだ、そんなに若いのか。うーん、そういえば、いい肌しているねえ。この肉体に惚れない女はバカだねえ、と、風呂の中でバカになっていたのだった。

つぎは、何を壊すのだろう。

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2011/03/06

大衆食とB級グルメ。

「大衆食」なんてのを掲げていると、よく「B級グルメ」とまちがわれる。「B級グルメ」というものは、たいがい大衆食を「グルメの文脈」で語っているにすぎないのだから、混乱されるのは、やむをえないのだが、それにしても、おれが書いたりしていることは、グルメの文脈とはかなり違うと思うのだが。「B級グルメ」とは、ようするに、その大部分は、大衆食を「グルメの文脈」で語っているにすぎないということすら、知られてないのだな。

デジタル画像を編集加工する作業は、フィルム写真の現像や焼き付けに相当する作業が含まれると思うが、デジタル画像を専用のソフトでデジタル的な解析をしながら編集加工するところは、フィルム写真と違うだろう。

おれのような素人が使うのは簡単なものだけど、たとえば、いま使っているソフトでは、「露出」「彩度」「色合い」「温度」ってやつが、それぞれ、「基本色」であるところの光の三原色が、ギザギザの曲線に数値化される。ほかに、シャドウの調整がある。それらの混合が、画像なのであるな。

それで、自分で、ということはおれが使っているパソコンのモニターで見ながら、ウム、これがおれの求めているフィーリングだってあたりで決着つける。しかし、その画像をネット上にアップして、ほかの人が見る場合、モニターの条件は同じとは限らないし、受け手のフィーリングなどのこともあるから、どのように見えているかは、見当がつかない。それでも、自分なりの基準で見当をつけるものである。

味覚の場合、「基本味」というのがあって、その混合で成り立つといわれている。その基本味が、かつては4つ、つまり「甘味」「苦味」「酸味」「塩味」というのが、「定説」だった。それと、その味は、舌の場所によって感じる味が違う、よく知られているのは、甘味は舌の先で感じる、とかいったものだが。その両方とも、いまでは違っている。

この20年ぐらいのあいだに、基本味は、「旨味」が加わり5味になり、舌の場所によって感じる味が違うという説は否定され、舌のどこでも同じように味を感じることができると証明された。

ところが、きょうたまたま調べ物をしていて、気がついたのだが、まだ依然として以前の「定説」が流布しているのだ。いやあ、おどろいたなあ。「旨味」が、世界的に認められ基本味に加えられた話は、以前に当ブログに書いたと思うが、こんなにグルメだのなんだのと味覚について姦しいのに、その生理レベルのことですら、そんなアンバイなのだ。

それで、一方では、店の佇まいを見ただけで、この店はうまいかどうかわかる、なーんていう人もいるのだから、その「うまい」ってなんなの、いったいどうなっているの?といってあげたいのが、「グルメの文脈」業界なのだ。

どうも、音楽や絵画の世界に比べて、おなじ人間の感覚器官を使うことなのに、味覚の分野は、おかしな話が多すぎる。

ともあれ、この「味覚の一つである「うまみ」は舌のどの部分で感じるのでしょうか? 甘味は舌先、...」という質問に対するベストアンサーは、適切で素晴らしい。これぐらいは、早く常識になってほしい。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1431783629

ところが、まだ、堂々と4味で説明しているところが、少なくない。
http://health.goo.ne.jp/medical/mame/karada/jin038.html

自戒であるが、知識ってのは、更新しないとダメ、使いものにならないってこと。

ついでに。最近は、また6つ目の基本味が見つかったとかで、議論になっている。まだ決着の行方は、わからない。ようするに、人間のことは、わかってないことが多いのだから、食べ物のことで、しかも大衆食という雑多にして雑駁な分野に、グルメの文脈を持ち込んで、うまいまずいと、えらそうにしないほうがよい。知ったかぶりは、更新されてないカビのはえた教条となった知識をふりかざしていることが、少なくない。

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2011/03/05

読売新聞に「いとしの古墳」と、まりこふんさんたちが登場。

Kohun_yomiuri

きのう、知人から3月2日の読売新聞が届いた。おおっ、「くらし・家庭」の欄に「いとしの古墳 1」。「謎に興奮 ロマンに夢中」「「石舞台」「仁徳陵」歌い上げ」の見出し。

昨年12月21日東京カルチャーカルチャーの「古墳でコーフンナイト」で古墳ブルースを熱唱するMARIさんことまりこふんさん、いや、まりこふんさんことMARIさんか、とにかく、まりこふんさんの写真が堂々と。

リード文「古(いにしえ)のロマンを感じさせる古墳。歴史好きはもちろん、一般の若い女性ファンも増えている。魅力を紹介するトークショーが開かれたり、出土品が街おこしのキャラクターに採用されたり。暖かくなってきて古墳巡りに適したこの季節、今風の楽しみ方を探してみた。」

んで、まりこふんさんが、熱く語る。いやあ、いいねえ。鍵穴形の前方後円墳、かっこいいよな。おっ、古墳部長のスソアキコさんも登場して、「古墳部」を語っている。おっ、東京カルチャーカルチャーのプロデューサーで、「古墳でコーフンナイト」の司会者にして、「古墳銀座」といいたい奈良県桜井市の、しかも古代の天皇陵墓に関する定説あるいは伝説をくつがえすような発掘が昨年あった茶臼山古墳を遊び場にして育った、テリー植田さんも語っている。「グルメに詳しいフリーライターは当時の食べ物について話が膨らむ」ってあるけど、これは、おれは「グルメに詳しい」ことはないが、おれのことらしい。

とにかく、古墳や弥生、縄文については、これまでのジジイクサイ考古学的談義じゃない、もっと自由で新鮮な感性の楽しみ方があってよいと思うね。その時代は、何度か当ブログにも書いたように、エラソウな文字文化がないわけで、ロマンと想像力の、いい遊びと鍛錬にもなる。それに、いずれも目で見るアートってわけで、おかしな評論家たちや文筆家のおかげでおかしくなったアタマを矯正するにもいいのさ。それから、流布しているインチキな縄文料理に関するアレコレも、現場を見れば、インチキ加減もわかる。

おれたちは、文字文化によって、いろいろ難しく堅苦しく狭くめんどうくさいアタマになっている面もあるわけで、とにかく、古墳や太古の土器などにむかうと、いろいろ解放され、おおらかに気分よくなれる。

ああ、暖かくなってきたから、これから古墳巡りは、いいねえ。行きたくて、身体が疼く。

それで思い出したが、昨年のドン末12月31日の埼玉新聞、たまたま移動の最中に駅で買った。すると、「古代解明の資料続々」「考古学この1年」の見出し。「今年の主な考古学ニュース」という一覧には、たしかに、ほぼ毎月、大きな発掘発見があったのだ。「古墳時代 甲冑には大量の金」「飛鳥時代 正倉院宝物と判明」「奈良県の古墳で成果 陵墓指定揺るがす発見」「旧石器ー弥生時代 3センチの縄文ビーナス像」の記事。

これから、まだまだ古墳とそれ以前は、おもしろくなる。

ってことで、つぎの東京カルチャーカルチャーでの古墳トークは、4月24日日曜日の午後ですからね。まりこふんさん、スソアキコさん、テリー植田さん、おれが、たぶん揃ってテキトウにしゃべり、テキトウではないまりこふんさんの古墳ブルースが聴けるでしょう。

読売新聞さん、たまーに当ブログでチクルけど、どうもありがとうございました。

2011/01/13
「古墳でコーフンナイト」ライブレポートと大仙陵古墳周遊。

2010/12/22
やっぱり古墳はおもしろい、古墳にコーフンナイト。

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2011/03/04

ミーツ3月号「天満特集」品切御礼、『東京・横浜 百年食堂』好評発売中。

Meets01パソコン崩壊で、テレビも新聞もない我が家は、世間からうれしい孤立状態。NZで大地震があったのも知らず。

この間に、2011/01/31「これが、『ミーツ・リージョナル』3月号「エンテツ・衣有子の天満のぞき」だ。」に告知した、ミーツは品切となり、3月1日発売の4月号のバックナンバー紹介には、堂々の、品切マークがついた。おお、なんと、うれしいこと。

Meets1102_2おれがミーツに初登場の、2008年10月号「ザ・めし」特集も、一か月ほどで品切になったのだ。おお、おれが登場すると品切とは、おれは関西では、そんなに人気なのか。というのは、大まちがいで、これはもう、雑誌とまちの魅力を追求してやまない、ミーツの編集力の爆発なのだ。そしてミーツの編集力と仕事がやれるだけでも、光栄であり幸せであり、品切となれば、うれしいに決まっている。ミーツの編集さんには、毎号品切になるほど活躍してほしい。

買っていただいた方、どうもありがとう。買い逃した方、残念でした。いま発売中の4月号「昼めし、行かへん?」特集も、早く買っておいた方がよいよ。この表紙からして、たのしくうまそう。

100nensyokudo02そして、2月23日発売の『東京・横浜 百年食堂』も、好評驀進中。アマゾンでは在庫切れで待たなくてはならないようだ。東京と横浜、周辺から、長い歴史の食堂56軒を収録。おれは、「もっと大衆食堂へ」のタイトルで4ページにわたり、巻頭文を寄せている。さらに、大いに、よろしく。

映画『津軽百年食堂』も、4月2日公開に向かって試写会も開催され、好評らしいし。やっぱり大衆食、やっぱり大衆食堂だよ。

100nensyokudo01

と、画像の編集ソフトをつかってみたので、ここにアップする。イマイチ自分が思っているフィーリングにならないのだが、ま、使っているうちに馴れるだろう。

あと、きょう締切りの原稿を一本、無事にメールで送った。「「グルメ」の憂鬱」というタイトル。気になるタイトルでしょう。だけど、掲載の雑誌は、一般書店では手に入らないようだから、たいがいの方は、ご覧になれませんね。

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2011/03/03

人間もパソコンもネットも複雑怪奇。

とりあえず、パソコンで文章作成とメール送受信、ネット閲覧にブログの書き込みはできるようになった。問題は、OSがWinからLinuxに変わったことだ。まるで別の国に移住したように、いろいろ問題がある。そんなに多くはないのだが、ガスがあっても鍋がないていどには、大きな問題ではある。

いちばん大きな問題。外付けハードディスクにバックアップしておいた文章や画像を使おうとした。これは圧縮ファイルで保存されていて、解凍するとき「書庫マネージャ」というものを使う。書庫マネージャでは、「解凍」といわず「展開」というのだけど、まるで言い方が違えば役に立たないかのように、「展開」したファイルは見ることができない。つまり、過去の文章と画像は利用できない状態にあるのだ。これは、大問題ですぞ。

つぎに、ザ大衆食のサイトは、ホームページビルダーで作成していたのだが、ホームページビルダーが使えない。ブログに載せたりする画像の管理や加工などは、Picasaを使用していたのだが、これが使えない。でもまあ、これらは対処の仕方があるようだから、順次解決されるだろう。

問題は、やはり、文書や画像のバックアップを使えるかどうかなのだ。一度、書庫マネージャで「展開」しているし。どうなってしまうのだろう。

それから、もう一つの大問題は、こういう問題の対処のため、いろいろネットで調べると、まずLinuxや関係アプリのヘルプなどは、ほとんど英語の世界である。そのうえ専門用語だらけ。もう、ほんと、異国か別の星へ行ったようですね。

でもまあ、知らないOSとつきあうのは、知らない国の人と付き合うように楽しいし、それにLinuxや関係アプリの世界は、これまでのWinの世界と違って、その「思想」からして、なかなかおもしろい。

しかし、これまでの文章と画像が使えないとヒジョーに困る。いま原稿を作成している、次の本に使う予定の画像が、たくさんあるのだ。とにかく、まずは、誰かのWinのマシンを使わせもらって、バックアップの圧縮ファイルの状態を知る必要がありそうだ。ま、ゆるゆる対処していきましょう。とりあえず、一週間以内に原稿の締切りが2本あって、これはパソコンで作成しメールで送れる。

ところで、パソコンを壊したのは、2月19日か20日だった。その後、おもしろいことに、ときどき、腕を失ったように、カラダというか腕のあたりが疼いた。つまり、たぶん脳ミソの方が習慣的にパソコンに向かおうとするらしい。ところが、パソコンはない状態。腕から指先が、キーを求めて疼くように、カラダが疼く。やや中毒になっていたのだろうか、とすれば、おれはまだアル中ではない。酒を飲まなくても、このようにカラダが疼くことはない。

コンピュータは、たしかに人間の脳の外延なのかも知れないし、その相互関係のなかでは、人間がコンピュータの外延に位置してしまう関係もありうるようだ。ネットがないと「不便」「故障」を感じる関係は、すでにそういうものだろう。バーチャルとリアルの境界なんてなくなって、相互に浸蝕しあっているのだ。

などと考え、しばらくパソコンやネットのない暮らしもよいかも知れないと思った。たしかに、習慣的惰性的にハマっていた面はあるようで、いろいろ見直すには、よい機会になった。人間は、「支配」されやすいものなんですなあ。

とくにツィッターなどは、簡単だし楽しいだろうし、だけどよく考えると、個人情報保護法なんてのがあるのに、自ら進んで個人の家族や家の様子、友達関係をさらけだしているひともいるわけで、なんだかヘンなんだな。

その一方に、「匿名」だからという、根拠のない安心のようなものがある。それで、誰でもが見られる前でストリップをやるように、ぼろぼろ自分のプライバシーをさらけだしたり、面と向かっては言えないようなことを言う。そういうのって、プライバシーやコミュニケーション、つまりは人間として、望ましい在り方なのかと、まあ、哲学レベルのことまで考えたりしたのだった。

人間は「つながり」のなかに存在している。だから、匿名でやっていても、とくにツィッターのように、つながりが露出されやすいものは、そのつながりから、個人を特定する方法は、まったく不可能ではないわけで(フォローしあっている片方が匿名でも、片方が実名だったりしたらとくに)、そもそも「匿名」などというのはプライバシーの保護とは関係ないのだ。実名でこそ、守るべきプライバシーも自覚されるし、コミュニケーションの在り方も自覚される。

「匿名」なんぞに頼ったプライバシーやコミュニケーションなどは、それこそ幻想だろう。匿名でやるなら、小説を書くように虚実のオアソビがよいところ。でなければ、匿名でやっていても実名の覚悟で、やることだろう。

まだ、おもしろいことがあって、こうやって、ブログを書いている、その文字のフィーリングが、WinやIEのときとは違うし、もろもろフィーリングが違って、なんとなく文章の調子も違っちゃいそうなんですな。この間、原稿用紙に文章を書いていたのだが、パソコンで書くときと微妙に違っていて、それはまあ文体が確立していないし確立させる気もない自分の未熟なのだが、人間もパソコンもネットも不思議おもしろいと思った。

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2011/03/02

もう復活ですみません。

しばらくネットとはオサラバ。サヨナラだけが人生だ。
いつでも別れの覚悟はできています。
なーーんて言いながら、サヨナラの最後屁のニオイも消えないうちに、
けっこう早々と復活しちゃう。
ま、世の中そんなもので、天下の聖人も、そんなものなんですよ。

ああ、生々しい世俗、生々しい男や女たちとは、
なかなか別れられないものですなあ。
やっぱり、おれは、このデタラメで生々しい世が好きなのだ。

と、これは、テストの書き込みです。

これまでとOSが違うし、
いろいろフィーリングもちがうパソコンなので、
慣らし運転しながら、慣れていきます。

でも、チョイとやってみただけだけど、これは、けっこうよい機械です。
知名度もシェア低いけど、よくて優秀って、
ぐふふふふふ、おれもそうだけど、けっこうあるもんです。

ともあれ、そういうわけで、もしかして手書きの原稿がFAXで送られてくるのかと、
当惑されていたみなさん、ご安心ください、データでお送りします。

メールも、通常にもどります。

とりあえず、そういうこと。

しかし、ネットのない、あのバーチャルな暮らしも、よかったなあ。

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