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2011/04/29

GWは、東大宮がオススメです。

そりゃまあ、いろいろ行くところがあるでしょうが、まだ行き先の決まっていない人には、東大宮がオススメです。

東大宮のおもしろさや魅力は、「昭和」もない「平成」もない、「都会」でもない「田舎」でもない、ただ「まち」であるということなんですね。こういう「まち」は、いくつかあるような気がするけど、東大宮は、その特徴がきわだっていて、とてもおもしろい。「まち」考現学的価値が高いと思います。

まず、この「まち」には、まちをシンボライズするような、施設も建物も構造物も、文化も歴史もない。見方によっては、「なにもないまち」「中途半端なまち」ということになるだろう。

そこなのだ、おもしろいのは。ここには、「個」が集まって「まち」を成す、が息づいている。ようするに、駅と道路はつくられたが、あとは大きなビルやマンションが建つわけでなく、それぞれが好き勝手にやっている。だから、「まち」としては昭和も平成もないが、すごい昭和な店もあれば、平成な店もある。駅から歩いて10分圏内に、なし畑やぶどう畑もある。

メディアから飛び出したような、コギレイなオシャレだけで個性もなければ生活臭のない店や人とはちがい、味わい深い個性が、万華鏡のようにキラキラ輝いているのではなく、のんべんだらりんと混在しているまち。誰も「地域の発展」や「ブランド」や「イメージ」なんか考えていそうにない、とても得がたいのんびりな雰囲気が漂っている。

過剰な自意識の集合のような祝祭やアートや文化がでしゃばったりしない、普通の勤労者のまちなんだな。いつも、とても日常的なまちである。

ところが、このまちは、なかなか「グルメ」なまちで、いまやラーメン激戦地なのだ。インド料理アジア料理も競い、居酒屋ときたら低価格帯から中価格帯にひしめきあっているのが甲乙つけがたい。焼肉屋、韓国家庭料理、中華も個性的な店だねえ。とんかつ屋もうなぎ屋も、なかなかよい。そうそう、東大宮といえば、ホルモンセンターもある、ホルモン系をはずすわけにいかんな。うまいパン屋も菓子ケーキ屋もあるねえ。寿司屋も何軒か、おやきの店もあるな。「エコ見沼」の無農薬有機栽培などの店も人気だ。とにかく大賑わいはなくても、個人や小規模経営の路面店が元気だ。

そして、東西の駅前広場に面して「松屋」「すき家」「なか卯」があるほか、マクドナルドもモスバーガー、サイゼリヤ、バーミンヤン、牛角、銚子丸、はなまる、ぎょうざの満州などのチェーン店。ま、たいがいのものがある。

大学や私立の中高もあるせいか、若者も多いし、若いファミリーも多いし、老若男女のバランスがよいようだ。それから、なんといっても、東京から続く家並の「まち」が、ここ東大宮まで続いて途切れる「都鄙臨界地帯」の様子も一見の価値がある。

ま、こういう、「なんにもない」が、ひどく寂れているわけじゃない「まち」を散歩しながら、「普通のまち」について考現するのも、よいんじゃないかと。とくに東京の人は、東京に人を集めるようなことをしては、周辺から東京に集まるのがアタリマエという「まち」を考えやすい、自分中心のまちの見方が染み付いているようでもあるから、自分から周辺に足を運ぶという意識を持つことも意味があるだろう。

と、ほんとはジョーダンのつもりだったが、マジメな話になってしまった。

関連
2009/01/09
東大宮-蓮田、東北本線「都鄙臨界地帯」と麦味噌。

2010/04/17
東大宮で、『大阪のぞき』打ち上げ。鉄砲屋、昭和酒場コタツ、そしてよってってちゃぶだい。

2010/12/14
おもしろい、東大宮と蓮田と土呂の関係。

ほか、右サイドバー→カテゴリーの見沼区・宇都宮線・東大宮

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2011/04/25

古墳トーク大盛況御礼、泥酔し電車乗り越し。

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きのうはおとといの風雨から一転、爽やかな晴れ。10時半に東京カルチャーカルチャーに集合のため、8時過ぎに家を出る。

上野駅で立ち食いそばと思ったが、話に聞いていた喜多はなくなっていた。一軒だけあったのが、手打ちだのと気取ったそば屋で、なのに券売機方式で、かきあげそばが700円もする。東電のように独占営業で嫌な感じだったが、ほかにないから仕方がない入ると、カウンターに並んですわらされ、出てきたかきあげそばは、天ぷらとそばが別盛り。かきあげは山のように重ねて揚げているが中は空洞のスカスカのこけ威し。そばの量が少ない。ヒジョーに気分悪くしながら食べ終え。新橋へ。

本当は、大宮から埼京線経由で東京テレポートに出たほうが、早いのだが、天気はよいし、お上りさん観光気分でゆりかもめに乗り、青海下車すぐなのだが、お台場海浜公園で降りて散歩しながら行こうと。

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まあ、ほんと、埼玉の東大宮あたりから行くと、ここが同じ日本?という気分。が、しかし、そこにあった選挙の掲示板のセンスは、まさに同じ日本で、このギャップこそ脳みそのなかみかという感じ。なにも不審な点のないグロテスクな景色なのであった。

0424dscn0042東京カルチャーカルチャーは、建築荒野の中の遊園地という感じの観覧車の、脚の一番右側の斜め下あたりにある。すでにテリー植田さんがいた。スソアキコさんもあらわれる。おれは、缶ビールを買って、まずは一杯。まりこふんさんが、歌のリハーサルを始める。お店の方が、かわいい埴輪のイラストを描いた案内板を出す。などして、準備はすすみ、おれたち出演者も打ち合わせ。おれが作ったスライドは、前夜CDに焼こうとしたが、できず、けっきょく携帯ハードディスクにコピーして持参、テリーさんのノートパソコンに移して、プロジェクターに接続となった。

0424dscn0047開場は12時。その前から、野暮連の2名があらわれ、入り口でおしゃべりしていると、横浜から来たという「古墳が好き」という女性などもいて、始まる前から古墳談義。瀬尾幸子さんも来ちゃった。

前回は、会場の半分ぐらいのスペースだったが、今回は、フルに使用するほど、ほぼ満席状態。4つある大画面も全部使用して。女性が8割ぐらいいたね。古墳、チマタであやしく盛り上がっている雰囲気。

0424dscn0048出演者それぞれ飲み放題の飲み物を注文するのだが、おれはとうぜん生ビール。テリーさんの司会で12時半すぎスタート。今回は「古墳めぐりの旅 〜はにわの魅力をたっぷり味わおう!〜」であり、スソさんが撮影した古墳と埴輪の画像を、ふんだんに使いながら、おれはひたすら飲んで、めんどうな話はスソさんにふりながら、気楽にすすめる。

休憩はさみ、後半はまりこふんさんの、千葉の埴輪祭りを訪ねたスライドとトーク、そして、もちろん出ました埴輪ブルースと古墳ブルース。

で、まあ、15時すぎ、終わったころには、すばらしい泥酔状態。野暮連3人と、スソさんと瀬尾さんと、飲みに行こう、新宿へと勢いづく。てなことで、あとで考えたら、テリーさんやまりこふんさんにも挨拶しないで、さっさと会場をあとにしてしまったような気がする。すみません、テリーさん、まりこふんさん。そうそう、会場を出る前に、いらしていたお客さん、漫画家の町田とし子さんはじめ何人かの方と名刺交換をした。

一行6人、東京テレポートから大崎。乗り換えなのだが、おれは飲みすぎた生ビールで、ぼうこうが爆発寸前、我慢できず先に行ってもらって便所。スッキリして電車に乗って座ったのがいけなかった。気がついたら赤羽。降りて瀬尾さんに電話すると鳥園の2階だという。もどって、やっと合流したのだが、もう泥酔状態で、なにを話していたか記憶なし。

0424dscn0051帰りは、ヨレヨレグテグテで、たしか新宿から埼京線で赤羽に出て宇都宮線に乗り換えて、座ったのだと思う。いつもなら混んでいて座れっこないのだが、とにかく、それでまた乗り越してしまった。気がついたら新白岡。そんなぐあいで、やっと帰り着いたのだった。はあ。

いやあ、それにしても、大勢のお客さん、ありがとうございました。とにかく、大いに古墳を楽しみましょう。

いま気がついたけど、このスライドの表題の画像、日にちが28日で違っているじゃないか。
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2011/04/23

春の嵐に、そうめんを買ってしまった。

きょうは、荒れ模様の天気。強い風、ときどき強い雨も混じり。

明日の古墳トーク@東京カルチャーカルチャーに使うスライドを朝から作り、夕方に完成。ま、おもしろくできたのではないかと思う。

夕飯の買い物に出たのだが、出かけるときは、風は強いが雨は降っていなかった。それに、チョイと蒸し暑い感じがした。なんだか、そろそろそうめんだなあ、と思ってしまった。そして、そうめんを買ってしまった。

これから(23時すぎ)食べるのだが、けっこう寒いではないか。ストーブつけて、そうめん食べるか。

明日の、古墳トーク、よろしく。いまからでも遅くない。スライドにする埴輪の画像を見ていたら、力士や鷹狩りや鵜飼の埴輪があって、おどろいた。

Takagari

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2011/04/21

サバイバルグッズ。

かつて「サバイバル」がブームになったことが、俺の記憶では2回ある。年表など調べると、最初は、1978年で、「昭和・平成家庭史年表」の「ブーム」に「サバイバルグッズ」が載っている。2回目は、1980年代後半のバブルの頃だったと思うが、手元のどの資料にも、みつけることができない。

78年のサバイバルグッズのブームは、なぜなのか思い出せないのだが、たしかアウトドアレジャーの人気が背景にあったと思う。小学館のアウトドア雑誌『BE-PAL(びーぱる)』の創刊は、1981年だし。

ちなみに、この年の6月12日にM7.4の宮城県沖地震が発生している。死者27人、重軽傷者1227人、全壊家屋651戸、半壊家屋5450戸。さらに、ちなみに、3月19日には福井県敦賀市の国産初の発電用原子炉「ふげん」が臨界になり、7月29日送電を開始している。

アウトドアスポーツ関係では、3月9日、長谷川恒男さんが、初のアイガー北壁冬季単独登頂に成功。4月30日、植村直己さんが、犬ぞりで単独北極点到達。といったニュースがある。

80年代後半の「サバイバルブーム」は、グッズというより「サバイバル思想」や、それにからむ出版のブームだったような気がする。ノストラダムスやハルマゲドンなどに連なる「地球終末思想」というか。もう地球は終わりよ、あとはどれだけ生き残れるかだけ。彼岸花の根は、イザとなったら食用になるから、たくさん植えておいたほうがよいといったことを、まことしやかに話している連中がいた。そんな空気のなかで、オウムが勢力をのばしていた。

Lanp_2今回の大地震災害と東電原発災害は、どちらも収束の見通しが立たず、サバイバルな状況が続いている。こんな時でもなければもらうこともないだろう、アルコールランプとアルコールをもらった。もちろん、アルコールは飲んではいけない。

ランプは直径5センチほどの小さなものだが、もっと大きなものもあり、好きなのを取ってといわれたもんで小さいやつにした。ランプであるが、コンロにもなる仕様。スチール製のマグカップに水を入れてのせれば、けっこう早く沸くのだそうだ。むかし、高校の山岳部時代に使っていた、アルコールランプと比べると、ずいぶんシンプルでかっこいい。

高校の山岳部時代は、まだアルコールランプも使っていたが、石油コンロやガソリンコンロが主流であった。社会人になってからは、ブタンガスのボンベが安く出回り、もっぱらガスコンロになった。たたむと片手におさまる大きさで、重宝した。

これと、一人用のスイスコッフェルと寝袋にツエルトという1人寝のテントがわりになるやつをザックに入れて、これさえあれば、家なんかなくてもいい、なーんて言っていた。ほんとに家に帰らず離婚になった。

雪中も含め、サバイバルはキッチリ仕込まれ訓練したし、山中の野宿は何度もやっている。ま、下界での野宿も、泥酔して何度もやっているが。

自慢じゃないが、いまだって、気がつけば一週間風呂に入ってないことも、珍しくない。今回も、夜中に地震で揺れているのに、イビキかいて寝ていたとも言われる。ま、むかしは、台風で窓ガラスが割れても気がつかないで朝まで寝ていたことがあったし、目が覚めたら山小屋の隙間から入った吹雪の雪が横に積もっていたということもあったが。ようするに、これらは訓練のたまものではなく、ズボラなだけなのだ。

が、しかし、たくさんの人たちと一緒に過ごす避難所の生活とは、大いに違うだろう。それに、あったかいめしやみそ汁が食えない生活は、想像しただけでも地獄である。山でだって、カップラーメンやインスタントラーメンだけで何食も過ごすなんて、とても考えられない。それを「下界」で続けざるを得ない人たちがいるのだから、とんでもないことだ。

サバイバルは、レジャーだから、レジャーのうちが、よいのだ。

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2011/04/19

24日「古墳めぐりの旅 〜はにわの魅力をたっぷり味わおう!〜」は、おもしろい画像が見られる。

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きのう。あたふたいろいろ片付け、いや、片付かないうちに、昼頃ウチを出て、中野へ。まずは、やどやゲストハウスのブランチへ。ボスとまりりんとあれこれオシャベリ。のち、16時ごろ、近くのスソアキコさんのアトリエ。

60年代の建物という、4階建てだがエレベータはない、渋い鉄筋コクリートの一室は、帽子作家のアトリエらしく、ミシンやら帽子やらで一杯。

24日のトークに使用する画像や資料などを受け取る。今回は、埴輪(はにわ)の魅力をたっぷり味わおう!ってことなのだが、もうそれにピッタリな画像があった。さすが、古墳部長!

17時半ごろ、スソさんと駒忠へ。飲み始める。アメリカからのゲストを迎えてから来るボスとまりりんを待つが、一通り飲んで食べてもあらわれないので、北口の駒八へ移動。すぐに彼らも合流。なんだか、よく飲んでオシャベリ。

中野駅で、みなさんと別れて、あとは、ようするに泥酔記憶喪失帰宅。

Cimg4323きょう、スソさんから借りた画像と資料を見ていると、ほんと、おもしろくてほかのことが手につかない。『大王陵発掘!巨大はにわと継体天皇の謎』(NHK出版)、群馬県立歴史博物館の開館30周年記念展のカタログ『国宝 武人ハニワ、群馬へ帰る!』、群馬県かみつけの里博物館常設展示解説書『よみがえる五世紀の世界』など、カッパエビセンのようにやめられないとまらない状態。コーフンして、ボーゼン。まさに、はにわは「無文字社会からのメッセージ」だ。

ああ、もう暗くなってしまった。夕飯の仕度して、古代人と酒盛りをしよう。

スソさんが撮影した、群馬の保渡田古墳群の画像の一部を掲載する。1500年前、このあたりは、岡山(吉備)、奈良(大和)に並ぶ、王の集落があり栄えており、埴輪も国宝級のすばらしいものがあるのだ。

しかも、その生活と文化は、榛名山の爆発で、一瞬のうちに火砕流などの下に閉じ込められたという、ボンベイのような出来事まであって、4メートルほど下の地層から発掘された。祭祀や狩りの様子、田んぼの畔に残る人の足あとまで、当時の生活の生々しい息遣いが伝わってくる。

24日当日は、これらの画像をスライドに編集して、トークと共にご覧いただく予定。きっと、おもしろいよ。

よろしくね。詳しくは、こちら、東京カルチャーカルチャー@お台場のサイト。
http://tcc.nifty.com/cs/catalog/tcc_schedule/catalog_110307203432_1.htm

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2011/04/16

準備はいいか、24日の第2回古墳トークin東京カルチャーカルチャー@お台場。

ついに、あと一週間後になってしまった、東京カルチャーカルチャー@お台場の古墳トーク。今回は、「古墳めぐりの旅 〜はにわの魅力をたっぷり味わおう!〜」ってことで、ようするに「はにわ=埴輪」である。

あー、「はにわをめぐる」を略して「はにわル」とでもいうか。

埴輪。こんなものを、どうして墓に飾ったのかという不思議もおもしろいが、そのアートは古墳時代以前の弥生や縄文の土器まで遡って深いものがあり、興味はつきない。ま、日本のファインセラミックス技術の源流ともいえるか。とにかく、そのいろいろなカタチや文様を眺めているだけでもあきない。

Open 12:00 Start 12:30 End 15:00 (予定)
前売り券1500円 当日券2000円(飲食代別途必要・ビール¥600など)
こちら、東京カルチャーカルチャーのサイトに案内があります。
http://tcc.nifty.com/cs/catalog/tcc_schedule/catalog_110307203432_1.htm

はたして、どういうアンバイになるか。前回と同じ顔ぶれは、スソアキコ古墳部長、古墳ブルースの女王まりこふんさん、東京カルチャーカルチャーのプロデューサーで古墳銀座の奈良県桜井の出身で、注目の茶臼山古墳を庭にして育ったテリー植田さん、そしてただ飲むのが好きでボンヤリ古墳部参加のおれ。

準備は、どうなってる?どうもなっていない。どうもなっていないが、来れば大丈夫、楽しめるに決まってる。まりこふんさんの、古墳ブルース、はたまた埴輪ブルースは、でるか。大いに期待したい。

おれは、来週はじめにスソさんから、埴輪の画像資料などを受け取りスライドをつくる予定。写真は、まりこふんさんもあるはずだから、ふんだんに楽しめるでしょう。おれはまあ、飲みほせばスグおかわりが出てくる生ビールを飲みながら泥酔トークとさせてもらいます。

みなさんの準備は、どうか、できているか。24日の正午から午後のスケジュールをこれにあて、上のリンクから前売りを買えばよいだけ。

よろしく頼んだよ~。

はあ、それにしても忙しい。もう日にちも曜日の感覚も無くなっている。

4月14日のツイートから。
ハードな日々だ。しっかり深呼吸して。腹にふてぶてしい覚悟、胸に凶悪なスピリッツ、脳みそはカラ、口からめしと酒を流し込み、このゴミクソな時代を突っ走ろう。

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2011/04/14

法的根拠のない「自粛」を行政や行政の長が「要請」するおかしさ。

スーパーのイオンが千葉県出荷自粛要請「サンチュ」を販売したことが、きょうのニュースになっている。

とくに東京では知事選ということもあり、同じような「自粛」騒動があった。花見については「自粛」が守られなかったとしても、問題にならず、むしろ歓迎される声も少なくなかった。なので「自粛」の法的根拠は、問題にならずに終わってしまった。

そもそも、「自粛」というのは、行政から「要請」されてやるものなのかという声もあるのだが。なにをするにも法的根拠が必要であるがゆえに、どんなに目の前で人が死ぬような不幸があっても法的根拠のあるなしを厳しく遵守する、行政や行政の長が、法的根拠のない「自粛」を「要請」するなんて変態もいいところで、その矛盾が、花見のときにはあらわれなかったが、この件については、隠しようもなくあらわれた。

ってことについて書きたいのだが、チョイとまだ忙しいので、とりあえず関連の資料だけ掲載しておく。

この件について、おれがチェックした範囲では、法的根拠にまでふれているのは、FNNだけのようだ。FNNらしいともいえるが・・・。

とにかく、どうやらこの「自粛」は、法的根拠はなくても、「(産地)ブランド」を守るためというのが錦の御旗になっている。言い方を変えれば、ブランドを守るためなら、法的根拠のないことでもする、ということになる。これはチョイとコワイことではないか。

そして、仕入れ担当者に全ての責任が負わされて終わるのだろう。
いつも、役人は責任をとらない。あるときは法をつかい、あるときは法にない錦の御旗をたて、あるときは政治家をつかい・・・自分は、その後ろに隠れる。


東日本大震災:イオン、千葉県出荷自粛要請「サンチュ」を57店で誤販売
http://mainichi.jp/life/food/news/20110414ddm041040167000c.html
毎日新聞 2011年4月14日 東京朝刊

旭市産のサンチュからは3月22日の検査で1キログラムあたり2800ベクレルの放射性ヨウ素が検出され、千葉県が同市に29日、出荷自粛を要請した。ところがイオンによると、同市が28日に行った検査では規制値を下回ったため、旭市の野菜卸業者が出荷再開をイオンの買い付け担当者に相談。同担当者が独断で入荷・販売を決めたという。

農林水産省は「出荷自粛に強制力はないが地域全体で自粛することがブランドを守ることにつながるので今回の事態は残念」と指摘。全国の食品流通関係団体に対し13日、出荷停止・自粛対象の農産品を仕入れないよう周知徹底を要請した。


出荷自粛「サンチュ」店頭販売問題 「出荷制限」と「出荷自粛」めぐり混乱も
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00197372.html
FNN(04/14 00:36)

なぜ、「出荷自粛中」の野菜が市場に出回ったのか。
イオンでは、自粛対象の野菜などは販売しない社内のルールを設けていたが、バイヤーの判断で仕入れを行ったという。
問題のサンチュを生産した業者は、「出荷自粛後の検査で暫定規制値を下回ったことで、出荷した」と話しており、イオンによれば、売り場から撤去したサンチュを検査した結果、検出された放射線量は、国の暫定基準値を下回ったことを確認したという。
出荷の自粛をしていた野菜が出回る事態に対し、政府や千葉県の考えは煮え切らない。
千葉県農林水産部は13日午後5時ごろ、会見で「客観的なデータをお持ちのうえの対応ということもありますので、相手の業者の方のご理解もいただいた中で進められたことだということですから、まったく理解できないということではないのかなというふうには思っています」と述べた。
枝野官房長官は「県に対して、適正な管理をするよう要請をしたところでございますが、出回っていたもの(サンチュ)については、出荷規制の対象のものではありませんし」と述べた。

サンチュの店頭販売問題について、混乱を招いた要因の1つに、行政の対応がある。
農産物からの放射性物質検出を受け、当初打ち出された「出荷自粛」は、自治体が農協などに自粛を要請するもので、明確な法的根拠はない。

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2011/04/11

揺れる日常。

というタイトルを思いつき、気に入ったので、とりあえず書いてみた。

きょうは、3月11日の地震から一か月。あれから、とにかく揺れつづけ。大きな余震が何度かあって、地震で揺れるし、東電原発放射能で揺れるし、停電で揺れるし、もちろん心も体も生活も揺れつづけ。政治も揺れてますなあ。あちゃこちゃ、ぐちゃぐちゃに揺れています。ま、恋心だけは揺れないのだが。相手にされないものでね。

もう、酒で揺れているのか、なんで揺れているか、わからん状態。とりあえず、きょうの17時16分ごろの、福島県浜通りを震源とする6弱から2時間ぐらいは、こんなアンバイだ。震源地のほうでは、新たに死者が出たり、終わりのないゆらゆらが続いて、ほんと大変ですよ。

6弱のとき、ここ東大宮あたりは4か5弱ぐらいで、3のときは1か2ぐらいあるから、なんだか絶えずゆらゆらしている感じだ。そういう一か月目なのです。

東電原発のほうの深刻化は、ますます深まり、これからのほうがヤバイことになりそう。

もう大揺れですね。これから先の見通しもなく、揺れ揺れ混沌としている。飲食店は売上大幅ダウンで、その前から不況続きで売上が落ちていたところも多く、これから5月にかけ閉店が出そうな話がある。寝不足、不安、疲労蓄積、いろいろまいってきている人もいるようだ。たしかにねえ。「がんばろう」ムードってのもあって、緊張を強いられるのだけど、心身ともにリラックス柔軟にしといたほうがいいと思うね。

むにゃむにゃむにゃ、ってことで、酔いで体が揺れているから、おしまい。ゆらゆらゆら~。揺れて揺れて、どこへ行くのでしょうか~。ヨツパライ深夜便でした。

2011年4月11日 19時25分 2011年4月11日 19時19分ごろ 福島県浜通り 3
2011年4月11日 19時13分 2011年4月11日 19時9分ごろ 福島県沖 3
2011年4月11日 19時9分 2011年4月11日 19時5分ごろ 福島県浜通り 3
2011年4月11日 19時5分 2011年4月11日 19時2分ごろ 福島県浜通り 2
2011年4月11日 19時3分 2011年4月11日 19時0分ごろ 福島県浜通り 3
2011年4月11日 18時58分 2011年4月11日 18時55分ごろ 福島県浜通り 3
2011年4月11日 18時57分 2011年4月11日 18時53分ごろ 福島県浜通り 3
2011年4月11日 18時52分 2011年4月11日 18時48分ごろ 福島県浜通り 3
2011年4月11日 18時48分 2011年4月11日 18時45分ごろ 福島県浜通り 3
2011年4月11日 18時45分 2011年4月11日 18時42分ごろ 福島県浜通り 1
2011年4月11日 18時42分 2011年4月11日 18時39分ごろ 福島県浜通り 2
2011年4月11日 18時40分 2011年4月11日 18時35分ごろ 福島県浜通り 4
2011年4月11日 18時34分 2011年4月11日 18時30分ごろ 福島県浜通り 3
2011年4月11日 18時31分 2011年4月11日 18時28分ごろ 福島県浜通り 1
2011年4月11日 18時26分 2011年4月11日 18時23分ごろ 福島県沖 3
2011年4月11日 18時23分 2011年4月11日 18時19分ごろ 宮城県沖 2
2011年4月11日 18時16分 2011年4月11日 18時12分ごろ 福島県浜通り 3
2011年4月11日 18時9分 2011年4月11日 18時5分ごろ 福島県浜通り 4
2011年4月11日 18時2分 2011年4月11日 17時58分ごろ 福島県浜通り 4
2011年4月11日 17時54分 2011年4月11日 17時51分ごろ 福島県浜通り 3
2011年4月11日 17時49分 2011年4月11日 17時45分ごろ 福島県浜通り 3
2011年4月11日 17時38分 2011年4月11日 17時33分ごろ 福島県中通り 3
2011年4月11日 17時32分 2011年4月11日 17時26分ごろ 福島県浜通り 5弱
2011年4月11日 17時25分 2011年4月11日 17時17分ごろ 福島県浜通り 5弱
2011年4月11日 17時20分 2011年4月11日 17時16分ごろ 福島県浜通り 6弱

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2011/04/10

「不況に強い、と言われる粉もん」ってわけで、粉もん焼もん。

発売中の『ミーツ・リージョナル』5月号は、「関西ナポリ化進行中。 ザ・ピッツァ!」特集だ。その編集前記は、「関西人の新たなソウルフードがナポリピッツァだ。」の見出しで、「不況に強い、と言われる粉もん。そして、関西人は粉もんが好きだ」という書き出し。

はっきりどこに書いてあったかの記憶はないが、確かに、粉もんは不況に強いといわれてきた。「貧乏人は麦をくえ」といった大臣もいたぐらいであり、米を作りながら、米をくえない貧乏人は、粉もんを食べてきたということもある。不況とか、関西とかに限らず、粉もんは貧乏に強いといえるか。

それとは直接関係ないが、お好み焼、広島焼、どんどん焼、ちぢみ、フライ・・・どんな名前がどれだけあるか知らないが、近頃そのたぐいが気になって、折あるごとに、あれこれ作ってみている。これが、やりだすとおもしろくてたまらん。

基本は、溶いた粉を、フライパンの上にのばし、その上に具をのせて焼くか、溶いた粉に具を混ぜて焼くか。その具を、あれこれ変えたり、組み合わせたりする。これに味付けやソースとの組み合わせが加わるから、やりようはいろいろあって、切りがない。

おもしろさの一つは、焼き方で、かなり味や食感が変わることだ。その微妙なこと、焼きあがって窯から出すときのコーフンが病みつきになるといわれる、陶器などの、「焼き物」に似ているかも知れない。おなじように焼いたつもりでも、いちいち微妙にちがうのだ。

あれこれやってみながら、うーん、料理のおもしろさは、やはり熱の利用の仕方かも、と思ったり。

きのう、仙台で被災後、初めて来京した言水ヘリオさんを囲んで「路地と人」で飲み雑談した。正しくは「新年度会」なのだが。それはともかく、地震のあと、電気だけ先に通じたし、米が手に入らないこともあって、しばらくのあいだ、名前はなんていうのか、粉をセットしておくとパンが焼きあがるやつで、パンを焼いて食べていたそうだ。このパン焼き器は失敗することなく、うまく焼きあがるとか。

とにかく、やっぱり米を食べないと落ち着かない新潟の米どころ育ちのおれだが、うまい米が貧乏に強いということでないと、「米は主食」の行方は、農業の行方とも関係し、じつにおぼつかない。と、おもいながら、こんどは、どういう具で、どんな風に焼くか、アレコレ考えているのも楽しい。

それに、もし粉もんが不況に強いとなれば、これから大いにやっかいにならなければならない。

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2011/04/08

それでも花は咲く。

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人間世間は「自粛」だの「自粛反対」だのとカシマシイが、関係なく花は咲く。咲けば目に入る、見える。見れば、気分はよい。

たしか、長崎か広島の原爆で焼けただれたはずの桜の木が、翌春に花は咲かなかったかも知れないが芽を出し、その翌年の春には花をつけた、というような話もあった。関東大震災のときも、桜の木ではないが、焼け死んだと思っていた木に芽がでて、それを見て生きているよろこびを感じたという話もあったと記憶する。あてにならない人間世間より、自然の方が生きる「希望」を与えてくれることがある。

そんなことを考えちゃう、ことしの花見。きのうは、午後からあたたかくなったので、花は満開ではなかったが、花見としゃれた。だけど、日が陰ると、寒かった。

画像。最初のは、ウチから数十秒ほどのところにある公園。あとの2点は、ウチから駅へ行く途中の、年に2度ばかり掃除当番がまわってくる公園で、隣接する2方面に菜の花畑がある。菜の花の期間は長く、きょねんは、うまいぐあいに桜の満開と重なったが、ことしは桜の方が遅れている。

この土日が満開の見頃になるかと思うのだが、明日の予報は雨。雨となると放射能が気になる昨今。放射能のリスクを環境として、過ごさなくてはならなくなったのだ。首都圏においても、原発賛成だろうが反対だろうが、この状態を受け入れ、どう放射能と付き合うかが、日々の生活の課題になった。

地震から1か月が経過しようというのに、東電原発災害の沈静化のメドは立たず、どころか隠されていた被害と汚染は深刻であり、原子炉のいくつかは地震以後最も危険な状態にある。花見のあとの昨夜は、また6強の大きな余震があり、なかなか落ち着かない日々だ。

ま、それでも花は咲く。せっかく咲いているのだから、愛でよう。「自粛」したい人は、「自粛」なのだから、人に強制することなく静に粛々と自粛していればよい。

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2011/04/07

不況+災害不況で、消費のススメの声高し。

百年に一度とかのミゾウユウの不況も片付かないうちに、千年に一度とかの地震と津波、そしてありうべからざる(とわけのわからん日本語をつかいたくなるほどの)東電原発災害が重なり、不況の行方は混沌としながら、粛々と(とこんなときつかう言葉かどうかは知らないが)迫ってきている気配だ。

で、ツイッターなどでも、大いに外めし外のみをやって消費し、経済をまわそうという声が、けっこうある。けっこうなことである。が、モンダイは、きょうの飲み代にも事欠く不況が、その前にあったのであり、大いに飲んでカネをつかい、消費の落ち込みから経済を救おうと、雄々しく立ち上がりたいのだが、ナイ袖はふれぬ。

すでに、この災害によって、被災地ならずとも被災地のように休業せざるをえず、しかも、その給料は払う必要なしというお上のお達しもあるらしく、おれの身辺にも休業給与カットをくらっているやつが出ている。都会的生活で現金収入の途が閉ざされるのは、放射能災害より速攻的に怖い。かくて、消費のススメの声は高いのだが、その効果は、どのていどあるか、あまり見通しはたたない。

震災前、飲食店は、ただでさえチェーン店の安売競争が激しかったのである。厳しい声をきく。そして、ところが、ほかで稼ぎが難しくなった人たちが、参入障壁が低く日銭が入る飲食店を開業する動きもある。

そんなこんなで、日にちがまわって、いま24時半近くなのだが、おれの頭は、酒のせいもあるが、さっぱり整理がつかない。

深夜、こうしてブログを書いていると、ミシミシミシ、地震の音ではなく、生活の基盤がひび割れていく音がする。ただでさえ、10年以上、全部が経済的理由ではないが、自殺者が3万人こえていたのである。

酒は鬱を深めるというから、キケンだ。酒、やめよかな。
な、わけねーだろ。
金はあるけど酒は飲めないし困っている方、おれにご相談ください。

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2011/04/05

平常更新にもどりつつ、その後のあれこれ。

地震のころから、ブログの更新が1日おきになったり、滞りがちだった。どうやら、それなりにストレスなのか、これまで泥酔状態でも、いや泥酔状態ならばこそ、ブログを書いていたのに、飲むと疲れて、すぐ寝てしまっていた。

しかーし、2011/04/01「地震で変形した道路が見られる新橋の夜は、普通だった。東京の普通の力。」は、泥酔記憶喪失状態で書いたのであり、覚えがなかった。ってことで、このあたりから、平常の調子にもどってきたようだ。

この間に、あった、周辺的ビッグ・ニュースを忘れないうちに書いておこう。

2010/09/04「東大宮、黄色いラーメン戦争?」に登場の、ウチから東大宮の駅へ行く途中にあった、黄色い看板を出しまくる姿に「必死」な生き残りが見られた、「ラーメン・ボンバイエ」が閉店した。取り壊しを始めたのは、10日ぐらい前だったか? とにかく地震のあとだが、地震の影響ではないだろう。移転かと思ったが、とくに貼紙はなく、いまではビルの空室にもどっている。

つぎ、これは、まあおどろいた。

俺はツイッターをやっていて、東大宮の昭和酒場コタツの方と相互フォローの関係にあるのだが、そのツイッターに去る29日だったかな、「バベッド焼鳥コタツ」開店のツイートがあった。なんと、昭和酒場コタツのカンボジア支店なのだと。こちら吉村耕平さんのブログをごらんあれ。
http://ameblo.jp/kouhei0051/entry-10848874337.html
いやあ、東大宮は、個性的な飲食店が多く、わけのわからんおもしろさ。

えーと、ついでに、告知になりますが、地震や津波に続く、東電原発災害は深刻の事態が続いて、とかく外国人がすぐ逃げ出したニュースばかりが目立って、なかには出所の不確かな情報をもとに特定の国の人たちだけを標的にして傷つけるようなものも少なくなかった。

外国人の責任ではなく、日本人の責任において、事態は沈静化していないのだけど、東京に外国人がもどりつつあるのも事実で、中野のやどやゲストハウスは、こういう大変な中で、4月1日に10周年を迎え、一度出国したけどもどって来たゲストや、あらたにこんな日本にやってきたゲストもいて、新しいイベントも企画されている。

まずは、これ。
「今月から毎週火曜日3ヶ月間「アンナピエルカフェ」フランス女子が夕飯を作って一緒に食べる、というイベントもしてますので。宿泊しなくともワンコインで参加できます!」
http://yadoya-staff.jugem.jp/?eid=2

そのアンナピエルが、この時期東京で暮らす外国人目線で世界に発信するブログ。
http://yadoya-staff.jugem.jp/?eid=3

お花見もあるのだけど、ま、とりあえず、そういうことで、いろいろありますが、いろいろやりましょう。
支援の人たちにも、疲れが見える人がいるけど、長期戦だから、それなりに息抜きしながら。

俺のツイッターは、こちらです。
http://twitter.com/entetsu_yabo

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2011/04/04

高円寺、中高年初老の酔っ払い、コクテイル。

なんだか、おかし楽しい日だった。もう、日にちをまたいだから、きのうのことになる。

高円寺駅に16時集合だったが、おれは、いろいろ片付かず18時ごろになった。そのときには、みなさんは銭湯の上杉湯に入り、一徳で一杯やり、18時には開店早々のコクテイルに行く予定になっていた。

そのつもりで、遅れた俺が、高円寺の駅改札口を出ると、S尾さんが待っていた。銭湯から出て、一徳で飲み始めたら、腰が落ち着いたので、そこでそのまま飲むことになったという。俺は、酒さえ飲めればどこでもよいのだから、あいよ、わかった。

一徳には、すでに、M野さんとN原さんが、もうけっこうなよい雰囲気。そりゃそうだ、風呂上りで、1時間近く飲んでいるんだもの。俺も、追いつくように、がんがん飲む。生ビールからホッピー。

とにかく飲んで、イチオウかんじんな話もし、そのうち、どこでどういう話になったのか、なんだかんだ話しているうちに、N原さんが、「海炭市叙景」を上手に紹介したのか評したのか、とにかく、その岡崎武志さんの紹介とか評とかがとてもよかったと、言い出した。それで、ひとしきり岡崎さんの話に。

それじゃあ、岡崎さんと縁の深い店なら、やっぱりコクテイルだろう、やっぱりコクテイルへ行こうとなる。確か、M野さんが電話して、席が空いているかどうか確認したように思う。とにかく、行ったのだ。

以前のコクテイルは一度行ったことがあるが、移転後は初めて。おお、なんだか、風格ある佇まい。

ところが、ドアを開けて入ったとたん、S尾さんが「岡崎さん」という。なんと、見れば、カウンターに、先ほどまで話題になっていた、岡崎さんがいるのだった。

こんなことってあるの? あったのだ。いやあ、人がたくさんぐちゃぐちゃいる東京で、しかも初めてのコクテイルで、こんな遭遇があるのだ。

ま、とにかく、そういうわけで、N原さんは、「海炭市叙景」を上手に紹介したのか評したのか岡崎さんと会えたし、S尾さんも思いがけなく、岡崎さんに会えて(というのも『みんなの大衆めし』で、俺も一緒だったが、岡崎さんにインタビューされて以来だったから)よろこんで、とにかく、静かなコクテイルをうるさくして、とても気持ちよく酔って、高円寺駅で解散したのだった。

なんだか、酒飲んでいると、思いがけなくよいことがあるのだなあ。

しかし、M野さん、S尾さん、N原さん、俺が飲んでいると、どうみても、どうみなくても、単なる中高年初老の酔っ払いで、いやはやいやはや。こういう景色、なんていうのか、言い方があったような気がするけど。

と、今夜は、M野さん、S尾さん、N原さんで書いてみた。

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2011/04/03

初めてデジタル雑誌、『食べるヒント』に寄稿した。

今回の大地震で、インクや紙の供給が大きなダメージを受け、出版の電子化が一気に加速する気配であるらしい。とくに、コミック誌のばあい、大きく舵を切ったといえる。

そんなわけで、俺のようなアナログ人間でも、その流れとは無縁ではないらしく、お声がかかり、初めてデジタル雑誌というものに寄稿し、初めて「見本誌」?というものをいただいて見た。

これまでもWEBページでの連載はあったし、自分でもサイトをやっているのだが、デジタル雑誌となると、やはりずいぶん感じが違うものだと実感した。慣れないせいか、モニターで見る「誌面」の自分の文章が、自分が書いたものだという実感がわかない。けっきょくプリントアウトして見て、ふむふむ、だった。

なにはともあれ、宣伝。

『食べるヒント』創刊号、525円。眞人堂株式会社の電子書籍販売サイト「V-LABEL」で、入手できます。
http://shinjindo.jp/store/topics/taberu_1.html

編集長の福島徹さんは、株式会社ユナイト代表取締役です。東京の多摩地方で、良質な経営と商品で評判の高いスーパー福島屋を経営し、さらにその理念とノウハウを広く食の分野で展開しようと意欲的な方です。
https://ssl125.heteml.jp/unite22/unite22/index.html

今回の号を見た感じでは、どちらかといえばカタイ内容だけど、これからの消費者は知っておいて欲しい内容ばかり。そして、そのカタイなかで、俺が書いた「米の醗酵という変身ロマン」だけは、タイトルからしてそうだけど、とてもヤワラカイ読み物。

今後も続けて発刊になれば、毎号読み切りの連載の予定なのだが、まずは今号の売れ行きしだい。大いに応援よろしくお願い申す。

俺に声をかけてくださった、『暮らしの手帖』などで活躍している瀬戸山玄さんも、たっぷり書いています。

【目次】
巻頭言 編集長・福島 徹
【特集】米 〜 No Rice, No Life 〜
 ●作家・井上ひさしが愛した稲作魂 瀬戸山 玄
 ●お米はもう主食ではない!——米販売の新常識を考える——
    【取材】(株)山田屋本店代表・秋沢 淳雄氏、ライスブラザーズ(株)代表・中 和夫氏
 ●TPPと日本の農業——稲作と政治—— 大賀 真吉
 ●日本のコメは果たしてグローバル化するのか 赤城 稔
 ●篤農家が挑む食の安全とおいしい米づくり
  【取材】農業・福士 英雄氏
 ●日本の米食を変えうる三洋電機のGOPAN
  【取材】三洋電機(株)マーケティング本部・古長 亮二氏
 ●『食堂王』の飯たき一代
  【取材】銀シャリ屋げこ亭・村嶋 孟氏
 ●米の醗酵という変身ロマン 遠藤 哲夫

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2011/04/01

地震で変形した道路が見られる新橋の夜は、普通だった。東京の普通の力。

Shinbashi02

飲むのだ、というので、16時、西新橋のケンジの会社へ行った。集まったのは、ケンジの仕事関係者。ケンジとYUIとおれを除いては、日本語以外の言葉が得意な、しかも20歳代の若いひとたちばかり(一人だけ、ちがうけど)。計7名、揃ったところで、いざ、飲み屋へ。歩く歩道は、地震の影響だそうで、けっこう歪んでいた。

ケンジのやつ、会社に犬を連れてきていて、飲み屋にも同行。犬のほうが、ケンジより、リコウそうだった。

なんにせよ、ばかどもと飲むのは楽しい。ドイツ語圏、ロシア語圏、タイ、インドネシア、もちろん英語圏、ま、なんでもゴミ拾い仕事は、おまかせあれ。ってか。トツゼンですが、眠いから、これまで。

Shinbashi_inu

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