それでも花は咲く。
人間世間は「自粛」だの「自粛反対」だのとカシマシイが、関係なく花は咲く。咲けば目に入る、見える。見れば、気分はよい。
たしか、長崎か広島の原爆で焼けただれたはずの桜の木が、翌春に花は咲かなかったかも知れないが芽を出し、その翌年の春には花をつけた、というような話もあった。関東大震災のときも、桜の木ではないが、焼け死んだと思っていた木に芽がでて、それを見て生きているよろこびを感じたという話もあったと記憶する。あてにならない人間世間より、自然の方が生きる「希望」を与えてくれることがある。
そんなことを考えちゃう、ことしの花見。きのうは、午後からあたたかくなったので、花は満開ではなかったが、花見としゃれた。だけど、日が陰ると、寒かった。
画像。最初のは、ウチから数十秒ほどのところにある公園。あとの2点は、ウチから駅へ行く途中の、年に2度ばかり掃除当番がまわってくる公園で、隣接する2方面に菜の花畑がある。菜の花の期間は長く、きょねんは、うまいぐあいに桜の満開と重なったが、ことしは桜の方が遅れている。
この土日が満開の見頃になるかと思うのだが、明日の予報は雨。雨となると放射能が気になる昨今。放射能のリスクを環境として、過ごさなくてはならなくなったのだ。首都圏においても、原発賛成だろうが反対だろうが、この状態を受け入れ、どう放射能と付き合うかが、日々の生活の課題になった。
地震から1か月が経過しようというのに、東電原発災害の沈静化のメドは立たず、どころか隠されていた被害と汚染は深刻であり、原子炉のいくつかは地震以後最も危険な状態にある。花見のあとの昨夜は、また6強の大きな余震があり、なかなか落ち着かない日々だ。
ま、それでも花は咲く。せっかく咲いているのだから、愛でよう。「自粛」したい人は、「自粛」なのだから、人に強制することなく静に粛々と自粛していればよい。
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