ごく私的な手づくり観光への誘い。
え~、本日は、トツゼンですが、2008年3月発行の、財団法人・北区まちづくり公社から発行の『街よ!元気になれ』シリーズ街の魅力「新北区紀行」~観光のススメ~に寄稿した、「ごく私的な手づくり観光への誘い」を一挙そのまま転載します。
『街よ!元気になれ』は、全員が編集はシロウトのボランティア『街よ!元気になれ」企画編集委員会によるもので、この号では、なぜかおれにアイドバイザーとして参加の依頼があり、何回か企画編集委員会に参加し、楽しく酒を飲むことありましたね。そして、巻頭文ということでお願いされ、以下の文を寄稿しました。
北区まちづくり公社の公式サイトはこちら。
http://www.matikita.com/
「王子は都内にはめずらしく山あり川あり橋ありの街で、名所旧跡もおおい。けれど、なんといっても面白いのは、……」
『散歩の達人』1997年12月号の特集「元気な横丁世界」で王子の横丁をルポした私は、こう書き出した。
「大人のための首都圏散策」をうたう『散歩の達人』は、けっこう知られた雑誌に成長したが、1996年4月号の創刊から2年に満たないころだった。おなじ97年5月号には、つぎのような編集者の文章がある。
「僕たちがこの雑誌を通じて一番伝えたかったのは、〝東京は『なんでもあり』の街だからこそ面白い〟ということ。……フツーの東京情報誌は〝洒落たもの、気取ったものが東京的である〟というコンセプトの基に作られているようです。でも、世田谷区や渋谷区だけが東京じゃありません。足立区や荒川区だって東京です」
青臭い啓蒙家のようなセリフだけど、当時の状況がよくあらわれている。池袋ですら、特集が組まれるのは新奇な珍しい時代だった。
つまり、古都観光地の浅草は別格として、東京・銀座から渋谷・新宿その延長線としての下北沢・吉祥寺を結ぶ範囲あたりが、フツーの東京情報誌の対象だった。「王子や赤羽を記事にしても雑誌は売れない」という話しをよく聞いた。
その状況は大きく変わったし、変わろうとしている。フツーの東京情報誌が、北区のみなさんにとっては不本意な表現かもしれないけど「もう東京の端とはいわせない」と北区の街を載せるまでになった。
では近年注目される北区の観光とは、どんなものだろうか。
北区が目新しい観光の目玉になるようなランドマークを建設したわけではない。観光する人びとが変わり観光が変わったのだ。
「観光」は、文字のとおりに解釈すれば、「光を観る」ことになる。しかし、これでは不十分のような気がする。
単なる「光」ではなく「輝き」を観たいのだ。たとえば、太陽の光を受けて輝く風景を美しく思い、イルミネーションやライトアップの光に輝きをみて感動する。あるいは寺社や古い歴史的建造物に神々しい輝きや、博物館や美術館で人間の精神が生み出す文化や芸術の輝きをみて感激する。
しかし「輝き」は、天空の星一つひとつのように、さまざまだ。明るい輝き、躍動的な輝き、やわらかな輝き、鈍い輝き、枯れた輝き、寂しい輝き、小さな輝き……どう感じるかは、そのひとしだい。しかもひとは、料理を食べるときのように、全身で輝きを感じることができる。
その、ひとが変わり観光が変わった。近年の特徴的な変化は、『週刊ダイヤモンド』2007年7月28日号の「激変!ニッポンの観光も指摘している。団体旅行から個人旅行への変化、「自分のスタイル」「自分のプラン」による観光だ。
なんでもある東京を、自分の面白さでみようという動き。「昭和懐古」や「下町大衆酒場」など、いくつかのブームの影響もみられるが、その背景にあるのは、よりオリジナルな輝き、生(なま)の輝きを求める「手づくり感覚」の観光の広がりだ。「街歩き」や「ちい散歩」は、そのものであろう。
そして、北区は、手づくり感覚の観光が楽しめるところとして、人びとの「手づくりテイスト」や「手づくりマインド」を満たす街として、注目されるようになった。そういうことではないかと思う。
自分の手を動かしてモノづくりを楽しむように、自分の足で歩いて輝くものを見つける。そこで必要なのは、なにかを感じる自分、なにかを見ようとする自分、なにかを好きな自分、なにかを面白がる自分、なにかにこだわる自分、あるいはボーと歩いているだけが好きな自分なのだ。
そんな自分を圧倒してしまうような大きな建造物や有名ブランドや重々しい歴史などは必需でない。また画一的機械的な、自由が奪われそうな過剰なサービスもいらない。生身の自分が、気軽に等身大で向き合えることなのだ。
であるから、横丁や路地や商店街や銭湯や看板、地元のひとに愛されてきた飲食店など、手づくりの食べ物や手芸品、ともすると古い表札のような何気ない「小物」まで、これまで観光資源とみなされなかった日常の生活の場が、観光の対象になる。チリひとつ落ちてない路地や、元気よく働く人びとやその会話に輝きを発見し満たされたりする。
手づくり観光が楽しい北区の特徴や魅力はなんだろうか。私の体験のいくつくかをあげてみたい。
私はインターネットの自分のブログで、ときどきなぜ北区が好きなのかを書いている。それを要約すると三つになる。第一は、冒頭にあげた書き出しであるが、地形が起伏に富んでいることだ。第二は、平坦な直線的な道路が少なく、横丁や路地が多い。第三に、自営や、そこに暮らす生業の店やひとが多いこと。
これらは相互に関係し、都心部の企業的な街と比べて一目瞭然だが、街そのものが手づくり感にあふれている。まずは歩いていても退屈しない。不意に意外な風景や、魅力的な個性的なひとに出会い興奮する。
ある夕刻、私は東十条駅から歩いた。なんのプランもない。手づくりとなると、プランなど必要ないこともあるし、散歩とは本来そういうものらしい。自分のスタイルで歩く。駅を出ると立ち食いそば屋からダシの匂いが、商店街ではリンゴの匂いがただよっていた。王子から街角芸術品といいたい東書文庫の周辺をうろうろし、都電梶原駅のところで明治通りに出て、歩きつかれたので帰ろうと適当にまがったら、尾久駅に着いた。そして階段からホームに出た瞬間、そこに広がる夕暮れ景色に、ため息をついた。
陽はすでに沈んでいたけどまだ明るい空を背に、田端から王子方面の台地が墨絵のように横たわっていた。そここに灯りがちらついて、そこと私がいるホームとのあいだには広い面積に何本ものレールが横たわり、鉄道マニアがよろこびそうな、いろいろな列車が停まっている。私は、どこか遠くへ来てしまったかと錯覚しそうだった。
またあるときは王子駅から梶原銀座商店街へ、上中里駅に出て、渋い風格の平塚神社で拝礼、旧古河庭園の先から霜降銀座商店街、染井商店街を経て西ヶ原をとおり、また王子駅にもどった。これらの商店街は看板やひとをみているだけでもあきないのだけど、その日は、西ヶ原で方角を失い細い路地に迷い込んだ。すると柑橘の実がついた枝が張り出して、先が階段になっているところにトツゼン出た。左手を見上げると銭湯の煙突があって、私はどこかにタイムスリップしたような興奮をおぼえた。
田中康夫が当時としては個性的なデートコースの案内を書いた『東京ステディ・デート案内』。これは「POPEYE」に連載のあと1988年に単行本になったのだが、そこで「王子にある紙の博物館は、その名まえすら知られてないスポットである」と紹介している。紙の博物館は、いまの飛鳥山公園ではなく王子駅の北側にあった。そこを私は1970年代から仕事で数回訪れているのだけど、田中康夫が「小学校の社会科見学を思い出すことであろう。それでいいのだ。この感覚を味わわんがために、この博物館は、今日も存在しているのだ」と書いているのに共感を覚えた。移転し新しくなったけど、そこでは、なぜか童心の輝きを思ってしまう。
田中康夫は岩淵水門も案内している。「土手の芝生の上に二人、寝転がってみたまえ。時刻が停まってしまったような錯覚に陥ることであろう」「訪れたのが、晴れた午後であったならば、感動は二倍にも三倍にもなろう。私は、締切りのない日の午後、晴れていると、一人、岩淵水門までやって来ては、夕方までの、二、三時間を過ごす」「それだけの価値がある場所である」
私は当時これを読んで、仕事場が池袋だったこともあって、初めて岩淵水門へ行った。このとおりだし、いまでも、そうだと思う。
こういう例をあげたらきりがない。総じていえば「渋さ」になるだろうか。古いものが残りながらゆっくりとした変化のなかにある、仰々しくない、小粒で簡素だけどキラリと輝く「渋さ」の存在の数々が、起伏に富んだ地形に配置しているがゆえに、驚きや忘れがたいよろこびや癒しをもたらす。
手づくり観光で問われるのは「自分」「私」だ。観ることは自分の発見でもある。「私」が、なにをしたいか、どうしたいか、どうありたいか。
観るほうだけではなく、観られるほうも、おなじだ。誰かに観光名所をつくってもらったり、なにかを頼るのではなく、まずは自らの手でなにができるか、どうありたいかなのだ。それは、本誌の企画編集委員の方もいっていたが、自分の家のまえの道路を掃除するようなことからはじまる。また全国一律の内容のテレビ番組ばかり見ているのではなく、すこしは自分の街の歴史なり文化について興味を持つことだろう。
そのことで手づくり観光をあいだに、観るほうと観られるほうのふれあいが深まり、また再び会ってみたい関係が生まれる。こうした人びとが街にあふれる。これこそ、貴重な無形の観光資源なのだ。私は、そう思う。
私は、埼玉県の浦和区に住んでいるのだけど、北区には、そのような観光で知り合った、また会いたくなる魅力的なひとが何人かいて、こうして書いていると、発作的に行きたくなって困る。
ようするに手づくり観光は、「ひと」それも他人ではない自分が決めてなのだ。(文=フリーライター 遠藤哲夫)
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