東大宮、山田農園のさやえんどう。
近所の農園のさやえんどうを買って食べた。
ウチから東大宮駅へ行く途中に東北原公園がある。その隣、といっても、三方向の隣だから、ほぼ囲むように農地がある。桜の季節の前から菜の花が咲く。山田農園と呼ぶらしい。
その一か所の畑で、毎年いまごろから、収穫したものを売っている。畑の道路際に、台を置いて、とれたての野菜を並べ、女のひとが座っている。
以前に一度、じゃがいもを買ったことがあった。また何か買いたいと思っていたが、いつもその前を通るとは限らないし、いつも売っているとは限らない。
きのう、スーパーで買物した帰り、たまたまそこを通ったら、売っていた。しかも、売っている女のひとは、じゃがいもを買った時のおばさんではなく、高校生ぐらいの感じなのである。畑仕事用だろう、着古した服装が、いちだんと素朴で純情な感じで、オヤジの心をくすぐる。
ってことじゃない。いや、そうか。とにかく、台の上には、プラスチックの小さなザルに盛り分けて、さやえんどうが売っていた。見れば、さやえんどうとわかる。だけど、オヤジは、女子高生と口をきいてみたくて、「あっ、これ、さやえんどうだよね」なーんて言っちゃうのだった。すると当然「そうです」という返事ですよね。
ひと盛り100円の値札が出ていた。オヤジは緊張しながら、指差して「ください」。すると、女子高生は、立ち上がろうとして、なぜか転んだのである。おや、もしや、おれが、そんなに素敵なオヤジなので、あわてたのか。
彼女は転んで素早く起き上がると、後ろの方へ走る。どうやら、入れる袋を取りに行ったらしいと察したおれは、「袋は入りません、これに入れて」と、手にしていたスーパーの袋を差し出した。
彼女は、戻ってきて、馴れない手つきで入れる。それを見ているおれの心は・・・。おれは、このまま帰るのが惜しい気がして、「これから何がとれるの」ときいた。彼女は、指折り数えながら「じゃがいも、とまと、なす…」というぐあいに、この100円のさやえんどう買うにしても、たっぷり楽しみ、妄想し、帰ってきた。
そして夜、晩飯のしたくのとき、袋を開けると、さやえんどうの香りが、これは夏の香ですね。ふわ~~っと、漂うのだった。おおっ、やはりとれたてはちがう。うまそう。
さやえんどうのスジを取りながら考えた。子どものころは、そのスジ取りの手伝いをさせられるのがイヤだったものだが、いまでは、けっこう楽しんでやっている。しかし、それにしても、あの高校生と思い込んでいた女のひとは、ほんとうに高校生なのか。もしかすると、日よけのつばの広い帽子でわからなかったが、もっと年上の嫁さんかもしれない、という疑惑がわいた。
さやえんどうは、半分は、みそ汁、半分は、炒め物にした。新鮮なさやえんどうの味覚は、どう考えても、さわやかな初夏の、女子高生だった。
テーブルの反対側の同居のツマに、何気なく「あのさ、このさやえんどう、あの畑で売っていたんだよ、高校生が売っていた」と言うと。ツマは「このあいだも高校生が売っていたよ」と言った。やっぱり女子高生なのだ。おれは、顔に出さないようにニンマリ。勢いよく、さやえんどうを食べた。
ほんと、オヤジってのは、しょうがないですな。でも、こういう畑が近くにあるのは、うれしい。
写真のさやえんどうは、洗う前だから、よごれがついたまま。下の公園の写真は、4月に撮影したもので、奥の向こうに菜の花が見える。その畑で、売っている。右側も山田農園。左側にも、見えないが菜の花が咲く、山田農園の畑がある。
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コメント
困ったものだ。また土曜日や日曜日がくると、彼女がいるかも知れない畑に行きそう。
やはり、そのう、女子高校生というのは、所作の初々しさや意外性でありますね。うまく表現できなかったから書かなかったけど、彼女がさやえんどうを買物袋にいれる手つきや動作は、あの年頃でなければありえないようなものに思えて。
そして、おれは、やはりゲーテをめざす年頃なのか。
投稿: エンテツ | 2011/05/20 23:56
エンテツ氏にして、やはり女子高生に弱いのか。思いがけない発見だ。何が嬉しいのか、わたしには想像もつかないが(実は分かってる、わたしは元エロ劇画編集者なのだ)、彼女が立ち上がろうとして転ぶところが素晴らしい。エロを越えた詩情が漂っている。何か物語が始まりそうではないか。
女子高生は想像もつかないが、エンテツ氏の相好を崩した表情だけは容易に想像できる。困ったものだ。
投稿: ヤマザキ | 2011/05/20 20:08