「街メシ」に、「俺メシ」を獲得する。
平均寿命が80歳をこえているそうだ。でも、無事に「生き抜く」のは容易じゃないぞ。働かなくてはならない。税金払わなくてはならない。勉強がある。もちろん、遊びたい。いまのご時世、いちいち難儀なことが多い、甘くはないときている。ときには孤独に押しつぶされそうになる。寝ていても、起きていても、疲れる、腹が減る。
問題は、きょうのメシ、きょうを生きる、メシの力だ。同じ百グラムのコメのメシでも、力がちがう。街に生きる表情豊かなオジチャンやオバチャンが炊いたメシ、洗っては使う食器に盛られたメシ、これを「街メシ」とよぼう。それと、どこでも同じスタイルで俺たちの財布をねらい「いらっしゃいませ、こんにちは」を機械的に発射する、使い捨て容器に盛られたマーケティング・ルールの「製品メシ」とは、大いにちがう。
街メシは、つくる人、食べる人、地域に支えられ、力強く街で生きてきた街ルールのメシだ。この街で生きるには「これだ」というものが息づいている。店のたたずまいや装いに表情がある。店の人の笑顔が生きている。メシの輝きをみよ、ガツンと食べる人たちをみよ、元気がわく。そこに「俺のメシ」を発見しよう、「俺メシ」をほうばるのだ。
そのように街をみる、街のメシを食べる。カネがないときは、「ごはんとみそ汁だけね」と直球注文だ。テーブルのソースをメシにかけてみるか。お茶のみ放題でくつろぐ人もいる。屈託のあるときも、気分のよいときも、それなりの食べようがある。
たとえ、きょうがドジでもナミダでも、日々のメシを、最大の楽しみにする。朝目覚めて、ヨシッきょうのメシはアソコの俺メシだ、とニンマリするようになったら、まちがいなく、力強くメシをくい力強く生きている姿だろう。気どりや能書きを捨て、素直に興奮する胃袋にかえろう。生き抜く楽しみや力がわいてくる一杯のメシがある。毎日、俺メシの時間が待ち遠しい。それが、どんなに素晴らしいことか。
だからさ、まずは街に出て、自分の感覚を働かせ、俺メシを獲得するのだ。もちろん、街中のメシを俺メシにするもよし。俺メシのあるところ、俺の街だ。
またもや、以前の文章の転載。ブログを書くのがメンドウだから、じゃなくて、いませっせとやっている本の原稿に関係あるからなんですよ。ここに載せておけば、すぐ見つかるし、検索も容易ってわけで。それに、こんないい文章!をすぐタダで読めるなんて、いいでしょう。
ま、でも、こういう文章は、単独でもよいかも知れないが、やはりほかの食堂やめしの記事と共にあってこそ得られる味わいが大いにあるから、それは、買って読んだ方のお得ってわけですね。そこが、ま、アナログな雑誌の特徴だと思います。
これは『ミーツ・リージョナル』2008年10月号(9月1日発売)、「ザ・めし」特集巻頭エッセイ。本誌は、ひと月ぐらいで品切れになる売れ行きだった。たしかに、よくできていた。もう古本屋で見つけるしか、本誌はご覧いただけないわけで、この文章をここで見られるあなたは、それだけでもラッキー、って、それじゃ自画自賛の押し売りがすぎるか。
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2008/09/01
防災のキホンは「めし」。『ミーツ・リージョナル』10月号「ザ・めし特集」9月1日発売。
取材の模様も
2008/08/07
充実の大阪取材。
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コメント
やっ、どうもありがとうございます。
当方、俺酒を飲んで、いい気分です。
これからも、俺、俺、俺…どうか、よろしく。
投稿: エンテツ | 2011/05/24 22:19
ほんとにいい文章で、読んでいて腹が減りました。
おっと、12時だ。俺メシ食~べよっと。
投稿: sasasasasasaki | 2011/05/24 12:18