ゲラも無事にもどして、生ビール。
きのうは、大衆食堂本のゲラのもどし日だった。宅急便で送るには、前日の昼頃までに作業を終えなくてはならないのだが、とくに使用する写真の選択や、紙焼をスキャンしてデータ化するのに、意外に時間をくったし、校正の直しも気になるところがあったし、持参することにして、昨日の昼頃まで作業した。
14時すぎにウチを出た。時間の余裕があるから、御徒町で下車した。出版社は蔵前にあって、いつも浅草橋を利用していたが、チョイと佐竹商店街あたりが、どんなあんばいか、ぶらぶらしてみようというわけだった。
御徒町から昭和通りを渡ったあたりの問屋街も、不景気なりに、安物を求めるひとたちらしい姿が、けっこうあった。佐竹商店街は、10年前ぐらいに比べると、開いている店が増え、寂れた感じは、いくぶん薄れていた。都心部に少ない、アーケードの立派な商店街だが、生活まわりの商店街なので、もっと元気になってほしいねえ。しかし、都心の高齢化の反映か、ジジババ物の店が目だった。
三筋から蔵前のへんでは、蕎麦屋が多いようだと気がついたのだが、どうなんだろう。このあたりは、浅草や人形町あたりとは、またちがう下町の雰囲気がある。
出版社には16時ごろ着いた。担当編集女子にゲラを渡しながら話ができてよかった。やはり直接あって話すのが一番だ。あとの段取りも含め、1時間近く打ち合わせ。
終わって、トウゼン、酒とつまみ社へ。ナベさんのツイッターを見た感じでは、『酒とつまみ』14号の印刷入稿が山場らしいが、どんなぐあいか。行ってみると、サイカメさんもいて、本当に入稿日だった。叱咤激励し、ってことじゃなく、そのへんに散らばっている、めったに見ない雑誌などを見ながら、ソファーでの寝転んでいたら、少しウトウトしてしまった。寝不足だったからね。
なんと、大竹さんもあらわれた。これって、すごい偶然。酒つま3人トリオが揃ったのは、おれが1月26日に、本の原稿に取りかかる前の構成の打ち合わせを出版社でやり、やはり帰りに酒つまに寄って、一緒に西口やきとんへ行ったとき以来なのだそうだ。こんなむさくるしい男たちと、偶然そろったところで、うれしいわけじゃないが。
みなさんは入稿のため酒を飲むどころじゃない。おれは鶯谷の信濃路で一人酒を飲むべく辞す。秋葉原で乗り換え。下りのエスカレーターに乗った。途中までくると、反対の上りに乗っているカワイイ女子が、まだ下のほうから、しきりに手をふる。おれじゃなく、誰かほかのひとにふっているのだろうとボンヤリ見ていると、すれちがうころに気がついた、佐々木嬢ではないか。この広いひとの多い都心で、なんという偶然。
彼女は、上までいって、下りに乗り換えてもどる。早速、飲む話はまとまる。彼女は、20分ぐらいしか寝てないそうで、テキトウに飲んだ。ゲラをもどした祝杯に、酒つまのむさくるしい男たちと飲むよりは、大いにシアワセな偶然だったな。生ビールがうまかった。
とにかく、これで、よほどのマチガイがないかぎり、9月発行のスケジュールで爆進する。原稿用紙にして約400枚ぐらいか、よく書いた。ゲラの直しも短い日数で難行苦行だった。次の難行苦行は再校だ。しかし、これまでの難行苦行に比べたら、体力的にはグッと楽になる。
この間に、牧野伊三夫さんから、四月と十月文庫初刊行の『えびな書店店主の記』(蝦名則著、港の人)。ハーベスト社の小林達也さんから『中越地震被災地研究からの提言 未来の被災地のために』(辻竜平著)を、いただいている。どうもありがとうございました。後日、紹介します。
本の原稿に取りかかったのは、1月26日に構成を確認してからだった。それまでのことは、2011/06/02「次の大衆食堂本。本文脱稿、9月刊行のスケジュール。」に。
そのあとは、2011/06/18「梅雨本番、本のゲラが出て、引きこもり、」
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