深沢七郎。
つぎの本の校正の合間に、深沢七郎『百姓志願』(1968年、毎日新聞)を読んだ。深沢が埼玉に移住し農業を始めた頃のものだ。「もうかる農家」をめざして、農業に機械と化学肥料や殺虫剤の導入が始まって10年ぐらい。深沢と近所の農家の会話から、この間の農業と農家の変貌が生々しい。
明治から続いている地元の有力者の農家の男性が言う。「農家なんかなくしちゃって、機械をどんどん外国へ持っていって、安い米を買えば一番いいと思うんですよ」。かつてソニーの井深が言った、つまり財界の主張そのままが、農家の言葉になっている。原発行政が、これと同軸であるのはいうまでもない。
おれが深沢を好きなのは、文芸や情緒におぼれたり陶酔しない自分を持っていたからではないかと思う。ペダンチシズムとも無縁である。ひょうひょうとしながら、鋭く対象をみる。
最近読んだ、小沢信男さんの『本の立ち話』(西田書店)の「片手斬り挿話」は、小沢さんが『深沢七郎集』第4巻月報に寄せたものだが、深沢の特徴をよくとらえていると思う。
つまり、「深沢七郎は貧しく狭い一地方の気質にとことん偏って、いきなり世界的普遍に届いてみせた」。
「貧しく狭い一地方」とは、もちろん、深沢のふるさと山梨県石和のことだが、小沢さんは「深沢七郎に、いわゆる愛郷心は、たぶんなかった」とも書く。「足跡は九州から北海道へまたがり、晩年に心臓が悪くならなかったら、スペインにもハンガリーにも渡って、そこでのうのう甲州弁まるだしで暮らしただろう」。
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