アンナのカフェと編集されざる者たち。
2011/06/11「とりあえず、飲んでいた。」に画像も載っている、やどやゲストハウスにおけるアンナのカフェは、毎週火曜日に続けてきて、今日そして来週が最後だ。アンナさんは、いったん帰国する。おれは、来週は忙しくて行けないから、先週に行って来た。
アンナさんは、たしか、大地震のあと、とくに東電原発災害の影響で、外国人が離日し、やどやゲストハウスもキャンセルがでるなか、予定どおり来日したはずだったと思う。
アンナのカフェは、500円と酒は持ちよりの「お食事会」なのだが、そういうことをやろうというフランス人のアンナさんにも興味があった。そのうえ、彼女は、滞在中に福島まで行って来た。
アンナさんは、会ってみたら、なるほどね、とても楽しいユニークな魅力的なひとだ。だからか、このカフェは、すごく楽しかった。楽しくて、いろいろ刺激を受けた。それは、いろいろな国の若いひとがいるから、ってのとは、もう一つちがうな、という感じであった。
これまで、いろいろな外国人と飲む機会があって、とくに今年は年頭から、海外専門のマーケティング会社のアホどもと飲んで、明日も痔の手術の図解入り体験談を聞きながら飲む会なんてアホ臭いものがあるのだが、そういうところの外国人にも、なかなかユニークで魅力的なひとはいるが、アンナさんは、チョイとちがうのである。
たとえば、彼女は、どちらかといえば肉付きのよいほうで、指なども太いのだが、その指で、器用に自分で煙草を巻いて吸う。煙草はドイツのなんちゃらという、とてもよい匂いがするやつで、彼女は、それがお気に入り。それを、小さな巻き用紙に、くるくると巻き、吸う。ほかのひとにも、つくってあげる。いちいち、自分の愛着というか、自分の人生の楽しみ方を心得ているようなところがあって、カフェも、そういうことでやっているのか。
また、集まるひとたちも、宿泊中のゲストだけではない。近所の外国人も含めた20歳前後の若いひとたちで、これがまた、いまどきの若いもんにしては、おもしろい。そのおもしろさは、冗談が上手だとか、バカ話がおもしろいといったものではなく。
とにかく、「いま日本のゲストハウスは経営が難しい状態にあるところが多いと思うし、その状態はしばらく続くと思うけど、ここで起きている動きは、なかなかおもしろいものがある」とツイッターにつぶやいて、これはいったいなんだろうと思っていた。
その状況を、うまくまとめて書くのは、難しい、素晴らしく雑多でバラバラである。「自由」という言葉でも不足があり、「アナーキー」という言葉でも不足があり、それでいて、この場所には、なにかある。なにかあるから集まってくるわけで。それは、たぶん、「語り合う」ことから生まれものだろう。それぞれが、いろいろなことを「語り合う」。わずか、これだけの人数だけど、どれだけバラバラな話があったか。その中から、それぞれが何かを感じたり、考えたりする。
それで、おれは、とりあえず「編集されざる者たち」という言葉が浮かんだ。ま、カテゴライズやパターン化が難しい、あるいは「はみ出し者」とか。これから、こういうゴチャゴチャ雑多な動きが、放射能時代の東京では、おもしろくなっていくのかも知れない。放射能時代の東京では、これまで以上に、杓子定規ではない生き方が必要とされる。そして、杓子定規じゃない人間が、集まって来る可能性がある。そう思った。ということで、今日はオシマイ。
この日のことを、アンナさんが、「やどやゲストハウススタッフブログ」に書いている。
http://yadoya-staff.jugem.jp/?eid=54
英文で、話しているときも、そうだが、フランス人の英語は、おれのような中学程度の英語でも、いくらかわかりやすい。いくつか、まちがいもあるけど、愛嬌。それに、言葉など必要ないぐらい、アンナさんが撮った写真には、雰囲気や彼女の関心が出ている。真ん中へんの集合写真だけ、別のひとが撮って、アンナさんが入っている。
おれも「old one 」で写っている。が、じつは早く帰ったかたで、おれより一つ上の、ゲストハウス暮らしという日本人男性もいた。
やどやゲストハウスには、人生の、なにかある。おれにとっては「大衆食堂的」な。まさに、気取らず、力強くめしをくい、力強く生きようとする。バックパッカー宿だけど、バックパッカーじゃないひとも、いらっしゃい。
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