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2011/06/13

放射能時代の寛容と包摂を考えたい。

え~、いま、おかしな妖怪が日本にのさばっているような気がします。ある種の精神的不健康というか。他者を中傷し貶めることで、自分が「賢い側」にいるかのような物言いというか。

それは、タバコや酒、障害者や病人、同性愛者や外国人、など、これまでのさまざまな差別や排除と深く関わりがあると思う。

とにかく、いまや、「福島」というだけで、さまざまな差別と排除を受ける、あるいは中傷され傷つけられる、そういう事態が生まれている。

「反原発」「脱原発」なら、どんな中傷をしてもよいかのような、もうその暴言たるや、まさに、これまでの差別や排除のなかに見られたものと同質です。

で、ワタクシは、ですね。以前から「正しい生き方」より「悪党な生き方」を追求したいと思っていまして、それは、ツイッターでもつぶやいているけど、とりあえず、たとえば、こういうことを書いたことがある、ってことで、ここに転載します。お互いに苦しい時代だから、簡単に他者を排除するのではなく、ごちゃごちゃな寛容と包摂を考えたい。

上記の動きについては、これからゆっくり動向を見ながら考えていくとして、まずは、これを。

ほとんど、ジョーダン? ぎゃははははは
ま、おれは、賢い人間じゃないからね。

牧野伊三夫編集長の美術系同人誌「四月と十月」に、おれは「理解フノー」という連載をしているのだが、その昨年7月に発行になった、昨年の4月号からです。

四月と十月 理解フノー④

健康と酒と妄想と。

遠藤哲夫

  「フン、小さな親切大きなおせっかい」と思った一月中旬のニュース。「たばこの次はアルコール」「アルコール規制強化、各国に要求 WHOが指針案採択」。日本の嗜好品文化は、得体の知れない国際機関の干渉によって、ズタズタにされるのか。
 インターネット上では、こんな意見もあった。「煙草の次はアルコールが悪者ですか? WHOは悪者を作って攻撃をするだけが存在理由の団体に成り下がったみたいです」「健康は宗教に成ったみたいですが、一体、何が楽しくて生きているんでしょう?体は健康なのかどうか知りませんが、精神が病んでいっています」。不寛容が拡大し、何かとギスギスした社会に「不健康」を感じる人たちもいる。
 〇六年三月の『談別冊 shikohin world alcohol  酒』(たばこ総合研究センター[TASC]編集発行)に、「浴びるほど呑む人はどこにでもいる……酔いたい、酔うために飲む飲兵衛の存在」を書いた。編集長からの依頼の趣旨は、「不寛容化の度合いがますます強くなってきた現代の日本社会は、飲まずにはいられない人たち(アル中というのではなくて)の排除へ向かいつつある」それについて飲兵衛のアンタはどう思うかとのことだった。
 いまや不寛容と排除のトゲトゲしい激しさは、喫煙や飲酒をこえ、「汚い」もの全般へ拡大している。たばこの煙や吸い殻もちろん、路上生活者や、古い建物まで、「汚い」として排除され、「まち」はキレイでオシャレなアートになる。アートが貢献する、無菌的な「健康で美しいまちづくり」とやら…。いや、その問題は、置いておこう。私の妄想は、WHOは、やはり非常にアヤシイということから始まる。
 たばこを規制すれば覚せい剤がはびこるだろうと言った学者がいた。実際に、覚せい剤への対策は、たばこ排除ほど熱心ではないように見えるし効果は上がっていないようだ。アルコール規制の根拠は「酒は病気・犯罪の元」とのことだが、病気や犯罪の元凶は貧困ではなかったか。新聞によれば、厚生労働省は「WHO指針が決まれば、増税派への一定の追い風になる可能性がある」という。たばこがそうだった。WHOは、マフィアや貧困を生む大資本や増税をたすけ、働き生きる庶民の、ささやかな楽しみを、強制的に奪う存在であるようだ。ならば、どう対策するか。
 日本だけは、禁酒禁煙のない国にしよう。世界中の愛煙家や愛飲家がわんさわんさ押しかけ、日本は潤うことになる。有力な産業も資源もない日本は、世界に誇る「寛容と包摂の先進国」をビジョンにすべきだろう。そのキャッチフレーズは、こうだ。「なぜ飲むの? わかってたまるか、ベラボーめ!」(『酒とつまみ』12号酒飲み川柳、作=泥酔ニーランドマニア)
 だから、アートの力が、ほしい。

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