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2011/10/31

ミロコマチコ出版記念会泥酔記憶喪失帰宅。浜美枝のいつかあなたと。

29日土曜日、ミロコマチコさんの四月と十月文庫『ホロホロチョウのよる』出版記念会「ホロホロまつり」が中野の桃園会館であった。

午後3時からだったので、チョイと早めに出て1時半過ぎに新宿ション横。軽く1杯のつもりが、となりに座った84歳のじいさんが、びっくりの若さと元気で、話が盛り上がってしまい、ビールを注がれるままに呑んだら、もはや酔っ払い。3時少し前に会場に着いた。

もう、それからは、泥酔一直線。桃園会館は、古い平屋の木造で、ペンキ塗りの、幕付き舞台がある集会場。そこで小学校の学芸会のように、あれこれ芸が展開するなかで、楽しく飲食。

おれは、数日前に牧野さんから電話があって、最後にミロコ音頭にあわせて踊ることになっていた。どんな唄で、どんな振り付けかもわからないまま二つ返事で引き受け、会場で、ミロコさんにこれを着て、このような踊りになりますと。ま、どうせ酔って踊るのだ、酔えば踊るのは珍しいことではない。

って、ことで、最後は、ミロコさんたちが学芸会の劇のようなことをやり、そのまま御輿のようなものをかつぐ、そこでおれは舞台に上がらせられて、衣装を着せられ、何が何やら、柳家小春さんの三味線とうたに合わせて踊り、っていうか、三味線と唄にはほとんど合っていなかったと思うが、とにかく踊りまくり、舞台で踊っていても面白くないのでミロコさんたちの御輿と一緒に降りて、会場を一周した。呑んで踊ったのでフラフラ。

ビールはサッポロ赤星、清酒は立山、焼酎はキンミヤ、赤ワインはよく見なかったからわからんが、牧野さんテイストが揃って、飲み放題にたくさん。酒も料理も、ずいぶん残るほどタップリ。出し物も、多彩。いろいろな方と会った。

大阪から、ナガタ嬢が来ていて、思いがけない、3年ぶりか?奈良以来の再会。うれしくて、二次会に誘ったのだが、酔っていたおれは彼女を連れていくのを忘れてしまい、おれも二次会の場所を知らないので誰かのあとについて行き、着いて呑みだしてから、彼女がいないのに気づく始末。牧野さんに携帯で連絡とってもらったが、つながらず。悪いことをした。心残りで、これだけは泥酔しても覚えていた。

二次会は中華で、時間制限の飲み放題だったのではないかと思う。とにかくビールと紹興酒を呑みまくり、もうグダグダ。何時ごろか9時すぎかな?制限時間となりお開き。ミロコちゃんが、「三次会はブリッツ」と耳元で悪魔の誘惑をするのを、このまま呑んでいたら帰れなくなると冷静な判断をしたらしく、振り切って帰途に。って、ところで記憶はプッツン。

まだ若いミロコさん。その仲間たち。これからの活躍を大いに期待したい。

ミロコマチコさんのサイトはこちら。
http://www.mirocomachiko.com/

翌朝、30日日曜日の朝。10時半から、4日に収録があった文化放送「浜美枝のいつかあなたと」の放送があるのだ。前日長時間にわたり、メチャクチャ呑んだ割には寝起きはよく。無事にラジオを聴けた。

ほかの番組でもだが。おれは、放送作家の方が書いて事前に送ってくれた台本がよく見えないので、パーソナリティの方の話に、その場で反応してしゃべるだけなのだが、ほんとうにうまく編集してくれると、今回もまた感心した。

もう一度行って食べたい忘れられない味というものが話題にされ、一つに絞るのは難しいのだが、一つだけというので、北九州の床漬をあげた。『大衆食堂パラダイス!』p178に登場する話だ。二島駅前の「駅前食堂」の120年の糠床による床漬のこと。北九州に見られる「100年床」といわれるほど長く続く糠床の文化は、誰でもできるはずなのに、簡単にできるものではないし、簡単に真似できない。古い糠床で漬けたものには、一朝一夕ではできない味がある。ってことで、これは文化がなければ続かない、貴重なものだと思う。

「浜美枝のいつかあなたと」の公式サイトにある紹介。これは、番組の始まりに、浜さんが話したこと。
http://www.joqr.net/blog/hama/archives/2011/10/post_212.html
ゲストは、フリーライターで、いま話題の本、
「大衆食堂パラダイス!」の著者、遠藤哲夫さんです。
遠藤哲夫さんは1943年、新潟県・六日町のお生まれ。
62年に上京をされ、マーケティング・プランナーなどの
お仕事を経て執筆活動をスタート。
大衆の食文化に関する執筆を多くされ、これまで書かれた本に
「大衆食堂の研究」「汁かけめし快食學」などがあります。
現在、最新刊の「大衆食堂パラダイス!」が発売中。
遠藤哲夫さんに「大衆食堂のいま」をお伺いしました。


この番組には、3年ほど前にも出演させていただき、大衆食堂の魅力について語った。
以上であります。

関連
2011/10/21
『四月と十月』25号と、四月と十月文庫『ホロホロチョウのよる』ミロコマチコ著。
2011/10/14
泥酔一直線、第三夜。文化放送収録のち新橋取材4軒はしごのち中野。

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2011/10/29

「場所」、そして郷土料理と家庭料理。

2011/09/29「筑摩書房PR誌『ちくま』に連載の木村衣有子「もの食う本」は、画期的。」では、「ここに紹介しようとすると、興奮でドバーッと思いと言葉があふれ、溺れそう、うぐぐぐと脳ミソがつまっちゃうのだ。とにかく、息をしずめながら、少しずつ書く」なーんて書きながら、少しずつも書いてない。

では、きょう書くのかというと、そうでもない。でも、少しだけ言うと、これまでずいぶんたくさんの食の本が出ているけれど、それに対し、ちゃんとしたレビューを書けるような「批評家」なり「書評家」がいなかった。

というのも、「文学的(文芸的)」な素養や知識は十分でも、食文化的な素養が、あまりにもなさすぎたからなのだ。かなりの「文学者(作家)」にしても、食文化については、好事家的な知識がせいぜい。この弊害は、小さくなかった。

たとえば、これだけ食の本が出ているけれど、スティーブン・メネルのような『食卓の歴史』やジャック・バローの『食の文化史』やジャン=フランソワ・ルヴェルの『美食の文化史』のような本は生まれない。一方で、例のブリア・サヴァランさんの『美味礼讃』を成功モデルにした、ガラクタからそれなりのレベルの内容に、文学的虚飾をほどこしたようなものは、あふれている。あとは、食通だのグルメだのなんだのと、高尚で文学的であるか、おもしろおかしければ、食文化的なキホンなどは、どうでもよいという感じ。それから、身体や経済のためになる料理だの栄養か。

ま、そういう話になっちゃうのだが、木村さんの「もの食う本」は、そこを越えられそうなのだ。そういう希望が持てる。それゆえ「画期的」なのだ。

料理や食事には、「場所」が大いに関係する。どんなに関係するかは、1970年代に、ファミレスやファストフードのチェーン店が登場するときのうたい文句を思い出せばよい。それらは、「いつでもどこでも、同じ、おいしい味を提供する」それゆえ安心して食べられるオペレーションがウリだった。つまり、「場所」は、問題にならない。いや、経済効果的に問題になるだけだった。

場所は、土地(地域)と人間が関係する。大衆食堂のような個人店となると、場所が大いに関係する。家庭料理となれば(大衆食堂の場合、家庭料理も多いが)、なおのこと。

この場合、アタリマエのことだが、場所が変われば、土地と人が変わり、料理や食事には差異が生じる。場所は、店でもある。あるいは、家庭でもある。その差異を無くするのが、チェーン店のオペレーションの特徴。

めんどうなのは、「郷土料理」だ。これは、文字からしてそうだが、場所といっても土地の概念が支配的だ。ついでに言えば、「家庭料理」の家庭は人の概念が支配的だろう。たいがい「おふくろ」という人間が支配的だった。

この話をするのは、『ちくま』10月号の「もの食う本」は、取り上げている本2冊のうちの1冊が、『私の作る郷土料理』(ふるさとごはん会・編)で、その終わりの方で、木村さんが「違和感」を持ったと述べていることに興味がわいたからだ。

なぜ木村さんが違和感を持ったかというと、その本の「おわりに」と題された文章に、「郷土料理といっても、全国各地でご相伴にあずかってきたのは、どれも、ふつうの家庭のおかあさん、おばちゃんが作り続けてきたふるさとの味」とあるからだ。

木村さんは「この一文には、違和感を持った。郷土料理とは〈ふつうの家庭のおかあさん、おばあちゃんが作り続けてきたふるさとの味〉に間違いないだろう。〈といっても〉などと、いったん否定する必要があるのか。なんとなく、郷土料理とは〈ふつう〉ではいけない、という思い込みが透けてみえるような、ここまでせっかく〈ふつう〉のあちこちの土地の料理を紹介してきたのにもったいないような、それは私の勘ぐり過ぎか」と書いて終わる。

これは、難しいところだ。「といっても」を、どう解釈するかによるが、一つは、単に「郷土料理といわれているけれど家庭料理なんですよ」と読めなくはない。

だけど、そうは素直に読み取れないのは、やはり「郷土料理」という言葉に含まれている伝統的な土地の観念があるからだろうと思う。

木村さんだけではなく、編者自身が、タイトルに「郷土料理」という言葉を使いながら、しっくりきていなかった可能性もある。少なくとも、「郷土料理」と「家庭料理」という言葉が持つ矛盾に、体験的に気づいていたとも推測できる。

やっかいなのは、そこから人の顔が浮かんでこない「郷土」という言葉ではないか。本来は「ナントカ地方の料理」といえば、もうそれは家庭料理であり、「ふつうの家庭のおかあさんや、おばあちゃん」の料理である。

ところが「郷土」という言葉は、敗戦まで続いた地主制度や貴族制度も関係すると思うが、土地にまつわる権威が含まれ、さらにそれは、芸術的に権威づけられた、あの「柳宗悦的民芸調」に装飾された「郷土料理」となる歴史もあったように思う。廃刊になった『銀花』という雑誌などには、それが色濃く見られたと記憶している。

てなことで、「郷土料理」という言葉は、もともと人間の顔の影はうすい上に権威的に装飾され、郷土は晴れがましく、郷土の英雄や名士はいても、ふつうの人間の顔は見えないという歴史があった。と、おれは見ている。

つまり、意識のていどの差はあれ、「郷土料理とは〈ふつう〉ではいけない、という思い込み」というか感覚は、わりと刷り込まれていたのではないか。

だから、この木村さんの違和感も当然だと思うし、また編者の「あとがき」が煮えきらないのも、そのあたりに原因がありはしないかと思うのだな。

そして、こういうところに「違和感」を持った木村さんの「もの食う本」は、やはり、期待できる。
ま、きょうのところは、そういうこと。

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2011/10/27

2日連続泥酔@大宮いづみや。ゆるい専門家ナイト@東京カルカル。

はあ、呑むと泥酔、その後の疲れというか、そんな日々で、ブログ書くのも容易じゃねえ。

21日(金)は、大宮いづみや本店で、社会学系の出版社ハーベスト社の小林達也さんと、社会学系の大学教員、牧野修也さん、五十嵐泰正さん。18時に、大宮駅で小林さん、牧野さんと待ち合わせ。五十嵐さんは遅れて20時ごろ参加。みなさん、田無、相模大野、柏と遠いのに、大宮いづみやまで来てくださった。大宮いづみやの吸引力、すごい。

小林さんも牧野さんもツイッターで知り合った。一緒に呑むのは始めて(小林さんは以前に一度顔を合わせたことはあるが)。とにかく、呑みました。話は、しっちゃかめっちゃか。まあ、落語の話だの、あっちこっちの酒場の話だの、『大衆食堂パラダイス!』には大宮いづみやが載っているわけなので、そのあたりの話だの。だったような気がする。

そうそう、小林さんに本をいただいた。質的社会研究シリーズ5の『性・メディア・風俗 週刊誌『アサヒ芸能』からみる風俗としての性』(景山佳代子著)と、牧野さんの著書『農家後継者の「教育戦略」 農村市民社会を目指して』。これからボチボチ読みます。

そして五十嵐さんが来たころには、もうほとんど出来上がっていた。だけど、そのころから、割と社会学的?な話題が多かったような気がする。放射能汚染問題とか。とやっているうちに、店長があらわれて、一緒のテーブルに座って呑みだしたな。店長が帰ったあと、たぶん閉店の10時までいたと思う。最後の方は、梅割をおかわりで、完全に泥酔状態、大宮駅でみなさんと別れたあたりで、記憶も完全に喪失。

しかし、いづみやは大混雑だった。しかも、なんとしたことか、若い客が増えて、若い女子客も増えて。平日だったから、いずれもダークスーツが多いのだが、おやじに混じって、なかなかよい雰囲気なのだ。『大衆食堂パラダイス!』には「おやじ極楽」なんて書いたが、若い者も混じって、まさに老若男女の大衆食堂パラダイスな感じだった。

翌22日(土)は、おれも若い女子を連れていづみやへ行った。午後3時、大宮駅で、更紗・とみきちコンビと待ち合わせ。お2人は、おれがスロコメ@下北沢で「泥酔論」トークをやった時に何度も来ていただいた。昨年の後半からは忙しくて泥酔論をやってないから、ひさしぶりに呑もうということになった。

前日に続いていづみや本店。やはり、ほかにも若い女子を含む、非おやじグループが、すでに呑んでいた。で、酔わないうちにと、お2人が買ってくれた『大衆食堂パラダイス!』にサイン。更紗さんは、ひとに差し上げる分も。ありがとうございます。さらに、うまい高知の焼酎とつまみを、お土産にいただいちゃって。ありがとうございます。と、呑み始めて。さすが若い方は、いろいろ食べます。イカの塩辛に、めしも食べちゃって。いづみやはメニュー豊富だからねえ。

そのうち、店長もあらわれて。というのも前日、『大衆食堂パラダイス!』を差し上げる約束をしていたのだ。お互い酔っていても忘れない。で、店長に確かめたら、やはり近頃は、若い客や女子客が増えていると。この日は、女子だけ3人のグループも、おやじのように腰をすえて呑んでいた。なかなかよろしい傾向じゃないですか。しかし、なぜなんだろう、何が起きているのだろう。やっぱり大衆食堂がいいんだよ。と考えておこう。だって、みんな、大らかに、のびのび呑んでいるもんねえ。雑多であるがゆえに、脂粉のニオイも強いお水系もいました。

まだ前日の酒が残っていたので用心しながら呑んでいたが、そのうちどうでもよくなって燗酒にする。あれやこれや話はつきない。とくにとみきちさんは新婚でもあって、それをツマミにしたり。愉快に呑んで酔って、6時すぎだったかな7時近かったかな、大宮駅で別れた。あと覚えてない。

はあ、やっと一昨日、25日のことが書ける。

25日(火)は、以前に告知したように、「古墳でコーフン」のトークを2度やった、東京カルチャーカルチャー@お台場で、「ゆるい専門家ナイト」ってのがあって、プロデューサーのテリー植田さんからお声がかかったので参加した。
http://tcc.nifty.com/cs/catalog/tcc_schedule/catalog_111003203734_1.htm

なんだか、いろいろな専門家がいておもしろそうと、ヤジウマ根性で行った。生ビールとウイスキーハイボールと焼酎をロックで3杯とウイスキーをロックで1杯呑んで、酔っ払って「大衆食堂専門家」としてテキトウなことをしゃべった。

しかし、ほんと、いろいろな「ゆるい専門家」がいて、すごく面白かった。ぜんぜん「ゆるい専門家」ではなく、かなり入れ込んで研究し立派なものなのだ。プレゼンも、じつに堂々としているし。おれが一番ゆるかった感じ。いやあ、世間というのは、広いなあ。たのしいなあ。もっといろいろな専門家と知り合いたいものだと思った。みなさん、専門家でありながら、ほかの人にも興味を持って、お互いの話を尊重しあうという姿勢があるのも、好ましかった。

なお、次の東京カルチャーカルチャーにおける古墳トークは、11月27日(日)の予定です。たぶん午後の部のはずですが、詳細は後日。

いじょう。これで、一挙に今日に近づいたな。

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2011/10/24

高田馬場《vivo daily stand》のち雑司が谷の鬼子母神お会式・万灯行列で太鼓を叩く。

2011/10/17「きのうから『大衆食堂パラダイス!』デー? ラジオ出演、読売新聞など。」に紹介したように、読売新聞の書評欄に『大衆食堂パラダイス!』が載ったわけだけど、それより前、9月26日の同紙くらし面(東日本の生活情報を扱うページ)にも紹介されていたのだった。その新聞をいただいた。

内容は、「和洋中華なんでもある大衆食堂。全国の食堂をめぐり歩く著者が、店の成り立ちや常連客同士のやりとり、多様なメニューなどを取りあげ、食堂の魅力を描く。地域ごとに異なる食堂の様子も興味深い。味覚に頼るグルメとはまた違う、大衆食堂という場の楽しさが本の中から浮かび上がる。」

それぞれページによって担当する記者さんが違うし、ページの性格もあるから、紹介の仕方も異なっておもしろい。なんにせよ、ありがたいことだ。

今日は、何十年に一度ぐらいしか会わない、那須に住んでいるいとこから、読売新聞書評欄の紹介を見て本を買って読んだというメールがあった。そんな効果もあるんですな。那須は、三陸や福島の影になりがちだけど、地震の被害も東電原発災害も、けっこう大きいようだ。

さてそれで、18日のこと。

高田馬場の長い横文字で名前が覚えられないが調べて《vivo daily stand》とわかった、バルだかバールのような店で、18時半に木村衣有子さん(近著の『猫の本棚』が朝日新聞で紹介されるなど好評)、サキさんと待ち合わせ。サキさんは、やや遅れて。3人だけで呑むのはひさしぶりで、大いに盛り上がった。生ビールのあと赤ワインを一本あける。にしては、意外に安くてうまかった。

都電学習院下まで歩き、一駅乗って、鬼子母神前へ。この日は、鬼子母神お会式の万灯行列があるというので、いつも鬼子母神通りでみちくさ市をやる「わめぞ」一味がいるから、そこに雪崩れ込んで一緒に呑んで祭りを楽しもうという趣向。

鬼子母神前駅から鬼子母神通りを、わめぞ一味がいる、みちくさ市の時には本部になるキク薬局だったかな?に向かう。すると、ちょうど万灯行列が来た。いやあ、すごいすごい。

万灯というのは、ここ東大宮にも有名な「砂万灯」という祭があって、おおよそ知ってはいたが、このように行列で練り歩くものだとは知らなかった。東大宮のは、神社の境内に置いたまま灯をともすだけだから。もとは一種の、灯りをつけて引く、山車なのだな。

万灯一台の前後を、鉦や太鼓や笛の鳴り物、それに纏をふるいながら、それが一組となっていく。これが25台もあるのだ。池袋駅周辺から明治通り、鬼子母神通りを通って鬼子母神へ。あまり広くない通りは、にぎやかで明るい万灯行列で一杯。

わめぞ本部には、いつもの顔なじみがいた。着くとすぐ、退屈くんが太鼓を渡してくれた。この太鼓、皮が一枚だけの、日蓮宗の坊さんが持つようなもの。そういえば、この万灯行列も、神社というよりお寺さん関係が多いようだった。うーん、鬼子母神は神様じゃねえのと思ってみたりしたが、ま、神仏混交の日本においては、そんなことはどーでもよいのである。とにかく、ひらべったい竹のバチで太鼓を叩いていると身体が自然に踊りだす。楽しい。そばでは、木村さんもサキさんも叩いている。いやあ、楽しい、楽しい。酒を呑みながら、叩く。

叩き疲れて、ユーストリームとかいうやつの中継をしている退屈くんのそばで、呑みながらオシャベリ。そうそう、そのユーストリームとかいうやつのマイクでも何かしゃべったようだ。木村さんもしゃべっていたな。どのみち酔っ払い。サキさんは、かなり元気よくなっていた。

そうして時は過ぎたのでした。おれは、まだ行列が終わらないなか、終電に乗り遅れないよう早退。酔っていて、池袋の駅で一度方向を失ったが、無事に?泥酔記憶喪失帰宅。

翌日「こんないい祭があるのを知らなかった。観光化されてない、田舎の町内の祭を思わせる、それでいて盛大。来年も行くぞ!」とツイッターに書いたら、当夜は仕事で来られなかったネギさんが、「自分も三年前に知ってやみつきに。今年は行けなくて本当に残念でした。」と。ほんと、こりゃ、やみつきになるよ。

わめぞ本部には、酒もタップリあって、おでなどもあり、じつに「町内会的」楽しさにあふれていた。どうもありがとう。

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2011/10/23

スソアキコ帽子展のち経堂、太田尻家とさばのゆ。今月の予定。

去る11日から18日まで、スソアキコさんの帽子展があって、さっちゃんが休みの12日に行った。以前も、ここであったが、南青山の「DEE′S HALL」。こんな感じでした、2009/10/28「楽しい~、スソアキコ帽子展「頭にくるり」は、30日まで。」

Dscn0581_2いやあ、今回も、楽しい帽子展で、アバァンギャルドにして実用をコンセプトにするスソさんの帽子をかぶっては撮影し、楽しみました。とくに先日の浅草での「六箔五日」展では、かぶってみられなかった、鹿の角をモチーフに金箔を使った帽子もかぶって見られて、大満足。これはオス・メス一対で展示されていて、おれがかぶっているのはオス。

そして、今回のテーマは、「夜光」。これをかぶると「夜光虫」の気分で、夜な夜な、女は男を求め、男は女を求め、あるいは男が男を女が女をということもあるだろうが、徘徊したくなる帽子。そんな説明があったかどうか?とにかく、スソさんの帽子については、何度も書いているが、かぶると気分はアバンギャルドにしてアバンチュールに変身し、とてもおもしろい。いろいろな「夜光」の帽子があった。

Dscn0580このブログではサボッて告知しなかったが、ツイッターで告知し、行ってきてからも写真で紹介したら、何人かの方が行って、おれの紹介にいつわりはなく楽しめたと喜んでもらえた。次回も、きっと行きたくなるでしょう。

それにしても、スソさんは、ちかごろ精力的に帽子に取り組んでいますなあ。見るだに、話を聞くだに、細かい辛気臭い作業がつきまとうものを、よくこれだけ作っていると驚いた。ま、のっているのですね。この力強い、のびのびとした作品をかぶって、そう思いました。

そのあとは、東京さ出たついでに、経堂の太田尻家へ。家長の料理を堪能しながら一杯やっていると、入ってきた女子2人連れの客の1人の方が、『大衆食堂パラダイス!』を読んでいる最中と取り出し、それにサインをすることになった。あいかわらずサインの字はヘタだが、ぐうぜん読んでいる最中の方に合うとは、うれしいものである。

Dscn0586帰りが遠いから、あまり遅くならないうちにと21時過ぎ太田尻家を出て、ちょっとさばのゆの須田さんに挨拶だけしていこうと寄ってみると、挨拶だけじゃすまなかった。ここに最初20冊ほどあった『大衆食堂パラダイス!』が、もう8冊ぐらいしかなく、残りにサインをといわれ、5冊にサイン。その場にいた方に、さっそくお買い上げいただいた。

ツイッターでフォローの関係ではあるが会ったことはない盛岡出身の方もおられて、話が盛り上がる。が、帰りは遠いからゆっくりはできない。梅の宿を一杯呑んで、泥酔までいかない酩酊ぐらいで、帰ってきた。

残り今月の予定。

25日(火)。「古墳でコーフン」のトークを2度やった、お台場の東京カルチャーカルチャーで、「ゆるい専門家ナイト」ってのがあり、お声がかかったので参加します。なんだか、いろいろな専門家がいておもしろそうと、ヤジウマ根性で。おれは「大衆食堂専門家」ってことだけど、自らは専門家と思ったことはなく、そんなにしゃかりきじゃないのだが、でも「ゆるい専門家」ってことだから、いいじゃないの。ま、いろいろな専門家をネタに楽しく呑みましょう。 ってことで、よろしく~。
http://tcc.nifty.com/cs/catalog/tcc_schedule/catalog_111003203734_1.htm

30日(日)10時半からの文化放送。このあいだ収録があった浜美枝さんがパーソナリティの放送があります。『大衆食堂パラダイス!』をネタにしゃべります。この番組で大衆食堂をネタに話すのは、これで2度目。よろしく~。

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2011/10/21

『四月と十月』25号と、四月と十月文庫『ホロホロチョウのよる』ミロコマチコ著。

Dscn05909月のうちにいただいていたのだが、酒を呑むのに忙しく、紹介が遅くなってしまった。

美術系同人誌『四月と十月』25号。おれの連載「理解フノー」は7回目で「わが「断捨離」歴」のタイトル。わが家には、ひとが来て驚くほど、ものがない。それは「断捨離」によるのではなく、もともと無いのである。その状態に至るまでを10歳のころから綴った、これやっぱり過激な「断捨離」歴か。

それはともかく、「アトリエから」に掲載される同人のみなさんは、さらに増え、しかも若い女子が増えた感じだ。パラッと見たときの雰囲気が、少し変わったかな。

久家靖秀さんの写真を見て思い出した。東京ミッドタウンのTIME & STYLE MIDTOWNで写真展を開催中なのだ。でも23日まで。うーむ、行けない。呑むのに忙しくて、うっかりしてしまった。

その久家さん、まいど文章がよいのだが、今回もまたとりわけヨダレが出るほどだ。「オムレツの理由」のタイトルで、「映画『ひまわり』で、新婚のマルチェロ・マストロヤンニが、ソフィア・ローレンと作って食べる巨大な丸いオムレツ」を作るのである。

うまそう。それに、「冷やした白ワインでやるべし。」で締める文章が、ヒーッ、しゃくにさわるほどカッコイイ。おれもやってみよう、おれも新婚じゃないし、老人だから、久家さんは卵10個だが、おれは5個でよいか。

表紙は、川原真由美さん。よくガキのころやった、手を紙の上にのせて指のまわりをエンピツでなぞる。アレなのだが、やはり描くひとが描くと、ちがう。線がちがう。

もくじや入手法などは、こちら公式サイトをごらんください。まいど強調するけど、この顔ぶれ、このクオリティ、お買い得ですね。
http://4-10.sub.jp/

さらに注目。1冊目『えびな書店店主の記』(蝦名則著)が、東京堂書店の週間ベストセラーで1位になるなど人気だった四月と十月文庫の2冊目がリリースされた。

同人のミロコマチコさんの絵と文による『ホロホロチョウのよる』だ。これまた見逃せませんぜ。

「1981年大阪府枚方市生まれ。動植物を主に描き、大阪・東京での個展・グループ展などを中心に活動。2010年に初の絵本『やまのいえで』をカイトプレスより刊行。同年より美術同人誌『四月と十月』の同人となる。2011年「HBファイルコンペvol.21」藤枝リュウジ賞受賞。」というのが奥付にある著者紹介だが。そーんなことは、どーでもよいぐらい、ミロコマチコさんは、その名前もユニークだが、ご本人もユニークだし、その魅力は絵にあらわれているし、この本にもおさまっている。

たとえば、おれが一番おもしろいと思ったのは「アフリカゾウ」だが。この画像の絵の文章は、こんなぐあいだ。

Dscn0591「真っ正面から見たアフリカゾウの顔がかっこいい。四つ切画用紙を縦にして長い鼻を描く。全然、紙足りへん。もう1枚下に継ぎ足そか。セロテープでええやろ。ビビビー。ペタペタ。ちょっとヘナヘナの鼻、できた。頭描いて、キバ描く。全然耳入らへん。頭の両側にもう1枚ずつ紙を継ぎ足す。ビビビー。ペタペタ。耳はええのん描けたな。体も描きたくなってきた。」…「あれ、同じ紙もあれへん。ちょっとあそこの包装紙使おか。」…「あれ部屋足りひん。全部広げられへんけど、まぁええか。」…「ほなくっつけよか。なんや、くっつけたら全然色ちゃうやん。せやけど何かかわいいわ。」

おれは、読みながら、ええんか、ええんか、それでええんか、ええようだな、なーんだ絵ってのは、こうやって描けばよいのかと、えらく納得した。きっと、おれも、絵を描くぞと思った。

とにかく、このように、ミロコさんは、四角四面にはおさまらない愉快なひとなのだ。「創作の苦しみとその解決」といったものは、本書に期待していてはいけない。そういう観念や絵という芸術に対する、かしこまった幻想を、やわらかく破壊しちゃうのだ。ただただ描くことが、ミロコさんと一緒に楽しくなる。

とにかく、手にしてご覧なさいよ、絵の世界だけじゃなく、生きている世界もちがって見えるでしょうよ。

さて、それで、「ミロコマチコ画文集『ホロホロチョウのよる』刊行記念トーク」ってのがあります。11月11日(金)19時から、古書ほうろうさんで。

「絵を描くことについてのあれこれ」

  語り手 ミロコマチコ(画家、絵本作家)
  聞き手 牧野伊三夫 (画家、「四月と十月」発行人)

詳しくはこちら。
http://www.yanesen.net/horo/info/detail.php?id=104

四月と十月文庫は、港の人から出版されています。
http://www.minatonohito.jp/main.html
11月には3冊目が刊行の予定。著者は、『四月と十月』に「装幀のなかの絵」を連載している、『クウネル』などで人気のアート・ディレクター、有山達也さんが同名のタイトルで。
ますますの充実、楽しみですねえ、『四月と十月』と、四月と十月文庫。

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2011/10/17

きのうから『大衆食堂パラダイス!』デー? ラジオ出演、読売新聞など。

きのうから『大衆食堂パラダイス!』をめぐって、なんだかんだうれしいことがあった。

2011/10/14「泥酔一直線、第三夜。文化放送収録のち新橋取材4軒はしごのち中野。」に告知したように、JFN「サンデーフリッカーズ」の7時15分からのコーナー「一之輔のそこが知りたい」の電話出演があった。パーソナリティは、真打昇進が決まった春風亭一之輔さん。

ラジオの電話生出演は、3度目ぐらいだが、慣れてないので、相手の顔が見えないのと、生だから「放送禁止用語」を口にしないようにと思って、キンチョーしちゃう。でも7分ぐらい、簡単だ。とにかく、始まるころには頭がスッキリしているよう、6時半ごろ起きた。

台本があるわけで、パーソナリティは、本を読んでいなくても話せるし、そういう人もいて話しているとわかるのだが、一之輔さんは、ちゃんと読んでいて、読んでいなくてはできない話をした。

『大衆食堂パラダイス!』を紹介するのに、「この本はガイドブックじゃないけど、店の雰囲気や店主や客など、人物描写というか、それほど立ち入るわけじゃなくて、とてもいいんですね」というようなことをおっしゃった。

台本では、東京は鶯谷の信濃路、大阪は千日前のしみず、北九州のエビス屋昼夜食堂の話をして、時間があったら、一之輔さんも利用したことがある野田のやよい食堂(一之輔さんは野田の出身なのだ)の話の予定だったが、話しているうちに、信濃路までが長くなり、大阪のしみずは飛ばしてすすんだ。最後、野田のやよい食堂の大盛ぐあいや串カツの話で大いに盛り上がった。これは食べてないとできない話。ま、なんとか、無事に終了。

午後、『大衆食堂パラダイス!』が週刊文春で紹介されていると教えてくださった酔仙亭さんが、今度は2011/10/07「週刊文春の新刊推薦文に『大衆食堂パラダイス!』が。」のコメント欄で、「本日の読売新聞11面書評欄に、やはり書評が。すごいすごい。」と。

ほぼ同時ぐらいに、ツイッターで。朝は「出張中の大阪でKissFMという局で聴けました。とてもよかったです。一之助さんの紹介の仕方もよく短い時間でエンテツさんの著書の魅力が伝わってきました」とつぶやいてくださった@NEGITETさんから、「本日の読売新聞読書欄の文庫新書コーナーで『 大衆食堂パラダイス』が紹介されていました。曰く、いわゆる大衆食堂ガイドではない。食から生まれる物語。その郷愁にしみじみと浸ることができる一冊」とツイートいただいた。

早速、近くのコンビニへ。午後3時をすぎていたが、日曜日だったので、まだ朝刊があった。「文庫新書」のコーナーのトップに載っていた。

A

その内容は、今日、読売のオンラインにも掲載になった。こちらで見られます。
http://www.yomiuri.co.jp/book/bunko/20111017-OYT8T00856.htm?from=tw

んで、今日、その読売に載った効果は、どれぐらいかとアマゾンをチェックしてみた。すると、なんと、なんてこったアマゾンは、在庫切れで「通常5~6日以内に発送します。」の表示。効果ありすぎて、在庫切れになったのだろうか?その前を見てなかったのでわからない。でもまあ、ランキングは、いい位置につけている。そのうち凋落するかも知れないが・・・。

それより、10月15日に新しいレビューがあって、これが、港町奉行 (東京都町田市)という方のもので、すごく熱い内容で、おれは驚き感動してしまった。自分の本のことなのに、「いい本だなあ」なんて思ってしまった。

まず、タイトルが「男性的視点からの食堂讃歌」だ。要約、といっても、全文に近いが、このように書かれている。

男性的視点、田舎者的視点、ブルーカラー的視点からの大衆食堂讃歌です。
資料的価値を求める方にはあまり役立ちませんが、
煮えたぎるパッションを隠さない、熱い咆哮には耳を傾ける価値があります。

(略)
その筆致には東京者の心臓をも掴んで離さない、不思議な魅力があります。
筆者自ら「売れない本」と認めるように、ちくま文庫版の初代作、
「汁かけめし快食学」はとうに絶版となっているけれども、
その時代逆行的な(?)論調こそ、現代に求められる
荒々しくも優しい人間の哲学とも映るのです。

それは「都会においての人間性の復権」に違いありますまい。
http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A7%E8%A1%86%E9%A3%9F%E5%A0%82%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%B9%EF%BC%81-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-12-2-%E9%81%A0%E8%97%A4-%E5%93%B2%E5%A4%AB/dp/4480428593/ref=pd_rhf_p_img_1

本は、著者の手を離れると、いろいろな読み方をされる。最初のレビュー、「鯖の味噌煮、オムライス、まぐろぶつ、コロッケ/三軒茶屋では「芝多」である。」は、じつに簡潔だが、その人の体験と本の内容が重なっているようで、うれしい。

しかし、なんだね、おれは、「時代遅れの男」というより「時代逆行の男」かも知れない。「昔はよかった」ということではなくて。未来へ向かいながら時代に逆行する男だな。

さらに、さきほど、ご当地、「ちゃぶだい」の大将のブログを見たら、きのう16日のエントリーが、全面的徹底的に2011/10/14「泥酔一直線、第三夜。文化放送収録のち新橋取材4軒はしごのち中野。」をネタにしているのだった。
しかも、その写真が、このあいだ呑んだ、おれ好きな「秋鹿」だ。泣けるぜ。

大将は、最後を、このように締める。・・・・・

と、まぁ…お客様がメディアに露出するっていうネタで申しわけないんだけど、食い物の本質というか、飾らず、気取らずに旨いモノを喰う。
こういうエンテツさんのスタンスは、アタシも大いに共感できる。
エンテツさんの【大衆食堂パラダイス】是非ともご一読いただきたい。
働き、そして…生きるための「メシ」とは、どういうものなのか?
女を口説くための「メシ」ではない。
商談成立を目論んだ「メシ」でもない…
酒を呑む相棒にもなれば、「白いメシ」をかっ込む力強い味方にもなり得る。
そんな料理を提供する店。
街に根付き、人々を見守る。
お客様とともに年を重ねる…
そういう店が、街には必要…ってこと。
そういう店がアタシの目標。
そして、今日もいろいろと考えちゃうんだなぁ…?
http://chabudai2009.jugem.jp/?day=20111016

『大衆食堂パラダイス!』を読んで、お店の方にこう言っていただけたら、著者冥利につきる。

こんなふうに、きのうから『大衆食パラダイス!』デーな感じなのだ。
今日は、dancyuの校正が出た。

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2011/10/15

泥酔一直線、四夜と五夜。鶯谷と王子。

いつまでもデレデレ泥酔録を書いているわけにはいかない。ほかにも書きたいことがあるのだ。さっさと片付けよう。

4日に中野から泥酔記憶喪失帰宅したあとは、一日おいて6日木曜日。19時から、おれの68歳の誕生会なるものがあった。ちょうどまあ、ひさしぶりに本がでたあとでもあるし、祝出版もかねて、ってことだったらしい。ようするにおれをネタに呑もうという連中が企画し集まったのだ。おれを含めて10名ぐらいだったかな。

場所は、鶯谷。といえば「信濃路」だが、行ったところは、そうではない。なんと、豆腐を「豆富」と書く、高級豆腐料理屋の「笹乃雪」だ。なんてこった。

でも、まあ、ここは70年80年代に何度も行っている。何度も行くような店じゃないが、いろいろ付き合いがあってのこと。今回もまあ、付き合いである。みなさんにご馳走になるのだから、どうせなら高いところがよい。で、もちろんドンドン呑みました。幹事さんが、高千代酒造の純米酒「巻機」まで用意してくれたし。

そもそも、おれはガキのころから誕生会なんぞしてもらったことはないのである。誕生会、なくて普通で育っている。だから、キンチョーした。キンチョーしたから、楽になろうとガンガン呑んだ。先に酔って好き勝手言ったほうがよい。ま、そうして酔うほどに、2時間は、またたくまにすぎ。3人ほどは帰り、あとは2次会。

カラオケへ行こう、となった。ところがですね、鶯谷駅周辺には、カラオケがないのですよ。新発見。みんなラブホやスナックでカラオケやるのだろうか。とにかくない。で、大人数でも座れる呑兵衛へ。ここで、たぶんおれの終電ぐらいまで呑んだはずだ。なんか言いたい放題、めちゃくちゃ言っていたような気がするが、おれの誕生祝いだから、いいのだ。

帰りは、鶯谷駅あたりから記憶がない。とにかく、盛大にして高級な誕生会を、どうもありがとうございました。

つぎ、第五夜は、一日おいて8日土曜日。前からりかさんと王子で「泥酔ツアー」をやろうと相談していた。もう呑む気満々で、りかさんは「泥酔ツアー」にふさわしい呑兵衛男子を2人用意してくれた。16時、王子駅集合。男子一名は、仕事ゴルフで遅刻参加。

まずは山田屋。生ビール、大徳利、高千代の辛口4合瓶2本などあけ、そのあたりで仕事ゴルフの男子が加わって、さらに泡盛の瑞泉4合瓶1本。とやって、とにかく、この泡盛が効いた。

21時ごろ閉店で追い出される。山田屋が閉店までいたのは初めてだ。だいたい、あそこで、デレデレグダグダ長時間呑むことはないもんね。山田屋は、相変わらず盛況だった。

2軒目は、柳小路の福助。ここは、当ブログでも何度か書いているし、ザ大衆食のサイトにも載っている。おれが、何年前になるか、1997年のことだ、散歩の達人で初めて取材してからのお付き合いだった。しかし、2008/02/20「ついに、やはり、王子の福助閉店。」に書いたように、高齢で閉店になっていた。

そこを居抜きで借りたのか、いま店をやっている若い主人に、たぶんイキサツを聞いたと思うのだが、もう福助の昔のままの店内に入りカウンターに座ったとたん、ほぼ記憶は失われているので覚えていない。とにかく、りかさんと男子2人は、新しい経営になってから、すでにここで呑んでいるのだった。なんという偶然。

Dscn0575記憶がないまま、どうやら終電ぐらいまでは、呑んでいたらしい。翌朝、目が覚めたら、手の甲に落書があった。こんなことするのはりかさんだろう。いったい、酔って何をしていたのか。あとでわかったが、男子1名も福助、いや、山田屋で泡盛を呑んだのも記憶になかったらしい。みな「泥酔ツアー」の名にふさわしい、呑みっぷりだった。

りかさんと1人の男子は20歳後半であり、もう1人の男子は41歳ってわけで、親子と親子以上に齡が離れていたのであるが、話題はつきず、ずいぶん気持よく呑んで酔えた。また、やることになっている。あな、おそろしや、楽しみや。

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2011/10/14

泥酔一直線、第三夜。文化放送収録のち新橋取材4軒はしごのち中野。

Dscn0543順番からすれば、第二夜だが、簡単に書いておく。2日の日曜日、同期会の六日町から、新幹線でも酒を呑みながらヨタヨタ帰ったが、毛細血管の先端までアルコールがまわっている感じだった。その夜は、頂き物の高級シャンペンなんぞを呑んで、心地よく酔って寝た。

そして、3日月曜日。なんとなく疲れが残っていたが、東大宮までやどやのボスとままりんが来ることになっていた。イチオウ、呑みーティングなのだ。17時に駅で待ち合わせ。

とりあえず、西口の鉄砲屋。あれこれ、懸案事項的なものを話し合いながら、生ビールから。18時すぎ、コタツは休みだし、ちゃぶだいが開いただろうと移動。生ビールから清酒。この清酒が効きましたね。酔いが早かった。やどやのボスも、めったに呑まない清酒を呑んで、酩酊状態。おれは、二人が中野まで帰る終電に乗る改札で別れたあたりで、記憶喪失。

まりりんに、68歳の誕生祝いにと、カップ酒を貰った。10個、ぜんぶちがう銘柄、2個を除いて純米酒。いやあ、愛情がこもっています。さすが愛人5号、もつべきはいい愛人。

さて、最大の山場は、第三夜、翌4日火曜日だった。

Dscn0546まず、12時から浜松町の文化放送で、収録。出演する番組は、3年ほど前にも一度出たことがある、浜美枝さんがパーソナリティの「浜さん家のリビングルーム」。

これは、シラフ。『大衆食堂パラダイス!』をネタに、あれこれしゃべる。しかし、まいどのことだが、始まると、放送作家の方が書いてくれた台本なんぞ忘れてしまう。手元にあっても、メガネがあってないから、よく見えない。言われて思いつくまましゃべる。とにかく、たぶん、無事に終了。

この放送は、10月30日日曜日の10時半からの番組です。よろしくね。

14時から、新橋で取材。『dancyu』の12月号になるのかな?とにかく11月6日発売の号です。

Dscn0560ポテトサラダ特集なのだが、おれは、新橋の2丁目3丁目あたりの立ち呑み3軒をまわって、ポテサラを食べ呑み酔っ払わなくてはならない、という趣向なのだ。そーいうわけで、ほとんど立ちっぱなしで、ガンガン呑みました。もちろん取材ですからね、ポテサラを食べ、お店の方の話も聞き、メモもとりました。

そうそう、この日は、まだ朝のうちは前夜の酒でボンヤリしていたのか、念のためにレコーダーを持っていこうと思いながら、出かけるときに忘れてしまって。だからメモが頼りだけど、3軒目では、もうかなり酔っているから字がよたっていた。

3軒まわってから、もう一度最初の店に戻り、おれが酔ってヨタヨタ状態を撮影となった。まあ、演技じゃなくて、ほんとに酔ってました。で、たぶん無事に終わって、担当編集さんがオススメの立ち呑みへ行こうと、これは取材ではなく。ここで、青森の田酒を呑んだのは覚えているのだが、記憶がアヤフヤになる。だいたい店の名前と場所を思い出せない。

19時半ごろだった思う、新橋で別れて、おれは帰らずに、中野へ向かった。この夜、中野のやどやゲストハウスへは、新橋に会社があるグローバルの連中がプレゼンに行っているし、やどやは毎週火曜日恒例のワンコインディナーパーティーの日なのだ。それが頭にあったもので、中野へ向かったと思われる。

着いたら、もうなにがなんやら、にぎやかで、あちらも酔っている、おれは泥酔で、もうまったく覚えていません。記憶がないまま、ちゃーんと帰宅。後日、東大宮で改札を入ろうとしてスイカが使えなくて分かったのだが、中野で乗ったまま東大宮で改札を通過したチェックがないのだった。

生ビール、ハイボール、清酒、焼酎・・・、どれぐらい呑んだのだろう。まあ、そんなで、なんとか第三夜まで書きました。この週は、あとまだ木曜日と土曜日と泥酔一直線が続くのだが、今日は、これまで。

『dancyu』の原稿は、無事に書けた。たぶん、おれなりの書き方で、書けていると思う。『dancyu』は、いわゆるグルメ系の雑誌で、おれとはあまり縁がなかったのだが、今年1月の2月号に初めて登場し、2回目だ。今回も好きなように書いてくださいと言われ、好きなように書かせてもらったが、おれは、いわゆるグルメ記事な書き方ではない。だけど、前のエントリーで山口さんが言われているように、「グルメとは違う飲食店の味わい方」ってのがあるわけだ。

そろそろ画一的な型にはまったグルメから脱皮すべきじゃないだろうか。

それはともかく、新橋もポテトサラダも、とても面白いと、あらためて思った。11月6日発売の『dancyu』、ぜひ読んでください。

そうそう、明後日、16日(日)。JFN「サンデーフリッカーズ」の7時15分からのコーナー「一之輔のそこが知りたい」に電話出演します。パーソナリティは、真打昇進が決まった春風亭一之輔さん! 青森、群馬、栃木、長野、富山、福井、岐阜、滋賀、兵庫、山陰、岡山、広島、香川、徳島、高知、佐賀、大分、宮崎、鹿児島の地域でも聴かれます。よろしく~。

Dscn0572この写真を覚えておいて、『dancyu』をご覧いただくと、よいかも。なにもいいことありませんが。

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2011/10/07

週刊文春の新刊推薦文に『大衆食堂パラダイス!』が。

『大衆食堂パラダイス!』の発売からひと月が過ぎた。「意外や意外」と言われた好調の出だしだったが、はて、これからどうなるか、って頃なのだ。これで失速ということがなきにしもあらず。

おととい、2011/09/11「意外や意外、出だし好調『大衆食堂パラダイス!』。」にいただいたコメントで、「週刊文春」(10月13日号)の117ページ「新刊推薦文」に載っていると知ったので、早速入手した。

簡単な「推薦文」だが、うれしい内容だった。・・・「究極の味」より、「普通のうまさ」こそ偉大だーー庶民の快食を追い求めてきたライターが、日本津々浦々の大衆食堂を辿り歩き、その魅力、愉しみを語り尽くす。・・・と。

先日、前のエントリーにあるように新潟の故郷へ行って来たが、あちらで2日の新潟日報朝刊を見たら、読書欄の新書・文庫を紹介するコーナーに、やはり簡単な紹介があった。

ま、このテの本は、新聞や雑誌の書評で取り上げられることは、あまり期待できないし、発売からひと月すぎて、もう「新刊」でもなくなるから、あとは読んだ方の口コミ評判しだいになるだろう。

口コミ評判といえば、メディアとしては、ブログやツイッターがある。ツイッター上では、とくに文字数制限140字の関係もあるから、「買った」「読んだ」に簡単な感想がつくぐらいで終わる。しかし、うれしいことに、これがけっこうあって、にぎわいになっている。ありがとうございます。

2011.10.04 10:48に、散歩の達人編集長の山口昌彦(@nosukepin)さんが、「 遠藤哲夫 大衆食堂パラダイス、大竹聡 下町酒場ぶらりぶらり。合わせて読むと、グルメとは違う飲食店の味わい方がよくわかる。たまらなく、東京という街がいとおしく思えてくる」とツイートしておられて、うれしかった。
https://twitter.com/#!/nosukepin/status/121038966089715713

週刊文春の推薦文も山口さんのツイートも短いものだが、力づけられた。

そのうち、ブログやツイッターでの感想をまとめてみようと思うが、今日は、これまで。
すでに「あとがき」を読んだ方はご存知と思うが、続編が出るかどうかは、この売れ行きしだいなんですね。
さらに、これから、よろしくお願い申す。

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泥酔一直線、第一夜。1日、六日町中学校第12回同期会。

Dscn0573

30日のあと更新が止まっているのは、泥酔のためだ。10月1日、3日、4日、そして昨日の6日と、激呑み泥酔記憶喪失帰宅。はあ、なんで酒ってうまいんだろう。懲りないんだろう。今日も、もう夜だというのに、きのうの酒かおとといの酒か、その前の酒かわからないアルコホルが、胃や肉体に滞留している感じです。

とにかく、まず1日土曜日の六日町中学校第12回同期会。

Dscn0517会場の六日町のホテル坂戸城で15時半からの受付だった。なので各駅停車でのんびり酒を呑みながら行くことにした。秋の風景を車窓に見ながらカップ酒なんぞを呑むのはいいものです。

大宮で高崎行き、高崎で水上行き、水上で長岡行きに乗り継ぐ。最初の予定では、東大宮何時だったかなの電車に乗ると、水上で1時間ほど余裕があるから駅前の食堂でも一杯やれる目算だった。ところが出がけに急ぎの野暮用の電話があって、乗る予定の電車をはずしてしまい、東大宮発10時8分になった。これだと、乗り継ぎはちょうどよすぎて水上で食堂に入っている間がない。

高崎までは電車がそこそこ混むから呑むのは遠慮して、高崎で缶ビールとカップ酒を買って乗り換え。車窓の景色は高崎から先はドンドン変わる。稲刈りの終わった田んぼも、赤城の山も妙義の山も次第に姿を消し、列車は利根川に沿って山あいへ。上越国境の山がそびえる水上駅で乗り換えの時に、ビールをもう一本。ホームで呑む。キリッと冷たい山間の秋の空気の中で呑むビールが、またうまいんですなあ。

六日町に着いたのは14時40分ごろだったと思う。ラーメンを食べて腹ごしらえをして臨んだほうがよいだろう。とにかく、酒豪揃いの同期だし、呑めばあまり食わなくなる。駅前の大阪屋は閉まっていた。万盛庵へ。

Dscn0520万盛庵のラーメン、うまい。大衆食堂のラーメンの味だ。そして、この器は、おれが高校を卒業して町を出る前からのものだ。どんぶりのふちの柄が、長年の摩耗で、ところどころかすれている。食べるまえの写真は無いが、食べ終わって見たら、万盛庵のラーメンの味覚の歴史をひしひしと感じ撮影した。ラーメンは食べれば無くなるが、器は残るのだな。

とうちゃんがイトウリとミョウガの漬物を出してくれた。これが、うまい。酒が呑みたくなる。だけど、ここはガマンだ。だいいち、呑み始めたら同期会へ行くのが面倒になるに決まっている。

Dscn052215時半すぎ万盛庵を出て、街中をぷらぷら歩いて、ホテル坂戸城へ向かう。ホテル坂戸城は、魚野川に架かる坂戸橋を渡った東側、坂戸山の登山口近くにある。魚野川を見ると、3、4歳の頃、弟のオムツを洗う父と、そのそばにいる自分の姿を思い出す、小学生になってカジカを突いた場所をながめる。護岸の工事で川の様子は変わっているが、川面を見れば思い出すことはある。

同期会は、記念写真を撮ったあと、17時から宴会になった。乾杯が終わると、あとは勝手に動きまわり、さしつさされつ。なにしろ飲み放題だ。ビール、焼酎、ウィスキー、もちろん清酒、もうチャンポンもすごいもの。

宴会は2時間半ぐらいで終わったと思うが、そのあとは二次会。近くの飲み屋へ移動して、また呑むのだ。そして、おれは、途中で完全に記憶を無くした。気がついたら、朝。ホテル坂戸城で一室で、まわりには、ほかの同期生たちもいた。

温泉に入ってから、朝めし。もう呑む元気もなく、帰りは越後湯沢から新幹線。でも、新幹線の中で、呑んだけど。やっぱり、そのう、秋の空気は酒がうまいね。

とりあえず、こんなところで。

同期会は5年ごとの開催で、60歳の還暦同期会のあと、3年前の65歳の時あって、おれは忙しくて出席できなかった。だから本当は、あと2年後の70歳の時になるのだが、もういつ死ぬかわからない、それまで待てないという声もあって、急遽今回の開催になった。急にしては、60名も集まった。次は70歳だ。みな「元気で会おうね」といいながら別れていった。

Dscn0541

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