「肉の津南」のうまさとおもしろさ。
きのうの続き。タノ野暮酒場の隣の「肉の津南」のことだ。津南は、おれの故郷の南魚沼市は六日町に隣接している。おなじ魚沼地方なのだ。そこの出身のおばさんがやっているというので、酒のつまみの足しになる買い物がてら行ってみた。
正確には、肉の津南小岩店だ。やはり津南出身の「津南」という肉屋さんが、同じ江戸川区のどこかにあって、そこからの暖簾分けらしい。
タノさんがいうには、牛肉は置いてなくて、豚と鶏だけ。マカロニサラダとポテトサラダが人気で早く売り切れる。肉屋なのにあじフライがうまい。ということだった。
なるほど、まだ18時前だったと思うが、マカロニサラダとポテトサラダは売り切れだった。精肉は、売り場の2、3割ぐらいか。揚げ物メニューが多い。あじフライをたのんだ。注文してから、衣をつけて揚げるのだ。揚げ物は、ほとんど、注文してから揚げるようだ。
待つあいだ、おばさんと魚沼の話などしながら棚を見る。「苗場のもち」というのがある。おばさんが、「苗場のほうが知られているからね」と言った。津南高原農産というところがつくっている。白、玄米、粟、草などが揃っている。
ほかに、「やまちゃん」という豆腐があった。江戸川区内の豆腐屋のものだが、このパッケージに「手づくりとうふ 清津峡」とあるのだ。清津峡、山をやるひとなら知っているひともいるだろう。「日本三大渓谷の一つ」といわれるが、津南の近くにある。やまちゃんも、おそらく、そのあたりの出身なのだろう。
これらが、どうしてここにあるのか。とにかく故郷の縁にはちがいないのだろうが、それは、東京の街の表層からは見えない、人のつながりが続いていることを意味しているようだ。おれの頭の中を「編集されざる縁の多様性」という感じの言葉がよぎった。
つまり、何者かによって、意図された意志や目的が明確な計画にそって編集されたものとはちがう情報の流れが、街の見えないところをつくっている。のではないか。だけど、美しい売り場や本あるいはテレビ番組やテーマパークのように、計画され編集された強い意志に働きかけられ、それを受身に消費することに慣れてしまった人びとにとっては、なんとも雑然とした程度の低いダサイものにしか見えない関係。この売り場では、逆に、そういうことが息づいているのだ。成り行きでメニューが増えた、個人店の大衆食堂のように。
東京の東のはずれ。東へ10分も歩けば江戸川で、その向こうは千葉県だ。しかも商店街からもはずれて。客が押し寄せるようなことはないのだろうが、おれがいるあいだに、誰かしら来て買って行った。細々とした商いだとしても、成り立っている背景は、けっこう深く広いようだ。
あじフライは、確かに、うまかった。揚げたて、ということもあるが、揚げぐあいがよいうえに、小ぶりで身が厚くて、あじの旨味がタップリ味わえるのだ。肉屋なのにあじフライがうまい。これは、また、そこに何か「編集されざる縁の多様性」があるような気がして、気になっている。
また出かけていって、もっと話を聞いてみたい。そもそも、このおばさん、60歳近くに見えるが、小岩あたりの津南のつながりも気になる。拙著『大衆食堂パラダイス!』の25ページには、さいたま市与野にある、津南出身の「あたりばちラーメン」のおやじが登場する。
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