千葉県立中央博物館「古墳に眠る石枕」展に行った。
一昨日のことだが、ひさしぶりに古墳部活動に参加、千葉県立中央博物館で開催中の「古墳に眠る石枕」展に行った。
11時20分、千葉駅改札集合だった。余裕を持って9時前に家を出た。早く着きすぎたので、立ち食いそばなんぞを食べて時間をつぶす。部長のスソさん、瀬尾さん、宇田さん、畑井さんが揃い、まずは昼食ということで、少々歩いて「阿づ海」というそば屋へ。おれは立ち食いをやったばかりだったが、カツ丼をガツンと腹に詰め込む。古墳部は、よく歩くし、立ちっぱなしの時間が長いから、腹ごしらえは十分すぎるぐらいがよい。初対面の米沢さんが合流。
総勢6名、千葉駅にもどり、バスに乗る。千葉大病院前のバス停で降りて、10分ほど歩く。そこは、広大な台地の上だ。千葉の台地の上では、海の風と太陽の光を感じることが多いが、今回もまた。埼玉とは風土がちがうと思う。歩くと、右前方、住宅が切れて森林が広がる。「青葉の森公園」という、その中に、博物館はあった。かなり広い敷地に、石造りの平屋の建物。「千葉は無駄に広い」という感想で、贅沢に思ってしまうのは、日頃がセコイ環境にいるからにちがいない。
畑井さんの知り合いの学芸員さんとの待ち合わせに時間があったので、敷地内にある荒久古墳へ。とにかく無駄に広い、博物館の受付でもらった公園の案内図を見ながら行くのだが、途中で方向がわからなくなり、掃除のおじさんに尋ねる。すると、「その道を上がったところ」と指差す。そちらを見ると、まぎれもない古墳の姿が。誰からともなく、「あったー」と声が上がり、おじさんにお礼もそこそこに、われ先にと駆けだす。なぜか古墳の姿を見ると気分が高揚するのだ。古墳は初めての米沢さんが、「わかったぞ、この高揚感」とか言いながら早足、もう古墳にハマった感じ。
荒久古墳は、この公園でも最も見晴らしがよいと思われる場所にあった。一辺が20メートルほどの方墳(円墳という説もあるようだが)。この件については、日をあらためて、写真を掲載する。今日は、石枕。
石枕は、埋葬のときに、遺体の頭をのせた、まさに石の枕。西日本や北陸では石棺に造り付けや別に造ってはめ込んだものもあるが、千葉では、木棺から石枕だけが多く発見された。滑石という比較的柔らかい石を削って作られている。全国に「120例ほどありますが、そのうちの約半数は千葉県内から発見されており」というもの。
しかも、千葉では「5世紀前半頃に始まり、6世紀の前半頃で姿を消す」、約100年間だけのもの。もっとも、他の地域では、それ以前に多く、この時期には姿を消しているようだ。古代のセレブの流行現象か。それが、ズラリ展示されている。
千葉では、特定の地域に集中的に発見された。つまり、房総は、現在の水位が10メートル上昇すると島になるといわれるが、かつては島であり、海面の後退と共に現在の姿になった。古墳時代には、霞ヶ浦や印旛沼や手賀沼などは一つであり、銚子のへんで外海とつながる大きな内海を成していた。「香取海(かとりのうみ)」と呼ぶのだが、その房総側の海沿いの古墳に、石枕が集中的に発見されているのだ。石枕は、粗っぽい造りのものもあれば、かなり丁寧に造られ文様が入ったものもある。
石枕と共に、「立花」と呼ぶ石細工品が見つかっている。これは、石枕の周辺部にある小さな孔に立てられたものだとわかっているが、発見の状況や調査によって、埋葬の以前の「もがり」と推察できる葬喪の礼のときに、そのように使用されたあと、孔からはずされ、一緒に埋葬されたようだ。それも、孔の数と立花の数は不揃いなので、テキトウだったと思われる。
立花は勾玉を平らに削って、背中あわせか向かい合わせに結んだような形をしている。これを枕石の孔にさすと、死者の首飾りのようでもある。生前の勾玉の首飾りを連想できそうだが、それなら、なぜ生前使用のものを、そのまま首にかけるなりして埋葬しなかったか。そもそも、これは花を模ったものなのか。謎だらけ。
おれが興味を持ったのは、立花と一緒に発見された石製模造品だ。これは石の斧や刃物などの道具や飾りのミニチュア。これらと石枕や立花と合わせて考えると、いずれも技術が必要な石細工のものなのだ。しかも、その石は、もともと房総地方では石の産出が乏しく、秩父や群馬など、よその地域から運ばれたもの。石は重いものだから、香取海を利用して舟で運ばれたのであり、石枕が発見された地域では、たくさんの玉作遺跡や石製模造品製作遺跡が発見されている。つまり、海運の海人や、石の工房があり工人がいたにちがいないのだ。香取海の海人そして石の工房と工人。
さらに、石枕が発見された古墳の多くは、数十メートル以下の比較的小さなものだ。強大な権力や、畿内とのつながりの強さを思わせる、埋葬品も派手な、大型の前方後円墳ではない。見ていても、強い「国力」を持った武人の面影は浮かばない。となると、古墳の主は、この地域の海人や石の工人の親方のような豪族の長か親族あたりだろうか・・・と、おれの妄想は、いま茨城つまり常陸と、千葉つまり房総の境目になる、この「常総」地域へと、どんどん広がるのだった。香取海、常総・・・、なにかありそうだ。香取神宮と鹿島神宮と、その周辺を、あらためて見直したいなあ、とか。
学芸員さん、すみません、スソさんは名刺交換していたけど、お名前を思い出せません。たしか、課長さんでした。2時間ほど、展示場を歩きながら、丁寧に説明くださり、お疲れだったと思う。ありがとうございました。
おれたちは、まいどのように遠慮なく質問したり自分の考えを述べたり。いま、ここに書いたのは、その話も含め、ほんの一部。いやあ、楽しかった。大いに刺激になった。古のことは現代に通じているし、おもしろい。いろいろ妄想もわいて、さらに行ってみたいところができた。
学芸員さんと記念撮影をして別れたあと、常設展の縄文弥生を見て、夢中から醒め気がつけば、喉はカラカラ、疲れた。16時がラストオーダーの喫茶室にギリギリ入り、みなさんはクリームソーダー、おれだけビール。
バスで駅にもどり、近くの沖縄料理店が17時開店というのを、無理矢理15分前に開けてもらい、カンパーイ。ビールがうまい、腹減った。沖縄料理スタンダードを次々に食べながら、大いに呑んで楽しい語らい。まいどのことだが、これが、いいんだなあ。はて、21時頃までいたか。家に帰り着いたのは23時頃だった。
いずれ、「ほぼ日刊イトイ新聞 スソさんのひとり古墳部」でスソさんの正確かつ楽しい報告があるでしょう。…クリック地獄
千葉県立中央博物館のサイトは見にくいが、この展示は2月26日(日)まで。…クリック地獄
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コメント
明けましておめでとうございます。千葉、おもしろかったです。海人は気になりますねえ。今年は古墳部「海部」で元海辺の遺跡にまいりましょう。よろしく~。
投稿: エンテツ | 2012/01/03 15:40
お疲れさまでした!。今は雑誌などでも山の話題が多いけれど、海の人たちの暮らしについてもっと知りたいと思いました。稲作の人たちとは全然感覚が違っていたんだろうし、興味が湧きます。古墳部内「海部」かな?
投稿: スソ | 2011/12/31 10:00