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2012/01/31

路地と人@神田神保町で、トークと泥酔、タクシー帰宅。

以前に告知したように、昨夜は、「路地と人」で「食いもの と はなし を くらう 半酒場 【our table* vol.5】」があり、「郷土料理 ソウルフード B級グルメ」のテーマで、安岐理加さんとおれのトークだった。
http://rojitohito.exblog.jp/14472302/

おれは、冷凍庫のなかに8個残っていた「つつっこ」を蒸かして、新聞紙にくるんで持って出た。18時すぎに路地と人に着くと、すでに安岐さんがいて、料理をしていた。しし鍋やら何かのいい匂い。安岐さんは、小料理屋の女将が似合いそう。テーブルを囲んで座るように、会場設営も終わっていた。

安岐さんのパソコンをプロジェクターにつないで、動画や画像を映す準備もできていた。安岐さんが徳島の、鉄砲もワナもつかわずに猪狩りをやる老人をインタビューした動画が映っていた。おれは、まずはビールをもらい、USBメモリーに八戸と秩父の小鹿野の画像を用意していったので、それを安岐さんに見てもらいながら話しているうちに、参加者がつぎつぎあらわれる。設営した部分だけでは座りきれず、席を足して、始まった。

最初に、安岐さんが、このイベントになったキッカケを話した。そういえば、去年の12月12日に、路地と人で言水ヘリオさんの「『せんだいノート』わいわい」という会があって、そのとき、安岐さんと「宮本常一的なるもの」についてアレコレ話しになり、年末にその続きのようなメールのやりとりをしているうちに話は転がり、このイベントになったのだった。

用意していった、故郷の六日町や八戸や小鹿野の画像を映しながら、あれこれ話は転がる。あいだで、しし汁とつつっこをふるまう。安岐さんのしし汁、これまで食べたことがあり、おれが作ったことのあるしし汁とちがって、里芋が入っていたり、けんちん汁仕立てのもので、とてもうまかった。つつっこも、好評のようだった。

話は、まとまりがないながらも、なかなか自分でもおもしろく、楽しかった。参加者も、出身地が北から南まで、さまざまで、それがまたよかった。時間があれば、もっとみんなの話を聞きたかった。21時頃でイチオウ終わりにして、残れる人は残って飲みながら雑談。おれは酒をどれぐらい呑んだか、ビールのあとワンカップを3つは呑んだ記憶がある。最後は酒も売り切れだったので、焼酎をもらったりした。

22時ごろ、タノさんとシノさんと出て、そばの加賀亭へ。ここはいつも混んでいて入れたことがなかったのだが、うまいぐあいに3人座れた。いざとなればタノさんの所に泊まれるという誘惑を天秤にかけながら呑んで、意志強く切り上げた。たが、宇都宮線の終電はとうに行ってしまい、大宮行き終電の一本前に間に合い、大宮からタクシーとなった。泥酔よれよれ帰宅。

「郷土料理 ソウルフード B級グルメ」のテーマは、とてもおもしろい。安岐さんも今日のツイッターで、このシリーズはこつこつと育てていきたいと言っていた。ぜひ、そうしたい。ここに、『もの食う本』の木村衣有子さんがからんだりしたら、さらに違うおもしろさに転がりそう。

ツイッターでは、kenkaizu@tuchihannmyooさんの「昨日は神保町の「路地と人」のイベントへ。八戸の市場や新潟の定食屋のメニュー、畑の写真などを見ながら、食文化から見えてくる社会の成り立ち・・みたいな。ありそうでなかった視点で面白かったです。徳島産のイノシシ鍋も(^~^#)肉を誰がさばくか。」というつぶやきもあった。うれしい感想。
https://twitter.com/tuchihannmyoo/status/164151336554856448

とりあえず、そういうこと。

主にだが、郷土料理は地域や地理が、ソウルフードは階級が、B級グルメは都市の市場や消費が関係する、というか性格を左右するというか。そんな気がしている。

Dscn0189画像は、もう閉店というころになって、一枚も写真を撮ってないことに気がつき、あわてて「宴の名残り」を撮った。以前にも、どこかで、そのような写真を撮ったが、これはこれで、なぜかおもしろい。これから、意識的に、もっと撮っておこう。泥酔しちゃうと、忘れそうだが。ワンカップの後ろの大きな葉っぱは、つつっこを食べた残骸。

つつっこについては、こちら。
2010/08/26
小鹿野町の〔つつっこ〕。

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2012/01/22

ありがとうございました。スロコメ@下北沢、最後の泥酔論で泥酔。

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きのうは、王子のさくら新道全焼を知って、激しく泥酔しそうな気分で家を出た。17時すぎにスロコメに着いた。すでに須田さんが開店準備をしていた。ここに来るのは、一昨年の11月の泥酔論以来だ。なので、まずは隣のパンニャのカレーを食べねばならぬ。パンニャでは、すでに更紗さんとトミキチさんがいた。ジュンちゃんの笑顔をひさしぶりに見た。とにかく泥酔しなくてはならないから、生ビールとハイボールを飲みながら、チキンとキーマのハーフアンドハーフを食べる。やっぱりうまい。

スロコメは、書棚など装備のほとんどを大阪に移転したので、空の箱にもどりつつあった。持って行ったノートパソコンとモニターとの接続が、あれこれやってもうまく行かず、須田さんのノートを借りて、やっとスタートしたのは18時半ごろだった。木村さんもおれも、ホッピーを飲みつつ。

20名近く、ほぼ想定の顔ぶれのなかに、初めての方が4、5人いたか。途中で休憩を入れて、21時ごろまで。スライドはうまくできたし、泥酔もうまくいったが、テーマが本そのものというのは、どうも泥酔やりながらだと話しにくい。もうちょっと『もの食う本』からテーマをしぼっておいたほうがよかったと、泥酔しながら思いつつ、酔いは深まる。

とにかく、終わって、酒飲み歓談。よくコメントをいただいている酔仙亭さんと、初めてお会いした。今月末30日の路地と人で一緒にトークイベントをする安岐理加さんが、そのチラシを持って来てくれた。ま、とにかく、おれは酔鯨を飲んで、さらに酔い、本を買っていただいたり、本にサインしたり。昨夜は寒く雨も降って足元も悪かったのに、参加くださったかた、ありがとうございました。

22時半ごろ、10回も泥酔論などという、ふざけたことをやらせてもらって、いろいろな方と知り合いになれたスロコメを後にした。須田さんは一人残って後片付け。

24時ごろ東大宮に着いた。が、足は、ちゃぶだいへ向かう。さらに泥酔だ。25時半ごろ帰宅。帰った時間を覚えているということは、まだ泥酔が足りなかったか。

木村衣有子さんとは、泥酔しながらも、シラフでも、もっとトークイベントをしたいと思っている。

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木村さんとおれの写真は、去年の1月、ミーツの天満特集の取材のときに、エレファント・タカさんに撮っていただいたものです。

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2012/01/21

王子さくら新道焼失の日、スロコメ@下北沢でトーク。30日は路地と人@神田神保町でトーク。

バーリーベなどがある王子さくら新道の飲食街が、早朝の出火で全焼のようだ。リーベのママが心配だったが、4人軽傷で、うち74歳の女性が病院に運ばれたとニュースにあった。リーベのママは80歳代だからちがう。連絡のとりようがないし、詳細はわからない。近所に娘さんが住んでいるから大丈夫だろうと、無事を祈りたい。

すでに何度も告知したように、今日は、スロコメ(スローコメディファクトリー)@下北沢で、最後の泥酔論トークだ。きのう、スライドを作った。作りながら、スロコメの誕生からと、泥酔論の初回からを、このブログとスロコメの須田泰成さんのブログでふりかえった。

スロコメのオープンは、2008年11月8日。泥酔論の1回目が、12月13日。2009年11月28日に9回目をやったあたりから忙しくなり、中断していた。この間、ちょうど5回目の2009年6月27日に、須田さんは自分の住まいがある経堂に「さばのゆ」を開店した。

須田さんがスロコメを閉めるのは、大阪の福島に「さばのゆ温泉」というスロコメやさばのゆと同じ趣旨の居酒屋を開業するためで、いわばスロコメの移転であり、すでに最近営業を始めている。

この精力的な須田さんとは、おれが出演する「エンテツの大衆食道」など、いろいろなことをやってきた。ふりかえって、須田さんの偉大さは、「おもしろいことをしようとする熱意」だ。そして、おれは泥酔論などをやりながら、須田さんから学んだのは、このことだと思う。

おれは、スロコメがオープンしたころ、須田さんにそれを感じ、このブログで、こんなことをやった。
2008/11/27
「おもしろいことをしようという熱意、スパムと三笠フーズと須田泰成、スローコメディ・ファクトリー@下北沢。」

これまでの泥酔論トークに関するリンクを、こちらにまとめてある。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2010/01/in-7839.html

最後の今日は、ちょうど10回目だ。ゲストの木村衣有子さんは、自分のツイッターで「大酒飲みを愛す」と自己紹介するひとだし、実際、このブログに何度も書いているように、彼女とは何度も一緒に飲んでは泥酔している。彼女の作品も含め、最後を飾るゲストとして不足はない。

ってことで、張り切って泥酔するつもりだ。

今年は、いろいろトークイベントがある予定。昨年末からメールをやりとりしながら進めていた企画が決まり、突発的だが、今月30日の月曜に1回目をやる。

神田神保町の「路地と人」で、「半酒場 食いもの と はなし を くらう (our table vol.5)郷土料理 ソウルフード B級グルメ」遠藤哲夫 × 安岐理加

2012年1月30日(月)19:00より (開室18:30)
会費:1000円(しし汁付き)

「各地を呑み歩いている大衆食堂の詩人遠藤哲夫と各地を行商する美術家の安岐理加が、食べ物と食べること、土地のこと、そこから見えてくる暮らすことと営みのことなどを、東へ西へ、山へ海へ、右往左往しつつ、食べ物を囲み酒を呑み皆でお話する夕餉の会です。冬の寒い夜の熱い団欒、どうぞご一緒に。」というもの。

これは、木村さんの『もの食う本』ともリンクする内容があり、おもしろい展開になりそう。大いにご参加ください。

詳しくは、路地と人のブログ、こちらで。
http://rojitohito.exblog.jp/14472302/

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2012/01/18

21日の木村衣有子さんとのトーク準備をノロノロ。

21日のスロコメ@下北沢における「泥酔論フィナーレ」が迫ってきた。

対談相手の木村さんの『もの食う本』を、何度目か、読み返している。何度読み返しても、酒ボケもあってか、忘れてしまう。こんなことでは、当日、泥酔しながらじゃ話にならないか。ま、スライドを用意して、それにしたがいながら進めれば、泥酔しても大丈夫か。とか、考えているが、とりあえず、思いつきを、思いついたまま、メモ。

これまで出版された本からプロフィールをまとめると。木村さんは1975年栃木生まれ。18歳から26歳まで京都で暮らす。書店の恵文社一乗店や喫茶ソワレなどでアルバイトしながら、小雑誌を編集・発行。『京都カフェ案内』(2001年、平凡社)を機に東京に転居。俺が頂戴して手元にある本だけでも、『わたしの文房具』(2006年、KKベストセラーズ)、『もうひとつ別の東京』(2007年、祥伝社)、『京都のこころA to Z 』、『大阪のぞき』(2010年、京阪神エルマガジン社)、『味見はるあき』(2010年、自家本)、『あのとき食べた、海老の尻尾』(2011年、大和出版)、『猫の本棚』(2011年、平凡社)といったぐあいで、ほかにもある。

最近の肩書きは「随筆家」。「生活哲学を映したエッセイに定評がある」。

彼女の文章について、「男のような文章」という人がいる。俺も、最初は、一瞬そう思った。だけど、それはオカシイ。そもそも「男のような」「女のような」もオカシイが、近頃は、男でも、こういう文章は、お目にかかれない。思い直して、「豪胆な文章」ってことにした。その文体には、彼女の豪胆な生活哲学が映し出されている。処世術ていどの生活哲学は、よくあるが、彼女のは、ちょいと違う、本質的に哲学なのだ。本書を読んでも、彼女は「まっすぐ」「べたべたしない」が好みとわかるが、それは、その生活哲学と関係あるだろう。もう一つ、じつに分析的だ。

本書は、文章家として文学や文芸の視点から、「これ、というくだりを拾い出してそれについて」述べたものだが、各所に彼女の生活哲学も述べられている。つまり、彼女のアンテナに引っかかる「これ、というくだり」がないものは、食文化的に意義はあっても、取り上げられていない。あくまでも文章表現がモンダイなのだ。

一方、おれは、一応「フリーライター」という肩書だから、文章家の端くれではあるが、たいした読書家でもないし、成り行きでライターになったもので文章について勉強したこともないし、文章のことは詳しくない。トークでは、おれは食文化の視点から、本書について語るツモリだ。

これまでの多くの食の本、とくにエッセイの類は、男のセンチメンタリズム、ペダンチズム、ディレッタンティズムが色濃く反映している。女が書いたものにしても。

木村さんは、これと意識的に対しているわけじゃなかったようだが、その生活哲学は、これと本質的に相容れない、これを許さない。そこが、おれとしては、おもしろいし、以前に、この本が食文化本としては画期的だと書いたワケの一つなのだ。

とにかく、そういうワケで、この本では、男のセンチメンタリズム、ペダンチズム、ディレッタンティズムにまどわされることなく、ほんらい当然であるところの生活の食の姿に迫ることができる。

例えば、武田百合子『富士日記』から、つぎの引用がある。〈九時、山に戻る。灯りという灯りを全部つけた、谷底に浮かんだ盆灯籠のような家に向って、私は庭を駈け下りる。むろあじを焼いて冷たい御飯を食べた。主人は生干しのいかを焼いて、それだけ食べた。食べながら、今日見てきたことや、あったことをしゃべくった。帰って来る家があって嬉しい。その家の中に、話をきいてくれる男がいて嬉しい〉

この引用のあとに、木村さんは「百合子は、自身と夫との関わりの時間を「愛情」だの「思いやり」だのという言葉で安直に語らない、片付けない」と語る。もちろん、ここでは、産地や旬や、焼きたてだの炊きたてだのも、問題にならない。

本書の俎上にのせられた本は、40冊。大酒が好きな木村さんのことなので、飲酒の本もある。『A-Girl』など、おれは知らない漫画だが、女が好きな男に料理を「つくってあげる」ことに関する話や、太田和彦さんの『ひとり飲む、京都』の読み方に、木村さん独特の視線があって、おもしろい。

木村さんの『味見はるあき』について書いたことも関係する。
2011/02/18
「食べ物」と「食べる」のあいだ。

当日のトークは、18時スタートで最初の15分ぐらいは泥酔論の初回からのダイジェストをスライドでやって、木村さんとの話に入る予定。

とりあえず、こんなところで。
あとで、書き足すかもしれない。

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2012/01/16

きのうの東京新聞、この本この人に登場。

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はあ、呑み疲れが貯まっている感じ。きのうは小岩の野暮酒場で新年会というかなんというか、ようするに呑みすぎた。夕方になっても本調子じゃないから、とりあえず、きのうの東京新聞の画像を載せて、お茶をにごしておこう。

ひさしぶりにジャケットを着て写っているので、周辺では、もっぱら写真の話題が多く、単なる呑兵衛がインテリっぽく見えるとか、目玉が写っている写真は初めて見たとか。

「普通にうまい、という文化」のタイトルで、「若者がよく使う「普通にうまい」という言葉が気にかかって仕方なかった。しかし、この本を読んで、妙に納得できた。大衆食堂とは「普通にうまい」食事を出すところだ。と」と書き出す記者は、文化部長の松川貴さんだ。

最後におれの言葉で、「さらに続編が書きたいのですが、編集者から本書が売れない限りダメと釘を刺されてます。日本の大衆食堂文化を残すためにも、みなさんに読んでいただきたい」と。

本紙をお買い上げになった方は、これを大量にコピーし、ビルの屋上から、あるいは電車のなか、道行く人びと、ところかまわずまいてくださるようお願い申し上げます。

取材は、2012/01/07「中野でやどやゲストハウス、十条で東京新聞。」に書いたように、十条銀座にある大衆食堂『天将』で行われた。

おれが大酒くらって二日酔いで、グズグズしているあいだに、『ちゃぶだい』のタイショーが、丁寧ですばらしい感想をブログにアップされていた。どうも、ありがとうございます。
http://chabudai2009.jugem.jp/?eid=1565

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2012/01/14

木村衣有子さんと東大宮で3軒ハシゴ泥酔。21日のトークと明日の東京新聞。

きのうのこと。『猫の本棚』や1ヶ月前に『もの食う本』を出した木村衣有子さんが東大宮まで来てくれて、まいどのことながら大いに呑んだ。18時に東大宮駅、昭和酒場コタツで生ビールのちキンミヤを一本あけたのち、ボンバイエ、ちゃぶだいで23時すぎまで。

コタツで、酔わないうちに、21日にスロコメ@下北沢で行う2人のトークライブの打ち合わせもした。木村さんは『もの食う本』を書くために、たくさんの食の本を、たくさんの付箋を貼りながら読み込んでいるのだけど、その付箋の貼りかたが、半端じゃない、スゴイのだ。なので、そこにも取り上げられた『大衆食堂パラダイス!』の場合、どんなぐあいであるか、実物を持って来てもらい、参加者のみなさんにご覧いただくことにした。一見の価値があるし、どんな風に付箋を使って読んでいるかも、話を聞く。きっと、おもしろい。

21日は予約不要です。大いにご参加ください。この日は、四月と十月文庫の有山達也さん『装幀のなかの絵』出版記念会やさばのゆ@経堂の十日町ナイトといった、有力イベントとバッティングしているもんで、おれの関係者はそちらへの参加の方が多い模様。少人数でもシッポリ「泥酔論フィナーレ」を飾りたいと思います。

って、ことで、明日の東京新聞、読書欄の「この本この人」を、ぜひご覧ください。

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2012/01/10

明日発売の『本の雑誌』2月号の表紙にビビりまくり。

さきほどツイッターで見つけた、明日発売の『本の雑誌』2月号の案内に、「特集百歳までの新読書術!/遠藤哲夫がめしと活字の関係に迫る」とあって、おどろいた。

表紙の画像を見ると、なんと、確かに、「遠藤哲夫がめしと活字の関係に迫る」とあるのだ。いやあ、これはジョーダンだろう、それほどのもんじゃないゼと思うのだが、それほどのもんかも知れないし、とにかく、ごく気楽にウジウジ書いたものに、このちょいとセンセーショナルな惹句がついて、おれはビビりまくっている。しかし、まあ、愉快なことではある。

本の雑誌社のサイトによる、『本の雑誌」2月号の案内は、こちら。
http://www.webdoku.jp/honshi/2012/2-111226122706.html

たまたま先日、ツイッターで、この内容に関係しそうなツイートがあったので、RTし自分のコメントをつけた。下記のようなアンバイだが、おれは、大衆食堂でめしを食いながら本や新聞を見ることのからみから書いている。・・・いやはや、はてさて、とにかく、本誌の発売がオソロシイ。

2012-01-05 02:48:57
entetsu_yabo:
↓前の二つRTに関係することを、まったく別の角度から、かなり感覚的に、わかるやつにはわかるがわからんやつにはわからん文章風で、11日ごろ発売予定の『本の雑誌』に書いた。タイトルは「めしと本の悩ましい世迷言」だ。

2012-01-05 02:44:39
entetsu_yabo: RT @yukioninaite:
書店の大型化は書籍の再版制度廃止が近いとの思惑からだろうが、資本効率の低下に伴う大手書店の体力低下とマス販売に伴う読者・購入者との接点の低下をもたらした。大手が頑張るほど書店業界全体が地盤沈下しているようにも見える。

2012-01-05 02:44:00
entetsu_yabo: RT @futagoyama:
90年代以後の書店の複合化、大型化、ナショナルチェーン化が出版物売上高の上昇に結びつかず、多くの中小書店を失ったことで、むしろ減少を招いたことを意味している『出版クロニクル』http://t.co/gOmvLfo


当ブログ関連
2011/11/12
いま「本の雑誌」はどうなっておるのか!

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2012/01/09

まりりんの豊橋みやげ。

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先日のやどやゲストハウスの飲み~ティングのとき、豊橋に帰省していて帰ったばかりのまりりんに、みやげをもらった。以前にも、もらったことがあるが、今回は品数も多く、もちろん地元愛知県産ばかり。地元のローカルスーパーで買ったものだという。スーパーの名前、忘れたが、ナショナルチェーンの攻勢のなかで、健闘しているらしい。

豊橋は愛知県であり、愛知県は昔の尾張と三河であるが、織田と徳川という旧いこともからみ、この両者の反りの合わないことは、よく話に聞いた。仲が悪いというか、尾張と三河を峻別したがる傾向は確かにあるようだ。で、豊橋は三河だ。でも、やはり愛知県産は地元であり、みやげには名古屋や小牧のものも含まれていた。

画像後ろの列から。ご存知「しるこサンド」は、小牧の松永製菓。「つけてみそかけてみそ」は、初めてだが、みそソースのようなもの。清須市西枇杷島町のナカモの製品。「おさしみ溜」は、これも初めて、名古屋市熱田区のイチビキ。以前に、普通の溜しょうゆをもらったことがある。お馴染み「コーミソース」は、もっと大容量のものをもらったことがあるが、今回はミニサイズで、これぐらいがよいね。いずれも、なかなか濃いラインナップだ。

つぎ、「ちくわ」は豊橋のヤマサちくわ。まりりんの話によると、豊橋には、ちくわかまぼこなどの練り製品屋が何軒もあったそうだが、いま残っているのは、ここぐらいのようだ。「名古屋の味」を名乗るは、寿がきや食品の「和風とんこつラーメン」、豊明市沓掛町。いずれも初めて。

豊橋の定番というべきか、以前もらったことがある「オーギ亭チャオオリジナルソース」は、ヤマニフーズ。そして最後は、初めての、地元で人気のサンヨネの海苔で、「キズのり」。

こういうみやげって、いいなあ。どれも日常食品だけど、地方の生活色が漂うみやげ、和みますなあ。くれた人の生活史や人柄や場所(土地)の物語にまでふれられるし、そして、気取らず、こういうものをあげたりもらったりできる人間関係が、よいと思うのだ。じつに、大衆食堂的文化ですな。食べるのが、楽しみ。

豊橋といえば、これも名物ですね。また豊橋に行ってみたいなあ。けっこう大衆食堂もあったし。
2009/06/02
豊橋駅(在来線)の立ち食いのきしめん。

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2012/01/07

中野でやどやゲストハウス、十条で東京新聞。

おととい。新年初めて、東京サ行った。中野駅18時に待ち合わせ。やどやゲストハウスの新年会飲み~ティング。今年一年が楽しみな、かなりよいアイデアが出た。もっとやどやに肩入れするため、都内に住みたくなったほどだ。

ふりかえってみると、去年のやどやは、東電原発災害で消滅するかもしれない危機の中を、生き延びてきたのだった。なにしろ、2次災害をモロに浴びて、一時は宿泊客ゼロ状態になった。これほどの経営危機は、めったにあるものじゃない。しかも自分たちでは手の打ちようがない災害だ。そう見えた。しかし、やれることはあったのだ。たしかに大変だったが、やれることを考え、一つ一つやって生き延びてきた現場は、さらに力をつけ、たくましくなった。その自信のようなものが、飲み~ティングにあらわれていた。そして、どんな状況になっても、生き延びて行くための、楽しい企画が、あれこれ話題になった。しかも、今年の4月、やどやゲストハウスは、スタートして10年という節目を迎える。いやあ、小さい規模の経営だが、楽しみが多い。

なにはともあれ、中野のやどやゲストハウスに、さらに注目とご支援をよろしくお願い申す。

ところで、やどやゲストハウスの飲み~ティングだが、これはよい方法だと思う。話題の7割ぐらいは、経営には無関係の四方山話のたぐいで、あれこれデレデレ飲みながらデレデレ話しているなかで、この件なのだがと経営課題の話になり、結論は放ったまま、また別の四方山話に転がり、また懸案事項にもどったり、そうやって話は転々としているうちに、いくつかやることが見えてきて決まってくるというアンバイなのだ。これは、ブレストともちがう。宮本常一さんが『忘れられた日本人』に書き留めた、その本の冒頭にある「寄りあい」に近い感じだ。この方法については、そのうちまとめてみたいと思っているが、ようするに大事なことでも、いや、大事なことだからこそ、直線的に結論を出さない。そこなんだな。

きのうは、十条の大衆食堂『天将』に16時だった。ここで、東京新聞さんの取材を受けた。なんと、文化部長さん自らの御出座だ。15日(日)の読書欄、「この本この人」に掲載予定なのだそうで、『大衆食堂パラダイス!』のことなどをあれこれ、ポテサラ、ステーキ、いりぶた、やきめし、まぐろなどを食べ、ビールを飲みながら2時間ほど話す。

自分が取材するのは馴れているが、こういう著者インタビューは、めったにない。『大衆食堂の研究』のときに日刊ゲンダイ、『ぶっかけめしの悦楽』のときに北海道新聞と週刊文春、一昨年の『みんなの大衆めし』のときサンデー毎日、と、なにしろ本が出てないのだから、これだけ。馴れないことで、なかなかうまく話せない。ま、うまく話そうと事前に準備していたわけでもなく、前夜の酒がやっと抜けた状態で出かけ、ぶっつけ本番。あとで、ああもいえた、こういう話もあったと思っても、間に合わない。とにかく話していて、とても楽しい部長さんだったから、普段の酒飲み話の調子でしゃべっているうちに終わった。

しかし、よく目にとめていただいて、うれしい。なぜ目にとまったかの話は、ちゃんと「取材」させてもらった。その話も、うれしいことだった。その件は、あるいは書かれるかも知れないから、後日ということにしよう。

『大衆食堂パラダイス!』の続編のためにはもちろん、これから本を出していくためにも、重版が必要なので、出版から3ヶ月以上が過ぎて、もう忘れられそうな時期に、ありがたいことだ。

なにはともあれ、『大衆食堂パラダイス!』に、さらにご支援をよろしくお願い申す。

そうそう、この取材の最中、天将に入って食べて飲んでいた紳士がいて、彼が帰るときに声をかけてきた。なんと、『大衆食堂パラダイス!』を見て、天将に来るようになったとかで、これで何度目かだと。天将の方も、覚えていた。これも、うれしいことだった。

新年早々の2日連続東京サ行きは、よい感じのスタートだった。

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2012/01/04

小諸の揚羽屋が閉店?

『大衆食堂パラダイス!』にも登場の小諸の揚羽屋、毎年一度は行っていたのだが、去年は、この本にかかっていたりで、忙しくしていて行き損ねてしまった。今年こそは、あゆの季節にでも行きたいと思っていのだが、「閉店」のニュースを知った。

掲示板やツイッターなどインターネットでも話題になっている。「FM長野 小諸もろもろスケッチ」の12月16日「小諸の名物が・・・」に、こんな会話が。「おかみ」は、揚羽屋のおかみさんのこと。
http://www.fmnagano.com/komoro/post_52.html

おかみ「ちょっと建物の修理で・・・お休みを・・・」

依田 「じゃ、新装開店するんですね よかった」

おかみ「い、いや、わからないです」

依田 「え? 閉店しちゃうんですか?」

おかみ「・・・・わからないです・・・」

確かに、建物は古く、傷みもみえた。
はたして、再開は、どうなるのか。今年の心配事が、まず一つ。

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2012/01/03

初夕日に富士を仰ぎ、ゆるゆる始動。

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新しい年が始まった。今年もよろしくお願い申す。

Dscn0132ここ10数年間は、毎年、秩父の山奥で新年を迎えている。今年もまた、昨年末の30日に行き、きのう帰ってきた。雪が降り積もることもなく、川に氷がはることもなく、比較的おだやかなほうの元旦だった。普段は1日3本のバスが、年末年始は1日に2本になる集落を、11時15分のバスで発った。

行き始めたころ、バスは1日に5本ぐらいはあった。行き始めたころあった中学校は、廃校になった。行き始めたとき20戸あった家は、18戸になろうとしている。これから10年間ぐらいのうちには、もっと急速に、消える家が増えるだろう。ま、おれの余命と、いい勝負か。

集落としては消滅を宿命づけられていることを、行くたびに確認して帰ってくる。もちろん、住んでいる人たちも、よくわかっている。そして、日本のあっちこっちで、おなじようなことが起きていることも、わかっている。だから、いっときは口にすることもあった恨み言もいわなくなった。そのかわり、二度と、「部落の発展のために」ということも、聞かなくなった。

バスには、おれたち2人だけだった。

往きは、先へ行くほど、乗り物の本数が減るから、ここ東大宮から同じ埼玉県でも5時間以上かかるが、帰りは4時間ぐらいだ。大宮に着いたのが15時少し前だった。末期の集落から着いた大宮は、正月2日ということもあって、頭がクラクラするほど過激な混雑だった。

その人混みに身をまかせ、「いづみやという気分じゃないな」と、ビストロ居酒屋へ。いづみやという気分でなかったのは、3泊4日、自家手打ちのうどんとそばと野菜を中心に、ずっといづみや風の呑み食いを続けていたからだ。いかにも「都会」という雰囲気の店だった。生ビールで乾杯のち、ビストロ料理で、それがよかったので、白ワインを一本、あけた。

宇都宮線に乗るべく大宮駅にもどってみると、宇都宮線は強風で倒れた木のおかげで止まっていた。運転再開見通しがたつまで、時間がかかるというので、シャトルで帰ることにする。一番近いシャトルの今羽駅から、30分は歩かないですむはずだ。それに、まだ歩いたことがないから、いい機会だ。

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初めての道だが、だいたいの見当で歩いて、最短距離だったようだ。東大宮操車場に架る陸橋を渡るころ、夕闇が迫っていた。

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陸橋の上で西の空を振り返ると、わずかに残っている夕焼けの中に、富士山の黒い影が見えた。意外に大きく見える。ことし初めて見る、夕焼けと富士山だった。

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東大宮操車場の向こうには、さいたま新都心と大宮の賑わいの灯りが見えた。今朝あとにした山奥の集落は、闇の底だろう。

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