入谷コピー文庫『続 浅草時空漫遊記』。活字と大衆酒場や大衆食堂。
堀内恭さんから、堀内家内工業発行の入谷コピー文庫47号『続 浅草時空漫遊記』をいただいた。著者は、『下町酒場巡礼』の著者の一人、平岡海人さん。タイトルのごとく、浅草の過去と今を自由に駆け巡り、あそことおもえばココ浅草からも軽々飛び出して、まわり灯篭の絵のように、そして必ず飲食の話がある。じつに巧みな筆致で、思わず、この忙しい最中に一気読みしちゃった。
ところで、そのなかの「1896年@浅草寺周辺 公園見番創設」に、弁天というそば屋の話がある。こんなぐあいだ。「そば焼酎「雲海」のそば湯割と天せいろの「上」を追加。てんぷらは大ぶりのエビ1本、アスパラ、カボチャ、ナス、サツマイモ、レンコン、ピーマン、シイタケ、ニンジンと大盤振る舞い。そばも気取った高級店とは違って、ボリュームもしっかりある。下町らしく濃い目のつゆにきりっと冷えたそばを少しつけてたぐる。」いま話題にしたいのは、このあとだ、続けて「有名なそば屋に行くと、時々背筋を伸ばして文庫本を読みながら酒をちびちびやっている人がいる。そんなストイックな酒の飲み方は御免こうむりたい。あれでくつろげているのだろうか。食事しているおばあちゃんの横で、食べたいものを食べ、しっかり酔っぱらいたい。弁天はそんな自然体を楽しめる店だ。」
2012/02/07「小岩、野暮酒場での初トークイベントは、3月の予定。」に、「おれが『本の雑誌』2月号に書いた「めしと活字の悩ましい世迷言」に関係するが、大衆食堂や大衆酒場で本を読むのはかっこいいか悪いか、テナ感じの議論もおもしろそうという話もあるな」と書いたが、その後も、『本の雑誌』を読んだという人に会うと、そういう話になる。
おれは、めしくったり酒飲みながら本を読むのはいいか悪いかではなく、「活字」と「本」と「大衆」の関係の変化のようなものを、それとなく大衆食堂や食事の場を借りて述べたのだが、それはともかく、こういう議論から、めしや酒と生活との関わり、本と生活との関わりの両方を見られることになって、おもしろいかなと思っている。
「よいか」「悪いか」と直線的に結論を求めるのではなく、それらが、いま、どんな関係のアンバイになっているか。なのだ。
「本」というには躊躇があるけど、「本」以上に「活字文化」の存在感がある入谷コピー文庫を、あらためてみると、活字と編集と出版の原点というか本質を問うているような気がしてならない。
入谷コピー文庫については、それが創刊のころ書いた。
2005/09/15「入谷コピー文庫と谷よしのと女中のウダウダ」
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2005/09/post_3212.html
つまり、「テーマは筆者の自由で、A4サイズ10枚以上30枚以下で原稿を仕上げ、堀内家内工業に渡すと、それを15部だったか17部だったかコピー製本して配布するという仕組みだ。「30枚以下」と決めてあるのは、それ以上だと「ホッチキスの針が通りませんので」ということなのだな。」というものだ。
今回の号に、堀内さんの一筆が同封されていた。「『本の雑誌』2月号、「めしと活字と悩ましい世迷言」は、大変面白く(鋭い視点!)拝読しました」とあった。わざわざカッコで「(鋭い視点!)」と書いてくださった。それは、もちろん、大衆酒場や大衆食堂で本を読むのがよいか悪いかのことではない。入谷コピー文庫を続ける堀内さんならではの、活字と編集と出版に関する思いと「鋭い視点」がある。おれは、それを感じ、ニンマリした。ま、堀内さん、書いちゃったよ、という快心の微笑ってところか。
繰り返しになるが、それはそれとして、話の入り口として、大衆食堂や大衆酒場で本を読むのはかっこいいか悪いか、テナ感じの議論もおもしろそうだということ。
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