サライ増刊『旅サライ』に「食通」などとこそばゆく登場。
明日24日発売の『旅サライ』4月増刊号が届いた。ようするにサライのムック版ですね。特集は、「歩いて探す旅の食、酒」。
A4サイズ、ピッカピカ光沢の厚手の紙の表紙、本文は光沢はあるけどしっとりマット系のやや厚手の紙。ようするに、厚い、重い。ストレートに「重厚」を演出している、かのような。
表紙の文字に居並ぶ面々を見よ。あさのあつこさん、道場六三郎さん、阿木燿子さん、甲斐みのりさん…といった方々。
ところで、このムックの人気の連載が、「食通が選ぶ わざわざ行きたいレストラン」であり、この号では、その「食通」のひとりが、おれなのだ。驚きますねえ。実際、去年の末に、この話が来たときには驚きました。「いやあ、ちょっと違うんでは」と言ったのだけど、そうではない、どうもおれのイメージしてきた「食通」というのは、じつに偏狭なものであったようなのだ。そのようにうまく説得されたというか。
とにかく、旅情を味わうによい大衆食堂なら、けっこうあるのだから、その中から、編集さんが「できたらこの県」と候補をあげた数県の一つにあたるところを選んで、推薦した。滋賀県長浜の「中島屋食堂」だ。重厚な雑誌の「わざわざ行きたいレストラン」のページに、堂々の「大衆食堂」が登場となった。
取材は編集サイドで行いまとめた。この写真も文章も、なかなかよいのだ。おれの言いたいことを書いてくださっているし、大衆食堂としての中島屋食堂の特徴と、それが「旅情」になるところを、よくとらえていて、「いいなあ~、また行きたいよ」と思った。
この本文は、このように書き出す。「大衆食堂の魅力を簡単にいえば、普通であることの大切さだと、大衆食堂研究家の遠藤哲夫さんは言う。普通の食とは、日々繰り返される、働き、生きるためのものである。ラーメンもカツ丼もオムライスも大衆食堂で知ったという遠藤さんに、最も旅情をそそる大衆食堂を推薦していただいた。」
ついでに、「大衆食堂研究家」なる呼称も、ようするに呼称であって、「大衆食堂についてよく書いているライター」てな意味合いらしい。
知らなかったが、中島屋食堂は明治30年の創業である。「明治30年ごろは長浜駅の裏が港で、『中島屋食堂』は運送関係者や港湾労働者相手の飲み屋として始まった」そして、78歳の3代目の息子さん、中島俊展さんは、店で出す料理について、「地元の人には、ここのメニューは珍しくないんです」と語る。
おれが、2008年9月4日に、この食堂に初めて入ったときのことは、ザ大衆食のサイトに載せている。…クリック地獄
そのときおれが飲食したものが写真で、ビールまで載っている。そこに書いてある、90歳ぐらいに見えたおばあさんは、やはり90をこえていたのであり、先年亡くなられたそうだ。
店内の写真を見ると、おれが行ったときより、すごいことになっている。キャプションには、「店内は戦後に仕舞われていた古い看板類で飾られ、さながら大正・昭和歴史資料館である。写真の席は、大正時代のテーブルと椅子を置いた”大正浪漫特別席”」と。
おれが行ったときは、こんなに壁一面に大正や昭和が飾ってなかった。編集さんに聞いたところでは、最近2階を片付けたときに見つかったものだとか。いやあ、まさにお宝の山だ。とくに「大衆食堂」と書かれた掛け軸が気になる。これを見るためにも行ってみたい。気取らない名物酒肴3点盛りで、地酒の「大湖」も呑んでみたい。
そんなふうに、コーフンしている。
この「食通が選ぶ」には、毎号4人の方が登場するのだが、今回、おれのほかは、田崎眞也さん、永山久夫さん、藤原浩さんという顔ぶれです。みなさんそれぞれ格調高い店を推薦されている。他の記事や写真も、「成金趣味」という言葉が思い浮かぶような、無駄に鎧をつけ着飾りすぎの「重厚」や「格調」や「気品」などにあふれ、ゆえに、ひときわ、中島屋食堂の存在感がきわだっているようにも見える。それがまた楽しい。とにかく、書店で、お手にとってご覧ください。
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