「五〇年目のタワゴト」。
牧野伊三夫編集長の美術系同人誌『四月と十月』に、おれは同人ではないが「理解フノー」を連載している。その4月号の原稿を、先日書いて送った。タイトルは、「五〇年目のタワゴト」だ。その書き出しは、こうだ。
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五〇年前、一九六二年の春、新潟県の六日町高校を卒業し、上京した。
そのことを思い出した、というか、意識したのは去年の今頃だった。というのも、『大衆食堂パラダイス!』の執筆が佳境だったからだ。この本は、「上京」と「望郷」が深く関係している。
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たしか、1962年の4月2日か3日のころ上京して、調布市つつじヶ丘の下宿に入った。それから、まさに文字通り「転々」と転がるのだが。
佐藤泰志さんの『海炭市叙景』の小学館文庫版の解説を川本三郎さんが書いている。そのなかで記憶に残る、あるいは記憶しておきたい、文章があった。
「作家にとって場所は、物語が立ち上がるところとして大事になる。大江健三郎における四国、中上健次における熊野、あるいは佐藤泰志と年齢の近い立松和平における宇都宮近郊の農村。いずれも故郷である。いったんは東京に出た作家が、故郷の重要さを思い知るようになる。自分の根っこを大事にしようと思う。そこからいったんは出郷した作家の故郷回帰が始まる。」
これについて、共感し納得しながらも、「いったんは東京に出た作家が、故郷の重要さを思い知るようになる。自分の根っこを大事にしようと思う。」というあたりが、イマイチ腑に落ちない。
ま、たいがいはそうかも知れないが、東京に何の憧れも希望も持たずに上京し、東京に同化できなかった田舎者を自覚するおれのようなものは、もとから自分の根っこから離れられなかった、そういう者もいるのだと。だけど、すでに、自分の根っこの田舎者のまんまともちがってしまっている。という感じかなあ。
それから、味覚についていえば、逃れようもないほど自分の根っこにありつづけていた。ということかなあ。
それはともかく、「五〇年目のタワゴト」は、「旅人」ということについての考察で、最後を締めている。人生は、よく旅にたとえられるが、そういうことではない。ま、発行になったら、読んでいただくしかないね。4月中には、発行になるでしょう。
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