ミーツ5月号と『花のズボラ飯』。
きのう、北九州市が発行する『雲のうえ』16号と、京阪神エルマガジン社発行の『Meets Regional』5月号をいただいた。いつもありがとうございます。
雲のうえの特集は「ラーメン」でありミーツの特集は「パスタ」であり、どちらも「麺」がらみだ。きょう、雲のうえを後回しにして、ミーツを紹介するのは、レギュラーページの井口啓子さんが執筆の「コミック珍遊記(「珍」は◯で囲ってある)」で、『花のズボラ飯』を取り上げているからだ。
『花のズボラ飯』は、『孤独のグルメ』の久住昌之さんが原作で、『エレガンスイブ』(秋田書店)に連載中のもの。けっこう話題になっており、そのレシピ集まで本になり(レシピ通りに作るのでは「ズボラ」でなくなると思うが)、単行本は2巻目だ。
「ズボラ飯は、いわばリピドーの解放なのだ!?」のタイトルで、井口さんは、このように書き出す。大事なところだから、長くなるが、引用する。
「マクロビに男子料理、社員食堂、ルクエ、そして空前の塩麹ブームが巻き起こり、趣味嗜好の細分化が進んでいる家庭料理という分野において、「時短」や「ちょい足し」といった手抜き料理は、いまや立派なジャンルとして定着した感がある。スローライフブーム以降、「料理は上質な素材を使って丁寧に作るべし」といった呪縛が広がる一方で、「食いもんぐらいラクして好きに食いたい」という、ごく当たり前の発想が、料理界でもようやく市民権を得たということか。」
井口さんは、『花のズボラ飯』の人気は、「そんな気分も追い風になり?」と見る。
この指摘は、なかなか大事なところを突いていると思う。いわば、日本の料理界、料理史上の大きな変化というか。ようやく、ごく当たり前の発想や、これが普通だよという話が、市民権を得てきている。
この背景を考えると、なかなかおもしろいものがあり、これからこの流れはどうなるか、気になるところなのだ。
「料理や食の嗜好は、決して万人共通のものではなく、その人の育った環境や性格や、ひいては性格が出る…とは、よく言われていることだが」その当たり前のことが、当たり前とみられるようになったのか。
それにしても、「(自宅マンションの)密室の中、女ひとりむさぼるズボラ飯は、美食というよりは悪食に分類される、フェティッシュな「背徳な味」だ」。おれも、そんな感じを持った。
それについて井口さんは、こう言って結ぶ。「かつての団地妻は昼下がりの情事に走ったが、今どきのマンション妻はひとり汚部屋でズボラ飯を満喫する。ロマンの欠片もないハナシではあるが、これはこれでひとつのリピドーの解放であり、性をその他の娯楽へと変換する術を身につけた現代人のリアルなのかもしれない。」
うーむ。
娯楽といえば、「食こそエンターテイメント」を掲げる『dancyu』さんの仕事を、「食は生活」を掲げるおれが手伝いながら、近頃は、娯楽もエンターテイメントも、ずいぶん変わってきている印象を持っている。それはまた「生活」も変わってきているということなのだが。リアルは、いつも複雑だ。
それぞれのひとが、それぞれの「当たり前」や「普通」を語り出して、それが市民権を得て、なにやら面白いコントンが生まれつつあるというか。そこに、「格差」や「不況」や「貧困」も、からみ。この列島で1億人が食べていくのは、容易なことじゃない。しかも、ただ食えればよいのじゃない、ひとなりの食の楽しみが生きる喜びとして必要だ。
とにかく、これまでのそこに目をつぶった話や、杓子定規な話は、ひとことで言えば、タイクツになっている。このことを、ますます意識せざるをえなくなるだろう。
ところで、ミーツの特集、「パスタをなめんなよ!」は、そういうコントンに切り込んでいく迫力が、もっと欲しい感じがした。「日本生まれのソウルフード! ナポリタン教室、開講」が、おもしろい。
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