飲酒マーケットはどうなるのだろう。悪評もPRのうち。
先日、森ビルで東京の大規模模型を見たあと4人で新橋の飲み屋へ行ったとき、一軒目の酒場で一杯目に飲んだ酒が、「一番搾りフローズン生」という新発売のものだった。
テーブルに座って、さて「とりあえず」何を飲むかってときに、誰かがテーブルの上のPOPを発見、「あっ、これテレビで宣伝中のやつ」ってことで、どんなものか飲んでみるかってことになった。マス広告で知名度アップ→POPで購買行動に結びつける、ありふれた作戦に素直にはまった。
最初ひとくち飲んで、みんな「ナニコレ」という顔をしたが、誰も「マズイ」とはいわない。具体的に「泡が苦い」「飲みにくい」「真夏の暑い日差しの下なら飲めるかも」といった声はあった。みんな奥ゆかしく思慮深いのである。よくわからん酒だなあ、なんでこんなものを売り出したのだろう、と考えながら静々飲む感じだった。
おれが一番早く空けて、「やっぱり普通の生ビール」を頼んだら、にぎやかになった。誰かが「これは、それよ、最初の一杯は珍しがらせて飲ませて、次に、やっぱり普通の生ビールを注文させる作戦」と言った。「とにかく、こうして、店に来た客に最初の一杯が売れればよい、二杯目は無くてもよい、来年は無くなってもよい、今年の夏だけの売り切り作戦」とか、キリンさんの腹を詮索する話で、しばし盛り上がった。企業の商品開発や広告・広報に関係するひとたちだから、奇異なる味より、その「開発意図」のようなものを、アレコレ詮索してみたくなるのかも知れない。そういふ、生ビールだった。
「悪評もPRのうち」と、現在のようにインターネットが普及する前のオールドメディアの時代から言われて、開発や広報・広告の担当は、悪評でもよい、まず商品名の露出や知名度アップために、話題になることが必要と気にかけた。悪評だからといって、あまり気にしなかった。近頃は、「炎上マーケティング」なんてものがあるぐらいなもので、「悪評もPRのうち」なんてカワイイものだ。インターネットで、うっかり悪口に類する悪評を書いて溜飲を下げていても、宣伝販促の手助けになりかねない。
いわゆる普遍的な価値や品質を維持してきた経済の崩壊で、マーケットは細切れ状態になり競争が激化、マス・マーケットの形成は困難になるなか、炎上だろうが悪評だろうが、とりあえず話題になることで市場に位置を確保するってことが必要なのだろう。何にも話題にならず、誰にも無視されたら、続々ドカドカ出回る商品に埋もれて終わってしまう。
もともと人びとの嗜好やココロはうつろいやすいうえに、市場の細分化が進行しているから、ある種のひとたちに悪評でも、ある種のひとたちに好評なら生き残れる。そもそもメディアでの評判と実際の売行きが異なることは、珍しくないのであるし。
とにもかくにも、どんなメディアでもよい露出し、話題になって、シェアは小さくても利益を出し、今年は、あるいはこの商品は、これで話題になって売れ、来年は、あるいは次の商品は、また違う切り口でつながればよし、てな感じな動向は、確かに存在するようだ。
そういう意味では、「このフローズンはマズイね」と言いながら、一杯でも飲んで、さらに口直しに普通の生ビールが売れたら、文句はあるめえ。マズイからカネを返せということはないのだから。その上、こうやって書くと、宣伝の手助けをしてあげているようなものだ。
校了したばかりだが、『食品商業』というスーパー業界の専門誌の今月15日に発売の号に、「オレの酒買い日記」というタイトルで書かせてもらった。編集さんのほうで、「もうすぐ69歳の「うめぇ」安酒ライフ」というサブをつけたようだ。おれが日常利用する近所の店で実際に買った酒の買い物日記だが、たまたま一ヶ月ほどのレシートがあったので、それをもとにした「実録」を、少しばかりおもしろおかしく書いた。編集さんには、箱酒や発泡酒などの安酒に対する愛があふれていますと言われた。本文では、箱酒や発泡酒は実ブランド名で書かれている。
飲酒業界も含め、酒マーケットは、ますます混沌を深めそうだ。酒業界には「65歳を超えると酒類の支出は、ソト飲み・ウチ飲みを問わず激減する。酒類を大量に消費してきたこれらの世代の高齢化は酒業界にとって大きな問題」という認識がある。
フローズン生の売り出しも、そういう背景があってのことだろう。ま、ひとのことより、自分の足元をよく看なくては。
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