秩父まで「特定疾患」の手続きに。
一昨日、義父の「特定疾患」の手続きに必要な医師の書類が出来たとの連絡が病院からあったので、昨日は、それを受け取って手続きをすませた。
朝7時半すぎに家を出て、大宮で高崎線に乗り換え、熊谷から秩父鉄道で秩父、秩父からバス40分といういつものコース。熊谷に着いてみたら、一番早く秩父に着く電車が30分ほど待つ急行。急行券一律200円。この車輌は、どこかの鉄道のお下がりで、あまりスピードは出ないが、シートがよい。なので、旅気分を楽しもうと、ニギリメシとサンドイッチと缶ビールを買って乗り込んだ。結果、よく食べておいたのが、よかった。やはり、バテないためには、食っておくことだ。
バスを降りて病院まで歩く間も、盆地の町は、日差しも照り返しも厳しく、皮膚が痛いほどだった。病院に着いたのが、11時ごろ。受付カウンターで医師の書類を受け取り病棟へ。手術直後は個室だったが、順調に回復し、4人部屋に移っていた。患者は3人。義父は窓側のベッドの上に座り、そばに義母がいた。すでに出来上がって置いてあった、ほかの書類を持って、食堂へ行き、テーブルにぶわっと広げて、チェックと不足の書き込み。
病室にもどっておしゃべりをしていると、義父と幼なじみという同級生の婆さんが見舞いに来た。あれこれおしゃべりに付き合う。12時になると、患者の食事の時間になる。もう歩けるので、食堂まで自分一人で食べにいく。見舞いの婆さんは、それを潮に帰り、おれも12時30分すぎのバスに乗って秩父にもどり保健所へ書類を出しに行くので、少ししてから退出。義母は13時すぎのバスで、町からさらに40分ほどの奥地の自宅へ帰るという。
保健所へは一番近いバス停で降りて、10分ほど歩く。ジリジリ暑い。保健所のなかは、冷房が効いていて、生き返った心地。応対の係の女の方は、それなりに丁寧で親切だった。細かい直しをいわれ、書き直し、直したところに訂正印を押す、3枚複写なので、それを繰り返す。医師の書類に、記入漏れがあった。おれでわかることもあったが、とうぜん医師でないとわからないこともあって、それについては係の女の方が、あとで問い合わせてくれることで、めでたく受理となった。
「特定疾患」の認定は、このあと9月7日の審査会で正式に決まるが、決まれば、この受理の日まで遡って適用され、つまりこの日以後払った費用は、あとで還付になるのだ。ってことで、手術代もそこに含まれるので、やれやれ、なんとなく気がかりだったことが片付き、ほっとする。
しかし、こんなにいろいろな書類を揃えて、ややこしい書き込みをしなくてはならない手続き、家族がいない年寄りは、大変だろうし、出来ないですましているひともいるのではないかと思う。だいたい、病名を聞いただけでは、医師が教えてくれなければ、特定疾患なんて知らんもんね。
帰りは、保健所から秩父駅まで20分ほど歩くが、暑くてもバテた気分はない。やや上りの坂道を勢いよく歩き、駅に着くと10分ほどで熊谷行きがあり、東大宮に16時ごろ帰り着いた。まずは、大いに食べて飲もう、といってもこの時間では餃子の満洲しか開いてないから、ギョウザ、ニラレバ炒め、ラーメン、生ビール二杯飲んで、これにて手続きは「打ち上げ」一人御苦労様会。
家に戻って、もう一つ、壊れた冷蔵庫の新品との交換日がいつなのか気になるので電話をすると、日曜日の29日に持って来ることになった。
秩父鉄道に乗っていて気づいたこと。ソーラー発電パネルを屋根にのせている家が増えている。てか、以前は、ほとんどなかったが、ずいぶん目につくようになった。デモとは違うが、それに実質的だが、これも「脱原発」か。だけど、けっこう投資がいるから、貧乏人には難しい。貧乏人は、高くなる電気代や消費税に耐えながら、デモやるしかないか。
| 固定リンク | 0