変わる赤羽。大衆酒場「大久保」の跡。
8月10日は(土)、赤羽で泥酔会だった。「泥酔会」といっても、おれのほかに20代の男会社員1人と女会社員1人と40代の男会社員という、いつも同じ顔ぶれで飲むのを、そう呼ぶことになっただけで、昨年の末から3回目かな?
この日は、40代男会社員のキムラさんの都合もあって、彼の飲み仲間と合流することになった。19時に、東口一番街の、かの有名な「まるます家」より路地一本奥ぐらいの場所にある「魚心千葉(うおしんせんば)」に集合だった。その後は、桜商会。泥酔記憶喪失帰宅となった。
おれは、チョイとぶらぶらしようと思って、かなり早めに赤羽に着いた。まず足を向けた先が、旧岩槻街道と呼ばれたりする都道460号。赤羽駅西口広場から南に向かう道路だ。ここは、前から拡張計画があって、なかなか着工されなかったのだが、近年ガンガン工事が進んでいると聞いていた。今日は、その件。
この工事が進むと、すでに以前に通っていた「大久保」はなくなっているが、つい先日も高野ひろしさんと行った、東十条の信濃光が飲める居酒屋も拡張に引っかかって無くなる可能性があるのだ。
都道の入口である、西口のイトーヨーカドーの角の様子は前のままのようだったが、数十メートルほどでガラリ変わっていた。まだ同じように建っているミシン屋の先は、道路幅が以前の倍以上に拡張され、かつての個人店が並んだ商店街の面影は、まったく無い。凄い変わり方だ。道路の両側が一体となって形作られていた「商店街」は消え、新しいクルマ用の道路が出来る感じである。戦争もそうだが、人間の破壊力は恐ろしい。
どんどん歩くと、まだ退去せずにがんばっているらしいクリーニング屋があった。窓という窓を開け払い、扇風機をまわして営業中で、店内には洗濯物がぶらさがっていた。このあたりは、職人の多い町だし、馴染みの客も少なくないのだろう。
そして、その先。赤羽駅からは10分ぐらいか、かつて大衆酒場の大久保があった場所だ。このあたりには、大久保を含め、戦前からの建物が数件ほど固まって残っていた。いま残っているのは、大久保の右隣にあった一軒だけ。どうやらまだ住んでいるようだ。この建物は敷地が三角形というか変形しているので、セットバックしての新築が難しいのかも知れない。
大久保のあったところは、一部は道路に飲み込まれ、平屋が建っていた。もしかしたら、あのおばさん、名前を思い出せない、みんなに「○○ちゃん」と呼ばれていた、お店の主だったおばさんが住んでいるのかも知れない。大久保は、かつて酒屋であり、その店舗をほとんど残したまま、居酒屋に切り替えて営業していたのだ。老舗の酒屋らしい、どっしりした建物だった。
2000年前後は、赤羽に知り合いがいたこともあって、大久保によく通った。あのころの人たちを思い出す。近所の職人たちでにぎわっていた。ここで囲碁を差しながら飲んだり、時には喧嘩もあって、その時は居合わせた客の誰かが外へ連れ出したりしていた。「○○ちゃん」のスイトンがうまくて人気だった。
調べてみると、2004年ごろ、ここが工事で無くなるという話を聞いたが、その後進展の様子はなく、もう拡張はないのだろうという楽観もあった。しかし、こんなことになってしまった。
この調子だと、東十条もヤバイ。東十条のほうは、おれの好きな居酒屋ばかりか、あのあたりでは昔から広く親しまれている富士神社(境内に富士山もある富士講の神社)も、拡張に引っかかるのだ。
大久保の写真は、フィルムカメラで撮っているので2000年頃だろうか。
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