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2012/11/30

浜松町かもめ亭「一周忌 立川談志を偲ぶ会」。初めて眺める東京スカイツリー。

010今日は用があって押上へ行った。確か一昨年の暮れに行って以来だろう。スカイツリー開業以来初めてだ。

押上駅は「とうきょうスカイツリー駅」に名前が変わってしまった業平駅の隣だけれど、押上駅の地下通路から地上に出れば、目の前はスカイツリーやら東京ソラマチなのだ。

すでに新聞などで報じられているように、そこに最も近い地元の業平橋商店街は、スカイツリー「効果」で、完成前は工事の人たちなどで賑わったのに、いまは逆に吸い取られて、どうもあまりよろこばしい状態でないらしい。

押上通り商店街のほうは、もうカヤの外という感じだ。以前は押上駅からすぐ押上通り商店街に出る地下通路があって、出れば商店街で、その角を曲がれば押上食堂があるといったアンバイだった。ところが、その地下通路は、大幅に変更になって、以前より不便になるという始末。

スカイツリーと東京ソラマチを見上げて写真を撮る、おれが立っている場所は押上通り商店街側で、目の前の信号を渡ると、スカイツリーと東京ソラマチ側で、そちらは人びとで賑わっているのに、道路一本へだてたこちらは閑散としている。

ああ、これぞ資本主義の矛盾の露呈の景色か、大企業と弱小零細経営の格差も露骨に、でも、人びとは大企業が提供する心地よい空間を楽しんでいるのだろう。こうして今的でもなくスマートでもないものは排除され変わっていくのか。この世の狂気の一端ともみえるのだが。

とかとか、ってことで、狂気か天才か。「生きるとは狂気の世に棲む事」と見付けた立川談志師匠が亡くなったのは昨年の12月21日のこと。浜松町の文化放送ホールで開催の浜松町かもめ亭、「一周忌 立川談志を偲ぶ会」が、一昨日28日の水曜日にあった。

かもめ亭は、もう60回をこえて開催され、これには今年ちくま文庫から『落語を聴かなくても人生は生きられる』を刊行した松本尚久さんが関係している。かれはシャイで控えめで、あまり偉そうにしないからわからないが、たぶんプロデューサーの立場に違いない。

松本さんは1971年生まれ。高校1年のとき初めて談志師匠の落語を聴きに行き、それからひとり会に通うようになり、しまいには、あの小うるさく気難しくコワイと弟子がいう談志師匠に、(たぶん)信頼されていた、ということは、『落語を聴かなくても人生は生きられる』で松本さん書いている「ある落語家 立川談志」を読めばワカル。

とにかく、その松本さんからご招待いただき、お言葉に甘えさせてもらった。

18時半開場早々に到着。19時から開口一番、春松。落語、志の春のあとゲストの柳亭市馬。中入り後、文化放送で長年談志師匠の番組のアシスタントを勤めた、吉田涙子アナウンサーと生志(しょうし)の思い出トーク。そしてトリが生志で、「鼠の穴」をやった。

落語のまえふりがわりに、みなさん談志師匠の思い出を語るのだが、いやあ、なにしろエピソードの多いいひとだったからねえ。その狂気と正気のあいだを行き来するような魂は、確かにそのへんに漂っているようなのであった。「ケッ」とか言いながら。

それやこれや、落語のことを書いていると長くなるから、これでオシマイ。

とにかく、タップリ、ゲラゲラ、シミジミ、談志師匠を偲びました。

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2012/11/28

「酒都を歩く」に登場しています。

読売新聞社のWEB、読売オンラインに「酒都を歩く」を歩くというページがある。これまで、吉田類さん、森下賢一さん、倉嶋紀和子さん、なぎら健壱さん、浜田信郎さん、藤原法仁さん、橋本健二さん、吉永みち子さんといった、「酒」で鳴らしている錚々たる方々が登場している。

ところが、担当の記者さんからおれにお声がかかり、ちょっと違うんじゃないかなあと思いながらも、記者さんの大衆食堂への関心に興味があって、取材に応じた。いろいろな意味で、「酒都を歩く」は、記者さんのチャレンジでもあるのだ。

この取材のことは、2012/11/10「タイトなトンネルを抜けたら、もう年末か。明日はイズマイでトーク。」に、「某新聞社の取材」ということで、ちょっとだけ書いている。記者さんとは、いろいろお話ができて、なかなか楽しい取材だった。

その結果、昨日、1回目の掲載があった。2回目は12月4日、3回目は12月11日の予定で、3回にわけての掲載になるのだそうだ。

取材は、笹塚の常盤食堂と大宮のいづみや本店で行われた。飲酒を軸に考えれば、両者は対極にあるといえるだろう。そもそも規模も形態も違う。そして、常盤食堂は「飲み」というより「晩酌」ていどが妥当だし、いづみやは「晩酌」というより「飲み」の濃い場所だ。

この記事はエンターテイメントな飲み歩きとお店紹介が目的ではないのだが、今回は、常盤食堂が舞台である。この話には出てこないが、昨今の大衆食堂の実態を、メジャー紙の記者の方に知ってもらうよい機会になったと思う。常盤食堂のご主人も、苦しい台所事情を率直に語っていた。

ナニワトモアレ、ご覧ください。いい雰囲気の動画も付いています。このあと、2回目、3回目は、どのような展開になるか?楽しみ。
http://www.yomiuri.co.jp/otona/people/sakaba/

011写真は、テーブルやイスは変わっているものの、建物は1965年ごろ建て替えたままの常盤食堂の店内。今年で90年。

しかし、寒くなりましたね、なんだかあわただしいですね、やっぱり年末ですね。みなさま、身体に気をつけて、年末の仕事と酒の波を乗り切ってください。そうそう、選挙もありますし。

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2012/11/23

来日中の鄭銀淑さんと北区王子で飲んだ。

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「鄭銀淑」は「チョン・ウンスク」と読む。彼女の肩書は「紀行作家」、『マッコルリの旅』(東洋経済新報社、2007年)を初めて読んで、肩書が恥ずかしくない、うまい紀行文を書く方だなあと思っていた。そのチョンさんと昨日、飲む機会に恵まれた。

そもそもは、石川さん、山下さんと飲む相談をメールでやっていて、その日にちが昨日になったのは、チョンさんの事務所代表にして日本におけるエージェントというか、出版プロデューサーというか、正確には何と呼べばよいのかわからないが、そういう山下さんの好意によるものに違いない。チョンさんは、京都で開かれたマッコルリのシンポジウムに招かれて5年ぶりの来日、今日の昼ごろ日本を離れる予定で、昨日はその前夜だった。

王子の山田屋で18時に待ち合わせ。おれは10分前に着いて、4人分の席を確保。20分ほど遅れて、山下さんとチョンさんが着いたころには、広い山田屋は、ほぼ満席状態になっていた。おれは生ビールから高千代辛口にかえ、山下さんとチョンさんは、焼酎の炭酸割り。

お2人とも、山田屋を気に入ってくれたようだ。たちまち話は、はずむ。ま、『マッコルリの旅』の舞台になっている、デポチプ(マッコリル酒場)は日本の大衆食堂のようなものなのだ。チョンさんは、人柄も『マッコルリの旅』を読んで想像していたとおりの、素敵なひとだった。

チョンさんは労働や労働者との共感を持って書けるひとだ。だからこそ、「労働酒」「大衆酒」であるマッコルリとそれを醸造し愛飲する風土や人びとが鮮やかに描かれ、『マッコルリの旅』は臨場感がみなぎっている。

韓国の大学院を出て、日本に2年間語学留学したことがあるチョンさんは、日本と韓国のあいだにある違いやギャップに、目配りがきくし、自身をもそのなかに置いてみる。

韓国にはマッコルリの醸造所は800ぐらいあるらしい。その醸造所と各地にあるデポチプを訪ねて、マッコルリを飲む。当初は、マッコルリの「利き酒」をしてまわるつもりだった。だが、その目論見は、簡単に崩れる。それが、かえってよかったと思われる。

マッコルリは「もちろん、甘さ苦さ、香りや濁度など、地方ごとに大まかな特徴というものはある。しかし、日本の清酒や焼酎のような強い個性というものは感じられなかった。これは地酒が多様に発達した日本とは文化的成熟度に差があること、マッコルリが我が国では時代遅れな酒だということもあるだろう。地方景気の深刻な冷え込みも無縁ではない」「そもそも、炎天下で仕事をする人たちが渇きを癒すために飲んだ大衆酒を、日本人的感性で利き酒して回ろうなどという発想が野暮だったのかも知れない」

そして、「10年近く日本の仕事をしているため、個人主義が身についてきた私だが、今回の取材では久しぶりに暑苦しいほどの情の海に身をゆだねた」

日本では、マッコルリはブームといってよいほどなのに、韓国では衰退気味であり、チョンさんの旅はマッコルリの再生を願ってのものだった。

全羅道・忠清南道の旅、14地域。忠清北道・安東の旅、6地域。釜山・慶尚道の旅、4地域。江原道・京畿道の旅、11地域。これらの地域にある、醸造所やデポチプを訪ね歩く。ヒッチハイクをしたり。アポなしの「突撃取材」だから、ときには悲しい思いもする。

デポチプには、「ハンバチプ」なるものもある。「ハンバ」は日本の「飯場」からきている。地方には昭和の日本の置き土産である、建物も残っている。

デポチプには、店を仕切る日本の女将のようなおばさんがいて、彼女たちを囲んで、地域の人びとの交流がある。飲めば歌が出て、踊りになることも。

「マッコルリの味が地域ごとに違うように、民謡「アリラン」も地域によってさまざまだ。(略)民謡はたいてい労働歌の役割を果たしてきたが、「蜜陽(ミリャン)アリラン」はもっともエネルギッシュなアリランに違いない。マッコルリを一杯飲んで「アリランアリラン、スリスリラン」と口ずさみながら、力仕事に精を出したのだろう」

38度線に近い鉄原で出合ったマッコルリは「38線(サンパルソン)マッコルリ」。チョンさんは書く。「これほど「らしい」名前があるだろうか。そして、これほど悲しいマッコルリの名前があるだろうか」

ガイドブックやマッコルリの知識に役立つ実用書仕立てだけど、すぐれた紀行文学だと思われる本書は、ただいま絶版中。だけど、うれしいことに、今年中に電子書籍で再版される予定だ。また最近、韓国語版でも出版されたそうだ。

チョンさんの著書は、ほかに『韓国・下町人情紀行』(朝日新書)、『韓国の人情食堂』(双葉文庫)、『韓国「県民性」の旅』(東洋経済新報社)が、まだ読んでないまま手元にあるので、これからゆっくり読むとしよう。

そうそう、それで、昨夜の飲みだが、石川さんは社長につかまって、けっきょく1時間以上の遅刻。彼女は東京に席をあたためている間がないほど、出店ラッシュで文字通り東奔西走、忙しい。

21時閉店の山田屋を出て、イチオウ福助へ行ってみたが、やはり一杯で入れず、串の介も混んでいたがなんとか座れて、23時頃まで。

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2012/11/20

不定期連載「酒飲みハンセイキ」その1を掲載の『食品商業』12月号発売中。

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「おれは1943年生まれ、69歳だ。62年春、高校を卒業して上京、1人暮らしの酒飲みを始めてから半世紀。来年には、堂々と酒を飲める20歳になってから半世紀でもある。その半世紀を振り返っての反省記を書いてみようということだ。無駄に飲んできた気がしないでもないが、あまり反省のない、記憶も断片的なハンセイキで、個人的な体験談である。」と書き出す、酒飲みハンセイキ。

「シニアは何を飲んできた?」ってことで、3回にわけて不定期連載予定の、その1は「酒量も高度成長期編」。大人になった60年代70年代が中心だが、酒を飲み始めたのは、その前からなので、「越後雪国酒どころ/終戦から10年のころ」から始まる。

3ページびっしりの文章は、締め切りまで時間がなかったこともあって、チョイと荒っぽいが、密造酒が幅をきかせていた戦後から高度成長期は、あらためて丁寧に資料にあたって書いてみたい気持になる。80年代、90年代は、もっとおもしろくなる。いまから資料にあたって、よく準備をしておこう。

『食品商業』は月刊のスーパーマーケット(SM)業界誌であり、年に2回盆暮れに酒特集を組んでいる。夏の7月号では、「読みきりエッセイ」ってことで、「オレの酒買い日記」を寄稿した。サブタイトルが「もうすぐ69歳の「うめぇ」安酒ライフ」だ。

今回の特集では、あの『カップ酒スタイル』(ちくま文庫)の著者、いいざわ・たつやさんも書いている。かれは、ご自分のサイトで、スーパーの酒売場を巡って書くという、真摯で貴重なことをしていた。それが、大いに生かされた内容。というか、もうこれがメイン記事の重みを持っているのだ。

編集さんも、特集扉のリードで、「いいざわ・たつやさんは、自分で日本酒を買って、自分で飲んで、発信してということでは、最もシャープな書き手。著書『カップ酒スタイル』は、酒売場担当者、バイヤーにとっても、考えさせられることの多い一冊だ。今回、お書きいただいたのは「SMの日本酒売場」の話だが、非常に汎用性の高い内容だと思う。」と評価している。

その編集さんが付けたであろうタイトル「企業の良心も地域の酒事情もすべては「日本酒売場」に表れる」。いいざわさんは、日本酒愛好家としての寄稿。肩書の「フリー・ドリンカー」が、愉快。

とにかく、久しぶりに読むいいざわさんの文章は、あいからず現場の鋭い観察に支えられていて、さすがだ。近頃は、サイトを閉鎖するような印象もあったのだが、少しずつでもよいから、続けてほしい。かれは、おれよりさらに「硬派」というか、カネが動きやすいエンターテイメント系には注目されにくい地味なことをコツコツやってきたのだが、ほんとうの「日本酒愛好家」として貴重な存在であり、もっと多くのみなさんに読んで欲しい。昨今の飲酒文化は、エンターテイメントだけのバカ騒ぎを続けていても、すでに発展性がなくなっている。もっと、しっかり、酒を楽しみたい。

ってことで、『食品商業』は、業界誌なので、たいがいのひとは普段お目にかかることはないと思うが、大きな書店にはあります。それに、今回は、いいざわさんとおれが書いているし、メイン特集が「小の進撃 SMの反撃」で、これが、近頃激しくなっているコンビニ対スーパーマーケットの「食卓争奪戦」を描いていて、とても質が高く、かつ面白い。

キレイゴトなオイシイ食べもの話ばかりに接していると、かえってインチキが見えなくなりますからね、ときにはこういう生々しい食ビジネスにふれておくのも大事だと思う。売場や食品を見る目が強くなります。この内容で1120円は、安い。

よろしく~。

いいざわたつやさんの「自棄酒マン」のサイトは、こちら。
http://homepage1.nifty.com/cupsakemania/
日記の11月15日に、「実は、9月頃には拙サイトを閉鎖しようと本気で考えていたのです。すっかり活動が停滞して書くネタもないし、ウェブサイトを維持するのに多少なりともお金がかかっていたので。再起しようと思ったのはバイトを始めたこともありますが、『食品商業』の編集氏から執筆依頼をいただいたことが大きな理由でした。生きてるのか死んでるのかもわからんような私ごときに依頼をくださったこと、感謝に堪えません。また、依頼をいただくにあたって本誌でも連載をされている遠藤哲夫さんが(今回も、また)仲立ちをしてくださったようで、すっかり不義理を働いているので恥ずかしくてとても直接は申し上げられませんが、この場を借りて厚く御礼申し上げます」と。ま、仲立ちといってもたいしたことをしたわけじゃなく、コツコツ続けていたいいざわさんの実力があってのことであり、コツコツ続けていればチャンスがあるってことでしょうか。

ただ続けるにもカネがいるわけで。できたら、ときには、派手なエンターテイメント系にちょっかい出して、少しでも食い扶持の足しを稼ぎながら、大事なことをコツコツ続けられるとよいのだが。ま、それぞれ自分にあった仕事のスタイルってのもあるから、無理せずにだな~。と、なんだか自分に言い聞かせるかんじになって、オシマイ。

当ブログ関連
2012/10/27
酒飲みハンセイキ。

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2012/11/18

『雲遊天下』111号に「大衆食堂から見るなくなったもの」を寄稿。

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さきほど届いた『雲遊天下』111号。特集が「なくなったもの」で、おれは「大衆食堂から見るなくなったもの」を寄稿している。

この雑誌に書かせてもらうのは初めて。編集発行人の五十嵐洋之さんと、だいぶ前になるが一度お会いしたことがある。

特集の最初を飾るのは「大竹昭子インタビュー」で、南陀楼綾繁さんが聞き手。タイトルは「スクラップ&ビルドの街のつながりを生み出す」。

特集寄稿は、おれのほかに、のむみちさんによる「失われた名画座、失われる名画座」、岡崎武志さんの「上京して二十三年で失ったもの」。

おれは、失われた「人情」についてはよく話題になるが、それと一対のはずの「義理」については話題にならない、その話題にならないほど失われた「義理堅さ」についてふれ、もう一つ失われたものとして「労働や労働者との共感」をあげた。

最後を、このように結んだ。「もしかすると、失われたように見える「義理堅さ」と「労働や労働者との共感」には、共通する大切なことがあるのではないかと思っている。SNSなどの「つながり」で、好きでもないやつと暮らす地域や労働から離れやすい傾向もあるようだ。広がる裂け目のようなものを感じる。」

おもしろいことに、大竹昭子さんの話は、東京生まれ育ち「まさに中央線どっぷりの生活」から始まり、ニューヨークへ飛び出し、また東京にもどる。そして『日和下駄とスニーカー』(洋泉社)をまとめる。そこに「移動」が関係する。最近『上京する文學』(新日本出版社)を出したばかりの岡崎さんは、上京して失ったものを書いているが、これも「移動」が関係している。

いま日本の人びとのあいだでは、さまざまな亀裂があらわになっているが、その一つが「移動」に関わることなのだ。たとえば、「放射能汚染」をめぐってあらわれた「避難」「移住」、つまり「定住」と「移動」をめぐる亀裂だ。

このことに直面した「場所」は、いくつもあるわけだけど、首都圏でホットスポットとして注目を浴びた柏の、これは文字通り「苦闘」といってよいだろう、「「安全・安心の柏産柏消」円卓会議」の活動が本になり、12月6日に発売になる。タイトルは『みんなで決めた「安心」のかたち――ポスト3.11の「地産地消」をさがした柏の一年』(亜紀書房)。著者は、おれもなにかとシンポジウムなどでお付き合いさせてもらっている五十嵐泰正さんと「安全・安心の柏産柏消」円卓会議。

必要があってチラッと読んでいる。この本は、人間は、どうやって社会的に食べているかの本質に関わるドキュメントになっているが、まとめ的な発言で、五十嵐さんは「移動」や「亀裂」にふれている。後日、当ブログで紹介します。

ってぐあいに、偶然にも、いま目の前で「移動」と「亀裂」と「つながり」の問題が絡んでいるのだ。たぶん、これは偶然のことではないと思われる。今日は、これぐらいで。

とにかく、近頃ブームのように見える「つながり」は、それほど万々歳のものばかりではないのだな。SNSなどで簡単に「好き」だけでつながり、嫌なものはブロックしたり、見識や感覚の違いぐらいのことで憎悪し中傷し排除を強め、「亀裂」を深めている傾向も少なからずあるのだ。それは、もしかすると、失われた「義理堅さ」と「労働や労働者との共感」に共通する何かの、穴埋めができていない結果かも知れない。

『雲遊天下』発行元のビレッジプレスのサイト。こちらからもお買い求めいただけます。
http://www.village-press.net/?pid=51856043

『みんなで決めた「安心」のかたち――ポスト3.11の「地産地消」をさがした柏の一年』は、amazonで予約受付中。
http://www.amazon.co.jp/dp/4750512303/ref=cm_sw_r_fa_dp_DMiPqb0X59WN7

岡崎武志さんの『上京する文學』は、すでに読み終えているので、やはり後日紹介したい。とりあえず、写真だけね。
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2012/11/17

会田誠展のち渋谷で飲む。

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今日から森美術館で公開の「会田誠展:天才でごめんなさい」の内覧会・レセプションが昨日あって、行って来た。

近頃、森美術館の展覧会のたびに、内覧会・レセプションの招待状をいただいているのだが、インターナショナルに著名な作家の内覧会・レセプションなどは遠い世界のことのようで、かなりズウズウシイおれでも気後れしちゃって参加意欲がわかない。だけど、なぜか会田誠さんの場合は、インターナショナルに著名な作家でも親近感があり、野次馬根性が先に立ち、行ってみようかな、ついでに森美術館のレセプションなるものをのぞいて見るのも悪くないのじゃあるまいか、なーんて思った。

で、そんな感じをFBに書いたら、飲み友達のHさんから、会場で会って飲みましょうのメールが届いた。となれば話は違ってくる、内覧会なんぞどうでもよい、展覧会も後日観に行けばよい、飲むの優先だ~と、会場で落ち合うことにした。

内覧会・レセプションは、17時から19時半まで。おれはチョイと片付ける仕事があって、会場に着いたのが17時半ごろだった。

ところが、これまで印刷物でしか見たことのなかった会田作品が、ナマで観ると、ますます面白いのだ。作品についている彼の文も、読ませる。どんどん引きずり込まれて、シッカリ観ることになった。途中で、ハタと、待ち合わせが会場入口のチケットカウンターで18時半なのに気づき、終りの方は流し気味だったが、「18禁」の部屋の展示まで逃さず見た。

チケットカウンターにもどるべく、というのも、この美術館は、展覧会場は53階なのに、チケットカウンターは3階なのだ。そこへ行く通路がまたややこしい。エレベーターに向かう通路を急いでいるとHさんと遭遇。彼女は、まだ勤務中、一緒に飲むことになっているNYから旅の途中の女子を探しに会場へ行くところ。おれは先にチケットカウンターに降りて、もう1人のS男子を待つことに。そして、会社が終わったSさんと落ち合って、また53階、じゃない、レセプション会場の52階へ。

こんなことはグダグダ詳しく書く必要はないな。とにかくNYからの旅女子はどうなるかわからんことが判明、3人で渋谷へ。

まずは、おれが70年代80年代よく通った、70年代のまんまのバー「祖父たち」へ。ほんと、ここに来るたびに思うのだが、煙草の煙で煙る店内も、煙草を吸う男たちも、あのころと変わらない景色というのが、うれしい。もちろん男たちは、すでにあのころと同じ男ではなく、年代が入れ替わっているのだが、この空間に溶け込んだように、同じに見えるのだ。

バーなのに、名物がおでんというのも同じで、うまい。そもそも、メニューも変わっていないのだ。今回は、3人とも腹が空いていたこともあって、おでんを始め次々と注文。こんなにいろいろな料理を食べたのは初めてだ。おでん以外も、なかなかうまい。

00522時ごろ。おれは家が遠くて、めったに渋谷では飲まないから、ここまで来たら、やはりのんべえ横丁へ行きたいってことで、急ぎ場所を変える。最近数年は、渋谷で飲むと、祖父たちからのんべえ横丁コースだな。のんべえ横丁の線路側は、かなり新しい店に入れ替わっている。以前に、青山、六本木、渋谷で勢いのあったビストロダルブルも、ここでこじんまりと続いている。

金曜の夜でもあり、めざす1軒目は満席、2軒目、1階のカウンターは満席だったが、「2階は?」と聞くと、店の方が2階の先客に相席をお願いしてくれて無事に着席。先客は間もなく帰り、三畳一間の小さな下宿より狭い畳のボロ部屋の普通の家にある座卓で、家呑みするように落ち着く。時間がないので、燗酒を頼み、それでも愉快に楽しい会話をかわし、23時丁度に店を出て、埼京線で赤羽へ、宇都宮線の終電に間に合う。ほどよい酔い加減だった。

どんどんオシャレに変わる渋谷の、それも駅そばに、こういう飲み屋が残っているのも、うれしい。

脳ミソのマッサージにならないような芸術はクソだと思っているおれにとっては、会田作品は、とてもよいマッサージになった。会田誠さんは、パーフェクトは100点満点とは限らず、50点のパーフェクトも70点のパーフェクトも10点以下のパーフェクトもある、もちろんその逆もある、という多義性や多様性を、よくわかっているひと、というか、巧みに表現するひとだなと思った。まるであらゆるアイデアや技法の展示会のよう。脳ミソも技も、すごく器用に思えた。器用なだけじゃなく、破壊力もすごい。

ともあれ、さすが活動範囲も広い話題のひとだけあって、レセプションも大賑わいで、さまざまなひとたちであふれていた。そのう、よく美術館で見かけるような背筋を伸ばし静かに気取った気位の高い雰囲気ではなく、たいがいのひとがまるでブランド安売りに群がるように、酒や食べ物に群がり、大声で話し合っていた。その光景すら、会田作品であるようだった。

近頃そういう群集に慣れていないおれは、びびって飲むことも食べることもせず、Sさんと解散した国会と政治情勢などを語りあいながら、ボーゼンと眺めているのだった。

会田誠展は、もう一度観に行くつもり。最初の写真は、撮影許可になっていた展示の一つ。タイトルは忘れたが、顔はおにぎり、股のあいだから出るウンコ、このキャラを使った小話の動画が、左のモニターに流れている。
http://www.mori.art.museum/jp/index.html

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2012/11/12

木村衣有子さんとの「のんべえよもやま話」トーク、盛況御礼。

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昨日は冷たい雨のなか、馬喰町「イズマイ」までおはこびくださったみなさん、ありがとうございました。定員30名に予約28名、1人も欠けることなく。

おれは、電車に乗る前に東大宮の大雅で餃子とビールで腹ごしらえ、打ち合わせ集合時間の18時15分少し前にイズマイに着いた。木村さんも、すぐに到着。かといって、とくに打ち合わせすることもなし。イズマイはブックカフェあんどバーなので、本棚を見たりする。ブックカフェあんどバーのようなところは初めてなので、それなりに面白い。いろいろな商売のやり方があるのだなあ。近頃は、とくに業種や業態の境をこえて入り乱れて。儲け方が難しくなる一方というか、工夫が大変そう。

メールでやりとりだけだった責任者らしき女性は若い方で、会場の設営などをしている。この店は近くにある、フクモリの姉妹店とのことで、フクモリのほうは「和」の風であり、イズマイは「洋」の風で普段はポン酒も置いてないそうだが、特別にわが故郷の八海山ほかを用意してくださった。夏に開店したばかりで、トークイベントも始めたばかりのようだ。

オープンの18時45分、早々にスソアキコさんがあらわれた。スソさんは、夏の久住昌之さんとのトークのときにも来てくれて、ありがたいですねえ。ま、続々と到着。

着くと入口で参加費を払い、ドリンクチケットを受け取り、カウンターでドリンクをもらう、そこのところで詰まりがちで、19時スタートの時間ギリギリで来た方も多いので、スタート時間が押して15分遅れぐらいになった。みんなで、なんだか乾杯、木村さんとおれはビールを飲みながらトークに入った。

始まれば、怒涛。「行きつけの大衆酒場の風景、酒のつまみの今昔、酒場について書くということ」という流れで、大いに脱線ウロウロしながら、終了予定の20時半ごろに終わる。とくに結論の必要な話をしているわけじゃないので、時間がくればトツゼンやめちゃうのだ。久住さんとのときも、トツゼン「止めよう」といってやめたのだが、後日、久住さんと飲んだときに、あの終り方はよいよねと話していたので、今回も、そのつもりでいた。

とにかく、このトークは、イズマイのリトルプレスフェアにちなんでのもので、木村さんが『のんべえ春秋』というリトルプレスを自費発行していたから、木村さんに声がかかり、トーク相手としておれにおよんだという流れ。なので、木村さんが主人公役、おれは司会的役回りで話を運びながら進んだ。

トークのあとは、お店は22時まで、飲み交流。挨拶しながら言葉をかわすが、初めてお会いする方やひさしぶりの方も多く、なかにはおれのツイッターを見てという方もいたのだが、ゆっくり話をすることができなかった。佐々木嬢の知り合いという3人娘が、もう話からして飲兵衛の迫力、お1人の名刺には「酒呑番長」の肩書き。いやあ、けっこうなことで。この会場の雰囲気とは異形な、いつもの野暮連系に、この会場が似合うHANAKOさんの関係者。一言では、どういう趣味の系統の集まりか説明しにくいバラバラアナーキーなところが、ま、木村さんとおれのトークならではか。とにかく楽しく飲めればよいのである。

003お店の方が、おれたちの著書に出てくる「つまみ」を用意してくれた。木村さんの『のんべえ春秋』に収録の酒場小説「ホシさんと飲んでる」から「ホシさんのポテサラ」。おれの『大衆食堂パラダイス!』から「望郷の車麩煮つけ」。その文もプリントして、なかなか気配りな楽しい試み。

22時閉店。野暮連系やスソさんと連れ立って、浅草橋駅そばで飲むことに。だけど日曜日の駅周辺は、真っ暗なのだ。開いていた「世界の山ちゃん」に入る。すぐにオーダーストップの22時半。どさどさと飲み物と食べ物を注文。23時15分閉店のおかげで、上野発の宇都宮線最終に間に合って帰った。ほどよい飲み加減だった。

イズマイは、そんなに今時のおしゃれを押し付けるような感じもなく、スタッフも自然体で、好ましい印象だった。

そうそう、酔仙亭さんと彼の元職場の女性と話しているとき、たいがい農林水産業に関することだったが、「上京」の話になり、女性は大阪の人で京都の大学を出て上京するのだけど、就職で東京へ行くというときに、お祖母さんが「東くだりするのか」と言ったそうで、「上京者」には「下り者」もいるのだという話になり、面白かった。

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2012/11/10

タイトなトンネルを抜けたら、もう年末か。明日はイズマイでトーク。

今回は、いくらなんでもブログをさぼりすぎた。先月末から、近年まれにみるタイトなスケジュールに突入、それはまあ酒を飲む時間も確保するために、ますますタイトになるのだが。とにかく近頃は、トシだねえ、一度に色々なことができなくなって、忙しいとブログを書く気が起きないのだ。

とりあえず。遡って主な日記といくか。簡単に。

10月28日は日曜日。瀬尾幸子さんが、自宅で「竪穴食堂」の営業実験をやるというので、行ってきた。11月から本格稼動で、すでに案内をいただいている。「竪穴食堂」というのは、瀬尾さん宅の縄文の竪穴住居をモチーフにした部屋、日ごろは料理スタジオに使う空間で、食堂をやってみようということで始まった。会員制風なもの。

五十嵐洋之さんの小出版社ビレッジプレスが発行する『雲遊天下』から寄稿の依頼があって、11月2日の締め切り。特集のテーマが「なくなったもの」だそうで、「大衆食堂から見るなくなったもの」のタイトルで書いた。岡崎武志さんやのむみちさんも寄稿されているとか。先日、校正が終わったので、今月中に発行になるのかな?
ビレッジプレスのサイトはこちら。
http://www.village-press.net/

その締め切り日の2日。夕方17時から祖師谷の阿部食堂を取材。東京新聞に月いちで連載の「大衆食堂ランチ」2回目、11月16日の分。寒くなったので、やっぱり阿部食堂のとん汁が食べたいナってこと。早く終わったので、帰り、松陰神社前へ。8人で一杯になるカウンターはすでに満席。主が2人がけテーブルを空けてくれ、座る。遠いからめったに行けないが、いい酒場だねえ。と、なんと、谷さんがあらわれた。あまりの偶然におどろいたが、彼はここの常連だそうで、よく来ているらしい。いろいろ知り合いが絡んでいる酒場なのだなあ。とにかく、泥酔帰宅だった。

で、3日は、またもや祖師谷の隣の経堂へ。18時から、さばゆで「十日町ちゃん祭り」なのだ。今回も十日町の農業支援をしている大学生がわんさか集まり大盛況。妻有豚と新米コシヒカリ、ずいぶんひさしぶりの鯨汁など、たっぷり飲み食い。19時すぎ、須田さんと店を出て経堂西通りあたりをブラブラ。西通りは北と南があることを初めて知った。のちすずらん通りへ出て、まいどの太田尻家。まだ空いている時間だったので、家長も含め3人でのんびり話しながら飲む。須田さんや家長と、こんなにのんびりおしゃべりしたのは初めてじゃないかな?

とにかく須田さんは、神出鬼没八面六臂の活躍で大忙し。おれも絡んでいる新プロジュエクトの準備も着々と進んでおり、そのうち姿を現すだろう。

とにかく泥酔帰宅で、4日からは外出はせずに、企画書や原稿書き。東京新聞も含め、8日に重なった締め切りをなんとかクリア。

で、昨日の9日は、某新聞社の取材で、16時半に笹塚、のち大宮。この件は、そのうち某新聞社のWEBサイトに掲載になるので、その時に。

033写真は、あえてブレのあるものを載せるが、若い彼女たちは、いづみやは初めて。テーブルで隣あわせになった、男子とおしゃべりしていた。確か、その男子も2回目ぐらいと言っていたように思う。とにかく、いつのまにか彼らを巻き込んでか、こちらが巻き込まれたのかの取材になった。楽しい人たちで、最後は名刺交換までしてしまった。またいづみやで会いたいねえ。

撮影と掲載の許可はもらってあるので、たぶんWEBサイトにも登場するだろうから、その時にピントのあった写真が見られるでしょう。

昨夜のいづみや本店は、20時過ぎぐらいから、美形の若い女子が連れ合ってやカップルで入ってきて、おどろいた。最近は大衆酒場や大衆食堂の客層が変わってきていて、社会学者も指摘するような、それなりの背景があるのだが、これからは、ますます若い女子が飲食店の命運を握るか?リーマンショック以後、とくに小規模零細経営の飲食店は厳しい状態が続き、消費税増税でさらに厳しくなる気配。大衆食堂も大衆酒場も、これまでの客を大事にしながら新しい客を開拓して継続を図る工夫をしているところが増えているようだが。

出かけたついでに、新宿の紀伊国屋書店で、是非とも読みたいと思っていた、岡崎武志さんの新著『上京する文学學』(新日本出版社)を買った。まだパラッと見ただけだが、気合の入った名著の予感。これからじっくり読む。

そうそう、昨夜はいづみやのあと、東大宮に着いたらまだ22時すぎぐらいだったので、かなり酔っていたにもかかわらず、いや酔っていたからか、ちゃぶだいへ寄ってしまった。生ビールのち、澤姫の火入れとひやおろしを飲んで、3杯目がとてもうまくておかわりしたような記憶があるのだが、その3杯目あたりから泥酔で酒の銘柄も覚えてない状態。記憶喪失帰宅で、目が覚めたら朝、脱いだ服がとっちらかっていた。しかし、デジカメを見たら、飲んだ酒が写っていた。奥能登の白菊。よい酒だった。

明日は、イズマイで木村衣有子さんとのトーク。「のんべえよもやま話」ってことでおしゃべり。会場のイズマイは、いまどきのオシャレなブックカフェあんどバーで、こういうところでおれがトークをするなんて、最初で最後かも。とにかく、イチオウ準備もしたし、けっこう面白い内容になるはず。まだ申し込みが可能なようだから、いまからでも遅くはない。
http://ismy.jp/nonbee.html

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