浜松町かもめ亭「一周忌 立川談志を偲ぶ会」。初めて眺める東京スカイツリー。
今日は用があって押上へ行った。確か一昨年の暮れに行って以来だろう。スカイツリー開業以来初めてだ。
押上駅は「とうきょうスカイツリー駅」に名前が変わってしまった業平駅の隣だけれど、押上駅の地下通路から地上に出れば、目の前はスカイツリーやら東京ソラマチなのだ。
すでに新聞などで報じられているように、そこに最も近い地元の業平橋商店街は、スカイツリー「効果」で、完成前は工事の人たちなどで賑わったのに、いまは逆に吸い取られて、どうもあまりよろこばしい状態でないらしい。
押上通り商店街のほうは、もうカヤの外という感じだ。以前は押上駅からすぐ押上通り商店街に出る地下通路があって、出れば商店街で、その角を曲がれば押上食堂があるといったアンバイだった。ところが、その地下通路は、大幅に変更になって、以前より不便になるという始末。
スカイツリーと東京ソラマチを見上げて写真を撮る、おれが立っている場所は押上通り商店街側で、目の前の信号を渡ると、スカイツリーと東京ソラマチ側で、そちらは人びとで賑わっているのに、道路一本へだてたこちらは閑散としている。
ああ、これぞ資本主義の矛盾の露呈の景色か、大企業と弱小零細経営の格差も露骨に、でも、人びとは大企業が提供する心地よい空間を楽しんでいるのだろう。こうして今的でもなくスマートでもないものは排除され変わっていくのか。この世の狂気の一端ともみえるのだが。
とかとか、ってことで、狂気か天才か。「生きるとは狂気の世に棲む事」と見付けた立川談志師匠が亡くなったのは昨年の12月21日のこと。浜松町の文化放送ホールで開催の浜松町かもめ亭、「一周忌 立川談志を偲ぶ会」が、一昨日28日の水曜日にあった。
かもめ亭は、もう60回をこえて開催され、これには今年ちくま文庫から『落語を聴かなくても人生は生きられる』を刊行した松本尚久さんが関係している。かれはシャイで控えめで、あまり偉そうにしないからわからないが、たぶんプロデューサーの立場に違いない。
松本さんは1971年生まれ。高校1年のとき初めて談志師匠の落語を聴きに行き、それからひとり会に通うようになり、しまいには、あの小うるさく気難しくコワイと弟子がいう談志師匠に、(たぶん)信頼されていた、ということは、『落語を聴かなくても人生は生きられる』で松本さん書いている「ある落語家 立川談志」を読めばワカル。
とにかく、その松本さんからご招待いただき、お言葉に甘えさせてもらった。
18時半開場早々に到着。19時から開口一番、春松。落語、志の春のあとゲストの柳亭市馬。中入り後、文化放送で長年談志師匠の番組のアシスタントを勤めた、吉田涙子アナウンサーと生志(しょうし)の思い出トーク。そしてトリが生志で、「鼠の穴」をやった。
落語のまえふりがわりに、みなさん談志師匠の思い出を語るのだが、いやあ、なにしろエピソードの多いいひとだったからねえ。その狂気と正気のあいだを行き来するような魂は、確かにそのへんに漂っているようなのであった。「ケッ」とか言いながら。
それやこれや、落語のことを書いていると長くなるから、これでオシマイ。
とにかく、タップリ、ゲラゲラ、シミジミ、談志師匠を偲びました。
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