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2012/12/27

クリスマスは、今年最後の打ち合わせ。

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25日火曜日。15時半に、須田さんと新宿南口の長野屋食堂で待ち合わせ。ダミーを見せてもらい、打ち合わせ。あれこれ練ってきた企画が、いよいよカタチになり始めた。ビール飲んで、めし食って、写真撮って。のち、ション横へ移動。

あれこれオシャベリしながら飲む。消費税対策で会社を解散しちゃう例もある(零細経営では会社メリットがなくなるから)とか。ネットプロモーションでの集客の定着率とか。相続で変わる街とか。笑い話もたくさん。簡単には「不況脱出」とはならんよ、なにしろ消費税増税が重過ぎる、来年は、さらに動きが激しくなりそう。

18時近くに別れて、中野へ。火曜日は、やどやゲストハウスのワンコインディナーパーティーがあるのだ。久しぶりの参加だが、今年最後だから丁度よい。酒など買って行く。着いたら、みんなで料理を作ったり盛り付けたりしている。クリスマスと重なったワンコインディナーパーティー、にぎやかに開幕。

ジャックダニエルのガロン瓶、焼酎の一升瓶、ワイン、清酒などがずらりと並び、ジャックダニエルのコーク割を飲む人も。若い旅人たちは、何でも愉快に飲む。ボスが作った、「味噌スープ」は「アラ汁」で、大人気だった。

クリスマスからは、一年中で一番混雑し忙しい、やどやゲストハウス。大晦日の年越し蕎麦に続き初詣のイベントがある。初詣は、ぐちゃぐちゃ混みあうだけの神社は避けて、地元の中野の、しっとりしめやかな初詣を案内する。それが、バックパッカーたちにとっては、よい旅の記念になる。とてもよろこばれるようだ。

やどやは、マネージャーの女将をはじめ、若い人たちで運営されていて、現場のスタッフは外国人の女子が多い。みんな素晴らしい人たちだ。それに、女将たちとも話したのだが、やどやを利用する最近のバックパッカーたちは、とてもいい感じだ。

21時すぎ、ボスとまりりんと脱け出して、近くの蕎麦屋へ。こうして途中で脱け出しても大丈夫なほど、よいスタッフが揃った。

清酒を飲みながら、なんとなく飲み~ティング。このあいだの飲み~ティングでも話し合われた「ごくつぶし(ぐうたら)プロジェクト」など、新しい取り組みが始まる。話しているうちに、別の新しいプロジェクト案が浮上。とりあえず「暮らしの手帖風」ってことにしておこうか。

去年の3月11日以後は、泊まっていた客も急いで帰国し、宿泊客がいない状態になった。零細経営のやどやゲストハウスはどうなるかと思った。思い出しても、ゾッとする状態。現場は、本当に大変だった。

とても大変な苦労をしながら、なんとか持ちこたえ、いまは前以上に力をつけて、頼もしいかぎり。あの大震災は、「被災地」だけでなく、いろいろなところに傷跡を残し、それを克服しながらの営みが続いているわけだけど、やどやは一段とたくましく成長し、開き直った不屈のごくつぶしプロジェクトへ向かう。

あははは、「ごくつぶし」ってのが、やどやらしくて、いいのだな。そのココロは、しだいに明らかになるだろう。これぞ、やどやが主張する「旅人文化」の真髄。

なーんて、ホロ酔いながら、話し、思った。これも、小さいながら、大震災の傷跡からの「復興」の一つに違いない。一歩、一歩、一つ、一つ。一元的な原理による無欠点解決策なんて、ないのだ。それに、みんなが高度完全無欠を求めているわけじゃない、もっと違う「高度完全無欠なんて息苦しい~」な価値観の生き方だったある。

終電一本前、東大宮24時ごろ着の電車で、泥酔帰宅。

各国のゲストたちとクリスマスパーティー記念撮影。…クリック地獄

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2012/12/25

第55回全国味噌鑑評会優秀品。

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毎年、いただいて恐縮。去る11月6日7日に開催された第55回全国味噌鑑評会審査会で優秀な成績をおさめたうちから3品をいただいた。ありがとうございます。

飲むのと今年最後の打ち合わせなどで忙しいから、とりあえず、写真だけ掲載。はて、これは、どこの味噌でしょう。近日中に続きを書きます。

(27日追記)
写真の味噌は、左から、大分・二豊味噌協業組合の麦味噌・淡色系「フジジン 天然醸造麦みそ」、大阪・村田味噌株式会社の米・甘味噌「村田 大阪産白(オオサカノシロ)みそ」、長野・株式会社竹屋の米・淡赤色系・から口・粒「タケヤ 名人のみそ」。

いま、「タケヤ 名人のみそ」を開けて使っているのだけど、辛口とはいえ芳醇な味わいで、ふだん使っている「辛いだけ」とは、やはり違いますなあ。こういう味噌は、味噌汁以外、どんな料理に使ったらよいか迷う。炒めものに使うのは、もったいないような気がするし、かといって…。うちの近所のスーパーでは見かけないものだから、いくらぐらいのものかとネットで調べたら、メーカー希望小売価格500グラム、435円だった。

みそ健康づくり委員会のサイトによると、「第55回全国味噌鑑評会の受賞者」は、農林水産大臣賞5社、食料産業局長賞15社。上記のうち、村田は農林水産大臣賞なのだ。
http://miso.or.jp/competitive/c2012

ま、ゆっくり食べ比べてみよう。

去年は、こんな感じでした。
2011/12/06
第54回全国味噌鑑評会優秀品。

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2012/12/23

人間はどうやって社会的に食べているのか。

わめぞが主催してきた鬼子母神通り「みちくさ市」は、来年から大幅にリニューアルされるそうだ。
http://kmstreet.exblog.jp/

2月3日(日)には、そのリニューアル記念イベントとして、『みんなで決めた「安心」のかたち――ポスト3.11の「地産地消」をさがし た柏の一年』(亜紀書房)の著者である五十嵐泰正さんのトークが予定されている。詳細は、これからだが、この日のために、ぜひ予定を振り向けておいていただきたい。

まだ決定ではないが、トークは2部構成になるようで、1つは、おれとの「食と農をめぐるユルいトーク」になる。ユルいトークだけど、たぶんめったに聞けない、というか、おれも話す機会がなくて話せなかったことが口からたくさん出てくる予感。

なにしろ、五十嵐さんは、社会学の教員、研究者であるだけじゃなく、柏の 「安全・安心の柏産柏消」円卓会議の活動で、畑の放射能測定をしているうちに、手で触っただけで畑の土の性質がわかるようになっちゃったというし、生産、流通、消費、さらに子育てから料理、ようするに食について幅広く経験し語れる方なのだ。おれも、それなりに経験してきているから、どんなトークイベントになるか、いまから楽しみ。

食べ物や食べることの話というと、栄養や健康でなければ、あの食べ物、あの店、この飲食、この味といった知識や情報を、文化の香りのするブンガク的かつ教養的な装いの「うまいもの話」や「ちょっといい話」や「エコな癒しの話」たぐいに仕上げたものが多く、それはまあ、大都会のタイクツな消費生活にとっては、何か意義があるのかも知れないが、あまりにも消費に偏りすぎてきたきらいがある。

ようするに、人間は「社会的に食べている」動物であることが、忘れられやすかった。その偏りが、今回の放射能汚染をめぐって、あらわになり、亀裂と混迷を深めている面もある。生産者と消費者のあいだの溝や不信感は、相変わらず深い。

『みんなで決めた「安心」のかたち――ポスト3.11の「地産地消」をさがした柏の一年』五十嵐 泰正+ 「安全・安心の柏産柏消」円卓会議 は、そんな状況下で、人間はどうやって社会的に食べているのか、あらわになった亀裂をどう縮めていくか、の書でもあるのだ。

関係ないかも知れないし、あるかも知れない、最近、内田百閒の『長春香』(福武文庫)を読んだ。百閒が身近な人々の死を追想した短編集だけど、飲み食いの話がたくさん顔を出す。その部分だけを取り出せば、『御馳走帖』の場面になる。『御馳走帖』は、たとえば中公文庫版のカバー表4に、「食味の数々を愉快に綴った名随筆」と紹介があるように、そのように読まれがちだ。ま、そう読んでもよいだろう。だけど、単にそれだけじゃないぞ、と思わせる凄味があるのも事実だ。

そのあたりのモヤモヤしたことが、『長春香』の解説を読んで、なんとなく晴れた。高橋英夫が書いているのだが。百閒という作者の人となりを語りながら作品を解説するなかで、こう書く。

「百閒の生来の「死」への恐怖心は、『昇天』が示すように「死」に引き寄せられてゆく「生」のすがたを描くことで、辛うじて堪えられているのである。」

百閒の描く飲食は、その「生」の姿にほかならない。「百閒の動悸、息苦しさ」そのままだ。

もう一つ。高橋英夫は、「百閒文学もかなりの程度まで私小説性を帯びたものだったといえる」としながら、ちょっと違うと言う。

「私小説が倫理的、宗教的だというなら、百閒は実存的と規定するのもいいかもしれない」

ってことで、考えた。

これまで一般の飲食談義に影響を与えてきた文学は、たいがいは日本的な私小説の流れで成功し名を馳せたものであり、「倫理的、宗教的な心境の浄化」をめざした結果、「粋」だのといったていどのことで気分よくしているだけで、その先がない。こういうものは、「人間はどうやって社会的に食べているのか」からはるか遠くにある。

だけど、じつはワガママこのうえなし「「自分一己」に執しつづけた」百閒だが、実存的であるがゆえに、そうはならない。「百閒の中からも、歴史や時代というものを読み分けてゆくことができる」

なかなか面白い。『御馳走帖』などは、実存のもだえ、うめき、興奮のようでもある。そして柏の円卓会議の取り組みも、実存を賭けたものだったといえるだろう。

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2012/12/22

牧野伊三夫展、26日まで。

昨日は、年末恒例の、HBギャラリー@表参道における牧野伊三夫展へ行った。

17時から、青木隼人さんとのライブペインティングだったが、これには間に合わず、なんだかんだで着いたら18時15分ぐらい。すでに外まで人があふれ出している盛況。まもなくオープニングパーティーとなり、飲みながら歓談。ついこのあいだ一緒に飲んだ人もいるが、ひさしぶりの人が多い。毎年のことだが、その人たちと話したり、絵を見たりしていると、いよいよ今年も年の瀬、終りだな、という実感がわいてくる。

牧野さんの作品は、ここ2、3年と違う充実を感じた。感想を話し合った人、みな、言い方に違いはあっても、同じように感じたようだ。「今年は、画家らしい作品が多い」という人もいて、じゃあ去年一昨年の作品は、なんだったんだ、やっと画家らしくなったってこと?なーんて突っ込みを言いながら、にぎやかに牧野さんの絵を楽しむ。そんなことができるのも牧野さんの個展ならではの雰囲気だろう。

牧野さんはライブペインティングのとき、頬で絵具をのばすことをやって、顔を洗っても、まだその絵具が頬に残り、シャツにも絵具が着いている状態だったが、それがなんだか様になっていた。最後の挨拶も、充実していて、幸せそうだった。今年で11年、11回目の個展。「来年もやります」と、HBギャラリーのオーナーの方が言って、この先の見えないご時勢に、もう1年後の予定が立っちゃったのだ。一年の終りにしては、幸先のよいスタートではないか。

いろいろあったあとなので、まずは、よかったよかった。という気持で、例年は、このあと近所の蕎麦屋での二次会へ行くのだが、パス。

おれは、ホリオカさん、スソさん、イノウエさんという「3大オバサン」じゃない、「3大やりてばあ」じゃない、なんといえばよいか、ま、ようするに油断ならない女史たちと、渋谷の祖父たちへ行った。まあ、それで、おれの終電ギリギリまで、にぎやかに楽しく飲んだ。ほんと、楽しい人たちです。油断ならないがコワイおばさんたちじゃありません。気持が大らかになりますね。

牧野伊三夫展、26日まで。おれの連載「理解フノー」がある『四月と十月』も、会場で販売しています。『雲のうえ』の最新号も入手できます。
http://hbgallery.com/index.html

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2012/12/21

東京新聞「大衆食堂ランチ」3回目、押上食堂。

今日は、第3金曜日なので、東京新聞「大衆食堂ランチ」3回目が掲載になりました。今回は、墨田の東京スカイツリーのふもと、押上食堂。新聞とは写真の点数やレイアウトが違いますが、東京新聞のサイトでもご覧になれます。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/

次回は、1月18日になります。よろしく。

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2012/12/20

『広報会議』1月号に紹介された北九州市の『雲のうえ』。

Kumonoue

広報の仕事をしている知人というか飲み友達から、こんなのがあったよとコピーが送られてきた。見ると、見開きで、『雲のうえ』の紹介がある。しかも、おれが文を担当した5号食堂特集の、あるページの写真が大きく載っている。

写真のキャプションに、「5号目のテーマ「はたらく食堂。」のページ。食堂で出される食べ物そのものよりも、そこで働く人々に迫った内容だ。あくまで日常の風景の裏側にあるストーリーにこだわる。」と。

『広報会議』は、宣伝会議が発行している。昔から『宣伝会議』という雑誌があって、たしか略称「クボセン」であるところの久保田宣伝研究所が発行していたが、クボセンは経営的にどうとかなって、いまでは株式会社宣伝会議なのだ。

『雲のうえ』は、自治体のPR誌の成功事例として紹介されているようだ。なので、編集の姿勢なり方針の特徴をわかりやすく説明するために、この写真とキャプションになったのだろう。

見出しは、「日常の風景やそこで暮らす人の素顔を通じ、土地に対する想像力を掻き立てる」であり、リード文は「これまで観光パンフレットのようなつくりの冊子が多かった自治体のPR誌が、ここ数年、土地の魅力を伝える"読み物"としての冊子へと変化し始めている。その潮流の先駆けとなったのが、2006年に創刊された北九州市の『雲のうえ』だ。」

ま、おれとしては、何度も書いているように「そこに、なにが、どのように在るのか。それが、なぜそこに、そのように在るのか」、取材し考え書いているだけなのだが。

「食べ物」は、「食べること」の全社会や全歴史が、そこに集約されているわけで、食べ物の上に文字は印刷されてないけど、じつにさまざまなストーリーが蓄えられて、テーブルの上にのる。小さな一切れでも、舌で味わうその向こうにあることは、とてつもない宇宙だ。

とかとか、リクツは、とにかく、この記事では「北九州市産業経済局 観光コンベンション課」の三輪真也さんが、インタビューに応えて、このように言っている。

「市の魅力とは、そこで暮らす"人の魅力"。どんなに美味しいラーメンがあるのかを紹介するということよりも、ラーメンの向こうに見える人の魅力を伝えたい」

観光ということでは、これもすでに何度も述べているし、おれが言い出したことではなく野田正彰さんの20年以上も前の話しだが、そこを訪ねたい、そして再び訪ねたい、そう思われる魅力的な人がいるかどうか、最後はそこの問題になるのは間違いないと思う。

ラーメンの向こうに見えるのは・・・、ここで話しは跳んで一気に結論。フリーライターとしては、文や本やメディアの向こうに何を見ているか、ってことなんだな、モンダイは。文や本やメディアが目的ではないはずだから。なんにつけても、「その向こう」に、何を見たり考えたりしているかなんだな。

そうそう、それより、こちら。フェイスブックの「雲のうえファンクラブ」のページです。フェイスブックのアカウントを持たなくてもご覧いただけます。「いいね!」ボタンも押せますので、ポチッな応援いただけるとうれしいです。なにしろ、応援を続けていかないと、いくら人気のPR誌でも、役所の都合でいつなくなるかわかりませんからね。すでに発行回数も、当初より少なくなっていますし。よろしく~。
https://www.facebook.com/kumonoue.fan

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2012/12/19

「酒都を歩く」の大衆食堂・エンテツ編、最終回がアップされました。

読売新聞オンラインでの、3回目最終回が、きのうアップされています。よろしく~。
http://www.yomiuri.co.jp/otona/people/sakaba/

今回のタイトルは、「孫連れて犬呑み」。受け皿にこぼれるほどコップに注がれた酒を飲むときは、口をコップまで運ぶ。これを「犬呑み」というらしい。初めて知った。しょっちゅうやっていることなのに、まだまだ知らないことがあるのだなあ。

とにかく、担当記者の小坂さんの文章は楽しく、おれの周辺では、とくに写真キャプションが人気。それに、取材の最中から、大衆食堂の現状はもちろん将来を大変気にしていたけど、大衆食堂への「愛」があふれていますね。ありがとうございました。

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2012/12/17

御田町スタイル@吉祥寺、24日まで。

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下諏訪町すみれ洋裁店のミドリさんから、吉祥寺で開催される「御田町スタイル」の案内があって、初日の14日に会場にいるとのことなので、行って来た。

「御田町スタイル」の「御田町」は「みたまち」と読む。下諏訪駅から諏訪大社下社秋宮へ向かう途中にある信号を左に曲がった御田町通りを中心とする小さな商店街。「すみれ洋裁店」をおれが初めて訪れたのは、2006年6月3日、四月と十月古墳部の旅でだった。

それより以前に、この地域にある温泉銭湯「菅野温泉」がよくて、山やスキーの帰りに何度か立ち寄っていたが、商店街を歩いたのは、その時が初めてだった。実際のところ、小さな商店街は寂れていて、こんなところで「すみれ洋裁店」は、どうやって生きているのだろうかと思った。

ところが、ところが、それから何年か後に行った時は……いただいた案内から引用。

  あちこちにあった空き店舗に
  工房やお店ができました。
  町の新しい一面です。

  そこは、仕事場であり
  手仕事から生まれるものと
  買う人の暮らしをつなぐ場所。
  ジャンルはさまざまですが
  生活の中で大切にしたいものが
  毎日、ていねいに作られています。

諏訪大社はあるし、いい温泉はあるし、昔から中仙道の宿場町として栄えた。なにしろこの町中には古墳まである。「古くから宿場や産業とともにあり人が行き交う町の中に、ものづくりをする人々の、古い店舗を思い思いに改装した工房がいくつかあります」という状態が生まれたのだ。「そういえばここは、どの時代も/ものづくりとともにある町でした。」小さい御田町に小さい酒蔵「菱友醸造」もある。

その御田町スタイルの手仕事に東京でふれられる1年に1回の機会。

半分以上ミドリさんと会うのが目的で行ったのだけど、すみれ洋裁店の展示は、会場の片隅にレースのようなカーテンで囲われた試着コーナーのようなものを作り、そこになんとはない風情つまり「展示ですよ」といった主張のない、いろいろ小さな手づくりが自然にあるという感じのものだった。最初は、その試着コーナーのようなものが、なんだかよくわからず、「これなんですか?」と聞いてしまったほど。

ミドリさんの話しも作品も、じつに楽しい。「うちの店には何故か色々なもの(ボタンとか、よそでいらなくなったもの)が集まるのですよ」と笑っていたのが印象的。そういうものを利用した作品もあった。彼女のまわりにはモノだけじゃなく人も集まるのだな。その存在自体が、「美術」のようだ。

ミドリさんは08年からだったかな?毎日一枚の毎日違うハンカチを作ることをやっていて、今でも続いている。おれは、いつだったか取材の途中、すみれ洋裁店を再訪したとき、その年は、毎日1個違うデザインの袋物を作ることをやっていて、手ごろなものがあったので買い求めた。いまでも重宝しているのだが、今回はハンカチを買ってきた。袋物と同じように、制作年月日の刺繍入り。

帰り、会場で電動工具を持ってウロウロしていた男が、エレベーターで一緒になった。おれは御田町の方かと思ったのだが、「すごいクオリティが高いので驚きました」と心底おどろいた顔をする。聞くと、会場のレンタルスペース「Neuro Cafe(ニューロカフェ)」の方だった。

確かに、ものづくりは、色々あるけど、クオリティというか作家性が高い方だろう。つまりシッカリ作られたもの。もちろん、値段もそれなりだ。だけど敷居は低く、楽しい遊びごころはあるし。そこがまあ、「暮らす はたらく ふらりと来る 人が集まる小さな町」の御田町スタイル、ってことでもあるのだろう。

夕方、新宿で打ち合わせがあったので早々に引き上げた。短い時間だったが、よい時間だった。
そうそう、信濃ゴールドをお土産にいただいた。
ミドリさんは、この翌日、高円寺の円盤で「ごっこ社鏡餅写生会」という絵馬を作るワークショップをやるのだそうで、大いに活躍、けっこうなことだ。

すみれ洋裁店では、訪ねると「その日のあなたの印象をBAGにします。材料はいろいろその日にあるもの。」という「おまかせBAG」をやっている。これも美術の一つ。けっして生活から離れない、生活の中にある美術なのだな。このBAGの招待状をいただきながら、今年は行けなかったから、来年は是非行きたい。

御田町スタイルのサイト
http://mitamachi.com/

すみれ洋裁店の「続続・すみれ日記」
http://sumire-yousaiten.blogspot.jp/

当ブログ関連
2006/06/06
肉食文化と米食文化と古墳部の旅
2009/08/07
「日本で最も美しい村」連合、長野県大鹿村。下諏訪すみれ洋裁店経由。

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2012/12/16

北九州市『雲のうえ』と浦和のアスカタスナ。

002001先日、北九州市発行のフリーペーパー『雲のうえ』を応援するファンクラブ会報誌『雲のうえのしたで』1号が届いた。今年の春ぐらいだったかな?創刊0号が届いたのだが、いよいよスタートらしい。

『雲のうえ』に登場の店や人、あるいは登場してない「ここもいいちゃ!」というところを訪ね、地図や記事にまとめている。今回は戸畑区だ。A3一枚、裏表を上手に使ってコンパクトにまとめ、全部広げると片面が地図で、そこにギッシリ情報が詰まっている。おれが2007年の5号「食堂」特集で取材した店も載っていて懐かしく思い出したが、海岸食堂のように「残念ながら2009年9月に閉店」というのもあった。短い間の町や人の移り変わりも見られるのだな。

おれ用の分を除いても20部ほどあったので、そのうち10部を、浦和のレコード店「アスカタスナ」に置いてもらえたらよいなと思って、木曜日13日に立ち寄った。

東大宮から電車に乗ってアスカタスナまで20分少々。ここはウチから一番近い『雲のうえ』の扱い店なのだ。その存在は2007年ごろから、ネットで『雲のうえ』を検索するとヒットするので知っていた。だけど、近年レコードとは縁がないもので、なかなか訪ねる機会がなかった。

浦和駅東口は再開発でパルコなどができ大きく変わった。ここもひさしぶりで、パルコが出来てから初めてだ。アスカタスナは駅から3分ぐらい、以前のままの商店街、といっても新しい店が増えていたが、その裏通りという感じのところにあった。

001001けっこう大きな、かなり古い倉庫を、そのまま使った店舗が、かっこいい!なかも、倉庫そのままに、たくさんのレコードや古本が、かっこよく並んでいた。ざっくり大雑把に見えるけど、棚は上手にレイアウトされ、レコードや本はカバーをかけられ、整然と並んでいる。レコードや本が好きなんだな、大事にしてるんだな、ということが伝わってきた。

50歳ぐらいだろうか。あるいは少し暗めの照明のなかで老けて見えたかも知れない。男性が一人で店番をしていた。この方が店主だった。すぐ話は通じて、『雲のうえのしたで』を渡しながら、ちょっとだけおしゃべりした。『雲のうえのしたで』を、とてもよろこんでもらった。

帰り、こんな店が北九州にあったら、雲のうえに登場すること間違いない、と思った。これ「雲のうえ的つながり」か。やはり、どんなにネットが便利になっても、直接会うことが大事だな。こういうフリーペーパーを持って歩くのは、そのキッカケになる。『雲のうえ』は、どっちかといえば、出版関係では有名な人たちが編集に関わっていて、有名な媒体にも紹介されてきたけど、目立たないが大事な配布などは、いろいろな人に支えられているのだ。

ところで、絶賛大好評在庫切れ続出の『雲のうえ』、やっと、合本が発行になります。すでに入手不可能な1号から5号までの合本。そのタイトルもズバリ『雲のうえ:一号から五号』。

編集委員、有山達也(アートディレクション)、大谷道子、牧野伊三夫。1号「角打ち」は文・大竹聡、写真・齋藤圭吾。2号「市場」は文・編集委員、写真・長野陽一。3号「工場」は文・編集委員、写真・久家靖秀。4号「島」は文・宮田珠己、写真・立花文穂。5号「食堂」は、写真・齋藤圭吾に文・おれエンテツです。

来年1月末、西日本新聞社から、1365円。なんといっても写真が素晴らしいし、お買い得!アマゾンで予約受付中。…クリック地獄

『雲のうえのしたで』のサイトはこちら。
http://kumonoue-fanclub.net/

応援会費を払うと、『雲のうえのしたで』や雲のうえ編集委員からの手書きの便り(コピー)や缶バッヂなどが届きます。よろしくお願い申す。

その編集委員からの手紙によれば、目下18号の制作が進行中らしい。

浦和の「アスカタスナ」はこちら。
http://www.askrec.com/

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2012/12/14

「酒都を歩く」の大衆食堂・エンテツ編と、東京新聞「大衆食堂ランチ」。

読売新聞オンラインの「酒都を歩く」大衆食堂・エンテツ編の3回目最終回は、今週の火曜日の掲載予定でしたが、担当記者さんが負傷のため、来週火曜日18日に変更になっています。連絡が遅れてすみません。
http://www.yomiuri.co.jp/otona/people/sakaba/

東京新聞に月1回第3金曜日に連載の「大衆食堂ランチ」、次は来週の金曜日21日の掲載です。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/

よろしくお願いします。

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2012/12/12

鎮魂!小沢昭一、「私の青空」。

 やはり小沢昭一さんの死は、なんだか面白くないのである。落ち着かないまま、ときどき彼の本をめくっている。
 と、『小沢昭一的 流行歌・昭和のこころ』(新潮文庫)の「私の青空 二村定一について……考える」に、このような文章があった。
 「私の青空」は、一般的にはエノケンの歌として知られているだろう。しかし、昭和三年に二村定一が初めてうたっている。と小沢さんは書く。
 そもそも昭和六年でも、「「榎本健一・二村定一一座」と、どちらも座長扱いの二枚看板でございました」  「ところが更に翌年になると、看板から二村定一の名前は消えて「エノケン一座」となります」
 エノケンは「日本列島誰ひとり知らない者はないビッグネームとなりました」
 「かくてエノケン一座から離れた二村定一は戦後の昭和二十三年、わずか四十八歳でお亡くなりになるんでありますな」

 こんなぐあいにアレコレ述べたあとに、この文章がある。
 以下引用……

 そういう二人の差を思いますと、歌好き、ジャズソング好きの私としては黙っていられなくなるんでございましてね。二村定一さんに肩入れしたくなる。えーえー、もちろんエノケンさんはすばらしいですよ。しかし、二村定一さんの歌もすばらしかったんでありまして、「私の青空」は二村定一がエノケンより先に歌いました。

   ♪夕ぐれに あおぎ見る
    かがやく 青空
    日暮れて たどるは
    わが家の 細道

 この歌ね、私の葬式の時にぜひ流してもらいたいんだ。

   ♪せまいながらも 楽しいわが家
    愛の灯影の さすところ
    恋しい 家こそ 私の青空

 せまいながらも楽しいわが家、と二村定一さんが初めてうたったのは昭和三年。つまり、七十年あまり前でございますよ。それからこんにちまで、わが日本国国民のせまいながらも楽しいわが家の事情はどう変わったか。全然変わっていないことを思いますと、「私の青空」は実に先見の明に輝く歌であったと思うんですが、でもどうして葬式に流したいのか。だって「私の青空」は愛唱歌ですし、お棺に入りますと「せまいながらも楽しいわが家」じゃありませんか。あのなか、楽しいと思わなきゃ。

 ……以上。

 小沢さんの葬式については知らないが、小沢さんの鎮魂のために、ここに引用。

 鎮魂なるか。
 小沢さんは、この文章のあとに、こう続けている。

 「さて、二村定一とはいったい何者か。彼が日本で最初に「私の青空―マイ・ブルー・ヘブン」というジャズソングをうたった昭和三、四年ころというのは、まさに戦前でありまして、キナクサクはなって来たものの、しかしまだ軍歌、軍国歌謡時代がやってくる前でありましてね、アメリカのジャズが大流行でありました」
 
 去る11日の日経新聞の春秋には、以下の文章が載っている。
 http://www.nikkei.com/article/DGXDZO49422360R11C12A2MM8000/
 この筆者が、小沢さんに会ったとき聞いた話しのようだ。

 「「戦争ってものは、なっちゃってからでは止められません。なりそうなときでも駄目。なりそうな気配が出そうなときに止めないと」。かつてお話をうかがったさいに、こう力をこめていたのを思い出す」

 昨今の日本の状況は、日経新聞の春秋でさえ、この話しを持ち出すほどなのだが。当時は、「キナクサクはなって来たものの」、気配に気づかなかったのだろうか。それとも、気配に気づいていたが止められなかったという教訓なのか。

 昭和初期の大都会ではモボ、モガ、アメリカのジャズの大流行の一方で、山東出兵、張作霖爆死などが進行していた。

 もっとも、平和の崩壊やファシズムの到来は、自分の好きな趣味などに浸り、世界がキナクサクなろうが、自分の好きなことさえあればよいと浮かれて過ごしているうちに、生活や政治や経済や平和を語る言葉すら失うなかで、心地よくやってくるものだ。これは、日本だけのことではない、パリ陥落など、過去に事例がいくらでもある。

 小沢さん、こんな状況なんですが、ま、「せまいながらも楽しいわが家」の棺おけで、安らかにお眠りください。

 二村定一と天野喜久代の「私の青空」です。
 http://www.youtube.com/watch?v=HyfssJS8aJw

当ブログ関連
2010/05/25
昭和ひとけたジャズ時代、大衆食堂勃興の時代。

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2012/12/10

愛とユーモアの野暮連。

5日は路地と人@神田神保町で練りモノ飲み会、6日は大統領@上野でMy農家を作ろうキックオフ飲み会、そのあとも飲み会は続いた。

7日。

18時半に王子でフナハシさんと待ち合わせの約束があった。シティープロモーションってやつで活躍する彼女の仕事柄、須田さんに会ってもらえるといいなと思っていたら、なんと、前日に須田さんから連絡があって、17時に西口やきとん@浅草橋で飲みませんかと。

ってことで、その時間に行きますと、須田さんと恩田えりさん。つまり、彼らは、このあいだ四つ木のゑびすで飲んだときと同じ仕事の流れだったのだ。近くに事務所がある酒とつまみのナベさんもあらわれて、あれこれ。18時丁度におれは失礼して王子へ。

ややひさしぶりにフナハシさんと山田屋で飲む。彼女の仕事がらみの相談。須田さんがあらわれて紹介。やっぱり話は大いに盛り上がり、来年は何か動きそう。

山田屋は21時の閉店、つぎ福助へ。しかし、ここは近頃いつ行っても満席。小さな箱だから仕方ないが、福助はフナハシさんと初めて会った場所なのだ。残念。串の介へ。23時ごろまで飲んで、途中からあまり記憶がない、終電で泥酔帰宅。

8日。

野暮連の忘年会が、15時から池袋清龍本店、17時から大宮いづみやの予定。これまで12月の第2土日は、蓮田の清龍酒造の新酒祭りだったのだが、今回は来年3月の開催になった、そのかわりに池袋清龍本店を表敬訪問というリクツなのだそうだ。

おれは、連夜の泥酔終電帰宅で疲れた肉体を鞭打ち、あれこれ片付けて、大宮いづみやへ着いたのが17時半すぎ。会場は第二支店。タノさん、シノさん、アリマさん、フナツさん、サキさん、木村さん。あとから勤め帰りのコンさん。毎度ばかばかしくも有意義な飲み会。

閉店の22時で解散。たいがい大宮駅で別れたと思うが、おれは東大宮に着いてから、ちゃぶだいへ。澤姫と白菊を飲んでいるうちに記憶がなくなった。泥酔帰宅。

昨日。ぼんやりした頭で、野暮連が政界に打って出るとなると、スローガンが必要になるなあと考えていたら、「愛とユーモアの野暮連」というのを思いついた。

うーん、なかなかいいんじゃないの、念のために「愛とユーモア」はどんなアンバイに使われているか検索してみたら、『愛とユーモアの社会運動論: 末期資本主義を生きるために』という本があって、おどろいた。なんか、じつに親近感がわいた。「末期資本主義を生き抜くために、愛とユーモアの野暮連」なーんて、いいじゃないか。この本、すごく気になる。著者は、渡邊太さん、北大路書房。

とにかく、これで先週の4夜連続飲み会は無事に乗り切った。

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小沢昭一さん逝く。追悼リンク集。

今朝から小沢昭一さんが亡くなったニュースと追悼がインターネットを駆け巡っている。

とにかく好きだった。当ブログでも何度も言及している。

そのいくつかをリンクして、ここにまとめておこう。

享年83。合掌。

2005/03/23
好きなんだなあ小沢昭一的こころ

2005/09/17
悩ましい「毒婦高橋お伝」とカレーライス

2006/03/08
小沢昭一的こころ ヘタの味わい

2006/10/19
茶漬と汁かけめし、そして即席飯

2010/05/25
昭和ひとけたジャズ時代、大衆食堂勃興の時代。

2010/08/25
生活のニオイ。

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2012/12/09

My農家を作ろう!

0046日は、『みんなで決めた「安心」のかたち――ポスト3.11の「地産地消」をさがした柏の一年』の発売日だった。

19時半、上野の大統領支店に、この本の著者の五十嵐泰正さん、この本の出版のためにインタビューやら編集やらでも奮闘した柳瀬さん、わめぞ代表の向井さん、天野さん、畠中さん、そしておれが集まった。もちろん、こういう顔合わせは初めてのこと。

五十嵐さんとおれが、わめぞの主催でトークをやる企画があって、ではついでに前から飲もうねといっていた人たちも一緒にとなったのだ。にぎやかな本書のキックオフ飲み会となった。

しばらく会わないでいるうちに、畠中さんのご主人が病に倒れ、要介護の状態になっていた。畠中さんが、その状態を話すのだけど、彼女が話すとどんな悲劇でも喜劇になってしまうわけで、それでもとにかく畠中さんにしては珍しく「主婦」な話をして、買い物の苦労話から、しまいには「ほんとにMy農家が欲しい!」と言ったのが切実な声だったし、まさに本書は「My農家を作ろう!」の本のわけで、みんなで沸いた。

23時の大統領閉店時間まで、楽しく飲んだ。わめぞでやるかぎり、一過的なトークイベントに終わらせず、先を見据えて、どんな積み重ねにしたいかというアイデアも出た。じつに有意義でしたね。「わめぞ」と「柏」のMy農家を作ろう!の第一歩。

「多様な主体が折り合っていく」「利害の異なるすべての参加者の立場を尊重し」「誰もが相手の立場を思いやりながら難しい課題を議論する、そんな素晴らしい地域のプラットフォームができたことだけは間違いない」と五十嵐さんは書いている。

コンニチの日本のあちこちに見受けられるのだが、とかく苦しい窮地に立つほど、お互いに傷つけあい亀裂を深めることが少なくないわけだけど、柏のMy農家を作る活動は、「ホットスポット」といわれる放射能汚染がキッカケで壊れかけた信頼を蘇らせた。

おれは正しい、おまえは間違っている、と言い合って傷つけあっているのではなく、「誰もが相手の立場を思いやりながら難しい課題を議論する」実践が問われている。

「新しい価値はいつでも、異なる立場と目線の人たちが出会うことで発見され、創出される」。その実例や体験が、この本にはふんだんに詰まっている。まさに「貴重な試みの、貴重な記録だ」。

本書については、まだまだ書くので、今日はこれぐらいで。

当ブログ関連
2012/12/02
忙しくても、これだけは、『みんなで決めた「安心」のかたち――ポスト3.11の「地産地消」をさがした柏の一年』。

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2012/12/06

路地と人@神保町で練りモノ飲み会。

昨日の5日は神保町の路地と人で、練りモノ飲み会だった。

この企画、一ヶ月ぐらいまえだったか、青森の八戸にいたと思ったアキリカさんからメールがあって始まった。そのときは、もう彼女は八戸から東京にもどり瀬戸内海の島を移動していた。

「私が慌ただしいのは常日頃のこと」ってメールにもあったが、ほんにその通りで、ま、移動がないだけで慌しいのはこちらも同じ。移動中のアキリカさんと何度もメールのやりとりをやっているうちに、おれがスケジュールを間違えてしまい、ようやっともうこの日しかないと決まったのが、前々日だった。

路地と人のメンバーも都合つくのは言水ヘリオさんだけってことで、最少3人でもいいじゃないか、ということだった。アキリカさんが練り物の入ってないおでんを用意し、それぞれが練り物と酒を持ち寄ることにした。

おれは、揚げたてでそのままでも食べられる練り物と車麩を買った。車麩は、「ちくわぶ問題」のために買ったのだが、新潟の車麩のように野性的でガンジョウなものが見つからず、厚さも薄く粉も細かくお上品そうなものを、これじゃちくわぶ問題に役に立たないナと思いながら、無いよりマシかと買った。

18時半スタートなのに17時半に着いてしまった。アキリカさんは買い物に出かけたらしく留守、おでん鍋が煮えていた。事務所にいた言水さんに声をかけ、買って行った練り物を食べながら飲み始めた。ちくわぶと、まるで関係ないけどコンニャクの話しになった。

で、結果的に、トツゼンの開催であるにも関わらず、10人ぐらい集まった。酒も練り物も、いろいろなものが集まり、初めて見る生麩や酒もあった。初対面のひともいた。なかには、一年間滞在したキューバから帰国すぐ名古屋へ行き東京へもどってすぐ仙台、とんぼ返りで路地と人に着いたという沖縄の女子もいた。

アキリカさんもそうだが、今宮本常一みたいな活動で、イチオウ美術系ということであるけど、ダイナミックかつワールドワイドに動き回り、表現手段にはこだわっていないというか、さまざまな表現法にチャレンジしようというのか、そんなひとたちが今夜路地と人で出会ってまた散っていくひと時といった感じで、話していて大変よい脳みそのマッサージになった。

いろいろな酒があったので、ツイ飲みすぎた。練り物もたらふく食べた。車麩のもどしたやつをフライパンで焼いたのが、意外にうまくて驚いた。この夜、新たに路地と人のメンバーになる女子の、何をやりたいかの話も面白かった。キューバ、ラテンの様子、とくにアートをめぐる状況も面白かった。宇都宮線の終電で帰宅。

アキリカさんは、来年早々から拠点を瀬戸内海の島に移す。ま、東京に住居があったところで、あまり東京にいなかったのだけど。運がよければ、来年2月八戸で会えるか?井上貧困美術家ともまた飲みたいものだ。

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2012/12/04

「やっぱり米が好き」

読売新聞オンライン「酒都を歩く」、先週の火曜日に続き、今日は2回目がアップされた。「やっぱり米が好き」のタイトル。「気取るな、力強くめしをくえ!」「ありふれた物をおいしく食べる」ってことで、笹塚の常盤食堂から、舞台は大宮のいづみやへ。来週の火曜日、11日に最終回がアップの予定です。よろしく~。
http://www.yomiuri.co.jp/otona/people/sakaba/
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2012/12/02

忙しくても、これだけは、『みんなで決めた「安心」のかたち――ポスト3.11の「地産地消」をさがした柏の一年』。

余裕の年末と思っていたのに、あれやこれやと「師走」な感じになっている。しかも、年末年始の予定が錯綜していて、なかなか決まらない。

よーするに、昔と比べると、何かとイベントが増えているか、ネット環境の進化でイベント情報が流通しやすくなったことが関係あるのではないかと思う。

物の生産が過剰になったあとは、サービスが過剰になり、そして文化や芸術なイベントの過剰時代か。そもそも、おれの最初の著書『大衆食堂の研究』が出た1995年頃は、本の発売にあわせてトークショーをやるなんて、会場も少なかったし、そのスジの限られた売れっ子たちのことだったが。

近頃は、食品にしても、「季節限定」や「地域限定」「期間限定」だのテキトーな名目をつけて、ようするにイベント的な売り方を織り込んだ商品開発をする。最初の商品開発段階からイベントを組み込んで、イベントで目を引きながら売ろうというものなのだ。「イベント商品」と申しましょうか。飲食店の営業も、おれもこのあいだトークしたけど、イベントで客を集めるのが日常化しているところが増えているようだ。

イベントが販売促進じゃなくて、販売そのもの。いつも「新装開店」のパチコン屋のよう。もう、それで、ドンドンあわただしいことになっている。あわただしくて、じつは、あまり儲からない。儲からないけど、ひとがやっているのに静かにしていては、ますます埋没して売れないのではないか、テナ不安も過剰になって、悪循環というか。

つぎは何が過剰に?足りないのはおれの財布の中身と頭の中身。

だけど、どんなに忙しくても、今年の年末は、これをぬきには語れない、『みんなで決めた「安心」のかたち――ポスト3.11の「地産地消」をさがした柏の一年』(亜紀書房、五十嵐 泰正・著+「安全・安心の柏産柏消」円卓会議・著編) の発売が、今週の6日に迫った。一足お先に、読ませてもらった。

これからの食を語るにあたっては、このことを避けられないだろうし、まだまだゆれ続けるだろう、食と「放射能」の問題。その取り組みの大勢は、この本の前と後では変わるだろう。いやいや、それだけじゃない、いわゆる「コミュニティ」だの「まちづくり」「まちおこし」ということについても、大きな一石を投じる一冊になるだろう。

「ホットスポット」といわれた拍で、何があったか、人びとは何を考え、何をしてきたか。本書は、人間はどうやって社会的に食べているのか、あらわになった亀裂をどう縮めていくか、のドキュメンタリーの書でもある。そして、「社会的に食べている」が忘れられた時に、傷つくのは誰か。

すぐ白黒つけて、「反対」「賛成」・「敵」「味方」と、角突合せ憎みあうのではなく、できることやることはあるのだ、ってこと。

ってことで、この件に関しては、じっくり取り組んでいきたい。本の販売は初速が大事といわれる昨今だが、それはそれとして、じっくり掘り下げながら、本書の普及の一助の片隅の端でも担いたい。

と、69歳の年末の決意を新たにしつつ、まずは、このリンクから。

本書の著者であり、「安全・安心の柏産柏消」円卓会議の事務局長を務めてきた五十嵐泰正さん(筑波大学大学院人文社会科学研究科准教授)がシノドス・ジャーナルに寄稿した、「「My農家を作ろう」方式の放射能測定がもたらしたもの」だ。
http://synodos.livedoor.biz/archives/2001647.html#more

そこにも書いてあるが、昨日は、本書の発売と「安全・安心の柏産柏消」円卓会議の一つの締めくくりの意味で、柏でシンポジウム(まさに、本の発売にあわせたイベント!)があったのだが、おれは都合が悪く出席できなかった。

シノドス・ジャーナルでは、2月15日発行のα-Synodos vol.94と、3月15日発行のvol.96で、「ホットスポットとよばれた地域がつくる『安心』とは」と題して、五十嵐さんを取材して記事にまとめている。これが、そもそも本書のキッカケといえるが、その一部はこちらでご覧いただける。「柏市で再生される「信頼」のかたち ―― 「農地を測る / 農地を見せる」で何が変わるか」
http://synodos.livedoor.biz/archives/1913579.html

この記事の取材・執筆を担当していたのが、当時シノドス編集部に在籍していた柳瀬徹さんで、フリーの編集者・ライターとして、本書の縁の下の力持ち的役割を担った。

なんとまあ、五十嵐さんといい柳瀬さんといい、おれの知り合いなのだ。

五十嵐さんは、最初に会ったときは一橋の院生だったと思うが、その後なにやかにやと酒を飲むだけじゃなく、2度ほどシンポジウムで一緒に登壇したこともあった。また、かつて青山ブックセンターの「カリスマ書店員」といわれた柳瀬さんは、たしか初めて会った時は、そこをやめたあとだったと思うが、それから転々としているあいだに、彼は『現代用語の基礎知識』の編集に関わり、声をかけていただき、それが「さまざまな食育」にまとまった。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun05/syokuiku_gendaiyougo.htm

なんだか面白いつながりは、この食と「放射能」問題をめぐっては、まだほかにもあるのだが、またの機会に。

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