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2013/01/30

待たれていた北九州市『雲のうえ』合本、『雲のうえ 一号から五号』が出来上がってきた。

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いろいろなところで話題になり人気は上昇する一方で、発行の順に在庫切れが増えていた、北九州市発行のフリーペーパー『雲のうえ』の1号から5号の合本が出来上がった。

タイトルはズバリ『雲のうえ 一号から五号』です。表紙に「北九州市民を虫めがねでのぞいてみると……」と。でありながら、望遠鏡でのぞいてみることもしているんだよね。そこに深い味わいが。

発行は、北九州市が生まれて50年目の2月10日だけど、おれは5号食堂特集の文を担当したので、一足お先に届いたようだ。

よみがえる数々の名場面。

1号の特集は「扉のない酒場へ。」 北九州の随所にある酒屋の角打ち。06年10月25日発行。
2号の特集は「おーい、市場!」 商店街のようにあちこちにある市場。07年1月25日発行。
3号の特集は「おとなの社会科見学 君は、工場を見たか。」 北九州といえば工場の町ものづくりの現場。 07年4月25日発行。
4号の特集は「誰も知らない小さな島」 どの区も海に接している北九州の海と島の暮らし。07年7月25日発行。
5号の特集は「はたらく食堂」 はたらく人々を支える街の食堂。07年10月25日。

ああ、しかし、食堂特集の取材店27のうち、7店が閉店している。どこもよい食堂だったのに。だけど、発行当時のまま掲載されているので、その姿を偲びながら、ふりかえる。

毎号、写真が素晴らしい。齋藤圭吾さん、長野陽一さん、久家靖秀さん、立花文穂さん、安河内直子さん。

文は、平出隆さん、大竹聡さん、岸本充弘さん、宮田珠己さん、大谷道子さん(編集委員)、牧野伊三夫さん(編集委員)、そしておれ。

なんといっても編集委員の力の賜物。上記、大谷さんと牧野さんのほかに、アートディレクションも担当の有山達也さん。

ま、今日はこれぐらいにしておきましょう。

003ザ大衆食のサイトに、「北九州市『雲のうえ』5号 特集「はたらく食堂」のすべて」があります。途中から更新をサボっているので「すべて」になっていないけど。…クリック地獄

思い出すのは…ああ、あのころはおれも若かったなあ。ってこと。なにしろ、暑い真夏の暑い北九州で7月1週間のロケハン、8月1週間の本番取材、そして残暑のさなかに原稿を書き上げるなんていう、いまでは「芸当」としか思えないことをやったんだから。

そんなボヤキはともかく、本文207ページに素晴らしい写真と、牧野伊三夫さんの絵が、ふんだんにあって、1300円(税別)!これはもう破格のお買い得。発行、西日本新聞社です。ネット書店でも、予約受付が始まっています。

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2013/01/29

土の香りがする盛岡の『てくり』16号。ここにも原発災害の傷跡が。

020「伝えたい、残したい、盛岡の『ふだん』を綴る本」の『てくり』16号が土の香りを運んできた。

特集は「パンとごはん。」

表紙をめくると、実って頭をたれる稲作の風景と労働する両手に玄米の写真。「土と食卓。」のタイトルに「はじまりは米農家を訪ねた日だった。」無農薬・有機栽培のアイガモ農法を続ける米農家を訪ねたのだ。

その次に登場するのは、「むすぶ」のタイトルで、その米農家の米を自家製かまどで炊き上げて握った塩むすびと、同じ農家が栽培する酒米で醸した稀少の純米酒を提供する居酒屋。

次の「根をおろす理由。」は、東京から移住した夫妻が昨年末にオープンしたばかりの食堂。「地元のモノ、その時期のモノ、近くにあるモノを使った料理を出せてこそ、盛岡へと移ったことの意味はあるのかな」と。その2人に案内されて仕入先の畑を訪ねる。無農薬野菜の畑だ。

021その畑からの道すがら立ち寄ったのが、25年ほど前、まだ「全国を見渡しても"自然食"という言葉に馴染みの薄い時代」に盛岡にあった自然食レストランが、その後移転し新たな店名で営業している食堂。タイトルは「『菜根亭』を覚えていますか?」。かつての店名は、おそらく中国の古典『菜根譚』からとったのだろう。

その記事中に、かつてその店主が新聞記事で語ったことが引用されている。

「結局、"盛岡らしさ"って『つながり』じゃないかと思うなあ。人と人とのつながり、食べ物とのつながり、自然とのつながりとか。この街のさまざまな部分とつながりを持つことが、すなわち"盛岡らしさ"に到達する一番の近道であり、"盛岡らしさ"そのものなのかもしれない」

いまこの箇所を引用したのは、2月3日のトークの時に、機会があったら語りたい「社会的に食べている」「食べることで自分と社会を育てている」「味覚は社会現象」ってどういうこと?と関係するからだ。

次はパンだ。「金曜日のフランスパン」と題して、『盛岡正食普及会』のパン工房で、金曜日にしか作られないフランスパンの話だ。どうして金曜日だけなのか。そこを解き明かすうちに、戦後全国に普及した学校給食と盛岡の関係、岩手の小麦と、「おいしいパン屋が多い」といわれる盛岡のパン文化が語られる。

024「正食」という言葉に、ひさしぶりに出合った。この言葉に馴染みのない人が多いと思うが、昨今ハヤリの「マクロビオテック」を遡ると必ず登場する。その話しは長くなるのでカット。『盛岡正食普及会』の存在は初めて知ったのだが、いろいろ系譜と変容が多い「正食」のなかでも、その理念を最も堅持しているように思えた。

次は「とびらをあけて。」のタイトルで、「『岩手の食材の力』を伝えたい」というパン屋。東京で製パン学校を卒業後、パン屋で修業、昨年盛岡に戻って開業した。小麦や野菜の畑にも取り組んでいる。

最後は、「あしたのごはん、どう選ぶ? 小島さんに聞いてみた。」である。2ページだけで、それで十分、今回のテーマに深みができた。小島さんは流通業に位置する店を営み、「『身土不二』をテーマに、生産者と消費者をつなぐ食のコミュニティづくりに力をそそいでいる」。

「身土不二」についてはいろいろな考えがあるが、小島さんの場合は「地産地消」の概念に近いようだ。「地域で小さな循環で暮らすことが、本来の人間のありかたじゃないかと思ってね」

編集者は、「原発事故による放射能問題によって変わったことは?」「店内の商品は測定するんですか?」「安心できる食材はどう選べばいい?」といった問いを発する。

いま食を語るとなると、このことは「当然」といってよいほどつきまとう。それだけではなく、最初に登場の米農家はダメージを受けた。アイガモ農法で首都圏の「食に関心の深い」人たちに支持され注文が増えていたのだが、「食に関心の深い」人たちほど放射能の影響を恐れ、「一昨年は収穫後4ヶ月間注文が全くなかった」。「ショックでした。本当にこれまでやってきたことが全てゼロに戻ってしまった思いでした」。測定は不検出だったが、その表示に悩む。このあたりは、『みんなで決めた「安心」のかたち』の柏のケースと、ほとんど同じだ。こういうことが、福島以外の宮城や岩手でも起きていると実感する。

で、その米農家の米も扱う小島さんの答えは、全部引用したいところだが、長くなるから、ここだけ。最後の質問に答えて。

「本当なら、皆、家族で飯を食っていける分の食材を自給自足すればいいんだけど、それができないなら、信頼のおける農家とつながるしかない」。大都会の消費者にとっては、かなり鋭い厳しい指摘だ。

「『安全』はモノに対しての判断だけど、『安心』は人と人との関係じゃないですか」「実は今こそ必要なんですよ。地元の信頼できる小さな農家から仕入れたもので安心できる加工品をつくり、地元で回していく循環がね」「そのためには消費者も勉強するしかない。私自身も常に素人でありたい。素人だから学ぶし、実直でいられる。それに尽きると思う」

小島さんは、こうも言う。「多くの消費者はマスコミを通じた情報をそのまま受け入れているけど、自分で計測してみたわけじゃない」。このへんも、『みんなで決めた「安心」のかたち』と、ほとんど重なる。柏の場合は、生産者と消費者が一緒に計測する「My農家を作ろう」方式で取り組んだ。

盛岡の「ふだん」に放射能災害の影があるから、こういう話が登場するわけだが、それにしても、「美しくおいしい話」さえしていれば無難な町雑誌で、現実から逃げなかったのは、編集者の誠実な姿勢と気風だろうか。それに、くどく重くならない上手なまとめ方は、おれの当ブログとは大違い。さらに尊敬の念を深くした。

なにがあろうと、「ふだん」を伝えたい残したい「てくり」の姿勢は変わらない。ああ、いいところだねえ、いい人たちがいるねえ、こういう「ふだん」のあるところでは、いい食文化も育つのだろうなあと思う。

しかし、大都会の大部分の消費者は、「地産地消」などはとても困難な条件で暮らしているし、「見渡せば田畑が広がる地方都市に住みながら、私たちはそれらの作物がどう育つかを知る機会を持たない」ところより、はるか遠くにいる。そして、放射能と大都会の無関心や無認識によって苦しんでいる人たちの存在も、ともすると、はるか遠くになりがちだ。このへんは悩ましいところで、3日のトークのネタになるか。

『てくり』は、毎号の特集も読ませるが、レギューラーページの「テーブルの上の職人たち」と「東京ではなく、富良野でもない。盛岡で暮らす理由。 あなたはなぜ、ここにいるのですか?」が、とても好きだ。「テーブルの上の職人たち」も、その職人仕事は、「あなたはなぜ、ここにいるのですか?」と密接なのだ。

023表4の連載、はやしみかんさんの「なんだりかんだり、のんだりくったり」も、その人柄に惚れそうなほど好きなのだが、今回は「ごはんとわたし」のタイトルで、「コメは偉大だ。コメは愛おしい。『ごはん』は美味しい」と書いていて、コメのめし好きなおれとしては痛快だった。

ってえ、ことで、安全・安心、地産地消、食べること、コミュニティ、いろいろつながる、そんなことを考えるためにも、2月3日のトークに、ご参加ください。

『てくり』の詳細と購入は、こちらのサイト。
http://www.tekuri.net/

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2013/01/28

2月3日のトーク、『みんなで決めた「安心」のかたち』著者より。

『みんなで決めた「安心」のかたち』の著者であり、2月3日のトークのホスト、五十嵐泰正さんがフェイスブックでトークの案内をしています。「公開」になっているので、どなたでもご覧いただける。
https://www.facebook.com/yasumasa.igarashi.10/posts/156000824551347

「対談相手のお一人は、『フクシマの正義』『フクシマ論』の開沼博さん。週刊ダイヤモンドの連載や、テレビ出演などで知ってる人も多いかもしれませんね。
もう一人は、大衆食を中心に、食や流通・農業周りでいい意味で雑多な活動を続け、「社会的に食べること」を考えてきたフードライターの遠藤哲夫さん。
自分で言うのもなんですが、柏の円卓会議が取り組んできたことの射程や意義を汲み取っていくうえで、日本中探してもこれ以上はない人たちをアレンジしていただけたと思っています。」

ま、おれは雑多すぎて「フードライター」とくくられるのも難しい「フリーライター」な男なのだが、そのうえ「日本中探してもこれ以上はない人たちをアレンジしていただけた。」なんて書かれると、開沼さんはまさにそうでありましょうが、おれなんざそれほどのものじゃない。

だがね、「柏の問題、放射能の問題にとどまらず、日本の地域や食が抱えている複雑でねじれた問題を考える、ユニークで貴重な機会になるでしょう。こういうアプローチ、こういう顔合わせだからこそ語れる「現代日本社会論」というのが、必ずあるような気がしています。」ってのは、そうなればいいな、そうしたいと自ら期待しているのであります。

とにかく、「複雑でねじれた問題を」いろいろ考える機会になればよい。そのダシとして、五十嵐さんのお相手をさせてもらうつもり。ま、お笑いのダシになるかも知れないが、それもまたよいか。

そして、今日も忙しく、しかし、飲んで酔いましたとさ。

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2013/01/25

『みんなで決めた「安心」のかたち』編集者より。

素早く今週も去ってゆく。そして恐ろしいスケジュールに突入。体力勝負、スリリング、岩登りみたいだ。

とにかく、2月3日のトークも迫ってきた。トークを運営する「わめぞ」のブログに、『みんなで決めた「安心」のかたち』の編集者である柳瀬徹さんが、「この本についてやトークについての想い」を寄稿しています。ご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/wamezo/20130201

柳瀬さんは、たしか30代で、たしか3人のお子さんがいて、著者の五十嵐さんも柳瀬さんに近い30代で、お子さんは2人だったかな、(記憶がいい加減でアイマイですみません)、ようするにどちらも複数のお子さんがいて、あの3月11日の原発事故発生のあとは、お2人のツイッターにも見られたけど、親としての心労も多かった。 『みんなで決めた「安心」のかたち』の内容は、どれをとっても他人事じゃなかったのだ。たくさんの親御さんにも読んで欲しいね。トークにも来て下さい。

ってことで、今週は21日(月)に新企画の打ち合わせのち王子の山田屋で飲んで帰宅。23日(水)は、上野の大統領で18時に黒川さんと待ち合わせ、20時過ぎ、急に会議が入って上野まで来れなくなった野本さんと合流するため、渋谷の祖父たちへ、終電1本前で帰宅。

とやっているうちに、あれやこれや持ち込まれ、安請け合いしているうちに、恐怖のスケジュールが出来上がった。老体に、ムチを、ピシッ。イテッ。

そうそう、今月13日に、故郷の同期のシュンスケが亡くなったばかりなのに、今度はかんぼうが死んだと、クボシュンさんから電話があった。どちらも小学の時からの友人で、クボシュンさんもガックリしていた。今年の秋には70歳古希の中学同期会があるというのに。その時会えないのだから、じつに寂しいことだ。それに、こう続いて逝かれてしまうと、秋までが、遠く感じる。

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2013/01/19

東京新聞「大衆食堂ランチ」4回目、笹塚・常盤食堂。

001昨日のこと、東京新聞、月に1回第3金曜日に連載の「大衆食堂ランチ」の4回目だった。すでにWEBサイトにも掲載になっているので、ご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/

今回は、笹塚の常盤食堂。ここは関東大震災の前年1922年の開店で、90年を数えた。戦災で焼けたけど、同じ場所で再起、営業を続けている。

もとは、当時流行のモダニズムの先端、洋食を提供するカフェーでスタートし食堂に転換、戦中戦後は外食券食堂から東京都指定民生食堂という、一つの典型的な大衆食堂の歴史を歩んでいる。しかも90年の歴史で、普通100年3代といわれるが、創業者のあとを継いだ2代目が現役だ。なので、あまり代を経てかすんでいないナマの歴史にふれられる。

ってことで、この食堂のことは何回か書いてきたけど、いつも歴史の話しに傾斜して、料理そのものについてはふれたことがなく、今回が始めてと言ってよい。しかし、十分とはいえないな。ま、わずか400字におさめなくてはならないので、いつも切り捨て方で悩むのだが。とにかく、ここのフライ類は、チョイと特徴がある。それは創業当時のモダニズムの、かすかな残り香のように感じられ、そのへんでまとめた。けっきょく、やっぱり、歴史に傾斜か。

003新聞には概観の写真も載っているのだがWEBサイトは料理写真だけなので、概観と店内をここにアップしておく。

そうそう、この写真を撮った日、おれが常盤食堂に入ったとき先客が何人かいて、その中に、このあいだ野暮な飲み会で一緒になりFBでも友達になっている某週刊誌の記者さんがいたのだけど、声をかけられるまでまったく気がつかず、声をかけられ名前を名乗られても、その方とここで会うなど、まったく「想定外」の外のことだったし、しかも前回には泥酔に近い状態でお会いしていたもので、そのときの印象より大変若く見え(実際に若いのだけど)、すぐには思い出せなかった。ということもあった。

広い東京で、おれのところからは遠く、めったに行けない食堂だし、その記者さんも商売柄忙しくてなかなか会えないでいたのに、こうして大衆食堂なんぞで、ひょっこり遭うことがあるのだ。彼は、近所で時々利用しているらしい。こうして男は黙って大衆食堂の日常に出合えるとうれしい。大いに大衆食堂をご愛顧ください。

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2013/01/18

放射能と食べものと有機農業。

以前から当ブログをごらんの方はご存知と思うが、東京で会社員をやっていて06年に故郷の愛媛・西条に帰って就農した知人がいる。実家は農家ではないから新規就農だ。おれは彼が会社員をやっているときに知り合った。たまに農業の話しなどをしていた。

09年だったかな?そこを訪ねた。「有機菜園 藤田家族」という名のように、有機栽培を中心に一部不耕起でやっていた。販売先は、主に市内の個人に直販、配達もしている。それとスーパーのコーナー販売など。ゆうき農協にも加盟しているようだが、詳しいことは知らない。

彼のブログ「38歳からの百姓志願~実践編」を見ていると、着実に歩を進めていることがわかる。見るのが楽しみだ。
http://blog.goo.ne.jp/sfujitasaijo 

先ほどブログを見たら、トップに、「1/24(木)横浜で「放射能と食べものと有機農業」の案内があった。彼は就農する前に、会社を辞めて一年間、神奈川で有機農業の修業をしたのだが、その時の師匠・相原成行さんがコーディネータなのだ。

リンク先の特定非営利活動法人 日本有機農業研究会による「有機農業・消費者セミナー 放射能と食べものと有機農業」を見た。
http://www.joaa.net/moyoosi/mys-133-1129.html

「3.11の大震災・原発事故の後は、私たちが望んでいるものとは大きく異なる 世界となってしまいました。自分たちの力だけでは、どうすることもできない現状 を受け入れつつ、それでも一歩一歩、前を向いて歩いて行くことに、腹をくくった 人たちがたくさんいると思います。とは言え、食べること、食糧を作ること、生活 していくこと、心の持ち方、そんな中で放射能汚染に対して、どのように対処して いったら良いかはまだまだ分からないことがあります。」と書き出し、「この放射能という、人間の英知、技術では解決の糸口が見えない災いを背負って しまっている中で、一人ひとりが考えていく心と、できることを伝えていくことを 共有していきましょう。 」と結んでいる。

ここにも、柏のような悩みを抱え、『みんなで決めた「安心」のかたち』のように、自分たちでできることをやっていこうという動きがある。こうして、小さいながらも、いろいろな動きがあるのだな。

昨日もちょっと書いたし、『みんなで決めた「安心」のかたち』にも述べられているが、有機農業の関係者と顧客は、ひと一倍食の安全と安心に関心が高かった人たちだ。いまでこそ有機農業も市民権を得たようであるが、まだ全部の生産量と流通から見たら、1割とか、そんなものだろう。しかし、安全・安心の日本の農業の未来を背負っていたことは、まちがいない。

大変な苦労をして、ここまできたと言ってよい。おれは、1990年ごろ、一年ほど九州の山奥で、有機農業や自然農法のみなさんの産品の販売を手伝って、当時は、本当に一部の人たち以外からは見向きもされず売れなかったのだが(農協では扱ってくれなかったしね)、自分たちで販路を開拓しながら続けていた。その苦労の一部も体験した。

その生産者たちが、原発事故の後、食の安全と安心に関心が高かった顧客である人たちに見放されてきた。これほどの理不尽はないという経験をしているわけだ。確かに原因は原発事故にあるのだが、東電と政府を告発しているだけでは、たちまち食うにも困り、自分たちの生活もここまで育てた農業も展望が開けない。すぐの自分たちの生活のためにも、「一人ひとりが考えていく心と、できることを伝えていくことを 共有」していく取り組みが必要になっている。そういうことだと思う。

この災いから一歩進んで、より望ましい未来の食と農業のために、とりわけ都会の消費者はもっと生産者と一緒に真剣に考えるときだろう。これまで、生産者と消費者のあいだの隔たりは、あまりにも大きすぎた。安心も安全も信頼関係ではなく、カネで片付いていた関係が、たいがいだった。安心や安全は、カネではなく、信頼関係で築くものなのだ。そのためには、自分が食べているものが、どういう人たちによって、どう作られているかを、より直接的に知ることだと思う。

ってことで、2月3日のトークも、よろしく~。

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2013/01/17

「地産地消」とTPP、そして移動する料理。

今年になって、やっと2度目の更新。70歳になる年のせいか、日に日に衰えていくのがわかる。もうとてもブログを書き続ける体力もない。がははは、酒を飲むのが優先だからのお。

しかし、小学校、中学、高校と同期で、小学のときは同じ町内のすぐ近所だったので、よく遊んだ男が、13日に亡くなった知らせが届いた。一昨年の中学同期会のときは元気で、一緒に飲んで、大いに語りあったのだが。ガンだったそうだ。70にもなると、元来、70歳は古希つまり「稀に古い」と言われるトシを生きているわけで、平均年齢が高くなったといっても、いつ死ぬかわからん。おれだってなあ、だから、みなさん、後悔のないよう、おれにたくさん金と酒をちょうだいね。

それはさておき。昨年末から、いろいろな企画がらみで、コメやTPP関係の資料、1970年代からの食文化に関する資料、それに「暮らしの手帖」風のオベンキョウのための資料など、ひさしぶりに大量に読んだ。それに、2月3日のトークのために、『みんなで決めた「安心」のかたち』も読み返している。もう頭の中がグチャグチャ。

そもそも、『みんなで決めた「安心」のかたち』には、「ポスト3.11の「地産地消」をさがした柏の一年」というサブタイトルがついているのだが、TPPは、短絡図式的に考えると、グローバリゼーションのTPPと「地産地消」は相容れない関係ってことになるし、実際、TPPに反対する人たちは「日本の農業を守れ」ということで「地産地消」なのだ。

この件は、それほど単純ではないのだが、農水省が例の欠陥計算法であるカロリーベースの自給率をもとに、自給率危機を煽り、TPPで日本の農業は瀕死状態になる、自給率も10%台になる「可能性」もある。とかとか、ヒジョーにまずいやりかたで臨んできた経緯もあって、事態は、反対か推進かの、じつに短絡した話しになっている。

もう一つ、短絡した反対と推進の対立があって、つまり原発をめぐる問題だ。これがまた、TPPをややこしくしている。つまり、原発をめぐっての反対と推進のほかに、放射線リスクの農水産品への影響や安全・安心の判断をめぐる対立だ。

『みんなで決めた「安心」のかたち』の189頁にも、「「放射能に汚染されておらず、かつ安価な輸入農産物」がより自由に手に入るという観点からTPP加入を今まで以上に積極的に歓迎する消費者の声さえ出始めている」とあるのだが。それがしかも「反原発」の人だったりする。ややこしい。とにかく、海外へ避難・移住する人もいるのだから、TPPぐらいは当然で不思議はない。

しかし、この錯綜した状態は、なんだろう。食に関わる仕事に、「書く」ていどでしか関わっていないが、とても悩ましく考え込まざるを得ない。うつうつと深酒になるのである。しかし、ホットスポット柏では、その対立が、もっと先鋭的かつ深刻にあらわれた。

もともと猛威を振るい続けていた「消費主義」のもとで、消費者と生産者そして流通業者の関係は、とてもアブナイ状態だったのだが、それが露になった。「福島の農民は人殺しだから、人殺しは殺してもかまわん」というようなことを、原発被害にあいながら避難も移住もできずに福島で暮らす農家の人たちに、そんな言葉が投げつけられたりした。

第1章の「円卓会議の1年」を、「安全安心の柏産柏消」円卓会議の事務局長の五十嵐泰正さんが書いている。それによると、もともと柏には五十嵐さんも参加する、まちづくり団体のストリート・ブレイカーズ(ストブレ)があって、2009年から「やる気のある若手農家を集めて」月に一度の「ジモトワカゾー野菜市」を開催し、「震災前に柏に定着しかけていた地産地消の動きに、微力ながら貢献してきた」

ところが、柏がホットスポットになったことにより、一挙に状況が変わる。そもそも、地産地消に熱心だった人たちは、なにより食の安全や安心に関心の高い人たちだった。

ということがあったりして、なんとか円卓会議の開催にこぎつけのだが、消費者3名、生産者4名、流通2名、NPO法人ベクまる(放射線測定のプロ)と、お互い放射線リスクをめぐっては立場も考えも異なるし、最初のころは不信感も深く、とても重い雰囲気だったようだ。その様子は、第2章「「あの日」から それぞれの一年」に、メンバー一人ひとりの思いと行動が、インタビューによってまとめられているが、これがこの本の白眉だろう。ま、とにかく、不信と傷つけあう関係から、どうやって危機をのりこえ信頼関係を築いたか、そして「放射能測定」とはどういうことなのか、ぜひ読んで欲しい。

今日は、それで錯綜する頭で、料理のことなのだ。おれは、『みんなで決めた「安心」のかたち』にある、この話しに感動した。というか、これは、料理や食文化の可能性を示したもので、大いに励みになった。

著者の五十嵐さんも「測定でとても興味深いことがあった」と書く。「測定対象だったホウレンソウはシーズンが終りかけていた。大きくなりすぎたホウレンソウをタダで持っていっていいよ、と言った農家に、驚きの声を上げたのは、測定に参加していたフレンチレストランの佐々木シェフだった。シェフによれば、フランスのホウレンソウは日本のものよりだいぶ大きい。市場に出回らず、ずっと探していたポタージュに向く肉厚で味の濃いホウレンソウを、柏の足元で見つけた佐々木シェフは、笑顔を隠せない様子だった。新しい価値はいつでも、異なる立場と目線の人たちが出会うことで発見され、創出される」。なんと感動的ではないか。

この話しは、料理的に見ると、すごくおもしろい。つまり、よく言われる「シュン」は、つねに「客観的」に動かしがたく存在するのではなく、料理技術と相対的な関係にあるということだ。

これは、地産地消やTPPを考えるときにも必要な視点で、ようするに食の問題は、主体的で自由自在な料理や食文化により解決できることが、たくさんあるってこと。なのに、生半可な知識や教条にしばられ受身になり可能性をせばめ窮屈な判断をしている現状が広くある。なんのために料理技術や食文化なのか、こういうときだからこそ、もっと考えたいものだねえ。

時間がなくなったので、最後の結論が大急ぎになった。「移動する料理」については、またあらためて。

2月3日の五十嵐さんとのトーク、ぜひご参加を!詳細は、こちら。
http://d.hatena.ne.jp/wamezo/20130203

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2013/01/06

2月3日のトークの予約受付が始まりました。

ああ、もう6日になってしまった。

今日から、2月3日に開催の「鬼子母神通りみちくさ市2013・プレイベント」、『みんなで決めた「安心」のかたち―ポスト3.11の「地産地消」をさがした柏の一年』(亜紀書房)刊行記念トークの参加予約受付が始まっています。

2月3日(日)13:15~17:00。この本のメイン著者である五十嵐泰正さんをホストに、1部のゲストが開沼博さん、そして、2部のゲストがおれなのです。

1部のタイトルが「断絶と無関心を超えて」、2部のタイトルは「「いいモノ」食ってりゃ幸せか?」と、もうタイトルからして過激な硬軟両極端で、おれがゲストなんて間違っているんじゃないか、と思う人がいるかも知れないが、そこが、ま、みちくさ市を運営するわめぞらしくもあり、五十嵐さんらしいところでもあるのだな、ってことにしておいてもらいたい。

1部と2部の間には、〈柏産柏消〉セッション!「おいしい野菜は、こんなにすごい! 14:45~15:15」ということで、「安全・安心の柏産柏消」円卓会議参加の農家さんによる、「農家という生き方」と「おいしい野菜」の紹介です! 野菜を使ったメニューの試食もあるかも?」だそうです。

お申し込みなど詳細は、こちら。よろしくお願い申す。いや、実際、このトークイベントは、めったにないものになるでしょうぞ。
http://d.hatena.ne.jp/wamezo/20130203

当ブログ関連
2012/12/23
人間はどうやって社会的に食べているのか。
2012/12/02
忙しくても、これだけは、『みんなで決めた「安心」のかたち――ポスト3.11の「地産地消」をさがした柏の一年』。

001昨年末にさかのぼる。25日の「クリスマスは、今年最後の打ち合わせ。」で、仕事はすべて片付いたと思っていたら、急ぎの仕事がふってわき、28日は御徒町へ、30日は資料を求めて雨の中を西日暮里から古書ほうろうへ、都内へ行ったついでに、この日が最終営業の小岩の野暮酒場まで足をのばした。

31日、まいどの秩父の山奥へ行き、大晦日と新年を迎える。2日に帰り、3日に急ぎ仕事の某プロモーションの企画書作成が4日まで無事に終了のち大宮へ。野暮連の新年会が、いづみや16時集合なのだ。タノ、シノ、アリマ。18時少し前、東大宮のちゃぶだいへ移動。奥のちゃぶだいの部屋に陣取り、白菊と澤姫の樽を飲み放題コース1500円にジャンプイン。コン、サキ、キムラが加わり、賑やかに、わけわからん状態。たぶん22時ごろまで飲んだのではないかと思う。とにかく飲んだ。泥酔記憶喪失帰宅だった。料理写真は、ちゃぶだいのおせちお通しセット、うまかった。

ま、今年も、かなり野暮な年になるでしょう。

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