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2013/01/17

「地産地消」とTPP、そして移動する料理。

今年になって、やっと2度目の更新。70歳になる年のせいか、日に日に衰えていくのがわかる。もうとてもブログを書き続ける体力もない。がははは、酒を飲むのが優先だからのお。

しかし、小学校、中学、高校と同期で、小学のときは同じ町内のすぐ近所だったので、よく遊んだ男が、13日に亡くなった知らせが届いた。一昨年の中学同期会のときは元気で、一緒に飲んで、大いに語りあったのだが。ガンだったそうだ。70にもなると、元来、70歳は古希つまり「稀に古い」と言われるトシを生きているわけで、平均年齢が高くなったといっても、いつ死ぬかわからん。おれだってなあ、だから、みなさん、後悔のないよう、おれにたくさん金と酒をちょうだいね。

それはさておき。昨年末から、いろいろな企画がらみで、コメやTPP関係の資料、1970年代からの食文化に関する資料、それに「暮らしの手帖」風のオベンキョウのための資料など、ひさしぶりに大量に読んだ。それに、2月3日のトークのために、『みんなで決めた「安心」のかたち』も読み返している。もう頭の中がグチャグチャ。

そもそも、『みんなで決めた「安心」のかたち』には、「ポスト3.11の「地産地消」をさがした柏の一年」というサブタイトルがついているのだが、TPPは、短絡図式的に考えると、グローバリゼーションのTPPと「地産地消」は相容れない関係ってことになるし、実際、TPPに反対する人たちは「日本の農業を守れ」ということで「地産地消」なのだ。

この件は、それほど単純ではないのだが、農水省が例の欠陥計算法であるカロリーベースの自給率をもとに、自給率危機を煽り、TPPで日本の農業は瀕死状態になる、自給率も10%台になる「可能性」もある。とかとか、ヒジョーにまずいやりかたで臨んできた経緯もあって、事態は、反対か推進かの、じつに短絡した話しになっている。

もう一つ、短絡した反対と推進の対立があって、つまり原発をめぐる問題だ。これがまた、TPPをややこしくしている。つまり、原発をめぐっての反対と推進のほかに、放射線リスクの農水産品への影響や安全・安心の判断をめぐる対立だ。

『みんなで決めた「安心」のかたち』の189頁にも、「「放射能に汚染されておらず、かつ安価な輸入農産物」がより自由に手に入るという観点からTPP加入を今まで以上に積極的に歓迎する消費者の声さえ出始めている」とあるのだが。それがしかも「反原発」の人だったりする。ややこしい。とにかく、海外へ避難・移住する人もいるのだから、TPPぐらいは当然で不思議はない。

しかし、この錯綜した状態は、なんだろう。食に関わる仕事に、「書く」ていどでしか関わっていないが、とても悩ましく考え込まざるを得ない。うつうつと深酒になるのである。しかし、ホットスポット柏では、その対立が、もっと先鋭的かつ深刻にあらわれた。

もともと猛威を振るい続けていた「消費主義」のもとで、消費者と生産者そして流通業者の関係は、とてもアブナイ状態だったのだが、それが露になった。「福島の農民は人殺しだから、人殺しは殺してもかまわん」というようなことを、原発被害にあいながら避難も移住もできずに福島で暮らす農家の人たちに、そんな言葉が投げつけられたりした。

第1章の「円卓会議の1年」を、「安全安心の柏産柏消」円卓会議の事務局長の五十嵐泰正さんが書いている。それによると、もともと柏には五十嵐さんも参加する、まちづくり団体のストリート・ブレイカーズ(ストブレ)があって、2009年から「やる気のある若手農家を集めて」月に一度の「ジモトワカゾー野菜市」を開催し、「震災前に柏に定着しかけていた地産地消の動きに、微力ながら貢献してきた」

ところが、柏がホットスポットになったことにより、一挙に状況が変わる。そもそも、地産地消に熱心だった人たちは、なにより食の安全や安心に関心の高い人たちだった。

ということがあったりして、なんとか円卓会議の開催にこぎつけのだが、消費者3名、生産者4名、流通2名、NPO法人ベクまる(放射線測定のプロ)と、お互い放射線リスクをめぐっては立場も考えも異なるし、最初のころは不信感も深く、とても重い雰囲気だったようだ。その様子は、第2章「「あの日」から それぞれの一年」に、メンバー一人ひとりの思いと行動が、インタビューによってまとめられているが、これがこの本の白眉だろう。ま、とにかく、不信と傷つけあう関係から、どうやって危機をのりこえ信頼関係を築いたか、そして「放射能測定」とはどういうことなのか、ぜひ読んで欲しい。

今日は、それで錯綜する頭で、料理のことなのだ。おれは、『みんなで決めた「安心」のかたち』にある、この話しに感動した。というか、これは、料理や食文化の可能性を示したもので、大いに励みになった。

著者の五十嵐さんも「測定でとても興味深いことがあった」と書く。「測定対象だったホウレンソウはシーズンが終りかけていた。大きくなりすぎたホウレンソウをタダで持っていっていいよ、と言った農家に、驚きの声を上げたのは、測定に参加していたフレンチレストランの佐々木シェフだった。シェフによれば、フランスのホウレンソウは日本のものよりだいぶ大きい。市場に出回らず、ずっと探していたポタージュに向く肉厚で味の濃いホウレンソウを、柏の足元で見つけた佐々木シェフは、笑顔を隠せない様子だった。新しい価値はいつでも、異なる立場と目線の人たちが出会うことで発見され、創出される」。なんと感動的ではないか。

この話しは、料理的に見ると、すごくおもしろい。つまり、よく言われる「シュン」は、つねに「客観的」に動かしがたく存在するのではなく、料理技術と相対的な関係にあるということだ。

これは、地産地消やTPPを考えるときにも必要な視点で、ようするに食の問題は、主体的で自由自在な料理や食文化により解決できることが、たくさんあるってこと。なのに、生半可な知識や教条にしばられ受身になり可能性をせばめ窮屈な判断をしている現状が広くある。なんのために料理技術や食文化なのか、こういうときだからこそ、もっと考えたいものだねえ。

時間がなくなったので、最後の結論が大急ぎになった。「移動する料理」については、またあらためて。

2月3日の五十嵐さんとのトーク、ぜひご参加を!詳細は、こちら。
http://d.hatena.ne.jp/wamezo/20130203

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