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2013/02/26

土佐の高知「おきゃくの都」に、乾杯!

去る23日(土)は、さばのゆ@経堂で、高知の酒飲みの皆様と「おきゃく飲み&トークイベント!」だった。

その前に、さばのゆ亭主の須田さんと打ち合わせすることがあって、17時に経堂駅で待ち合わせた。おれは、余裕を持って家を出たにもかかわらず、なにをカンチガイしたか、深く考えごとをしていた覚えもないのに、宇都宮線に乗ったまま終点の上野へ行ってしまった。20分遅刻。

西通り商店街の「木こり」で、大きなブリかまを突っつきながら、打ち合わせをやり、酒飲んでめし食って18時半すぎに、さばのゆへ。トークのスタートは19時、すでに高知の関係者の方々は来ていて、準備中。高知から来られた福岡茉莉さんと高知県東京事務所の方だった。

スタート、まずは、福岡さんが「土佐のおきゃく」について、ビデオを見せながら案内。もう、このビデオで会場の人たちは、ビックリ。

「おきゃく」というのは、「土佐の『おきゃく』2013」のサイトhttp://www.tosa-okyaku.com/に、こうある。「土佐では昔から、冠婚葬祭など事あるごとに大勢で集まっては酒を飲み、親交を深めてきました。そうした宴会を「おきゃく」と言います。また、参加する人は親族だけでなく、村・町の人、はたまた偶然隣り合わせた人など、誰でも気さくに参加できるのが土佐流の宴会です」

その「おきゃく」を、高知市の目抜きの商店街でやる。「高知の中心街を宴会場にみたて、大小様々なイベントを同時多発的に開催します。「おきゃく」=「宴会」ですので、基本、お酒が楽しめる大人向けの宴が繰り広げられますが、どれも「まぁ飲んでいきや」と、土佐人のもてなしの文化に触れられる高知らしいイベントです」

いやはや、はりまや橋周辺の大きなアーケード街に、連なる「座敷」を設営し、そこで飲む飲む飲む。いやはや、まさに高知らしいイベント。同じアホなら、飲まなきゃソン。という感じ。

福岡さんの話も、高知の人たちが、どんなに自由に酒を楽しむかということが中心だった。

ビックリしたところで、福岡さんとおれのトーク。おれは1980年ごろ仕事で毎月高知へ行った。行くと3日~5日ぐらいは滞在ってことが1年ぐらい続いた。それで、高知の人たちが、どんなに酒を楽しむかは十分知っていたのだが、あらためて驚いた。

トークのほうは、当時の思い出、もう30年前のことだけど、印象に残っていることを、次々と思い浮かぶままに話すと、福岡さんがうまくフォローしてくれて、自分でもとても楽しく話がすすんだ。高知の人は、話しているだけで楽しい。

おれが「よく行った居酒屋というか大衆酒場は、高知駅からはりまや橋の交差点をこえて、すぐの右側なんだけど」というと、福岡さんは、すかさず「陣太鼓」と。おお、そうだ、「太鼓」がつくのは覚えていたけど、思い出せなくて困っていたのに、一気に解決。この店は、もうないのだが、福岡さんはご存知だった。おれが行った当時は、大きな居酒屋というとここぐらいで、大変混雑していた。たいがい、夕方になると、仕事相手の高知の人は、打ち合わせ途中でも「いこ」と切り上げ、どこへ行くのかというと、まずはこの店へ行くのだった。

酒だけじゃない、和紙漉きのことや、牧野富太郎さんの出身地で植物園が素晴らしいこと、アイスクリンの思い出など話しがはずんで、終了。

そして、参加者みんなで、高知の「おきゃく飲み」になった。これがもう、ほんと、どうして高知の人たちの酒は、こんなに自由で、楽しいのだろうと、その「才能」を絶賛したいほど楽しい。「箸拳」は要領が難しいので、「菊の花」と「「可杯」(べくはい)=べろべろの神様」をやった。説明は面倒だから、こちらをご覧ください、わかりやすく楽しい。
http://www.welcome-kochi.jp/special/ozashiki.html

福岡さんが、本来は三味線でやるところを持ち運び簡単なウクレレを弾き、うたと手拍子に合わせて飲む飲む飲む、とにかく興じて賑やかに楽しんで、時は過ぎ。いやあ、楽しかった。東京でも高知の人は楽しい。終電で泥酔帰宅。

003じつは、以前に高知へ行くたびに可杯を買って、何個もあったはずが、探したけど一つしか見つからない。これは、底がコマのように尖がっていて、酒を飲み干さないうちは下に置けない形。それを持って行って、酔っ払って帰って、コートを脱ぐ時に、ポケットに裸で入れておいたそれが床に落ちて、割れてしまった。しかし、帰りがけに福岡さんからいただいた可杯が、同じ底の形のもので、これは無事だった。おれの可杯は1個のまま、入れ替わった。大事にしよう。

翌日、しみじみ思ったのは、このことだった。

高知の方の自由に酒を楽しむ「才能」の豊かさは、その奥に「生を謳歌する」文化や思想が息づいているようだ。に対して、「生を防御する」文化や思想(例えば「健康のためなら死んでもよい」と揶揄されるほどの「健康至上主義」など)が、どうしてこんなにはびこったのだろうかと考えざるをえない。

高知の「おきゃく」は、「生を謳歌する」イベントとして、コンニチでは希少なものなのかも知れない。ここから、「生の防御」に萎縮した文化や思想が解放されるかも知れない。と妄想するのだった。竜馬もいいが、こっちのほうが、現代的に意義がありそうだ。

近年の「まちおこし」や「まちづくり」は飲食の出番が多いのだけど、とかく「ご当地グルメ」や「B級グランプリ」のように、飲食のモノが中心になりがちだ。近頃はそのために無理矢理モノを仕立てる感じもある。

だけど、高知の「おきゃく」は、モノではない、確かに「皿鉢料理」などは有名だが、「べく盃」や「菊の花」「箸拳」などに見られる遊び酒と、その集結点であるかのような「おきゃく」という飲食のスタイルなのだ。これこそ「食文化」という感じがする。

モノに執着するのではなく、「おきゃく」イベントのように、各家庭や地域に根付いている飲食スタイルや飲食の楽しみ方を一同に集めれば、これは自分たちのすごい文化を楽しく認識し継承する機会になるのではないかと思った。

「おきゃくの都」に、乾杯!

福岡さん、遠路高知から、ありがとうございました。

もう飲酒に関するチマチマとしたリクツはどうでもいいから、高知の人のように、ガツンと楽しもう。

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2013/02/24

NHKの番組のため古墳部活動。

18日(月)は、古墳部活動だった。とはいえ、NHKの「ビギン・ジャパノロジー」という番組に出演するもので、とはいえ、ふだんの古墳部活動のように自分たちのペースで勝手に楽しんでしまったのだ。

002最初は、このブログの古墳関係の記述を見たNHKの担当さんから、おれにメールがあった。古墳なら古墳部長のスソアキコさんだろうと、そちらにふった。しばらくしてスソさんから、話しがまとまったから、ついてはまいどの古墳部の顔ぶれ、瀬尾幸子さんとおれも一緒に出演できないかと話があった。収録の日は決まっていたが18日で、ちょうど忙しい最中だったけど、この日だけ空いていた。っていうイキサツがあって、9時45分に三鷹駅集合でロケ車に乗ることになった。朝から雨模様で、ロケが出来るかどうか危ぶまれた。

巡る古墳は、おれは初めてのところばかり。だけど、たぶん、いつものようにスソさんが資料を用意してくれるだろうと思い、なんの予習もなしに行った。スソさんは、やっぱり、すごい資料を作ってきて、三鷹駅の売店でコピーして、おれたちに渡した。な、なんと、A4で12ページ!もう熱中ですね。

目的地は、三鷹市の天文台近くにある「出山横穴墓群」と狛江の古墳群だ。これらは、支流の野川や仙川なども含めた多摩川沿いの古墳群になるのだけど、スソさんは多摩川台の古墳群がある下流域から、秩父山地、陣馬山などに連なる上流域の古墳群まで、しっかり書き込んだ地図と、100はあるといわれる狛江周辺の古墳群の詳しい地図、さらに野川中流域の3D地図に出山横穴墓群などを詳しく書き込んだもの、出山遺跡がある大沢地区の遺跡のリストと年代、出山遺跡から出土した縄文後期の13ℓ(一升瓶7本分とスソさんの解説がある)の大型注口土器の写真と説明など、とにかくこれだけ見ればすべてわかりそうな念の入った資料。これはもう、NHKのためというより、いつもの古墳部活動のため。いやあ、まずはこの資料に驚いた。スソさんの熱中がありあり。

052本当は16時ごろまでかかる予定だった。だけど、昼頃に雨が本格化する予報なので、それまでにポイントだけ撮ってしまおうと、ディレクターさん、カメラさん、音声さんと一緒に移動。

横穴墓は、古墳時代後期、前方後円墳が後退するのと入れ替わるように、出現する。たいがい川沿いの崖に穴を掘ったものだ。出山横穴墓群は野川中流域の、天文台近く、野川を前にした、いかにも古墳がありそうな丘の崖にあった。その麓の入口で、ロケ車を降り、おれたち3人はマイクを装着され、勝手なことをしゃべりながら歩く。カメラさんと音声さんが、それを撮る録る。ディレクターさんが、ときど何か言う。

横穴墓群のなかの8号墓が見学できるように公開されていた。そこまで少しだけど、遊歩道を登る。少しだけど息が切れる。古墳部活動は、けっこう運動になるのだ。

067

コンクリートで囲われた「見学室」は、暖房が効いていて驚いた。ガラスごしだが、まんま見える。4体の人骨レプリカが見える。なかは意外に広く、4畳半ほど。石が敷き詰められ、その上に、とくに向きなど関係なく、4体の遺骨があった。きれいにドーム型に掘られた天井も意外に高く、生活ができそう。形がしっかりしていて、遺跡や遺物を見て、いつも思うことだが、古のひとたちは、もしかすると、生き抜くために、現代人より合理的な思考を持っていたのではないかと思うことが多い。

スソさんの資料には、スソさんのイラスト入りで、「横穴墓の構築手順」「横穴墓に埋葬された人々」「横穴墓で発見された遺物」があった。さらに「おまけ」のページがあって、それは一体の骸骨の、上顎に穴が開くほどの歯周病や虫歯にやられた有様の写真入り。この解説が面白かった。つまり、身分が高かったので、虫歯や歯周病になりやすい米など柔らかいゼイタクなものを食べていた可能性があるということなのだ。かなり痛くて苦しんだはずであると。さらに「おまけ」には、ほかの横穴墓にもあった遺骨の、推定死亡年齢や身長などのリストもあった。とにかく、スソさんは、スゴイ。

0738号墓は横穴を掘るに都合のよい丘の崖の中腹にあるが、さらに遊歩道を登ると、大型注口土器が発見された縄文遺跡があった。丘のテッペンあたりに、まず縄文人が住み着いたのだろう。弥生時代には稲作と畑作になるから集落は平地に移り、周辺のいまや住宅街になっているあたりで、古墳時代の集落もそうだろう。雑木の林が気持よい丘の上から、現代の様子を眺めて、しかし、それほど遠くはない縄文から古墳の時代を感じた。だいたい縄文遺跡や古墳がある場所は、眺めもよく気持のよい場所なのだ。そういう気持よさを感じるのは、現代のひとも古のひとも同じに違いない。

おれたちは、あれやこれや勝手にしゃべり、ときにはディレクターさんの質問に答えたり。しかし、マイクが装着されているのを忘れて、「早く終えて飲みに行こうよ」とか「腹がへった」など、余計なことも話して、それが全部筒抜けなのだった。でも、おれたちはひとの悪口を言うような人間ではないので、ディレクターさんの悪口を言ったりということはなかった。と、思う。

詳しく書いていると、スソさんの資料総動員になるので、やめて次の狛江古墳群へ。狛江には「狛江百塚」といわれるほど古墳があったが、多くが消失し、現在確認できるのは25ぐらい。移動の最中に、ときどき雨が強く降り、早く終わらせようという機運が、強まる。

0794ヵ所ほど巡る予定だったが、2ヵ所にってことになり、まずは兜塚古墳。狛江駅から10分ぐらいの、「高級」というほどではないが、洒落た家の多い住宅街のなかにある。南向きの道路を通して、多摩川に向かっての傾斜地の上の方だとわかる。やはり、古墳は、眺めのよい気持よいところに造られているし、現代人にとっては、かっこうの住みよい場所になるのだ。兜塚古墳は、これもスソさんの資料によれば、直径30m、高さ4m、6世紀中頃。古墳のテッペンに立つと、何も無いが気分がよい。出来た頃は、ここから多摩川や川原が見下ろせたに違いない。

087二つ目は、もっと駅に近い経塚古墳。直径40~42m、高さ5m、5世紀後半。周溝もあったと見られるが、ここは片側は道路、両側はマンション、もう片側は駐車場にザックリ削られ、ほとんど原型をとどめていない。高さも削られているようだった。それでもテッペンは気持がよく、なんだ高いところが好きなだけか、というような感じだが、土にふれてみると、古墳の上の木の枯葉が積もって出来た土だから、いい土だ。その気持よさかも知れない。この土の感じは、古から同じか似たようなものだろう。ここでひとしきり、ディレクターさんがくりだす、なぜ古墳なの?って感じの質問に、3人であれこれ答えた。いろいろ言い方はあるけど、ようするに、古と交信しながら、いまを、自身を、確認しているのである。

ちょうど雨脚も強まり、急いでロケ車に乗り込み、これにて終了、食事をすることになった。食事のあと狛江駅まで送ってもらい、制作のみなさんと別れ、おれたち3人は新宿へ。

まだ14時ごろだったか。さあ飲むぞと、乾杯。そうそう、おれだけ、すでに狛江の食事のときにビールを飲んでいたのだった。

スソさん帰り、瀬尾さんとおれは、もう一軒。さらに18時ごろ、もう一軒と開店早々のバーに入り、ここで21時半ごろまで飲んで、ようするに、酔っ払った。酔ったので、東大宮に着いて、ちゃぶだいに寄ってしまい、泥酔ヨレヨレ帰宅だった。

本当は、もっといろいろなことを話し合い、重大な「告白」もあったり、いろいろなことを考えて、今日になっても、古墳にふれた刺激がおさまらず、あれこれ妄想しては興奮し、調べている。大きくは「日本人」といわれるひとたちは、どこから来て、どこへいこうとしているのか。小さくは、おれはどこから来て、どこへいこうとしているのか。そして、いま、『オオカミの護符』(小倉美惠子、新潮社)を読んで、興奮している。

この番組は、海外に向け日本の文化を紹介するNHKの国際放送とのことで、国内向けにはBS1だったかな?で放映されるらしい。4月28日の予定とか。古墳を紹介する30分番組のうちの、われわれはほんの少し登場するぐらいだろう。ま、古墳部活動が面白いのであり、放送のことは、どうでもよいのである。

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2013/02/22

にほんいちプロジェクトのサイトで、新連載「愛しい俺の米たちよ」が間もなく始まる。

昨日のブログに「ほかに、2つ企画が進行し、一つは、まもなく姿をあらわすところまできた」と書いたのだが、そのすぐあとぐらいに、それがネット上で公開になり姿をあらわしていた。

こちら、「にほんいちプロジェクト」のサイトであり、おれは「愛しい俺の米たちよ」ってことで、「米のうまさを語り尽くす」連載をやります。
http://www.nippon1-project.com/241

この企画は、去年のいつごろだったかなあ、相談が始まり、年末にはほぼ骨格が固まって、ここに使われているタイトル写真も、昨年末に都内の食堂で撮影していた。だけど、今年に入ってから、おれがドタバタしていたこともあって、おれが担当する連載の構成が固まらず、のびのびにさせてご迷惑をかけてしまった。

ほんとうは、もう1回目の原稿を上げなくてはいけないのだけど。とか言ってないで、急いでやろう。

「にほんいちプロジェクト」の「にほんいち」は「日本一」だけど、統計的な日本一だけではなく、よく「ウチの酒はにほんいちだよ」「いやあ、ウチのカブはにほんいちさ」とか言ったりする、そういう楽しい「にほんいち」をリンクしていこうという意図で、おれの故郷、新潟県魚沼地方の十日町市のコシヒカリと、全国の日本一や生産地と消費地をつないでいくサイトなのだ。

プロデューサーが、コメディ・プロデューサーあんどライターで、さばのゆ亭主の須田泰成さんだから、そのへんは、さばのゆのようにいろいろなひとやことが入り混じり「銭湯」同様、面白く楽しい展開になるだろう。

この背景には、いろいろな思いがあるのだけど、ま、そのへんは追々。

よろしくお願い申す。

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2013/02/21

トークやらうどん打ちやら。

003とりあえず、ブログをサボっていた、先月中旬からのこと。メモも少ないから、思い出せること、大雑把に。

1月21日(月)、出版企画の件で打ち合わせ。のち王子の山田屋で飲んで帰宅。22日(水)18時、上野の大統領で黒川さんと待ち合わせ飲む。20時半頃、会議が延びている野本さんと早く落ち合うため渋谷の祖父たちへ移動。23時ごろ終電のため一足お先に失礼泥酔帰宅。25日(金)ダンチュウ担当さんと新宿ベルクで待ち合わせ。担当さん遅れる間にビールを3杯目お替りして飲んでいたら、恩田えりさんが入って来て、まさかの偶然に2人で驚く。21時近く、担当さんあらわれ、みのるで打ち合わせ。うどん打ち弟子入り取材をやることに。終電で泥酔帰宅。31日(木)ダンチュウうどん弟子入り取材1日目「麺打ち」。宮前平14時待ち合わせを14時半と間違え、しかし早めに出たので15分遅れですんだ。うどん打ち実習やりながら取材。夕刻終了。のち高円寺の弟子入り先へ下見というか、泥酔帰宅。

0192月3日(日)、わめぞの「みちくさ市プレイベント」ってことで『みんなで決めた「安心」のかたち』出版記念トーク。13時半から17時まで。ホストは著者の五十嵐泰正さん。1部のゲストは開沼博さん、2部のゲストはおれ。1部と2部の間に、『みんなで決めた「安心」のかたち』にも登場した自然農園・レインボーファミリーの笠原さんご夫妻の「農家という生き方」のトーク。会場外では、笠原さんの野菜の販売もあって、おれも評判のよいカブを買った。定員90名が一杯になる盛況。開沼さんも笠原さんも素晴らしいトークのなか、まいどのことながら、おれは大雑把なとりとめのない話しを終える。のち、打ち上げ飲みにも参加、最後はカラオケやって泥酔状態で帰宅。

5日(火)ダンチュウうどん弟子入り取材2日目「天ぷら」実習、新宿で15時から。終わって帰宅。6日(水)ダンチュウうどん弟子入り取材3日目「つゆ」実習、高円寺13時から。そうそう、この日は、雪になりそうな雨だった。16時頃、これにて取材すべて終了。中野へ移動、2軒ハシゴ、泥酔帰宅。

とにかく、今回の取材は食べるだけじゃなく「実習付」で3日間だから疲れた。しかも当初10ページの予定が13ページに増。しかもタイトルが「エンテツ「うどん食堂」本日開店」だ。グルメライターでもないおれなのに、いいのか。ま、いいってんだから、面白がってやっていたが、原稿書くのが大変だった。レイアウトが出たのが12日で、それにあわせて書き出したが、レイアウトに変更があり、15日(金)ギリギリに仕上げ、19日校正というギリギリギリ進行。

039_2でも、料理を食べて書くのではなく、作って書くのは面白い。厨房に立つのも好きだし。ひさしぶりに業務用厨房の中を動き回って、うれしかった。料理について、考えることや書きたいことが、たくさんできた。

やはり料理は作ってこそだ。ってんで、原稿書くには、お店で習っただけではダメなので、自宅でうどん打ちの「自習」をやって原稿を書いた。麺もつゆも、教わったとおりにやってみると、驚いたことに、ほんとうに、うまく出来る。もちろん、お店のまんまにはいかないが、驚くほどうまくできた。ウチの台所で打っているところと、ツルツル輝くピチピチ出来上がりのうどんの写真を掲載しておく。

047特別の材料を使うわけではなく、スーパーで買ったものばかり。ほんと「ありふれたものを美味しく!」「気取るな力強くめしを食え!」のまんまで、そのように原稿を書いた。これまでおれがダンチュウに書いた文章も、グルメな話しは出来ないから別の書き方だったけど、今回は、ありふれたものを美味しく食べる気取らない料理の楽しさや面白いところに切り込めたと思う。3月6日発売。買って作ってみて。

はあ。それで、この間に、東京新聞の連載「大衆食堂ランチ」の原稿と校正、初めて締め切りに間に合わなかった『四月と十月』の連載「理解フノー」の原稿を終えた。ほかに、2つ企画が進行し、一つは、まもなく姿をあらわすところまできた。もう一つは、面白いことをやるのだが、まだ固まってないところがある。

去る18日(月)は、古墳部活動を、スソアキコさんと瀬尾幸子さんと。これはNHKの番組のためだったのだが。その件は、また。今日は、これまで。まだいろいろあったような気がするけど、ほかに、何があったか、思い出せない。

最初の写真は、柏の自然農園・レインボーファミリーの笠原さんご夫妻のカブです。

そうそう、『みんなで決めた「安心」のかたち』について、荻原魚雷さんがご自分のブログ『文壇高円寺』に書いている。素晴らしい。ぜひご覧ください。
http://gyorai.blogspot.jp/2013/02/blog-post_14.html

この本は、色目でみれば、「文芸系」ではないだろうから、そちら系の方の感想などは、あまり目にしないのでサミシイのだが、「文芸系」の方には是非読んでほしい本だと思っている。というのも、この本に書かれた「安心」のもとになる「信頼」は、まさに「言葉」の問題でもあり、柏がホットスポットになった頃は、柏の人たちだけではないが、「言葉」をめぐって、不信と亀裂を深め傷つけあっていたし、そこから言葉を使って信頼を築いた話しがこの本なのだから。つまり、言葉で問題が先鋭化して、言葉で解決の糸口を見つけた。この本には、言葉と文芸の本質に関わることが記されている。言葉は、ほんと大事だなあと思う。

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2013/02/20

東京新聞「大衆食堂ランチ」5回目、朝霞・かめさん食堂。

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なんと、今月になって初めての更新。しかも、今月は28日までだから、もう3分の2以上をすぎている。いろいろあって、よく働いた。ようするにトシだねえ、アレコレあると、もうブログを書くのが面倒になって、酒飲んで寝ちゃうのだ。ま、そのアレコレについては、追々書いていくとして、まずは、これです。

東京新聞、月に1回第3金曜日に連載の「大衆食堂ランチ」の5回目が、すでにWEBサイトにも掲載になっているから、ご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2013021502000180.html

今回は都内ではなく、埼玉県朝霞のかめさん食堂の薪炊きごはん。

026本には書いているのだが、ここは、おれの初めての著書『大衆食堂の研究』につながる想がひらめいたところ。しかし、これまでそういう話しにばかり傾斜して、しかも何度かめしを食べに寄っているけど、雑誌や新聞にお店を紹介することを目的に訪ねて書くのは、初めてなのだ。そもそも、これまで雑誌や新聞で、お店を紹介するような、仕事は無かったし。

WEBサイトには、新聞に載っている外観の写真がないので、ここに掲載。ほかにも、店内と、古い型の石油ストーブのそばで、iPadをあやつる80歳のおばあさん。そのおばあさんが毎年漬ける、かめさん食堂の「名物」梅干の、10年前に漬けたもの。かめさん食堂は、すべて「年輪」で出来ているようだ。iPad以外はね。

新聞の見出しには「夫婦で守り続け60年」とあった。一代だけで60年は、大変なこと。とにかく、無理せず、細々でもよいから続いて欲しい。

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