「うまい」と「おいしい」。
いま書いている本の原稿でも困ってしまうのだが、おれは、「ありふれたものを美味しく」という表現をスローガンのように使っているが、それが「ありふれたものをうまく」にもなったりもしている。
本来は「うまい」なのだが、「うまく」になってしまうと、どうもうまく伝わらない感じがする場合があるからだ。
「ありふれたものを美味しく」の「美味しく」は、ほんとは「うまい」を意味し、「美味しい」や「旨い」や「うまく」を表現したものではない。と書くと、少しは、わかってもらえるだろうか。
「うまく」と「うまい」は、ずいぶん違う。
もう、なんだかややこしくて、いやんなっちゃうね。
おれとしては、世界と日本の言語学はともかく、「美味しい」は、舌の味覚のことであり、「うまい」は、もっと皮膚感覚も含めた、大げさにいえば、全宇宙的に生きている自分を感じる、広い味覚の表現として、使い分けたい。
つまり、「美味しい」には、「生命感」や「幸福感」といったものは含まれない。「うまい」には、幸福感も含め、「生きる」ことの喜びに通じる「食べる」ことの喜びが含まれる、といったぐあいに使い分けたい。
だけど、「ありふれたものをうまく」というより、「ありふれたものを美味しく」の方が、自分が伝えたい実感に近いので、困る。
それは、「うまく」のもつ、ことばのいかがわしさ、つまり「上手く」といった要領のよさが入り込んでくるような感じがあるからのような気がする。「うまい」には、「うまく」にはない潔さがある。
それにしても、「美味しい」を女ことば、「うまい」を男ことばとして、使い分けるくだらなさよ。
はあ、悩ましい。ひさしぶりに酔ってブログを書いているせいもあるのか、自分でも、よくわからない。
当ブログ関連
2006/10/04
「ガツン」と「旨い」
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