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2013/04/22

『いいモノ』食ってりゃ幸せか?が、朝日新聞のWEBRONZAに転載になり。

2013/04/06「「『いいモノ』食ってりゃ幸せか? われわれはみな〈社会的〉に食べている」五十嵐泰正さん×おれ。」に書いたように、2月3日の「わめぞトーク」、五十嵐泰正さんとの対談「『いいモノ』食ってりゃ幸せか? われわれはみな〈社会的〉に食べている」は、『SYNODOS-シノドス-』に掲載になった。

それが最近、「朝日新聞社がお届けするウェブベースの新しい言説の空間」である『WEBRONZA』に転載された。
http://webronza.asahi.com/synodos/2013040500003.html

朝日新聞のほうが、やはり『SYNODOS-シノドス-』より読者層が幅広いようで、いろんな方がご覧になって、ツイッターで感想を述べられ、いまでも拡散している。

昨日は、
「「食」に関する「正しさ」を振りかざされた時、もやもやしてしまうのは何でだろう、この割り切れなさの正体はなんだろう、そんな気持ちに一つの回答をくれたコラム」
「読んでて楽しかった♪ あと、「うさんくさい」って言葉をここまで気持ちよく使えるひと 初めてみた笑!」
といったコメントも見られ、おれとしては、どちらかといえばアカデミックな知見からのコメントとは違う感想が、うれしかった。

なんというか、生活の実感からの感想というか。やはり食は生活だから、こういう感想はうれしいね。五十嵐泰正さんのような大学の教員である学者と、おれのようなアカデミーからは遠い下世話なフリーライターが対談することの意味や効果は、こういう広がりにあるのではないかと思った。ほかにも、「いろんな視点や示唆が含まれてる」というコメントがあって、とてもうれしかった。

「食べること」は、いつも「生きる過程」だから、いろいろな視点や示唆から考え続けることが大事だと思う。何かというと、結論だけを求め、結論だけを知っていればよいかのような風潮があるけど、それでは、情報誌やインターネットなどの情報に頼るライフスタイル、「マニュアル生活」や「カタログ生活」に陥りやすいと思う。

それに、たいがい、結論だけを求める人は、自分が好む「正しい」結論だけを求めるものだ。

食も生活も複雑になっているし、放射能災害をめぐってはとくに複雑な状況になっている。これまでの経験や知見からは、わからないことがはるかに多い。いろんな視点や示唆から考えることが、ますます必要になっていると思う。

東電原発災害のおかげで、すでに大切なものをたくさん失っている。さらにわれわれ自身が「被害者」として短絡的な結論を求めて、大切なことを失うような事態は、気をつけて避けなくてはならないと思う。

昨今の環境では、ますます何かの情報頼りの「マニュアル生活」や「カタログ生活」のようなわけにはいかない。そこからは短絡した結論しか出ない。面倒でも、いろんな視点や示唆を検討し、食生活の根本から考えていかなくてはならないのだな。

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