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2013/05/23

みちくさ市と荻原魚雷×前野久美子(仙台・火星の庭)トーク。

02618日(土)19日(日)は、鬼子母神通り商店街みちくさ市。

19日、前回に続き、2回目となる荻原魚雷さんがホストのトークを聴きたくて、行った。自分の東京カルカルでのトークが金曜日にあったりで、いろいろ立て込んでいたので、事前予約はなし。ま、満席になることはないだろうから、と思ってのこと。

早めに出て、ひさしぶりに十条の天将で、やきめしを食べながら、生ビールやレモンハイなどを飲んで、腹ごしらえ。というか、酩酊した。会場に着いて、古本のみちくさ市を、ざっと見て、まいど出店のお歴々、岡崎武志さんや塩山芳明さんに挨拶。

027みちくさ市には、前々回の『みんなで決めた「安心」のかたち』出版記念トークで縁ができた、柏の「ジモトワカゾー野菜市 in 鬼子母神通り商店街みちくさ市」も開かれ、新鮮な野菜などが販売され、大いに好評。トマトなどは、おれが着いた2時ごろには、売り切れだった。

トークは、3時半から。ゲストは、仙台で火星の庭というブックカフェを営む前野久美子さん。

そうそう、前回のことは、2013/03/21「エロ全開の日の翌日はエロ全開OKのトークの日。」に、「荻原魚雷さんと倉敷の蟲文庫の田中美穂さんのトークは、期待した展開で、なかなか面白かった。後日、書くツモリだが、魚雷さんは山﨑さんと並んで、野暮でごくつぶしでぐうたらな未来の「希望」である。」なんて書いたままになっていた。

断るまでもなく、「野暮でごくつぶしでぐうたらな未来の「希望」である」というのは、おれとしては、最上級のほめ言葉というか可能性への期待の表現だ。

というより、おれのエネルギー源という感じか。だから、荻原さんと山﨑さんのイベントには、なるべく行って、面白がって、残りが少なくなっているおれの人生を痛快に生きる妄想をする。これが、エネルギー源なのですね。

それはともかく、前回のゲスト、倉敷・蟲文庫の田中美穂さんも、じつに痛快な生き方をしている、そして今回の前野さんも、そうなのだ。一見、田中さんはおとなしい、一見、前野さんは活発。だけど、2人とも地方にいて、高校卒業してから、ある意味では「好きなように生きて」、そして、本を扱う店を開く。それも、訳知り顔の人たちからすれば、ずいぶん乱暴な、開業だ。

おれがナゼ荻原魚雷さんに興味を持っているかという話は長くなるからやめるが、そもそも、「本好き」の本の話や業界の話だけではなく、こういう女子と、人生の機微にふれる話ができるということもある。

おれが面白かったのは、前回の田中さんとのトークでは「消去法の人生」をめぐる話し、今回の前野さんとのトークでは、前野さんが「キープできればいいの」といった感じで言った、「キープする人生」とでもいえそうなことだ。

これは、ほんらいは、昔からの生き方のキホンだと思うが(消去やキープの基準が違うことはあっても)、とくに高度成長以後の、東京をモデルとした「先」を競うライフスタイルの中で、あまり語られなくなった大事なことだと思う。そういうふうに、貴重な古本を発掘するような楽しみがあるトークなのだ。

荻原さんと前野さんは、おなじ1969年生まれ。2人は、このトークの準備ために、事前にメールを交換していたが、当日、その全文のプリントが参加者に配られた。

前野さんは、震災で被災し、直後はお子さんと関西に避難していた。仙台にもどってからは、反原発のデモにも参加してきた。2人のメールでは、震災のこと原発のこと運動のことが、かなり語られている。このことをめぐってのトークは、あまりなかったが、この文章があれば十分。これは、もう、貴重な資料。

最後に、みちくさ市からトークの会場へ行く途中、都電荒川線の上の橋を歩いていたら、ちょうど電車が来たので撮影した。そうそう、トークの会場で、ひさしぶりに浅生ハルミンさんと会って、立ち話。

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