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2013/05/29

青山のユアーズと四谷3丁目のセイフー。

このタイトルで、24時間スーパーの先駆とわかる人は、少ないだろう。70年代中ごろ、市ヶ谷の五番町に会社があって、深夜によく利用した。ユアーズのほうが先にあって、セイフーはあとにできた。今日は、本の原稿のために、その記憶を、確かにしようと、資料をひっくり返していたのだが、あるはずの大事な資料がみつからない。

ユアーズは、ウィキペディアに「開店したのは1964年(昭和39年)とされる」とある。さらに「ユアーズで取り扱っていた商品は輸入食料品が中心で、アメリカ風の店内にはハンバーガーやサンドイッチが食べられるカウンターがあり、入口にはハリウッドのチャイニーズシアター前にあるようなスター達の手形・足型・サインなどが入った石版が並んでいた。スーパーマーケットはビルの1階と2階で、1階では食料品のほか輸入雑貨、2階では洋服が販売されていた」とある。

だけど、おれの記憶では、2階はない。コンビニとミニスーパーの中間ぐらいの感じだった。深夜しか行ったことがないから、あるいは、2階は営業していなかったのかも知れない。

そのころの原宿から青山通りは、まだ道路拡張工事の最中で、広い範囲に古い木造住宅が残りながら、取り壊しセットバックの建設が行われていた。道路の各所は鉄板でおおわれていた。どんどん景色が変わっていた。深夜になると、薄暗く、ユアーズだけ、灯かりがともっている感じだった。

工事が済んだ部分が増えるにしたがい、倍以上の幅になった道路で、深夜に、わがもの顔でカーレースをやる連中がのさばった。

まもなく四谷3丁目の交差点にセイフーができて、会社からはこちらが近いので、ユアーズにはほとんど行かなくなった。セイフーのあるビルの上階には何軒か飲食店があって、そのうちの1軒は、やはり深夜も営業していたから、よく利用した。

当時はやりの、店内にある大きな水槽で泳いでいる魚を料理してくれる、少し高級な料理屋だった。おれが担当するクライアントの課長が、その近くに住んでいたのだが、なにしろどちらも忙しく、打ち合わせは、深夜その店でやることが多かった。ようするに、どちらかの会社の経費なので、自腹を切ったことはない。

ユアーズは、「1982年(昭和57年)、入居していたビルの取り壊しと同時に閉店した」そうだ。セイフーは、いつ閉店したのだろう。四谷3丁目の交差点すぐそばには、丸正本店があって、ここが24時間営業を始めてからは、押され気味の印象があった。「深夜族」などは、しだいに珍しくなくなった。

今日の「東大宮往来者」は、「東大宮名所?尾山台団地。」…クリック地獄

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