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2013/05/30

悩ましい「生活圏」。

いま書いている本の原稿は、70年代からの生活と料理が大いに関係する。実質的には60年代からだが。いろいろ調べていくと「生活圏」の概念が、大きく変わっていることに気づく。

そもそも、「生活圏」ってなにさ、と、まずは例によって、ウィキペディアでは、こうだ。

「生活圏(せいかつけん)は、人が社会的存在として行動する範囲・地域を指し、日常生活とその延長(遠出しない余暇や娯楽など)を営む空間である。重要な要素として、他人との係わりが含まれる。ドイツの地理学者・フリードリヒ・ラッツェルが提唱した概念であり、同じくドイツの地理学者・アルブレヒト・ペンクによって内容が洗練された。」「生態学では、人類を含む生物が活動できる空間、の意味で使用する場合がある。」

「日常生活とその延長(遠出しない余暇や娯楽など)を営む空間」というが、いまや「遠出」の概念もかなり異なる。「人が社会的存在として行動する範囲・地域を指し」なんて、いったら、いまやメチャメチャ広い一般人も多い。

社会学とマーケティングのあいだにも、微妙な違いがあるようだ。だいたい、「学」の数ほど解釈や概念が違うのは、めずらしくないが、おまけに60年代からこちら、生活そのものが、大きく変わった。国土交通省の「生活圏の定義」なんぞ、考えれば考えるほど、わけがわからなくなる。経産省を絡めたら、そもそも、あの「まちづくり」の「まち」だって、生活圏としては、かなり悩ましいものになる。

政策論的には、「生活圏定義型」の政策と、そうでないものもある。確かに、生活圏の定義など必要ない、生活に関わる政策というのはある。政策は、システムやプログラムであるというレベルになると、もう、生活圏なんちゃら言うのも、おかしなことになる。

なにしろ、いまや「グロバール・スタンダード」なんてことが言われて、ある人たちにとっては、これが生活圏と深く関係する。ま、おれの知り合いにも、そういうやつがいる。

一方で「ローカル・スタンダード」どころか「自己愛スタンダード」みたいなレベルで、モノを言って、恬として恥じないのも、めずらしくない。自分は正しい、リコウだからと信じて疑わない幸せは勝手だが、それを基準に他者を貶めたりしても、とうぜんながら反省はない。どこかの首長から、ツイッターあたりで物知り顔テキトウなことをつぶやいている一般人まで。こういう人の生活圏は、自己陶酔のうちに自己完結しているのかも知れない。

では、いったい、「生活圏」以外は、なんというのだろう。こちらが気になって調べたが、これが、「以外」となると、なかなか難しい。いやはや、おれたちの「生活圏」は、悩ましい。もともと、「圏」なんぞに縛られることはないのだ。という考えに行き着いたほうがよさそうだ。なにかの政策的事情によってのみ、そのたびごとに定義づけて使用する。

それ以外は、ナワバリみたいな話しになっちゃっうのだな。ここは、おれの生活圏=勢力圏だ、みたいな。しかも、自分の狭くて小さなモノサシの生活圏に、他者を従わせようとする。おれの生活圏にケチをつけるなとか、お前、東京人でもないのに、東京人のおれがいる東京の飲食店を取材して勝手なこと書くな、みたいな。ま、こういうバカは、あまりいないと思うが。それに近い話は、よくある。コメディのネタになりそうだ。そういう話しは、ナワバリが好きな、排他的な権威主義者や権力主義者にまかせおこう。

かんじんなのは、人と人の関係。「他人との係わり」ってことだ。

そうそう、須田さんとメールや電話でやりとりしていたら、経堂の「さばのゆ」が、来月で4周年だそうだ。経堂コミュニティ、なかなかよい感じだ、難しい問題もある、てなことをやりとり。この「コミュニティ」って、イコール「生活圏」か。どうだろうか。

とにかく、さばのゆでは、誰をも経堂コミュニティの一員として迎えてくれる。おれに対してもだし、おれもそのつもりだ。で、そこで知り合った人が、東大宮まで来てくれる。それが、広がっている。コミュニテイが浸透しあう。そういう関係が、あちこちにできる。生活圏は、ますます混沌とする。そこに、新しい人と人の可能性がひらける。

生活圏どうのこうのでなく、混ざり合う、その実践だな。「生活」も「まち」も、能書じゃない。能書じゃなく、「他人との係わり」を、何か見せてちょうだいよ。ってことさ。ネット世間で、わが身は匿名で安全なところにおいて、いろいろやっている人にケチつける能書ばかりのやつは、無視、相手にする必要はない。

行った先々、誰とでも同じように、言葉を交わしあい、一緒に楽しく過ごす。

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