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2013/05/31

いかに自分が社会的に食っているのか。

このタイトルに関することは、『みんなで決めた「安心」のかたち』以後、何度かふれてきた。正確には、このブログのテーマのようなものでもあるな。いろいろな角度から、ああでもないこうでもないと考えてきた。

とりわけ大衆の食文化は、社会的に食べていることを抜きに、味覚も語れないハズのものだ。人間は社会的に食べているなんて、あまりにも自明のことじゃないかと思っているのだが、これが、そうでもない。

一昨日、五十嵐泰正さんのツイッターに、このようなリツイートがあった。
https://twitter.com/yas_igarashi/status/339994377797644288
エンテツさん(@entetsu_yabo)に聞こう!RT @fishing_pippo (もうちょっと今回の震災を気に生産、流通の仕組みとか、いかに自分が社会的に食っているのかとか社会科も学んだ方がいいと思うの。科学とかだけじゃなくね。いや、本当に自分も知らないからなんだけど。)2013年5月29日 - 20:39

震災の以前から問題があって、放射能汚染で、にわかに騒がしくなった「食の安全・安心」は、科学や科学的知識だけで解決するものではないのは、確かだろう。「安心」については、『みんなで決めた「安心」のかたち』が、直接的に示すように、社会的に食っていることを、どうするかが深く関係している。

ところが、うまいもの談義や栄養談義、食べ歩き飲み歩き、食については、これほど賑やかな時代はないというのに、こういうテーマになると、語る人が、ぐっと少なくなる。

食について語る知識と言葉が、趣味と栄養のほうに偏向しすぎではないかと思わざるを得ない。誰もが、生きる者として、社会的に食べていることについて語る知識と言葉を持つことは、趣味や栄養以前のことではないかと思う。

あそこに、こんな店がある、あの店はこうだ、こんなものがある、とか、健康にはこれがよい、ダイエットには、自然食だ有機栽培だ、なんてことより、もっと基本的なことだと思う。

って、また、ぐだぐだ書いても、しようがないんだな。こういうことを語る、言葉自体を失いつつあるのではないかという感じだ。火をつけないでいると火のつけかたすら忘れるように、話さないでいると話す言葉を失う。

だから、たえず、語り続ける以外ない。

1960年に大塚力が『食物食事史』で、「一生物としての魚ではなく社会的・経済的機構を通してきた魚」について述べている。

いまでは、魚に限らず、さまざまな素材が、すでに「一生物」としての素材ではなく、「社会的・経済的機構を通してきた」素材になっている。

大塚力は、直接的には、遠洋漁業や冷蔵庫の普及などが、魚を変質させたことを述べているのだが、魚だけのことではない。さかのぼれば、社会的・経済的機構を通してきた素材は、弥生時代ぐらいから始まっていることになる。時代によって、社会がそうであったように、しだにその機構は変化し複雑になってきた。だから、イマは、どうなのか、たえず知っておく必要がある。それは自分が生きている世界に関わることだ。

この本が出た、1960年は、まだ単純なほうだった。それでも、大塚力は、このように的確に指摘した。70年代以後、ますます、生産や流通の仕組みは、見えにくいものになっている一方で、あまりにも、それについて語る機会が少なく、知識も言葉も少なくなっているように思う。

この言葉の少なさは、放射能汚染をめぐる、不信と亀裂に関係あるに違いない。もっと、「いかに自分が社会的に食っているのか」を語り合える言葉を持てないものか。「社会的」なんていうとコムズカシイ感じだが、つまりは自分が生きている世界に、思いをめぐらすことなのだ。「生きる」には、さまざまなことが関係し、その機構のなかで、鮮度や安全や安心もちろん味覚あるいは健康や死まで、いろいろなことが、とりおこなわれている。縄文的天然な暮らしだって、江戸的農村的な暮らしだって、エコもスローも、その機構を離れては、ありえない。

社会科だって理科だって、自分が食って生きるためのものだからね。

ってえことで、関係ないが、今日の「東大宮往来者」は、「東口の西友へ。低レベル満足の買い物。」です。…クリック地獄

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