『dancyu』7月号居酒屋特集で、千住の「大はし」を書いた。
あまりに素晴らしい田んぼと、その田んぼに関わる素晴らしい人たちに会って、頭がすっかり魚沼コシヒカリ田んぼ脳と化して、告知が遅れてしまった。
去る6日に発売の『dancyu』7月号は居酒屋特集で、千住の「大はし」を書いた。もう、いろいろなところに登場し、ビッグネームのみなさまが書きまくっている、ビッグネームの「大はし」を、おれに書かせるなんて、書きにくいったらありゃしない。
しかも、たいがい本番取材が終わるころになって持ち込まれた仕事。取材が5月15日、原稿締め切りは、その週末というスケジュール。よほどヒマを見込まれたのか、と、思ってしまっても、ヒネクレ者とは言われないだろうタイミング。もちろん、揉み手をしながら、ありがたく引き受けた。ヒマだからねえ。
結果、いろいろな方に書きつくされた大はしではあるが、おれじゃなきゃ書けない、おれだから書けることはあるわけだ。
以前から、千住や「大はし」に、なにかというと「粋」という言葉が使われる傾向があった。ようするに下町っぽいと、なんでも「粋」にしてしまう安直があるように思うのだが、おれには違和感があった。千住や大はしは、「粋」というものじゃあないだろう、そうではなく「艶(つや)」だろう、という思いがあった。丁寧に言えば、「労働する生活から生まれる艶」だ。
それで、大はしの魅力は「艶」であり、「それは体を張って働く労働者の、湯上りの肌のような輝きだ。」と書いた。
これは、ビッグネームの方が書けば、なるほど~言いことを言うねえ、と、たちまち読者の感心感嘆礼讃を得られるかも知れないが、おれのような、バカな若造にもバカにされるフリーライター風情が、こういうことを書くと、たちまちバカにされ噴飯もの扱いになりかねない。
わかるひとにはわかるが、わからんやつにはわからん、そういう、開き直り戦略的選択で書くよりほかない。言いたいことは言った、考え抜いて書いた、あとは野となれ山となれの気分。
もっとも、これまでの『dancyu』とおれとの関係も、グルメでもなく食は生活と思っているおれにとっては、緊張感が必要な戦略的な関係だった。
出版業界と付き合い始めて20年弱、それほど深い付き合いはしてこなかったが、じつに、フシギな業界だと思う。なんといっても、商業出版にも関わらず、同志的ナレアイ、嗜好的ナレアイ、美学的ナレアイ、といった感じに、先輩後輩、師弟や学閥や腐れ縁や親愛関係、コネやエコひいきや仲間意識が複雑に絡んで、ようするに戦略的関係を築くなんて、むしろ邪悪な関係とみられそうな「高尚な文化」が存在し、けっこう力を持っている。愛憎からんで、もう何が何やら、同人誌とカンチガイしているんじゃないかと思うこともある。
おれは、商業出版は、お互い戦略的関係がよいと思っているし、『dancyu』とは、とりわけそういう関係でいかざるを得ないわけで、これが健全で理想的でよいのではと考えているのだが。
それは、ともかく。
今号は、中綴じに「お通し大研究」ってのがあって、おもしろい。客からすれば、なくてもよい、ないほうがよい、あったほうがよい、いろいろ意見も分かれるところ。お通しで店の底力が判断できるというひともいる。大はしは、お通しナシだから、開店前から並んだ客が、開店と同時にドッと入ってくる、その集中する注文をさばくのが大変だ。
「毎日がフライデー」という小特集も、おもしろい。海老フライ、コロッケ、メンチカツなど、おれとしてはアジフライがあるのがうれしかった。「アジフライ正三角形説」はなかったが。
それから、「初夏のパクチークッキング」という文とレシピ集が、よい。やはり、男子厨房に入ろう会が源流の「dancyuらしさ」には、台所に立ちたくなる、いいレシピが欠かせない。
そういえば、魚沼コシヒカリの田んぼと人びとも艶があったな。労働する生活から生まれる艶は、とてもよい。
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