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2013/06/07

魚沼コシヒカリ十日町取材紀行番外編、松苧のそばと大地の芸術。

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昨日の続き。愛しい米作りの話は、後日まとめて掲載するとして、番外編名所案内メモ。

5日は、12時38分、大宮発の新幹線に乗った。東京から、須田さんと木村さんが乗っているはずだが、越後湯沢で下車してから合流。駅弁を買い、ほくほく線に乗り、十日町へ向かう。弁当を食べながら見る外の景色は、おれの故郷、南魚沼市の田んぼだ。ほとんど、田植えが終わっていた。

最初の写真は、よく当ブログに載っている、大沢周辺からの撮影。奥の高いところは、上越国境の谷川連峰の一部、標高約2000メートルの巻機連峰。ここを過ぎて、まもなくすると、おれが生まれ育った六日町。

次の写真は、六日町を過ぎ、魚沼丘陵駅に着く手前。正面に魚沼三山のうちの八海山と中の岳。魚沼丘陵駅は、六日町盆地の西端にあり、このあたりは、六日町盆地のなかでも、大沢周辺と同じように、田んぼが広々と続いている地域だ。

ここを過ぎて、すぐ魚沼丘陵のトンネルに入る。抜けると十日町市。十日町市は、古い市で、地理的には中魚沼地方になる。魚沼産コシヒカリの産地は、魚沼市も南魚沼市も南魚沼郡も中魚沼郡も、「魚沼」がつくけど、十日町市だけは、コシヒカリの歴史より古い市にも関わらず、市名に「魚沼」がついてない。だけど、魚沼地域であり、魚沼産コシヒカリの産地なのだ。

12時10分ごろ、十日町駅に着いた。市役所の方が3人、出迎えてくださった。2台のクルマに分乗して、現地に向かう。その前に、人気の蕎麦屋で昼食をすることになった。

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最初に取材予定の田んぼは、十日町から西へ、上越市境に近い松代なのだ。そこへ向かう途中の、「松苧(まつお)」という蕎麦屋。ここは、古い大きな2階建ての木造の店だけど、大地の芸術祭のときなどは、1時間以上待つほどにぎわうとか。

入って、草木のにおいをはこぶ風通しがよい、広い座敷のテーブルに座った。そのテーブルに、アサツキを盛った器が置いてあった。これを見ると、おれは「頚城が近い」という印象を持つ。おれが育った六日町あたりでは、アサツキを齧りながら蕎麦を食べる風習はなかったからだ。

013ワレワレは駅弁を食べたばかりだったが、おれ以外は、若くていくらでも食べられる。おれは、蕎麦だけにしてもらったが、みなさんは天ぷら蕎麦。

蕎麦は、この地方独特の、ふのりを使った、いかにも土地のものらしい腰の強い蕎麦で、盛りもタップリあった。都会の、こじゃれ気取った蕎麦を食べて通ぶっている人に、「こんなのは蕎麦じゃない」と言われるときがある蕎麦だ。しかし、ほんと、蕎麦の味覚は、いろいろだし、好みはわかれるだろう。

とにかく、十日町の蕎麦というと、いつもおれがヘタな手打ちよりうまいとほめる、玉垣製麺の乾麺、妻有蕎麦ばかりだったが、ひさしぶりに地元の手打ちを食べて、大満足だった。

014天ぷらは、山菜の季節なので、コシアブラなどの山菜がタップリ。うーむ、天ぷらでビールを飲みたい。そうはいかない。

松苧のまわりの田んぼのなかに、妙なものがあった。聞くと、大地の芸術祭の作品が、そのまま残っているのだ。このあとも、移動の先々に、表示があったが、最初は津南だけで細々という感じだった大地の芸術祭は、いまや十日町を含む広大な地域で行われているらしい。

取材する田植えの準備が遅れているという連絡が入ったので、先に「星峠の棚田」を見ることになった。さらに、西へ、山地を走る。上越市との境になる峠の近くに、そこはあった。

南魚沼には、こういう重畳とした景色はない。おなじ魚沼でも、地形が、まったくちがう。十日町は、言ってみれば、シワや段々の多い山地の地形だ。南魚沼は、シワが少なく急な山地が、ゆるやかな傾斜の平坦地を屏風のように囲んでいる。

「星峠の棚田」は、約30戸ほどの峠集落の人たちが耕作をしている。もっとも、山地のことなので、見える範囲、ぜんぶが棚田になっているのだけど。見た感じ、休耕地は少ない。

「兼業農家」は、本気で農業をやる気がないように見られがちだが、偏見というものだろう。もともと百姓で食っていたのに、食えなくなった、だけど米作りは面白いし続けたいということで、兼業しながら続けている人たちが、けっこういるのだ。

この日、取材した、棚田の兼業農家の方も、そうだった。そういう人たちによって、棚田は続いてきたのだが、いまや、経済効率の悪いお荷物のように言われるし、そんな中では、後継者も難しい。どこかで、なにか、逆立ちしてしまった。そして、棚田は「観光地」として、売り出し中であるのだが。

この日も、何組もクルマが来ていた。中には、鹿児島から来て、ビューポイントで泊まりの体制に入っている方もいた。

地方へ行くたびに、東京と地方の溝の深さを感じる。それは何度も書いている「社会的に食っている」ことの意識や感覚の欠落だろうが。生産者と都市の消費者とのギャップというかユガミというか。思いがけない大都会の無理解と横暴な言葉に出合うことがある。これは、なんという不正常と思うのだが、なにしろ、なにごとも中央目線のなかで、地方は東京に経済活動を押し付けているお荷物だ、ぐらいの感覚が、平然と首都を闊歩しているのだから、コトは簡単ではない。が、しかし、いま、その溝を埋めるような交流が、けっこう広がっているのも、事実なのだ。

「観光化」と「芸術化」は、いろいろ問題をはらみながらも、都市と地方が交流しながら生きることの可能性を広げているようではある。そもそも、「完璧な一手」などはないのだから、相互交流と理解を増やしながら、ってことになるだろう。とくに、民間レベルとしては。

まずは、観光気分で、東京からチョイと足をのばせば行ける、このあたりを訪ねるのも、よいのではないだろうか。「星峠の棚田」、名前からして、夜の星と棚田がきれいそうだ。

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