東京新聞「大衆食堂ランチ」11回目、入谷・入谷食堂。
え~、やっと、本の初稿が終わって、もどした。今回は、ドタバタ進行のうえ、当初予定の本のタイトルが、出版社の会議で変更されることになったのだけど案も出てこない状態で、おれの校正は進行、さらにこの間はお盆休みで、編集さんとうまく連絡がとれず、さらにクソ暑い日々で、と、いろいろ難儀の多い校正だった。
いったい、これから、このままタイトなスケージュールのなか、どうなるのだろう。荒っぽい進行は嫌いじゃないが、近頃は荒っぽさをねじふせながら進める体力が衰えているので、はてさて。
ってえことで、またもや、一昨日は第三金曜日で東京新聞の「大衆食堂ランチ」が掲載になったのでした。
こちら、東京新聞のサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2013081602000184.html
この入谷食堂は、なかなか見るべきところ、味わうべきところが多かった。400字なので、ほとんどふれられないけど、ま、ナントナク凡庸な文章の中から伝わるものがあれば、ってところ。
その文章に書いた、店内に飾ってあった、昭和20年の敗戦後と思われる写真を撮ってあったので、ここに掲載する。戦前の昭和モダンがにおいそうな、平屋看板建築が、いいですねえ。まだ、国産車がなく、自動車はフォード。4代目の話では、親戚の結婚式のときのようだ。
この写真のあとの建物は、瓦屋根の本格和風、そして、いまの建物はビルになっている。
左隣の笹川建具店も現在そのまま営業していて、このあたりは昔からの土地のつながりが比較的残っているほうだ。人びとにも、いわゆる「東京のひと」とはちがう「東京のシト」という感じが、におう。
入谷地区には、入谷食堂のほかに、同じ言問通り100メートルと離れていないところにときわ食堂があり、裏側の金美館通りには清月がある。いずれも古い大衆食堂で人気がある。ほかに古い洋食屋も残っている。以前は、もっとあったのだが、かなり少なくなっている。
路上駐車が困難になり、有力な顧客だったタクシーの運転手やクルマで現場と行き来する職人たちが、コンビニの弁当に流れてしまった。朝食の客はほとんどいなくなるほど。入谷食堂も、2、3年前までは朝7時から営業していたが、いまでは10時半から。
入谷食堂もときわ食堂も清月も、よく残っているほうだ。4代目は、これまで会ったことがある食堂の主人のなかでは、一番若いほうで、元気もよい。どうか繁盛し続いてほしい。
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