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2013/09/30

ちょくマガ「エンテツ&須田泰成のカウンターカルチャー」は、ますます面白くなっている。

今日は、ちくま新書の担当編集さんから、『大衆めし 激動の戦後史』の見本ができあがった、明日午前中に届くという連絡があった。今回は、三校でも直しが多かったから、まちがいなしに仕上がっているかどうか、ドキドキものだ。

それはともかく、こちらではまだ紹介してなかったと思うが、8月中ごろから、角川書店の「ちょくマガ」というので始まった、「週缶!さばのゆマガジン(さばのゆ店主・須田泰成責任編集/松尾貴史無責任編集)」で、「エンテツ&須田泰成のカウンターカルチャー」ってのをやっている。

ちょくマガは「メールで、WEBでEPUB(電子書籍)で。著者とつながる、新しい形のWEB &メールマガジン」というもので、ようするに著者から「直接」届くから「ちょくマガ」っていう、わからないようなわかったようなものだが、いろいろコンテンツがあって、有料。

「エンテツ&須田泰成のカウンターカルチャー」の「カウンター」は、飲み屋のカウンターとカウンターカルチャーのカウンターと混ぜたもので、須田さんとおれがカウンターで飲みながら、カウンターの人間模様からまちの文化や世相までを、近年は資本に回収されて骨抜きになったようなカウンターカルチャーにカウンターするように語る、というものなのだ。

かれこれ10回ぐらいになるか。須田さんと飲み屋で会って話したり、電話で話したり、原案を須田さんが作ってくださり、おれが手を入れて、毎週金曜日にアップされる。

これが、回を重ねるごとに面白くなってきて、前回は「律儀」をテーマにし、今回は、「常に100年後を考えて酒や料理を作っている会社や店があるんです」のタイトルで、具体的な会社名や店(食堂)の名前と例をあげながら、話を深めている。

須田 最近のエンテツさんのtweetにこんなのがありました。
     「東京新聞の連載「大衆食堂ランチ」では、
    この1年間に、 戦前から続いている食堂を何軒か扱っている。
    勉強になることが多い。
    大衆食堂の場合、じつに細かい計算で成り立っているから、広告宣伝
    やイベントなどへの参加はゼロに近く、
    日常の仕事のなかで客との関係を育てていく。
    一言で言えば、自分とこの客がナゼ自分の店に来るかをよくわかっている。
    これは、店を継続するうえで、アンガイ大事なことなんだな。」
    これが、実になるほどという感じで。
遠藤 いやー長く続いている店にいくと、ためになることが多くてね。
須田 「日常の仕事のなかで客との関係を育てていく」というのが当り前だけど、
    スゴイことですね。

といったぐあいで、あそこの酒蔵、こちらの大衆食堂、ほかではテーマが違うから、あまり書いてないことばかり。

須田  スタンダードを大切に扱うことが長く豊かな持続を生むんですね。
遠藤 目先、小手先の目新しさは、ごく短い間はいいかも知れないけど、
    飽きられるのも早いんだよね。

あるいは

須田 日本人が目先、小手先の目新しさばかり追い求めたロスというか、
    無駄の総量はスゴイことになっているような気がします。
遠藤 日本の場合は、無駄も「経済成長」のうちできたからね。

とかとか

須田 そう思います。それなのに、一部の消費者は、玉子丼よりも、
    「きまぐれシェフのふわとろオムレツ丼」が良いと思ってますよね。
遠藤 もうイメージや話題性を消費しているようなもので、
    ちょっと目先を変えただけのものにコロっとダマされる奴が多い。
    客の方も、自分がナゼこの店に来るのか、
    好きなのか、自分はこれでよいのか、しっかり考える習慣が必要じゃないかな。

といった感じでやっておるのであります。

ときたま、誰かの悪口を言っています。いやいや、おれたちは紳士だから、そのようなことはありません。

先日は、大宮いづみやで須田さんと飲みながら3回分ぐらいを収録。ますます面白くなりそう。

ほかにも「さば風呂日記」「松尾貴史のオカルい悩み相談室」「缶詰博士・黒川勇人と春風亭昇太の「缶詰革命!」」がある、ちょくマガ「週缶!さばのゆマガジン」は、こちらです。
http://chokumaga.com/magazine/?mid=106

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2013/09/28

古稀。

70歳になった。「古稀」といわれ、あまりあてにならないウィキペデイアによると、「唐の詩人杜甫の詩・曲江(きょっこう)「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」(酒代のつけは私が普通行く所には、どこにでもある。(しかし)七十年生きる人は古くから稀である)に由来する」ということらしい。

本来は数えの70歳のことだそうだから、今年の元旦に古稀をむかえたわけで、どうもやっぱり、今年に入ってからは、これまでになくトシを感じることが多くなった。

いまのところ、杜甫のように酒代のつけはどこにでもある状態ではないし、それどころか、とくに東京へ出て酒を飲んだあとは、疲れが残ってしまうことが多くなった。

そういうわけで、春ごろからは、10月7日に発売の本の原稿で忙しくなったこともあるけど、出不精になり、付き合いも少なくしてきた。去年と比べたら、東京へ出かけて飲むのは、半分以下になっている。本の原稿、そのあとの暑い最中の校正作業では、体力気力の衰えを十分味わった。

自分から何か積極的にアプローチしたり仕掛けることもやめ、誘ったり誘われたりでホイホイ東京へ飲みに出ることも控えめにし、受身にすごしている。

何もかもメンドウになって、ブログを書くのもメンドウだし、メンドウは避け、ぐうたらになって、グダグダすごしているのである。もともと怠け者だから、これが一番あっているようだ。

来月には、六日町中学卒の古稀同期会がある。還暦同期会から10年。あいだに、65のときと68のときに同期会があって、68のときに参加した。それから今日までの2年のあいだに、おれが親しくしていて連絡があっただけでも、3人が亡くなっている。いずれも男。

還暦同期会のときにも話題になったが、だいたい70前後に死の山があって、それをこえると80前後、ということらしい。ま、先のことは、わからない。

はあ、生きるって、疲れるなあ、めんどうくさいなあ。

とはいえ、10日ほど前には、張り切って、ウッドデッキの塗り替えをやっちゃったりしているのだ。まあ、少しでも酒代を浮かせようとがんばっているわけだね。酒代のためならエンヤコラ、これがおれの人生らしい。

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2013/09/21

快食快味、米のめし。

2013/04/07「『四季の味』春号に初寄稿「快食快味、米のめし」。」でお知らせしたように、おれが書くことなどありえないと思っていた『四季の味』という格調高い文芸誌のような食通誌に寄稿した、「快食快味、米のめし」」の全文を、ここに掲載します。

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 「気取るな、力強くめしを食え!」を掲げ、庶民の快食を追求する私としては、やっぱり行き着くところは米のめしだ。しかも、めしの上に、「おかず」というより「めしの供」といったほうがよい何かをのせ、混ぜながら食べる。あるいは、湯漬けや水漬けにする。なにより汁かけめしが大好きで、一週間に最低二回は、みそ汁ぶっかけめしが朝食だ。
 「のっけめし」というのか、「かけめし」というのか。サクサクかっこんで噛む、腹にズシンとおさまる。この食べ方ならではの快食快味だろう。懐石料理の大家といわれた辻嘉一さんが、みそ汁ぶっかけめしの味わいを、「痛快味」と表現したが、まさにその通り。
 そもそも私は、かの有名な魚沼産コシヒカリと同じ新潟県の魚沼産であり、今年70歳になるが、記憶にある限り米を食べて育っている。パンはおやつていどだったし、おやつだって、小さい頃はにぎりめしのことが多かった。
 最近、魚沼土産にしょうゆの実をもらったので、冷やめしに湯をかけ、その上にのせ、混ぜながら食べた。いやあ、そのうまいこと。ひとりで食べながら、思わず「もう一杯!」と声を出してしまった。しょうゆの実は、子供の頃から食べていた。しょうゆを造るときのもろみであり、大豆の旨味そのものだ。納豆とこれを混ぜてめしにのせて食べたら、うまさ倍増。きざんだ新鮮な野菜と混ぜて、めしにのせてもよい。
 焼みそもうまかった。これは炭火で作らないとうまくないから、長いあいだやってない。みそに好みの量の砂糖を練りこみ、ときにはネギをきざんで混ぜ、小皿に平に盛って、七輪の網の上にふせる。表面に軽く焦げ目がつくていどに焼く。皿から焼みそを取って湯漬けの上にのせるべく、焦げ目のある表面の薄い膜にはしを入れた瞬間、湯気と芳しいみその匂いが立つ。器を口元に運ぶと、その匂いが鼻先を包む。焼いたみその味は濃厚で、めしが一層うまい。ああ、思い出しただけでも、食欲がふくらみ、おかずになりそうだ。
 塩辛でも、佃煮でも、塩昆布などは上等なものがあって、湯漬けで食べると、快感が身体を駆けめぐる。湯漬けを強調しているが、水漬けでもよい。うむ、蒸し暑い夏には、キュウリとミョウガとナスの漬物を薄く切って混ぜ、水漬けで食べると、食欲がないときでも、シッカリ食べられる。このきざんだ漬物や野菜などを混ぜ合わせたものを、故郷では「きりざい」と呼んで、いまでも人気の食べ方だ。
 いろいろありますなあ。大根おろしをめしにのせて、しょうゆをたらすだけでもよいが、揚げ玉やしらすや瓶詰のえのきや生たらこなどをのせる。豆腐をめしの上でぐちゃっと手で握りつぶして、しょうゆをたらす。贅沢をいえば、きざんだねぎと鰹節があると、さらによい。焼いたシャケの切身の皮を残しておき、もう一度あぶって、めしにのせ、湯をかけて食べる。これでもう一杯余計に食べられるぐらいうまい。目玉焼きにしても、きざんだレタスかキャベツをめしの上にしき、のせる。ソースやしょうゆをかけ、好みによってマヨネーズやトマトケチャップなど、混ぜながら食べると、うまさが飛躍する。
 チョイと手をかけ、オイルサーディンを油ごとフライパンにあけ煮立たせ、しょうをたらし、からめる。めしにのせ、七味唐辛子やきざみネギをかけ、かぶりつく。森瑤子さんの小説『デザートはあなた』では、若い男女が「おいひい」と叫び「うめぇ」と唸る。
 残り物のみそ汁、めしにかけて食べるときは、一晩ねかせたほうがうまいぐらいだ。カレーライスのカレーだって、一晩ねかせたほうがうまい。あれは日本の汁かけめしですよ。
 しかし、日本全国の食事をにぎわしているのは、卵かけめしだろう。近年は、専用のしょうゆも人気だし、専門店もあるし、立ち食い立ち飲みの店のメニューにもなっている。
 米のめしならではの、楽しくてうまい快食快味、可能性は無限だ。

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2013/09/20

東京新聞「大衆食堂ランチ」12回目、野方・野方食堂。

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今日は第3金曜日で、東京新聞に連載の「大衆食堂ランチ」の掲載日。すでに東京新聞のサイトにも掲載になっていて、こちらでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2013092002000198.html

いつも、本紙の方には食堂の外観の写真が載るので、そのつもりで書いてしまう。だけどサイトには載らない。今回の文章の書き出しは、外観の写真がないとわかりにくい文章だったような気がする。つい、サイトに載った時の事は忘れて書いてしまうし、400字なので外観について書き込む余裕は、あまりないし。ま、いつものように、ここに外観の写真を掲載しておく。

今回は12回目で、これでちょうど1年が一回りした。前回と今回は、店主が若い40歳前後、どちらも戦前の開業で、現在の店主は4代目だったり3代目だったり。俗に3代100年といわれるが、それに近い歴史がある。

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いろいろ参考になり、考えることが多く、たくさん考えた。そして、考えているうちに、これからの企画として、おもしろくて意義あることを考えついた。来週あたりカウンターカルチャーの話題になり、徐々に動きだすことになるだろう。

毎回、少しずつ書き方を変えるようにしているが、今回は、いわゆる「グルメ的な書き方」を少しだけ入れた。「とりから、量もすごい。1個が大きい、かぶりつく。サクッ、歯ざわりもいいが、音がいいのだ。快感。」という部分。ツイッターでの反応を見ると、その部分の文章に食いつきがよい。ま、そういうことなんだな。

042001だいたい「グルメ的な書き方」に慣れている方が多いから、こういう表現をすると受けがよいのはわかっているが、そういう「技巧」は、あまり使わないようにしている。

難しいのだが、「凡庸」の魅力を「凡庸」に表現しようと工夫している。今回は、お店の感じからして、少しだけ、グルメ的な書き方を入れたほうがよいだろうと判断した。ようするに、自分の表現ではなく、毎回異なるお店の個性を、どう盛り込むかなのだが。

しかし、「グルメ的な書き方」なんぞしていなくても、『dancyu』などに書いていると「グルメライター」とみなすひとがいる。こういうひとは、まったく文章の読み方も知らないし表面的で感情的な見方しかしないから、あまり相手にする必要はないのだが、おれは『dancyu』に書くばあいでも、「グルメ的な書き方」はあまりしてない。

一方、「グルメ的な書き方」に慣れているひとのばあいは、「凡庸」な文章を批判するケースが多い。「凡庸」では、刺激にならないからだと思われる。かれらは、とくにグルメ漫画に使われるような刺激的で「キャッチー」な表現をよろこぶ。なかなかおもしろい。

野方食堂は、店内に「飲める食堂」とあった。野方は、たしか、居酒屋礼賛の浜田信郎さんが、以前に住んでいたところで、よくこの食堂が登場していた記憶がある。

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2013/09/14

『大衆めし 激動の戦後史』のもくじと、「まえがき」「あとがき」の書き出し。

10月7日~10日にちくま新書から発売になる新刊『大衆めし 激動の戦後史:「いいモノ」食ってりゃ幸せか?』の「もくじ」と、「まえがき 「いいモノ」食ってりゃ幸せか?」と「あとがき 大衆食堂のめしはなぜうまいか」の書き出し部分を掲載します。
三校がもとになっているので、このあとの修正は、あったかも知れないけど、ほんのわずかなはずだし、覚えていないから、そのまま。昨日のトークで配った資料と同じです。
アマゾンでは、まだ書影はないけど、予約受付が始まっています。
よろしく~。


まえがき 「いいモノ」食ってりゃ幸せか?

第1章 激動の七〇年代初頭、愛しの魚肉ソーセージは
縄文以来の料理の激動/おれの激動/魚肉ソーセージの工場へ行った/怒濤の魚肉ソーセージに驚愕/おれの田舎の魚肉ソーセージ/浮世に翻弄される魚肉ソーセージの激動/「クックレス」の始まり、日本料理の衰退か

第2章 クックレスの激動
クックレス食品と三つの食品テクノロジー/実用品も嗜好品もインスタントにした食品テクノロジー/米の激動、レトルトごはん開発に突進/米製品の泥縄式開発にくたびれ果てた/主食といいながら米のことは知らなかった/冷凍食品が大衆食堂のおかずになった/「食生活の体系的改善」がもたらした決定的変化/できの悪い冷凍エビフライと料理と台所の激変/「余暇」へ向かう資本と大衆/外食が消費者に認知された/断絶の、レジャーとファッションの外食文化

第3章 米とパン、ワインとチーズの激動
食料自給率低下と米/米かパンかの混沌/「米食低脳論」/めしを考える根っこが間違っている/大めし食いだったおれの楽観/近代の食事の一つのスタンダード/和製洋風の時代/ワインとチーズ、すすむ食のファッション化

第4章 激動のなか「日本料理」はどうだったのか
悩ましい甘鯛のかぶら蒸し/やりくり生活の中流意識/甘鯛のかぶら蒸しは遠かった/日本料理ショック/江原恵と会った/江原恵と意気投合した/「日本料理は敗北した」に驚いた/料亭とは、なんぞや/日本料理とは、なんぞや/懐石料理と日本料理の本流/日本料理の変革期/ふしぎな世間の常識/伝統は頑迷だからこそ伝統なのか/庖丁文化とは、なんぞや/たとえば、「料理の鉄人」/旬と四季と料理/日本料理から生活料理へ

第5章 さらに日本料理、食文化本とグルメと生活
食文化とは、なんぞや/話題になった石毛直道「錦市場探訪」/日本料理の「パラドクシカルな体系」/日本料理と大衆の食生活の二重構造の痛さ/せっかちで貧困な食文化/『料理の四面体』ショック/料理の本質に迫った料理の四面体/グルメにいいたいことはあるが/生活料理とは、なんぞや

第6章 生活料理と「野菜炒め」考
自らの生活料理を鍛えるのだ/初めての野菜炒め/キャベツ炒めをやってみる/料理は好き好きのもの/料理とは「なにを、どう食べるか」の食べ方の技術/戦後の田舎の台所の火/油味噌とヤキメシ/薪と炭の現実、炒め煮/台所の火の現実と料理/NHK『これだけは知っておきたい料理』/油の普及ときんぴら/クソマジメなきんぴらと野菜炒め/帝国がなくなる未来を夢見て/栄久庵憲司『台所道具の歴史』/『日本の食生活全集』/アイマイな火と伝統の幻想/国際関係の野菜炒め/アイマイさと雑多性の野菜炒め/現代日本料理らしさ/「季節の味」の本末転倒/「おふくろの味」と「自分の美味」/生きている証の「自分の美味」を大切に/カレーライスと同じ野菜炒めの可能性/最後、または野菜炒めのまとめ

第7章 激動する世界と生活料理の位置
「食の豊かさ」について考える/食育基本法はあるのだが/家事労働と料理と女と男/もっと魚を食べなくてはいけないのか/食料自給率「四〇パーセント」は危機か/飢餓と料理

あとがき 大衆食堂のめしはなぜうまいか


◆「まえがき 「いいモノ」食ってりゃ幸せか?」の書き出しは、こんなぐあい。

 「大衆食堂のめしはなぜうまいか」
 そこには、生活料理があるからだし、おれが、キャッチフレーズのように使ってきた、「気取るな、力強くめしを食え!」と「ありふれたものをおいしく食べる」の文化が息づいているからだ。
 大衆食堂のめしは、大衆の食生活の反映であるし、大衆の食生活においては、「めし」が文化的な中心であった。めしをうまく食べるためのさまざまな取り組みが行われてきた。その事実について、いささか世間の評価は低すぎはしないかと、おれは思っている。
 おそらく「生活料理」という言葉も耳慣れないことだろう。これは、戦後の高度経済成長が終わる一九七〇年代中ごろに、伝統的な「日本料理」と「食通ブーム」のちの「グルメブーム」に対抗するように、おれの周辺で造語された。「大衆めし」と「生活料理」は、イコールでもあり、相互に包括し合う関係ともいえる。
 その言葉を生んだ生活と料理をめぐる激動は、ますます激しくなりながら、いまでも続いている。しかし、商品や飲食店を紹介する情報や知識は過剰なぐらいあふれているが、それを選択するわれわれ自身の生活や料理に関する知識は、まことにこころもとない。
 というわけで、この本は、おれが体験した大衆めしの激動のアレコレをふりかえりながら、いまを生きるめしにもっと深く分け入るための、ごく私的な「生活料理入門」になっている。

◆「あとがき 大衆食堂のめしはなぜうまいか」の書き出しは、こんなぐあい。

 おれは最近出した本を聞かれると、「瀬尾幸子さんと共著の『みんなの大衆めし』と、『大衆食堂パラダイス!』です」と答えてきた。実際に、直近は、この二冊なのだ。
 すると相手は、かなりの確率で、「定食ですね」とか「B級グルメですね」とか「おふくろの味ですね」という。
 おれは、「うーん、そんなもんです」と答える。
 「いや、生活料理です」と正直に反応しようものなら、かなりの確率で引かれるか、少ない確率で生活料理ってなんですかと食いつかれて説明が大変なことになるから、テキトウにお茶を濁してきた。
 本書では、その生活料理について、ほんの入口だけど、書くことができたと思っている。

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昨夜の「恩田えりのもっと知りたい話したい 第二回」、盛況御礼。

さばのゆ@経堂での「大衆食堂詩人エンテツ解体新書 2  『昔、日本人は働いて食ってクソして寝てた』」は、参加のみなさまの集まりがよく、開始予定時刻の19時半ごろから始まった。

前回に続けて参加の方が、9割以上だった。冒頭、前回の話になったが、おれはほとんど覚えていなくて、えりさんによれば、とにかく、高校山岳部の話が長くなって、それで終わってしまったらしい。えりさんが、おれの本を読んで作った、大衆食堂とエンテツ年表によれば、1960年ごろで終わったということなのだ。

おれは、そんなに高校山岳部時代のことを話したのかと思いながら、考えてみれば、高校は山岳部へ行っていただけで、しかもこの3年間だけが、おれの人生で最も安定していた時期だったなあと振り返りながら、では、と、1962年の上京からトークに突入。そして、なんとか、81年に江原恵と「生活料理研究所」をつくったる話あたりまではいった。

とくに、70年ごろからは、こんどの新刊『大衆めし 激動の戦後史』に関係するので、資料として配布した、『大衆めし 激動の戦後史』のもくじや、まえがきとあとがきの書き出しなども利用しながら、話ははずんだ。

けっきょく、2時間近い長丁場のオシャベリになってしまったが、みなさんタイクツすることなく、けっこう楽しんでもらえたようだった。とにかく、えりさんの突っ込みと運びもよく、楽しく話すことができた。

トークが終わってから、参加者の方々と、打ち上げ飲みを楽しんでいると、さばのゆの須田さんがもそもそと出てきて、室内の灯かりを暗めにするや、すごいボリュームの声で「ハッピィ バースデー…」を歌い始める男性。おお、ナニゴトカ、なんと、おれの、70歳誕生祝なのであった。(誕生日は、もう少し先だけど)

テノール歌手の歌とケーキ。ケーキのろうそくを吹き消すなんて、もしかしたら、初めてか? 震えた。いやいや、思わぬことで、感謝感謝。ハイサワーを飲みながら、ケーキもいただきました。

で、飲んで食べている最中に、次回のことになり、その場にいたO嬢と盛り上がり、12月6日(金)と決まった。今日、恩田えりさんのツイッターに、

「【御礼】本日さばのゆご来場の皆様!ありがとうございました!エンテツさんの奥深さは本当に底知れないです。知りたい気持ちが加速してしまったので次回は12月6日(金)!早々に決めてしまいました。テーマは『政治と離婚と俺の本』(仮。※バラバラ感アリですが何故か繋がるんです)請うご期待♪」

と告知が。がははは~、またもや、おもしろいタイトル。

帰りは、宇都宮線の終電で帰宅。ひさしぶりに都内へ行ってしゃべったので疲れた。

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2013/09/12

明日は、恩田えりさんとのトーク、さばのゆ@経堂で。

明日(13日)は、さばのゆ@経堂で、「恩田えりのもっと知りたい話したい 第二回」です。
今回は「 大衆食堂詩人エンテツ解体新書2 『昔、日本人は働いて食ってクソして寝てた』」という、なんとも楽しそうなタイトルだ。

前回の『恩田えりのもっと知りたい話したい 第一回 大衆食堂詩人・エンテツ解体新書』は、3月26日のことだった。えりさんが、おれの年表までつくってきて、それを貼り出してのトークだった。おれも自分の年表を見るのは初めてだったよ。

あまりに楽しくて、トークがはずんでしまい、おれの年表のイントロぐらいで終わってしまったので、今回は続きをやることになったのだ。

なにしろ、えりさんは、舞台のプロだから、木戸銭もちゃんと1800円いただき、トークも楽しくお客さんをタイクツさせないように、かつ内容があるように真剣勝負、おれがまいどテキトウにやるトークとちがって、じつに充実している。

「流浪のフードライター・遠藤哲夫さんをお迎えし、あれやこれや根掘り葉掘り伺います! 第二弾」というこのトーク、はて、明日は、どのようなことになるか。みなさん、いまからでも遅くはない、ぜひ、さばのゆ@経堂へ。
http://sabanoyu.oyucafe.net/schedule

2013/03/09「2月3日から3月26日へ。って、トークライブです。」に書いたように、「このトークライブの企画の出発点は、「『みんなで決めた「安心」のかたち』だった。そして、2月3日のわめぞ「みちくさ市プレイベント」では、『みんなで決めた「安心」のかたち』の著者、五十嵐泰正さんをホストに、ゲストに1部・開沼博さんと2部・おれのトークがあり、恩田さんとさばのゆの須田泰成さんが来てくださり、実現の運びとなった。」

それから、来月の7日から10日に、ちくま新書から発売になる、おれの新刊のタイトルは、『大衆めし 激動の戦後史 ―「いいモノ」食ってりゃ幸せか?』なのだ。

このサブタイトルは、みちくさ市トークでの五十嵐さんとおれの対談のタイトル「「いいモノ」食ってりゃ幸せか?」を、ちゃっかりいただいたもの。いや、なかにも、この話は出てくるのだけど。

というわけで、先日無事に校了したばかりの、この本の「もくじ」をコピーして持っていく予定。

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2013/09/11

『あの人と、「酒都」放浪』(中公新書クラレ)に登場しています。

059001_2以前、YOMIURI ONLINEで連載された「酒都を歩く」が本になり、昨日、中公新書クラレから発売になった。タイトルは、『あの人と、「酒都」放浪』で、著者は、連載を担当した読売新聞記者の小坂剛さん。

登場するは、
第一章 居酒屋は文化
 アートディレクター・太田和彦「ブームの先達」、作家・森下賢一「非日常を求めて」
第二章 哲学と詩と歌と
 哲学者・鷲田精一「京都と大阪」、詩人・佐々木幹郎「今宵、中原中也」、編集者・都築響一「スナックの魅力」
第三章 母を想う
 酒場詩人・吉田類「酒と放浪の人生」、作家・吉永みち子「上野・北畔にて」
第四章 地ベタの快感
 大衆食堂の詩人・エンテツ「気取るな、力強くめしをくえ!」、町工場経営者・藤原法仁「京成沿線の大衆酒場」
第五章 酒場はパラダイス
 編集長・倉嶋紀和子「古典酒場で女性一人呑み」、会社員・浜田信郎「酒場五か条」
第六章 郷愁の町・東京
 フォークシンガー・なぎら健壱「安い、うまい下町」、社会学者・橋本健二「居酒屋の考現学」
てなぐあい。

この顔ぶれ、このまとめかたは、ちょっと普通の「酒飲み本」や「居酒屋本」にはないですね。内容や文章の書き方も、そう。

著者の小坂さんは、初対面のときから読売の記者どころか新聞記者らしくなくて、おもしろいなあと思っていたのだけど、この本は、登場人物が話したことや行った酒場のことを、ただ上手にまとめるだけではなくて、小坂さんの視点による突っ込みや登場人物の観察が、おもしろくしていると思う。

藤原さんとおれが登場する、第4章の見出しが、「地ベタの快感」てのが、うれしい。

それぞれの著者が、小坂さんと行った酒場とは別に、「オススメの店」をあげ、コメントを寄せている。おれは、店の選択で、けっこう悩んだ。どう選んだかは、ナイショ。

◆読売新聞オンライン「酒都を歩く」で大衆食堂・エンテツ編(上・中・下)は、こちらに掲載中。…クリック地獄

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