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2013/10/28

『大衆めし 激動の戦後史』にいただいた、お声。

ツイッターやブログなどに投稿された『大衆めし 激動の戦後史』の読後感をまとめてみた。

なにしろ新書というのは、初めてだ。それで気がついた、本屋で新書の棚の前に立つということは、ほとんどなかった。実際、この本が出たあとも、大宮のジュンク堂に2回ほど行っているのだが、新書の棚の前へ行く習性がないためか、家を出るときは自分の本が並んでいるところを確認しようと思いながら忘れてしまい、あの巨大倉庫のような本に圧倒されることもあるが、必要な本だけ買うとそさくさと店を出てしまい、まだ棚を見てないのだ。

新書って、どんな方が読むのだろう。それに、これまでの、なんとなく食風俗好みの方も誘いこみそうな文庫本の内容とちがい、食生活レベルの地味な話だ。日本料理と生活のなかの料理に関わることだから多くの方に読んでもらいたいが、いまどきの「いいモノ」「いい店」「いい人」礼讃風潮には馴染まない内容、どんな方が、この本を読んでくれるのだろう。まったく見当がつかない。

というわけで、検索してみた。このほかに、フェイスブックやメールでも感想をいただいている。

メールでは、「「日本料理」と「日本の料理」について、ボンヤリしたイメージが具現化したというか、言葉として明確に理解できたというか」といった趣旨の方が2人いらして、どちらも、『汁かけめし快食學』からの読者だった。『汁かけめし快食學』は、「日本料理の伝統と歴史」に関係しているから、似たような感想を持たれたのかも知れない。

以下に、転載させてもらいます。検索は完全ではないので、もれているものがあると思われます。

ツイッターに、おれのことを「元の職場にいた人だが経歴は多彩」とツイートされた方がいる。直接は存じ上げないのだが、おれが、この本の最初の舞台となる企画会社に転職する前の職場に(といっても勤務する職場は違うのだが)、おれが辞めたあと就職された方のようだ。ツイッターは、思わぬ出会いがある。そして、この方は、すでに職場を定年退職されている年齢で、江原恵の『庖丁文化論』をご存知なのだ。江原恵の『庖丁文化論』を知っているのは、おれより一回り下ぐらいまでだろうか?

とにかく、お声、ありがとうございます。

◆ブログ

「ドトールで一息ついてます! (麻里鈴のブログ)」
ameblo.jp/34mana/entry-11651521438.html
- 2013年10月25日 11:46:00

食べるか食べまいか、散々迷ったが手にとってしまった3色のあんぱん♪
今日のお供は「大衆めし、激動の戦後史」
“和食”がユネスコは無形文化財にって言ってるけど、“和食”日本料理って、日本の料理とは違うよね。 
考えたことなかったけど、確かに「甘鯛のかぶら蒸し」は普段は食べないよね。
「気取るな。力強くめしを食え!」
著者の熱い叫びが聞こえそう☆


「ふと考えた (opaqueな日々)」
taganohiko.blog.fc2.com/blog-entry-9.html
- 2013年10月25日 01:02:53

こんな本を読んだ。

飽くなき美食を追及してきた(ある程度)ワタシには考えさせられる一冊。

・食のファッション化 ワインとチーズ
・日本料理は料理屋料理、男が外で遊んで、お酒と一緒に食べる料理。生活料理ではない。
・ハレとケ 日本料理と生活料理
・食糧自給率の低下もさることながらエネルギー自給率も考えねばならない
などなど

かねてより
「ごはんのおかずにならない料理」を好んで、つまりお酒の肴となる料理を好み
挙句の果てにワインに合う和食の探求、日本酒は純米酒しか飲まない、
『ご飯』は料理の後にお茶漬けか軽く漬物で済ませることをヨシとして
懐石のマネごとを家でもやってきた。

赤ワインはブルゴーニュしか飲まないなどとうつつを抜かしてきたが・・・

実際にここ数年間、飽くなき美食とはなんぞや?と疑念に思うこともしばしば。

やはりたまに美味しいものを食べて美味しいお酒を頂くのが
美味しく食べる秘訣なのかもしれない。

毎日の夕食をハレの日とするには味覚と感動に無理があったのだ。

度々患う急性胃炎もある意味レギュレーター的な役割をしていたのかも。


「20131020最近読んだ本 (散歩日記X) 」
blog.goo.ne.jp/hsssajp/e/ce2d677f789c6e12fb12426d3ea20473
- 2013年10月20日 21:15:59

■「大衆めし激動の戦後史」遠藤哲夫
「きょうの料理」の放送開始月に登場したある日のメニュー。甘鯛のかぶら蒸し、鶏肉のクリーム煮、蝦仁豆腐、クッキーと4品なのだが、現在最も普通の人から遠いのが日本料理であるはずの甘鯛のかぶら蒸しだろう。この辺に日本料理と家庭料理、大衆めしの不思議な関係を感じる。

◆ツイッター

【本】遠藤哲夫『大衆めし 激動の戦後史』。伝統的な日本料理が生活料理と原理的に大きく乖離するという話が面白い。
2013年10月26日 - 0:59
‏@kenkusunoki
https://twitter.com/kenkusunoki/status/394055748335828993

小学校高学年の家庭科実習で生まれて初めて料理をした。メニューは「野菜炒め」。キャベツと人参ていどの具材をサラダ油で炒めるだけだったが、なんて美味いんだと驚いた。母の献立にはシンプルな「野菜炒め」はなかった。野菜炒め論は秀逸です。『大衆めし激動の戦後史』(遠藤哲夫著 ちくま新書)
2013年10月23日 - 21:09
‏@enufujisho
https://twitter.com/enufujisho/status/393272972628074496

遠藤哲夫『大衆めし 激動の戦後史: 「いいモノ」食ってりゃ幸せか? 』、これ刺激的で面白かった。氏の著書は『汁かけ飯快食學』が読みかけで消息不明だった、探そ。
2013年10月22日 - 21:08
‏@pioilbevitore
https://twitter.com/pioilbevitore/status/392910316419313664

和食(おそらく伝統を気取る板前料理)が無形文化遺産の事前審査を通ったとホクホクするクールジャパンたちに、この本を読んでもらいたい
2013年10月22日 - 15:52
‏@kow_yoshi
https://twitter.com/kow_yoshi/status/392830740255092737

エンテツさんの 大衆めし 激動の戦後史 を読んでたら、いろんなアイデア(妄想?)がうまれてくる。自分が食ってきた(いる)ものの変遷を語ってくれる前半より(そこもそれなりに面白い)江原さんの著書が登場するあたりからグワーンと面白くなる。
2013年10月20日 - 6:34
‏@yogoremono2127
https://twitter.com/yogoremono2127/status/391965584046317569

多様性と土着はしばしば対立するんだけど、それがないのが酒場と芸術です。 芸術はたくさん本があるんだけど、酒場とか大衆食堂はエンテツさんくらいしか書いてない。「大衆めし 激動の戦後史 遠藤哲夫」と「包丁文化論 江原恵」は「文脈」を知る上で重要と思っています。
2013年10月19日 - 13:23
‏@bleu_et_rouge
https://twitter.com/bleu_et_rouge/status/391706259012845568

『大衆めし 激動の戦後史』。面白い‼ 野菜炒め考に車内でうなずく。本がボロボロになってしまいました。
2013年10月19日 - 0:58
‏@foojii
https://twitter.com/foojii/status/391518795249905665

遠藤哲夫「大衆めし激動の戦後史」読了。元の職場にいた人だが経歴は多彩。江原恵と仕事をしたとは驚き。「包丁文化論」はよかった。ベランメー口調ながら中身はちゃんとしている。ちゃんとしているので文体に違和感がありちょっと読みにくいが面白い。
2013年10月16日 - 23:38
‏@shkame
https://twitter.com/shkame/status/390773807146758144

大衆めし 激動の戦後史: 「いいモノ」食ってりゃ幸せか? (ちくま新書)「野菜炒め」に関する章があり、野菜炒めにはガスコンロが要る。炭火では茄子と味噌の炒め煮ぐらいだと記述ある。得たり。
2013年10月13日 - 20:08
‏@kenitirokikuti
https://twitter.com/kenitirokikuti/status/389633668622200833

「大衆めし 激動の戦後史」遠藤哲夫著 ちくま新書 760円+税 を読み始める、読み始めだが面白い本だ。目の前に著者がいて実際に語っているように読むことが出来る。
2013年10月11日 - 3:22
‏@connieneko
https://twitter.com/connieneko/status/388655728015048704

エンテツさんの『大衆めし 激動の戦後史-「いいモノ」食ってりゃ幸せか?』を読みはじめた。70年代あたりからメーカーやプランナーや雑誌やテレビが、「いいモノ」の概念を時々の都合で作り、それを囲む生活様式を送り出してきたことを知る。
2013年10月10日 - 12:20
‏@tunagaryu
https://twitter.com/tunagaryu/status/388428836452327424

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2013/10/25

『大衆めし 激動の戦後史』が共同通信の書評に。

発売日は10月7日ということだったけど、実質書店に並びだしたのは翌日の8日で、発売日から約2週間がすぎた。これまでだと、新聞や雑誌に紹介や書評が載るのは、発売から1ヵ月後ぐらいだったけど、去る21日、『大衆めし 激動の戦後史』の書評が共同通信により配信され、いろいろな新聞に掲載になっているようだ。

「和洋中を超える日本の料理」のタイトルで、「ふだんぼんやりしていたことをビシッと言い当ててもらった爽快感がある」と。
http://www.47news.jp/topics/entertainment/2013/10/post_6329.php

ツイッターなどには、いろいろ読後感があがっているが、後日このブログにまとめたい。

ちょうど、「和食」が無形文化遺産のユネスコの事前審査通る、といったニュースがあって、本書が(「日本の料理」を意味しない)「日本料理とは、なんぞや」と、「和食」の実態を明らかにしているあたりも関心がもたれているようだ。

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2013/10/24

故郷で古稀記念同期会。

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21日の月曜日は、六日町中学12回卒古稀記念同期会で帰省した。

これまで会場は六日町の温泉だったが、今回は湯沢だった。新幹線で行くには便利だ。夕方16時ごろまでに着けばよかったので、その前に、気になっていた上越線の大沢へ行ってみることにした。

この大沢地区は、以前から魚沼産コシヒカリのなかでもうまくて高値がつくと評判の地域だ。それに、ここには「わが家の卵」という、たまごかけごはんを売りにしている食堂がある。

というわけで、東大宮10時過ぎの電車に乗って、越後湯沢に12時半ごろ、上越線に乗り換えて大沢は2つ目なのだが、列車の本数が少ないので、13時半ごろ大沢に着いた。ウロウロし途中で会ったおばさんやじいさんに土地の農業や米作りの話など聞いたり、「わが家の卵」では「きりざい丼定食」を食べて、おやじさんに米の話を聞いたりした。


047002そういう大沢の話は、あらためて書くことにする。

16時ごろ、同期会の会場である湯沢のホテルに着いた。大きなホテルで、ロビーでは、なんと、6組ほどが同級会や同期会などの受付をしていて混雑。平日だから、どちらもおれたちと同じ高齢者ばかり。なかでも、おれたちの受付が一番大きく、大人数が集まっていた。

2年前の同期会でも会って、顔を見ればすぐわかるひと、まったく思い出せないひと。受付を終えて、割り当てられた宿泊の部屋は、卒業年度に同じクラスだった5人。前回も参加している3人に、アメリカから帰国のAくんは同期会以外で何度か会っている。

一休みしてから、コンベンションホールに集合。記念撮影、古稀のお払い、そして幹事の挨拶。卒業後の物故者34名、そのうち前回からの2年間のあいだに亡くなった9名の名前が読み上げられ、黙祷。そのうち3名は、小学校からの友人だったので、亡くなった連絡は受けていたが、9名もいて、しかも全員男子。

Aくんの乾杯で宴会が始まった。還暦のときは120名ぐらいの出席があったと記憶するが、今回は63名。本人や家族の健康や仏事の都合で参加できないひとが多数いた。そういうトシなんだなあ。

参加したひとたちは元気で、あとは、もう、飲む、食う、しゃべる。

高校卒業して上京した年に東京で一度会ったきりの友人マサオくんがいた。同じ町内で、一緒に銭湯へ行き、おれの家で大いに飲み、山へも何度も一緒に行った。その話しになった。とくに登山は、台風接近中の嵐のなか登った巻機、かなりハードな縦走だった魚沼三山、そして1962年高校卒業の3月に記念にと登った雪の坂戸山の話になった。やはり、どれも記憶に残る登山だったのだ。

その坂戸山登山のことは、ザ大衆食のサイトに書いてある。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sakado.html
同じ町内の同じ歳の友人で、よく一緒に山登りしたマサオくんが、
高校卒業して東京へ出たら、もういつ登れるかわからない、記念に登っておこうと言った。
雪がしまっている早朝に登るのが楽でよいだろうと、平日だったが、
登校前の夜明けと同時ぐらいに家を出た。

23か4歳のとき以来に会う従兄弟もいた。

お互い、自分が覚えていないことをほかのひとが覚えていて、そんなことがあったか、と、話はつきない。考えてみると、在学中からそうだったが、個性が強い割には嫌味なやつが1人もいない。だからなのか、同期会の集まりもよいのだろう。だいたい5年に1度と決まっているのに、2年前のときのように、どうしてもやりたいというやつがいると開催し、短期の準備でも80名も集まったりしたのだ。でも、まあ、出席できたのは、よいほうなのだ、そんな話もしていた。

おなじホテル内で飲み放題の2次会、さらに3次会を幹事たちの大きな部屋で。途中から記憶なし。

091朝6時ごろ目がさめ、温泉に入って、朝食。9時半ごろ、ホテル前で写真撮影をして解散。おれは、有志たち13名とホテルのマイクロバスで、外山康雄「野の花館」と雲洞庵をめぐって六日町へ出るコースへ。ひさしぶりに、「野の花館」と雲洞庵を見て、帰ってきた。

もうヨレヨレで、昨日まで疲れが残った。

はて、今度は喜寿か、その前にあるか、それまで生きているか。誰もが、そんな思いで、別れたようだった。

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2013/10/20

「見る・話す・書く料理」が盛んだから、もっと食文化論や料理論が必要。

最新刊の『大衆めし 激動の戦後史』は、「食文化論」や「料理論」に、かなり寄った内容になっている。

これまで、おれの単著の本では、汁かけめしと大衆食堂の二つの系統しかないのだけど、汁かけめしの本は食事と料理を中心に食文化論や料理論寄りであり、江原恵の『庖丁文化論』のブレイクダウン版のつもりで書いている。大衆食堂の本については、料理より食事が中心で、その空間や場所に寄っている。

「作る料理」「食べる料理」のうちは、食文化論や料理論など不要といえるが、70年代以後しだいに「見る・話す・書く料理」が増え、いまやインターネット上でもあふれている。多くの人が、「見る・話す・書く料理」に関わっている。

食通やグルメや評論や研究を気取る前に、食文化や料理について、基本的な「論」ぐらい知っていないと、とんだ間違いをしてしまう。

きのう、「見る・話す・書く料理」が盛んだから、食文化論や料理論が必要だと、シミジミ思うようなことがあった。

いま配信中の、ちょくマガ「週缶!さばのゆマガジンvol015」だ。

この号は、偶然にも「ありふれたものを美味しく食べる」に関係する話がほとんどだ。缶詰博士・黒川勇士さんと春風亭昇太さんのサバ缶で作るバラ寿司の話も、松尾貴史さんのオカルい悩み相談室「彼氏が急に食通気取りに。私の料理を不味いと言って食べません」も、須田泰成さんとおれのカウンターカルチャー「自分の舌を飼いならした先に、ささやかなオアシスが」は「味覚の主体化」に関係する話、そして、知られざる経堂の魅力探訪記は、ズバリ「ありふれたものをうまく食べさせる店!」だ。
http://chokumaga.com/magazine/?mid=106

なかでも、「彼氏が急に食通気取りに。私の料理を不味いと言って食べません」は、滑稽で切ない話だ。少し前に、何新聞か忘れたが、似た話があった。このテの話は、よくある。

彼氏が、トツゼン「このパン、天然酵母使っている?」「この卵は当然ながら農家の庭先を走り回っている元気な地鶏が生んだ卵だよね?丹波篠山かな?」「この野菜は、有機栽培じゃないの?噛んでも噛んでも、野菜本来の味がしない」「食をおろそかにすると、人生がおろそかになるよ」…こんなことから、恋人や夫婦の間がビミョーになってしまうのだ。

食文化や料理をめぐっては、ゆがんだり誤った知識や情報が多い。わかりやすい例をあげると、ウィキペディアに見られるカレーライスの歴史などは、ほとんどは「カレーライスという言葉をめぐる風俗」についての歴史であり、料理の歴史とはいえないのに、料理の歴史であるかのようにまかり通っている。風俗のレベルと料理のレベルの区別さえつかない知識が「常識」なのだ。

おなじように、「有機栽培だからおいしい」「野菜本来の味」「そのものの味」などというのは、なんら味覚を語っていないのに、語っているつもりになっている。

食べ物と食事と料理と味覚の区別や、「自然食」などのことになると文明のレベルと文化のレベルの区別のついていない話も、めずらしくない。

とくに食通やグルメを気取らなくても、普通にしていると、生産者やメーカーサイドあるいは料理人からの知識や情報に取り囲まれて暮らしている。

わかりやすく言えば、農水省つまり生産のなかの料理、経産省つまりメーカーや外食ビジネスや出版やメディアやレジャー(ホビー)のなかの料理、厚生省つまり健康と栄養のなかの料理、文部省つまりしつけと教育と文学のなかの料理、こういう「専門家」からの一方的な知識や情報が、食通やグルメの「常識」にすらなっている。

環境省のなかの料理もありますなあ。いまや、いんちきくさい「フードマイレージ」なんてのまで持ち出して、農水省も環境省も、エコやスローフードに熱心のようだ。

そこには、本来、料理がもつ役割の、生活からの視点がない。専門家は、いずれかの専門に偏っていても、とうぜんだ。それを鵜呑みにしていたら、とうぜん、どれかの分野の「論」にとりこまれやすい。

食や料理への興味が、食文化や料理の成長につながらず、簡単に消費主義に回収されやすい構造がある。その結果、味覚は、産業化企業化の支配下やグローバリゼーションの支配下に陥りやすいことになる。「化学調味料ダメ」「農薬も添加物ダメ」「安全・安心」「身体と心によいもの」だの「TPP反対」だのもよいが、それ以前の「味覚の主体化」が必要なのだ。

自分の舌は自分の好みで飼いならす。どんなに有名な料理店の料理より、おれにとってはおれの料理と好みが一番うまい、と言えるぐらい、ワガママな自分の味覚を持ちたい。それが野菜炒めだってよい。生活のリアルは、個人個人にあるのであって、専門分野や専門家にあるのではないのだ。

『大衆めし 激動の戦後史』は、表のテーマが「生活料理」で裏のテーマが「味覚の主体化」それに右のテーマや左のテーマ、タテのテーマ、ヨコのテーマや、斜めのテーマもあるかな。このようにいろいろなテーマをからめてしまうのは、おれの本の特徴で、ある記者さんや書評家さんなどに言われたが、紹介するのに泣けるほどまとめにくい。でもおれは、これを「ラーメン構造」の文章とよび、おれが「フリーライター」にこだわるのと関係がある。

それはともかく、『大衆めし 激動の戦後史』に書いたけど、生活料理の根幹は「ありふれたものを美味しく食べる」だと思っている。「ありふれたものを美味しく食べる」は、料理レベルと食事レベルを含めてのことだけど、『大衆めし 激動の戦後史』では、そこまで詳しく書いていない。「生活料理入門」だから。

「生活料理」は、1970年代に江原恵によって造語された。「タマネギを主材料にした、まったく新しい料理を、一つでも編み出すことのできる人は、美味学に必要な想像力を、かなり豊かにもっている人である」というあたりに、その思想があらわれている。

よりよい食材や製品を作るのは、生産者やメーカーの役割だとして、生活や料理は何をすべきかという課題があるわけだ。そこに「味覚の主体化」が関係する。一般には、産業や企業や飲食ビジネスや生産者や料理人のために料理や味覚が存在するわけではないのだ。

なんにせよ、ここ40年ほど、「消費の充実」を「生活の充実」と誤解してきた。そういうなかで、消費にゆがんだ料理や食事の知識と情報が蔓延している。だからさ、『大衆めし 激動の戦後史』が必要なのさ。と、最後は、自著のセンデン。「もくじ」などは、こちら→クリック地獄

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2013/10/18

東京新聞「大衆食堂ランチ」13回目、大宮・いづみや本店。

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今日は第3金曜日で、東京新聞に連載の「エンテツの大衆食堂ランチ」の掲載日。すでに東京新聞のサイトにも掲載になっていて、こちらでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2013101802000168.html

007先月で連載1年が終わり、今月から2周目。はたしていつまで続くか。とにかく、そろそろ地元を取り上げてもよいだろう、それにそろそろ昼酒のことも入れたいと思い、大宮のいづみや本店にした。

大衆酒場のイメージで定着しているが、本店の大看板の両脇には、「大衆」の下に「酒亭」と「食堂」と文字があるし、店内の壁の短冊メニューには定食がズラリならぶ。昼時には、めしを食べている客も多い。

このあいだの土曜日の夕方行ったら、大混雑のなか、めしを食っているおやじもいて、隣の若い男の客が「ここはめしも食えるのか」と言っていた。めしも食える。どんぶりめしの量も多い。

ところで、このおやじは目玉焼き定食を食べていたが、その食べ方が、おれの食べ方とおなじ、汁かけめし流。つまり、目玉焼きとキャベツを、そっくりどんぶめしの上に移し、ソースをかけてかきまぜながら、ワッシワッシ食べるのだ。おれは、おやじの手をにぎりたい衝動にかられた。こういう気取らないおやじがいるのも、いづみやならではか。

そろそろカキの季節なので、カキフライ定食を頼んだ。もちろん、一年中食べられる、冷凍カキフライだ。これに小皿が3品付くのが「定食」なのだ。ちょうど食べているとき、50歳ぐらいのサラリーマンが入ってきて、慣れた様子で「厚揚げとめしと味噌汁」と注文した。これだと小皿は付かず、厚揚げにめしと味噌汁の単品を合算した金額になり、少し安く上がる。

おれは、カキフライ定食にビール大瓶と例の「名代もつ煮込み」、合計1360円。冷凍カキフライといえど、これで大満足。ほんと、大宮に来れば駅前にいづみやがある安心感は大きいなあと思った。

本店の写真、右側から撮ると「いづみや本店」の本店の文字が手前に来ることが気になって、左側から撮り右側からは撮らなかった。校正のとき、これでは本店の暖簾より、階段の入口にある2階の店舗の旗が目立ってマズイなぁと思ったが、時間もなかったので、そのままにした。すみません。

とにかく、大宮駅東口広場に、いづみやの大看板が二つ並ぶ様子は、頼もしい。また、いづみやへ行こう。

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2013/10/17

今月末は、大阪デーだで~。

2013/10/05「関西人のための「新潟のええとこ・うまいもんゼミナール」で話します。」に書いたように、30日(水)は、この講師をつとめる。

こちらはもう予約満席だけど、この翌日31日(木)は、「さばのゆ大学いろいろ学部」で、「エンテツ×須田泰成のカウンターカルチャー!」トークをやりますんで、遊びに来てください。

「さばのゆ大学いろいろ学部」は、東京は経堂の「さばのゆ」とおなじ須田泰成さんが経営する、大阪は福島にある「さばの湯」をキャンパスに、東野ひろあきさんがプロデュースするもの。(で、いいのかな?)

「エンテツ×須田泰成のカウンターカルチャー!」は、2013/09/30「ちょくマガ「エンテツ&須田泰成のカウンターカルチャー」は、ますます面白くなっている。」で紹介したように、角川グループによる有料WEBマガジンサービス「ちょくマガ」の「さばのゆマガジン」で、毎週連載のもの。その生トーク版をやろうというわけ。

これはもう面白おかしく最後は泥酔になるにちがいありません。

詳しい案内は、こちら「さばのゆ大学いろいろ学部」。
http://sabadai.com/

ちょくマガ「さばのゆマガジン」のほうは毎週金曜日発行。
「エンテツ&須田泰成のカウンターカルチャー」は、酒場のカウンターの人間模様から「まち」だの「つながり」だの、ヘンな人たちだの、飲食店経営だの、ときどきカウンターパンチを繰り出しながら、「いま」と「生きる」根幹のテーマに迫ったり、モンテイパイソン流に笑い飛ばしてみたり、先週の第14回が「まずは、美味い=正義を疑ってみる」、明日の第15回は「自分の舌を飼いならした先に、ささやかなオアシスが!」と、ますます絶好調的に盛り上がっている。こちらも、よろしくね。

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2013/10/11

『サラメシ』で重松清が語る「サラメシ」に、生活のなかのめしを見る。

002001学研パブリッシングからゆうメールが届いた。縁のない出版社だ。誰かの著書をいただけるのかなと開けると、『サラメシ』が出てきた。

なぜこの本がおれに?メモが入っていた。なるほど。奥付を見る。なるほど。

編集に、解散した元東京ミーツの女子編集者2人の名前。デザインは、瀬尾幸子さんとおれの共著『みんなの大衆めし』のデザインをやってくださった、ミーツ本誌で活躍の津村正二さん。ライターと撮影に、元ミーツ現ミーツで知った面々がズラリ。いやはや、ご活躍で、けっこうなことです。

腰巻に「NHKの人気番組が待望の書籍化」とある。説明は、いらないだろう。そのうえ、上記の熟練スタッフの手で、そつなくまとまっている。

おれの目にとまったのは、特別寄稿の「「まるじゅう」の店」だ。重松清さんが書いている。

長いが、気になったところを引用しちゃう。

重松さんは、1980年代、早稲田大学の学生だったころの、学生街の定食屋の思い出を語る。おれが興味を持った、というか、うまいな~、さすが、と思ったのは、こういうところなのだ……

 その一軒一軒の思い出を語っていけばきりがないのだが、学生相手の定食屋というのは、たとえどんなに安くて美味しくて居心地の良い店であっても、どうも「サラメシ」にはそぐわない気がする。
 「サラメシ」の「サラ」とは、「サラリーマン」――もっと定義を広くとって、「働く人たち全般」を指しているのだという。「働く人たち全般」をさらに広くとらえるなら、それは「オトナ」ということになる。学生街の定食屋さんは、その部分、いわば「オトナ濃度」が物足りないのだ。
 たとえば定食に小鉢をもう一品付けるかどうか、ご飯を大盛りにするかどうかの選択も、学生なら単純な食欲やフトコロ具合の話だけである。しかし、オトナは違う。そこには午前中に大仕事を終えた、ささやかな喜びがあるのかもしれない。午後の大事な仕事を控えて「腹が減ってはイクサはできぬ」の心境かもしれない。健康や体型の問題もからんでくる。家計もつきまとう。逡巡や躊躇や煩悶を振り切ったすえの「ご飯、大盛りね」かもしれないし、食後のほうじ茶をシブく啜る眉間の皺には、コレステロール値への不安も一緒に刻まれているのかもしれない。
 学生街の定食屋さんは、青春の夢や希望や大志はあっても、そういう現実の生活のリアリティに欠けていた。「若さ」はあっても、「苦さ」が足りない、といえばいいか。

……引用おわり。

ま、学生には学生の生活があると思うが、やはり、オトナの濃度ではないということなのだろう。学生との対比で、オトナの生活のなかのめし、そこにある心のシワをうまく浮き彫りにしている。大衆食文化の深いところだ。

食や料理は、風俗や好事(趣味)や生活それに農業や食品工業などの産業との間で混沌としているのだが、生活のなかのことが大切になっていると思う。だけど、これがなかなか難しい。産業化企業化による圧倒的な消費攻勢によって、生活の輪郭がアイマイになっているというか。

近頃、食べログなどでも、CP(コストパフォーマンス)なる言葉を使って飲食店を評価する人たちがいる。それって、まったく食生活や食文化ってものを理解してないよねと、飲食店を経営するある人と話した。長いあいだ「消費の充実」を「生活の充実」とカンチガイしてきた結果は、小賢しい、学生気分のオトナ、評論家気取りのオトナなど、けっこう見受けられる。

だから、生活料理=生活のなかの料理=大衆めしについて書いた、おれの最新刊『大衆めし 激動の戦後史:「いいモノ」食ってりゃ幸せか?』を読んで、生活とめしについて深めてほしい。と、最後は、ムリヤリ自分の本の宣伝につなげるのだった。

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2013/10/06

「理解フノー」連載11回目、画家のノート『四月と十月』29号が届いた。

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昨日のこと、牧野伊三夫編集長の美術系同人誌『四月と十月』十月号(29号)が届いた。半年に1回、4月と10月の発行だから、これが届くと、あれまあ、もう半年すぎたのかと思う。そして、次号の原稿締切は、2014年2月10日(金)とあるのを見て、そんな先のこと覚えてらんねえよと思うのだが、これが、きっと、すぐ来てしまうのだ。

表紙はイソノヨウコこと柳家小春さん、いや、柳家小春ことイソノヨウコさん。イラストレーターにして音曲家。いつもは、同人の方が順番に自分の作品を表紙に載せるのだが、今回は、表紙のデザイナーの内藤昇さんが、柳家小春さんの音曲中を写真におさめた。唄の文句「絃に載らずば のせずに 唄お わしが 独りの 恋の唄」は、長谷川伸・作の都都逸だそうだ。

小春さんの音曲は、何度か聴いたが、声が色っぽいうえに、風情があって、江戸へ連れられて行ったような気分になる。いいんだよねえ。内藤さんが、「目をつぶると、江戸時代の隅田川のほとりで風に乗った唄を聴いているような気分になった」と。

いつも、本誌が届くと、真っ先に見るのは、久家靖秀さんのところ。何度も書いたように、久家さんの書く文章は、料理のことが多いのだけど、これがしゃくにさわるほど上手の文章なのだ。と思って見ると、今回は料理ではなかった。でも上手。でも料理のことじゃないと、それほどしゃくにさわらない。

有山達也さんの連載「装幀のなかの絵」が、前回からの続きで「デジタル②」なのだが、おもしろい。「現在の写真といえばデジタルが主流だ。つい5年前くらい前まで印刷における写真の原稿はすべてフィルムだった」。有山さんは、「古い写真が気になって仕方がない」「何かが聞こえ、何かの匂いを感じる。例えようのない実在感とでも言おうか。不思議に迫り来る画像たち」「現在の写真のアーカイヴを百年後の人たちが見た時に果たして同じように例えようのない実在感を感じるだろうか」。デジタルの優れたところを認めつつ、「しかし、何かが足りない」「そこに「在る」という実在感はデジタルよりフィルムが勝っていると思う」「これをデジタルに求めてはいけないのだろうか」。

これは味覚にもありそうな話でおもしろい。つまり、産業化企業化された味は、「うまい」のだが、どこかしら、「何かが足りない」。

この件は、明日発売の『大衆めし 激動の戦後史:「いいモノ」食ってりゃ幸せか?』(ちくま新書)にも関係する。

ってことぐらいにして、まいどのように、おれは同人ではないが「理解フノー」の連載だ。今回11回目は「『四月と十月』からエロへ転がり」のタイトル。牧野さんから、「創刊以来、誌上にエロが登場したのははじめてです」とメモがあり、お祝いしましょうと。あははは~。

牧野さん、忙しくしているようだけど、なんと、昨年に続き今年も、アートディレクターズクラブ(ADC)賞を受賞とのこと。2年連続!祝。

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2013/10/05

関西人のための「新潟のええとこ・うまいもんゼミナール」で話します。

140b_2まだ先と思っていたら、大阪から『月刊島民』が届き、告知を見て気がついた、もう今月の末なのだ。

関西人のための「新潟のええとこ・うまいもんゼミナール」が今月から月1回5ヵ月連続で開催される。その1回目が今月30日で、おれが「新潟の米」を語るのだ。はあ、ちょうど新米の季節ですなあ。

このゼミナールは、2015年春の北陸新幹線開通によって大阪と新潟が一層近くなるのに合わせたもので、公益法人新潟県観光協会のバックアップで行われる。

新潟のええとこ・うまいもんゼミナール事務局は「月刊島民」。月刊島民の「島民」は、中之島の人たちのことで、大阪の経済や文化の中心地の「街事情」マガジンなんだけど、「中心だぞ」なーんて気取っていない誌名。まあ「中之島ブルース」だって気取っていないや。だけど、内容は、この狭い地域にこだわり、充実している。

大阪の140Bが編集制作し「ナカノシマ大学」なる講演会なども主催している。ナカノシマ大学は、けっこうハイカルチャーな内容で、参加者も、それなりのみなさま。今回は、ナカノシマ大学の主催ではないが、事務局も開催地域も同じで、ナカノシマ大学増刊号みたいなもの。

おお、ハイブラウな風が薫りただよう、に対して、下世話なおれが今回話すタイトルは、「新潟の米~炊きたて白飯の卵かけご飯こそ、新潟の至宝!」なのだ。

参加費無料のうえ新潟名産の土産付き、参加人数も30名としぼったこともあって、告知すぐに予約は満席御礼。

卵かけごはんは、めしと卵と、もう一つ、「ごはんのお供」ともいうべき、漬物などが重要な役割を果たす。この三位一体の関係を語りながら、新潟のうまさを、ヨダレだらだらになるほど話そうというネライ。

講師紹介で「「腹一杯めしを食って元気になる」ことを彼ほど生き生きと書ける人はちょっといません」なーんて持ち上げられているのだけど、書くのと話すのとでは、だいぶ違うからなあと思いながら、目下担当の方とメールのやりとりをしながら、当日使う写真などを準備しているのであります。

ナカノシマ大学ホームページ
http://nakanoshima-univ.com/

新潟の米、おれの故郷の魚沼コシヒカリ、よろしくね。できたら新潟へ行って食べてもらいたいねえ。やはり新潟で食べるのが一番うまい。米もそうだけど、食べ物はひとや景色と一緒に食べると、一層うまく力がわく。秋の爽やかな引き締まった空気のなかで、地元の水で炊いためしを食べると、コシヒカリのふっくらやさしい旨味が引き立ち、うまさ何倍返し、イヤ何倍増、何杯も何杯も食べられる。もちろん酒もうまい。これから紅葉の季節、見るとタメイキがでるような、紅葉名所もたくさんありますぞ。

おれは、今月、この大阪へ行く前に、中学の古稀同期会へ行って、たらふく飲んで食べてくる。

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2013/10/04

ザ大衆食のサイトを更新しながら少し手直し。

以前、当ブログに、「ザ大衆食」のリニューアルをやると書いた。

ところが、イザ取りかかってみると、2001年2月14日に生まれたこのサイトは、その後なりゆきまかせで、ぐだぐだ膨張し続け、もうぐちゃぐちゃなカオス。全とっかえでもなければ、簡単にはリニューアルできない。

システム構築なんぞ無いにひとしく、まさにクリック地獄。これを少しは整理しようと思ったが、もともとシステマチックに整ったサイトではないカオスなクリック地獄を目指していたのだから、当然のことだった。

で、まあ地味にコツコツあちこちをいじっているのだが、今日は、ついに表紙つまりホームページを少しいじった。見た目は少し変化しただけだが、HTMLソースレベルでは、大変だったよ。はあ、まったく、ややこしい。

こうして、少しずつマイナーチェンジしていくのが、いちばん現実的のようだ。

まずは、ごらんください。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/

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2013/10/01

10月7日発売『大衆めし 激動の戦後史』(ちくま新書)の見本刷りが届いた。

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今日、午前中に、ちくま新書から10月7日に発売の『大衆めし 激動の戦後史:「いいモノ」食ってりゃ幸せか?』の見本刷りが届いた。なにしろ今回は、三校でも、けっこう直しを入れたので、まちがいがないかドキドキものだった。

まずは、チェック。

ザル目のうえ、もう何度も見慣れてしまっている、自分の目で見たかぎりでは、表現上の問題はたくさんあっても、まちがいにあたるものは見つからなかった。まあ、よしとしよう。

カバーの表紙には、「まえがき」からの抜粋がある。「…70年代以後、これほど「うまい」「健康によい」「安全な」「いいモノ」を求めて、全国民的に右往左往したことは、かつてなかった。「いいモノ」は見つかったのだろうか。「いいモノ」を追い求めて、忘れたり失ったものはないか。…」と。

カバー折り返しの、出版社の方が書いてくださった要約は、「現代の大衆の食や料理を語るなら、この一冊を読んでからにしろ!」で終わっている。そういうこと。

腰巻には、「日本の「食」の構造的な変化の中で自分の「めし」のことを考える。ありふれたものを、おいしく!」。

もくじなどは、下記をご覧ください。

2013/09/14
『大衆めし 激動の戦後史』のもくじと、「まえがき」「あとがき」の書き出し。

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