故郷で古稀記念同期会。
21日の月曜日は、六日町中学12回卒古稀記念同期会で帰省した。
これまで会場は六日町の温泉だったが、今回は湯沢だった。新幹線で行くには便利だ。夕方16時ごろまでに着けばよかったので、その前に、気になっていた上越線の大沢へ行ってみることにした。
この大沢地区は、以前から魚沼産コシヒカリのなかでもうまくて高値がつくと評判の地域だ。それに、ここには「わが家の卵」という、たまごかけごはんを売りにしている食堂がある。
というわけで、東大宮10時過ぎの電車に乗って、越後湯沢に12時半ごろ、上越線に乗り換えて大沢は2つ目なのだが、列車の本数が少ないので、13時半ごろ大沢に着いた。ウロウロし途中で会ったおばさんやじいさんに土地の農業や米作りの話など聞いたり、「わが家の卵」では「きりざい丼定食」を食べて、おやじさんに米の話を聞いたりした。
そういう大沢の話は、あらためて書くことにする。
16時ごろ、同期会の会場である湯沢のホテルに着いた。大きなホテルで、ロビーでは、なんと、6組ほどが同級会や同期会などの受付をしていて混雑。平日だから、どちらもおれたちと同じ高齢者ばかり。なかでも、おれたちの受付が一番大きく、大人数が集まっていた。
2年前の同期会でも会って、顔を見ればすぐわかるひと、まったく思い出せないひと。受付を終えて、割り当てられた宿泊の部屋は、卒業年度に同じクラスだった5人。前回も参加している3人に、アメリカから帰国のAくんは同期会以外で何度か会っている。
一休みしてから、コンベンションホールに集合。記念撮影、古稀のお払い、そして幹事の挨拶。卒業後の物故者34名、そのうち前回からの2年間のあいだに亡くなった9名の名前が読み上げられ、黙祷。そのうち3名は、小学校からの友人だったので、亡くなった連絡は受けていたが、9名もいて、しかも全員男子。
Aくんの乾杯で宴会が始まった。還暦のときは120名ぐらいの出席があったと記憶するが、今回は63名。本人や家族の健康や仏事の都合で参加できないひとが多数いた。そういうトシなんだなあ。
参加したひとたちは元気で、あとは、もう、飲む、食う、しゃべる。
高校卒業して上京した年に東京で一度会ったきりの友人マサオくんがいた。同じ町内で、一緒に銭湯へ行き、おれの家で大いに飲み、山へも何度も一緒に行った。その話しになった。とくに登山は、台風接近中の嵐のなか登った巻機、かなりハードな縦走だった魚沼三山、そして1962年高校卒業の3月に記念にと登った雪の坂戸山の話になった。やはり、どれも記憶に残る登山だったのだ。
その坂戸山登山のことは、ザ大衆食のサイトに書いてある。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sakado.html
同じ町内の同じ歳の友人で、よく一緒に山登りしたマサオくんが、
高校卒業して東京へ出たら、もういつ登れるかわからない、記念に登っておこうと言った。
雪がしまっている早朝に登るのが楽でよいだろうと、平日だったが、
登校前の夜明けと同時ぐらいに家を出た。
23か4歳のとき以来に会う従兄弟もいた。
お互い、自分が覚えていないことをほかのひとが覚えていて、そんなことがあったか、と、話はつきない。考えてみると、在学中からそうだったが、個性が強い割には嫌味なやつが1人もいない。だからなのか、同期会の集まりもよいのだろう。だいたい5年に1度と決まっているのに、2年前のときのように、どうしてもやりたいというやつがいると開催し、短期の準備でも80名も集まったりしたのだ。でも、まあ、出席できたのは、よいほうなのだ、そんな話もしていた。
おなじホテル内で飲み放題の2次会、さらに3次会を幹事たちの大きな部屋で。途中から記憶なし。
朝6時ごろ目がさめ、温泉に入って、朝食。9時半ごろ、ホテル前で写真撮影をして解散。おれは、有志たち13名とホテルのマイクロバスで、外山康雄「野の花館」と雲洞庵をめぐって六日町へ出るコースへ。ひさしぶりに、「野の花館」と雲洞庵を見て、帰ってきた。
もうヨレヨレで、昨日まで疲れが残った。
はて、今度は喜寿か、その前にあるか、それまで生きているか。誰もが、そんな思いで、別れたようだった。
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