東京新聞「大衆食堂ランチ」17回目、青物横丁・和光食堂。
今月のブログの更新は、5回目と、極めて低調。ツイッターもあまりつぶやいてないし、フェイスブックに至っては、投稿は1回だけ。
というのも、リアルに面白いことがありすぎだっからだと思われる。
よーするに、リアルに面白くて愉快で夢中になることが多いと、インターネットはどーでもよくなるということか。目下、先日Sさんと飲んだときの話題、「スティング作戦」を、あれやこれや熱中検討中。
とにかく、先週の金曜日は、第3金曜日で、東京新聞の連載「大衆食堂ランチ」の日だった。今回は、青物横丁の和光食堂だ。
例によって、すでに東京新聞のサイトでご覧いただけるし、サイトには外観の写真が掲載にならないので、ここに載せる。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2014022102000191.html
「青物横丁」は、住所表示とは関係ない、近くの京浜急行の駅の名前だ。京急の西側には第一京浜が走り、東側は旧東海道が平行し外側に東京湾の埋め立て地が広がる。品川区大田区の京急沿いは、かつて一大工場地帯で、工業日本の成長と繁栄を担った。かの小関智弘さんの作品の舞台でもあり、いわゆる「南部労働者」の暮らすところだった。
そんな京急沿線には、昔から大衆食堂が多かった。青物横丁には、和光食堂のほかにも2,3軒あったし、京急の各駅ごとに、それなりの大衆食堂があった、と記憶している。
首都圏のかつての工場地帯は、どこもマンションやオフィスビルに変わっているように、このあたりも激変した。和光食堂は、戦前からの建物でやっているが、周りは見上げる建物に囲まれ、前の第一京浜だけは変わらずクルマが激しく行き交う。
ここで食べるのは3回目ぐらいだったと思うが、とかく、戦後の味覚の変化というと、「洋風化」というじつに荒っぽいくくりにおさめられてしまうが、荒っぽすぎると思う。
東京の大衆の味覚が、工場労働者の味覚からオフィス労働者の味覚へ変化していくのは、高度経済成長期が終わる70年代ぐらいからと思われる。そのあたりは拙著『大衆めし 激動の戦後史』にも書いた生産流通の大きな変化とも関係あるが、大きな「変化」のなかで、変化したこと、変化しないで続いていることは、この和光食堂で食べていると見えてくる気がした。
大衆食堂でも、外見に関係なく、あまり味覚の変化を感じさせないところもあれば、和光食堂のように感じさせるところもある。それは、それぞれの、食堂の料理を作る人と食べる人の「味覚関係」の反映でもあるだろう。似たようなことが、家庭の料理と味覚の歴史にもあるはずだ。
| 固定リンク | 0