アンディ・ウォーホル展とアメ横飲み。
森美術館で、2月1日から5月6日まで開催の「アンディ・ウォーホル展 永遠の15分」。いつも招待をいただく、公開前日の内覧会へ行った。
1月31日のことだが、たぶん混雑するだろうと思いながら、この日に行くと、分厚い豪華なカタログがタダでもらえるから行った。やはり大変な混雑。会田誠展のときも大混雑だったが、それ以上という感じだった。外国人も多い。
広い館内に、「アンディ・ウォーホルの初期から晩年までを総覧する400点が出品」を謳う展示で、膨大な量だ。カタログをもらうのが目的で、後日ゆっくり見に来るつもりだったから、途中まで見てHさんと合流、ひさしぶりに六本木のアボチョイへ。
アボチョイの時計が大幅に遅れているのに気がついたのが、0時少し前。大慌て、タクシーで新橋に出れば大宮まで帰れる事がわかり、急ぐ。新橋駅が見えるところで渋滞、降りて駆け足ゼエゼエ、電車に間に合う。大宮駅で30分ほど行列、1時45分ごろだったかな?帰宅。
ってことで、去る5日に、もう一度、森美術館へ。この日は、猪瀬さんたちとアメ横で飲むため、御徒町駅17時の待ちあわせだった。その前に見ようと、森美術館に14時ごろ着いて2時間ぐらいあればよいだろうと思って行ったが、ゆっくり見ていたら、やはり時間がなくなり、最後の方は早足になった。気になっていた、MAMプロジェクトの「ガブリエル・アセベド・ベラルデ」はパスしてしまった。
冷え込みが厳しいなか、アメ横の「魚草」で、オープンエアの立ち飲み。この寒さ、これぞ立ち飲みの醍醐味か、って感じ。猪瀬さんと友人で初対面の木下さんと飲んでいるうちに、猪瀬さんの父上、初対面の小松さん、最後に初対面の名前を思い出せない芸大女子学生が登場。
猪瀬さんが、この女子学生に、「読みなさい」と、拙著『大衆めし 激動の戦後史』と『汁かけめし快食學』を渡す。ところどころ付箋が貼ってあって、ヨレヨレになるほど読まれたあとが。ありがたいねえ。猪瀬さんとご同業の木下さんも『大衆めし 激動の戦後史』を読んでおられて、あれこれ話しになる。学者や研究者の関心の持ち方は、やはり違うなあ、なるほど。高円寺周辺の動向の話もおもしろかった。
魚草は、若い夫妻がやっている。出来て1年ちょっと。店頭の魚類を調理して食べさせてくれる。堪能しながら、ビールのち清酒をグイグイ。寒さを、酒と肴と話で、ぶっとばす勢い。話は散らかり放題で楽しい。仕事がらみのことも少しあって、猪瀬さんの大学などでトークをやることになりそう。
猪瀬さんの父上は、65歳と知る。小松さんは彼の友人で、猪瀬さんの農業の師匠とか、70歳。まさに老若男女、人生さまざまが、しゃべる飲む。魚草は19時までなので、のち「肉の大山」の奥へ移動。22時過ぎには、もう飲めないぐらいヘベレケ。話も錯綜。猪瀬さんの父上と浦和まで一緒に帰った。
また見沼たんぼの猪瀬さんたちの農園へ行くぞ。
アンディ・ウォーホルに話をもどすと、おれがウォーホルを知ったのは、1970年代だった。70年代、80年代、おれがマーケティング屋をやっていたとき、おれの周辺の、いわゆるクリエイターたちのあいだで、彼は神様のような大スターだった。デザインや広告美術の本をめくれば、必ず彼の作品があった。70年代、おれの最初の記憶に残ったのは、有名なキャンベルの絵だった。おれは、キャンベルではなく競合するハインツの缶詰と関わりがあった。
80年代、彼から「マルチクリエイター」という言葉が広がったような感じだが、とにかくその活動は多彩で、全貌はつかめない。今回も、あらためてそう思った。
一見、華やかなメインストリームを歩んで、「アメリカンドリーム」を体現した人物とも見られていたが、美術界や性的方面ではマイノリティ。ま、しかし、アートビジネスの成功者であることは間違いない。アートとビジネスと大衆文化と消費主義をシャッフルしながら、大いに人びとを楽しませてくれたのだなあ。
おれはビジュアルの表現技術については疎いし、あまり興味はないのだが、ナマで彼の作品を見ると、いろいろヒントになることがあった。
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