中野で、やどやゲストハウス。
中野はどんどん変わっている。行くたびに変わっている。南口にはタワーマンションができたり、北口の警察学校跡地の再開発以来、道行く人々まで変わった。中野サンプラザの解体と再開発も決まったから、まだまだ変わるだろう。
昨日は中野のやどやゲストハウスの「飲みーティング」だった。といっても、いつもの役員飲みーティングではなくて、Nのための飲み会だったといったほうがよいだろう。
Nは、おれの親友で、おれが20歳代から付き合っている「親友」といえるやつは少なかったうえ、60歳ぐらいのときに、次々死んで、Nしか残っていないのだが、10年前、やどやゲストハウスを立ち上げる初期の頃、大いにお世話になった。かれのおかげで、不動産対策が比較的スムーズにいったことが、なんといっても大きい。
そのかれから、少し前にメールがあった。「昨年7月に直腸癌摘出手術で済んだかと思っていたら、肝臓に4、5個の転移腫瘍が見つかり、昨週末(4~6日)1回目の抗がん剤点滴で入院、何しろ数が多いので手術もならず、ということらしい」と、おまけにかれはC型肝炎。いたって平穏の日々で「今のところゴルフ・芝居に普段と変わらないが、いつ身が思うに任せなくなるか不明なので、ま、ご尊顔を拝して美味しいうちにお酒と肴を共にしておきたい」
ということで、昨日の飲み会になった。特別なことであり、N妻も、付き添いがてら参加することになった。N妻とは、70年代中ごろに一度だけ会っている。
18時に予約しておいた第二力酒造。N、N妻、S、まりりん、おれ、個室が予約できたので、ゆっくり食べ飲み話した。
初期の大変のころのことは、いまとなればよい思い出。そもそも、このプロジェクトがどう始まったのかもおれは忘れていたのだが、もっとも当事者であるまりりんは、よく覚えていて、おれと初めて会ったときのことや、おれが当時新宿にあった大会社の社長をしていたNを紹介して初めて会ったときのことを話した。
もとはといえば、おれが2000年にインターネットを始めて、アメリカにいることが多かったうえ、おれもかれも離婚だの何だので転々、音信も途絶えていたSの名前を検索したら、アメリカの教会で何やらエラソウにしている写真と記事が見つかった。早速、メールをしたら、日本にいて、会うことになった、そのとき、ちゃんとしたゲストハウスを立ち上げたいというまりりんが一緒だったのだ。まりりんがいうには、その初めて会った場所は、中野北口駅前にいまでもある、「ニュー浅草」だったとのこと。ニュー浅草あたりがお似合いの、ビンボウ人同士が、夢ばかりは世界をかけめぐるデカイ事業をやろうという企てが、そこから始まった。
カネはないが、いろいろ知恵を出せばやりようがあるわけで、「ワールドグループ」という株式会社をつくり、泥縄式のゲストハウス経営を始めた。最初は、旅館業法をクリアできない建物で、いわば「もぐり」。障害もあったし、妨害もあったりした。「飲みーティング」は、最低でも月に一回はやっていた。
数年前、旅館業法をクリアするホステルができて、泥縄式から脱却するメドが立った。中野にもシッカリ根をはって、いまではブランチが4か所。
そして、また、一棟まるまる4回建てビルを借りる契約を、数日前にしたばかり。ということで、20時半ごろに飲み会をしめ、そのビルを見に行った。これが、場所も駅に近いうえ、ビルの前にスペースがあり、いろいろなことがやれそうな、願ってもないビルなのだ。前回の飲みーティングのときには、中野は再開発が進行中で不動産価格が上がっているし、よい物件が難しい状態、という感じだったが、まりりんが歩き回って見つけた。
これから暑い時期、前のホステルの工事もそうだったが、内装の解体から新しい建付けまで、ほとんど自前でやる。若いひとたちに、がんばってもらいましょう。
完成すると、ベッド数が30数増える。ゲストハウスは薄利の商売だから、安定経営のためのベッド数の確保と、回転率を高く維持する対策が欠かせない。前の飲みーティングでも、激化している低価格競争には巻き込まれないことを確認しているが、そのためにも、このビルはカギになりそうだ。
空き家で人気のない暗いビルを見上げ、Nが、「これはいい、また夢が広がる」といった。NとN妻を中野駅で送って、ワレワレはアボチョイでもう一杯。避けられない死と、生きているうちはある夢を、一緒に飲んだよい日だった。Nは、あいかわらず元気で、なかなか死にそうにない。
ちょうど昨日の読売新聞の「ニッポン魅力発見」のコーナーに、やどやゲストハウスの話が載った。「ゲストハウスで国際交流」の見出し、「宿泊者以外も参加できる交流イベントに力を入れている」と記事にあるが、「力を入れている」というより、力を入れずに続けているというのが正確だろう。これまでも、そうだったが、ちゃんと実態は把握しながらも、ガツガツしない、同じ競争はしない、わが道をゆく、なのだ。考えてみれば、NもSも、まりりんも、おれも、わが道をゆくで、しなくてもよい苦労をしてきて、ここにいるといえるようだった。なかなか愉快痛快ではあるのだが。
ま、早ければ10月、遅くても11月に開店する、新しいビルが楽しみ。
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